エピソード

  • #9 特集:メロクロ〜My Melody & Kuromi Summer〜
    2025/08/12

    今回の特集は、先日Netflixで配信が開始されたストップモーションアニメ作品『My Melody & Kuromi』です。2025年はマイメロディが50周年、クロミが20周年のアニバーサリーイヤー。そんな長年親しまれてきた「メロクロ」の2人を描いた本作ですが、皆さんはもうご覧になられましたか?「どうせ子供向けアニメでしょ?」などと高を括ってらっしゃる方々、是非とも今すぐ観てください


    今作「メロクロ」の素晴らしいポイントは、優しく朗らかな性格のマイメロディと、自分の心に正直なクロミのふたりの性格と関係性をそのまま忠実に取り入れながら、その上で現代の我々がまさに直面している社会の問題や病理についてもきちんとと描いているところです。脚本を担当した根本宗子はインタビューで「今作ではマイメロとクロミの二人の関係性をもとに、"対立の先にある優しさ”を描いた」と語っています。他者を見てつい欲望や嫉妬を抱えてしまうこと、そんな欲望や嫉妬にここぞとばかりに漬け込んでくる存在がいること、その結果、思いもしなかった誰かを傷つけてしまうこと。そんな幾度も繰り返し続ける失敗を、果たして我々はどうやって乗り越えていけばよいのか。混沌を極めるいま、改めて考え直さねばならない非常に重要なテーマを、わかりやすく簡潔に、しかしどこまでも深く描いているのが本作なのです。


    株式会社サンリオの創始者である辻信太郎は「人々がお互いに思いやりを持ち、仲良く暮らせるコミュニティ(集団)を作りたい」と語ります。第二次世界大戦時中、甲府空襲を経験した辻は、その悲惨な経験をもとに、「みんなが仲良くなるにはどうしたらいいだろう?」「どうしたら平和な世界になるんだろう?」と考え続け、その願いや祈りのもとに、サンリオは今日まで様々なキャラクターやコンテンツを生み出してきました。みんなが少しでも楽しく仲良く暮らすために、サンリオから、そしてこの「メロクロ」から学ぶべきことがいくつもあると思うわけです。


    日本の夏は暑くなりすぎて、最近では日中にあまり蝉が鳴かなくなりました。当たり前だったことは当たり前じゃなくなり始めていて、我々は少しずつ何かを忘れていきながら、そのくせ大して大事でもないことを一生懸命に頭に詰め込み、せっせせっせと日々を生きています。人間として本当に大切な何かを失ってしまう前に、かけがえの無い喜びや悦楽とは何か?それを「メロクロ」から教わることにしましょう。


    ※サンリオHPより『いちご新聞8月号|いちごの王さまからのメッセージhttps://www.sanrio.co.jp/news/goods/strawberrynews-message-202508/

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    52 分
  • #8 特集:村田沙耶香(後半)『世界99』と『エブエブ』
    2025/08/05

    本パートから本格的に『世界99』の世界を読み込んでいきます。我々が特に重要だと思うのが、下巻における空子と白藤の関係性の変異であり、この2人の言動を観察していると「もしもあの人混みの前で君の手を離さなければ / もしも不意に出たあの声をきつく飲み込んでいれば」と思わずにはいられない場面がいくつもある。もっとこうしていればあんなことにはならなかったんじゃないか...と。思想も境遇も全く違う人間どうしの不和を解決するためには一体何が必要なのか?


    その答えを映画『エブエブ(エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス)』から見つけていきたいと思います。『世界99』と『エブエブ』、どちらも「家族」ひいては「母娘関係」をテーマの中心に扱った作品であり、そのうえ主人公が多層的な世界を複雑に横断していくという共通点もあります。家族という切っても切れない深い絆、が時にもたらす重責と業。21世紀において「血」や「家族」といった逃れられない束縛(システム)は、我々の想像をはるかに超えるレベルでこの世界を動かす基盤として機能しており、それは「世襲」をもとに歴史を積み重ねながら、長きにわたって我々日本人の熱狂の中心に存在し続ける「政治」や「芸能」のあり方をみても明白です。その事実について我々はもっと真剣に考える必要がある。『世界99』と『エブエブ』この2作品をじっくりと参照することで、きっとこの現代社会を生き抜いていくための手引きが見つかるはずです。

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    1 時間 25 分
  • #7 特集:村田沙耶香(前半)『世界99』と『エブエブ』
    2025/07/20


    今回の特集は村田沙耶香の小説『世界99』です。


    上下巻合わせて900ページ近い超大作であるこの作品には、私たち読者が日頃から無意識に受け入れている「正しいこと」「普通のこと」といった常識を、根本から揺さぶる圧倒的な強さがあります。この物語の登場人物たちの行動や思考が、一見すると異常でありながら、その異常こそが現代社会の規範が持つ矛盾や欺瞞がありありと露呈してゆく。この物語を読む私たちは、何が「普通」で、何が「異常」なのかという根源的な問いを突きつけられることになります。


    この衝撃を我々はどう受け止めればよいのか。ここで「過剰接続」の出番です。


    今回はA24の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)』という映画を引き合いに出しながら、両作品に共通する事項について、つまりは「家族観」や「多様な選択の可能性」といったトピックを中心に考えていきます。


    『エブエブ』におけるマルチバースという設定によって、主人公エヴリンは「もしあの時こうしていたら…」という無数の可能性を目の当たりにします。カンフーマスター、映画スター、ソーセージの指を持つ人間など、様々な「あり得たかもしれない自分」を経験することで、彼女自身のアイデンティティが揺らぐことになります。このアイデンティティの揺らぎによってエブリンは自身の中の多様さ、複雑さを受け入れていく過程が描かれます。


    『世界99』も『エブエブ』も、両者ともに、現代社会では当たり前となった感覚やシステムを揺さぶり、それによって発生したカオスの中から新たな意味を見出すという点で、非常に重要な作品であるということを訴えたいと思います。


    今回も重いテーマになりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

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    51 分
  • #6 特集:狂気(後半) カニエ・ウェストとミン・ヒジン
    2025/07/05

     ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』という映画があります。物語の舞台は1965年9月のはじめ、ニューイングランドの架空の島。子供たちの冒険と成長、そして大人たちの混乱を描いたオフビートなコメディ映画なのですが、ここで注目したいのは、周囲の大人たちが子供たちに向ける多種多様な視線です。とある親は子を過保護に心配し、またある親は問題児である我が子に愛想を尽かして無関心な態度を見せる。何よりも主人公であるサムが孤児であるということ。どの子供たちも複雑で/ある種無責任で/欠落した視線を大人たちから向けられている。そんな中、彼らは野山に集い、テントを張って共に生活をします。「血のつながっていない家族」のひと夏の物語。



    ”君は覚えてるかな?9月のあの夜のこと”

    “互いの愛が、噓つきな僕らの心を変えていったこと”

    “まるで雲を追い払うみたいに’

    (Earth, Wind & Fire / September



     もうひとつ。タイカ・ワイティティの傑作『ジョジョ・ラビット』について話しましょう。舞台は1940年代、第二次世界大戦末期のドイツ。10歳の少年ジョジョ・ベツラーは、熱心なヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)のメンバー。彼は空想上の親友として、頭の中のコミカルで陽気で狂気的なヒトラーと会話しながら日々を過ごしています。ジョジョはヒトラーユーゲントのトレーニングを経て優秀な兵士になることを夢見ていましたが、ウサギを殺すことができず、「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられ、ついには怪我で訓練キャンプを追放されてしまう。そんな彼はある日ユダヤ人のエルサと出逢います。彼はエルサの話を聞いたことで、自身の「ユダヤ人に関する知識」が全てデタラメであることに気づきます。そして何よりも彼を救ったのは母ロージーの存在。彼女はジョジョに希望や愛情だけでなく充実した教育を与えます。「感性とはなにか?」を知ったジョジョ。しかしロージーは反戦活動に関わった結果、処刑されてしまいます。母を喪失という絶望を糧に、彼はエルサと2人で未来へと歩いていくことを決意する。この作品は、国や大人たちが動かす邪悪で強大なシステム、イデオロギーや信仰にどっぷりと支配されてしまっていた「子ウサギ」が、母や友、師の支えや教えを受けながら、戦禍の中で自らの意志を掴み取り、成長してゆく物語であるということです。



    “君が泳げたらな”

    “イルカのように イルカが泳ぐように”

    “どんなに引き離されそうになっても”

    “僕らはやつらを打ち倒せる、いつまでも、何度でも”

    “僕らは英雄になれる、一日だけならば”

    David Bowie / Heros



     今挙げた2作品には、共通するテーマがいくつかあります。勘のいい方なら既にお気づきかと思いますが、要は僕ら二人が「未来」を思考するために「過剰接続」という手段を用いるとして、今回の特集『狂気』の後半パートはその核心的な部分へと触れることになるのではないでしょうか。


     現在、世界では軍事的/産業的、大小様々な規模の戦争が繰り広げられており、終わりの兆しすら見えません。日々ますます最悪な状況が加速するこの世界を生き抜くために、来たる未来に対して「備える」こと、そして何より忘れてはならないのが「教育」と「慈愛」であると考えます。フランシス・フォード・コッポラの集大成である『メガロポリス』は、そういったメッセージが存分に込められた映画でした。自分の中にある「狂気」を飼いながら、その「狂気」をどういった場面でどのように発揮するか。未来を「視る」ためにはどうすればよいのか。


    それでは考えてみることにしましょう。

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    48 分
  • #5 特集:狂気(前半)「カニエ・ウェストとミン・ヒジン」
    2025/06/28

     まず最初にお伝えしなければならないのは、今回の特集テーマについて。ここまで星野源、乃木坂46とそれぞれ特定のアーティストをテーマに語ってきたわけですが、ここで一度、このポッドキャストの根本的な命題に立ち返り(?)、思い切って「概念」を起点とした過剰な接続を試みたいと思います。今回の特集は「狂気」です。そして登場するのがカニエ・ウェストとミン・ヒジン。


    きょう‐き〔キヤウ‐〕【狂気】:気が狂っていること。また、異常をきたした精神状態 / Goo辞書(2025年6月25日をもってサービス終了)


     「狂気」についていくつかの辞書を調べてみると、辞書というある程度は思想の公平性が担保されたメディアでさえ、やたらとネガティブな言及・定義が目立ちます。とはいえ皆さんも「狂気」と聞くと、なんとなく嫌なイメージを抱くのではないでしょうか?(あまつさえ、それをミン・ヒジンに貼り付けたタイトルを見たBunniesの方々は)

    しかし本当にそうなのでしょうか?

     かつてフランスの哲学者フーコーは「中世時代には一種の「知」とされていた「狂気」が、のちに理性主義が優位になると社会的に監禁されるようになった。「狂気」と「正常」の線引きがはっきりとなされ、社会的な型にはまっている状態こそが「正常」で、そこから外れた存在が「狂気」と定義づけられた」と語っています。「狂気」とはポジティブかネガティブか、理性か非理性かで定義づけられるものではなく、文明が未来を切り開くための可能性でさえあったということです。

     またアインシュタインは、「狂気」について、「同じことを繰り返しながら、異なる結果を期待すること(Insanity is doing the same thing over and over again and expecting different results)」だと説きました。

     カニエもミン・ヒジンも、同じことは一切しない、常に新しいアイデアで未来を切り開く天才として評価され続けているわけですが、彼らにだって、いや、むしろ彼らのような「狂気」を孕んだ人間の行動や思想にこそ「繰り返し」や「非合理」による実践があるはずだと考えるわけです。

     たとえば、カニエはパンデミック以降、私財を投げ打ってリスニングパーティーを何度も開催しています。ツアーやフェスで各地を周り、チケット代やマーチの売り上げなどでプロモーション費用を回収することが最も合理的かつ一般的とされている音楽業界において彼のような行動は実に非合理的です。

     またミン・ヒジンは、CDやグッズなどのアートワークデザインに並々ならぬ執着と意匠を持ち、たとえ採算が合わなくても良質で革新的なものを提供したいという意思のもとでクリエイティブを続けています。K-POPのシーンの規模や環境が変わってもなお、確固として変わらない彼女の信条もまた実に「繰り返し」と「非合理」の上に成り立っているものです。

     収録を終えてふと振り返って考えてみると、僕ら2人は「狂気」というテーマについて明るく楽しくポジティブに語ってみたかったんじゃないかと思います。ですから皆さんも一見すると物騒なタイトルに臆することなく、どうか気楽に明るい気持ちで聞いていただければ。かつてないほど「狂気」が嫌悪されるこの時代に、改めて「狂気」について考えてみることにしましょう。

     Bunnies Campから一年経って、世界はあの頃よりも最悪だけど、これからも彼女たちが、僕たちが生き延びるために。

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    1 時間
  • #4 特集:乃木坂46(後半)「乃木坂46と『東京の生活史』」
    2025/06/15

    「乃木坂46と『東京の生活史』」

    後半パートでは2019年以降の乃木坂46を紐解いていきます。

    丁度この時期に加入した4期生は『乃木坂どこへ』という”上京物語”によってキャリアの幕を開けます。

    「東京タワーに登りたい」と泣く女の子がいました。なぜあんなにまで東京タワーに登りたかったのか。今思うと、その気持ちがなんとなく分かるような気がします。

    またある彼女は、首都高から眺める東京タワーの写真をブログに載せていました。別の彼女は東京タワーの足元で撮った、オレンジの光に照らされた自撮りの写真を送ってきました。東京のシンボル、東京に生きる人々のセンチメンタルに寄り添う同情塔。あのなんとも言えない魔力。刹那。

    乃木坂というアイドルグループは、東京のアイドルグループなのか?

    あの時、確かに東京の街で生きた彼女たちの痕跡を辿ること。君の中の本当の正しさが悪や欺瞞を暴くとき、その代償として世界が君の姿を隠そうとすることを僕は知っている。だからこそ、君がいたことを少しでも残しておきたいと、そう思ったんだ。


    つい収録時間が長くなってしまいましたが、どうか最後までお付き合いください。


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    1 時間 43 分
  • #3 特集:乃木坂46(前半)「乃木坂46と『東京の生活史』」
    2025/06/07

    今回の特集は「乃木坂46と『東京の生活史』」です。

     そもそも乃木坂46がきっかけでTwitterで出逢った僕ら2人にとって、このテーマはまさに核心そのもの。放っておいたら何時間でも話せてしまう話題だからこそ、どの角度から語り、どう過剰接続していくべきか悩みました。

     そんな時ふと、「東京に暮らす僕らと、東京に生きる乃木坂メンバー、それぞれの暮らしを照らし合わせていけば、なんか共通点が見つかるんじゃない?」と冗談半分で話しはじめた結果、乃木坂46とそこに生きるメンバーは、「東京」という都市のありようと密かな「つながり」を抱えているんじゃないかと思うに至りました。


    果たして乃木坂46は「東京」のアイドルなのか?


     今回の特集では、乃木坂46の13年間の歴史を「2019年」の前後で区切り、その周辺で起こった変化や転機をもとに、できるだけファンダムの外側にも届けるつもりで意識をしながら語りました。我々の東京の生活を語ることが、きっとそのまま乃木坂46を語ることに「つながる」はずだと、そう信じて。なので「乃木坂なんて興味ないし…」みたいな方こそ、固有名詞の羅列をかわしながら是非ともチェックしてみてください。きっと新たな発見が、あなたの生活との共通点が見つかることでしょう。

     まず前半パートでは、私はこーへ史観の「乃木坂46」を紐解いていきます。橋本奈々未の卒業、その悲痛。大園桃子という異端児、そのリアルとアンリアル。そしてなによりも、齋藤飛鳥という存在との鮮烈な出逢い、そのエウレカ。なぜ私はこーへは齋藤飛鳥に惹かれてしまったのか?それでは、私はこーへと齋藤飛鳥の『天気の子』をお楽しみください。


    『彼女がいる。東京で彼女が生きている、彼女がいるかぎり、僕はこの世界にしっかりと繋ぎ止められている。」

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    1 時間 15 分
  • #2 特集:星野源(後半)「星野源『Gen』と大阪万博」
    2025/05/31

     『私はこーへとキムラのコンテンツ過剰接続』第一回「星野源『Gen』と大阪万博」の後半エピソードです。星野源『Star』で幾度も繰り返される「いのちは輝いた」というフレーズ。これこそが星野源『Gen』と大阪万博の最大の接続ポイントではないでしょうか?そんな気がしたので二人で考えてみました。

     漠然とした景気回復の旗印であった東京五輪の挫折の先に開催される、もはやなんの意味も持たなくなってしまった大阪万博。前回の大阪万博EXPO'70で岡本太郎が注入した毒が「いのちの輝きくん」へと繋がった?公式マスコットキャラクター「ミャクミャク」の凄さ:細胞分裂と再生産、POPの増殖(VIRUS)。

     星野源は大阪万博とコラボすべきだった?三波春夫「世界の国からこんにちは」と星野源「Hello Song」。星野源と大阪万博が共にある21世紀世界の行く末とは…


    「ほーしのくん、遊びましょ」

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    32 分