
#5 特集:狂気(前半)「カニエ・ウェストとミン・ヒジン」
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まず最初にお伝えしなければならないのは、今回の特集テーマについて。ここまで星野源、乃木坂46とそれぞれ特定のアーティストをテーマに語ってきたわけですが、ここで一度、このポッドキャストの根本的な命題に立ち返り(?)、思い切って「概念」を起点とした過剰な接続を試みたいと思います。今回の特集は「狂気」です。そして登場するのがカニエ・ウェストとミン・ヒジン。
きょう‐き〔キヤウ‐〕【狂気】:気が狂っていること。また、異常をきたした精神状態 / Goo辞書(2025年6月25日をもってサービス終了)
「狂気」についていくつかの辞書を調べてみると、辞書というある程度は思想の公平性が担保されたメディアでさえ、やたらとネガティブな言及・定義が目立ちます。とはいえ皆さんも「狂気」と聞くと、なんとなく嫌なイメージを抱くのではないでしょうか?(あまつさえ、それをミン・ヒジンに貼り付けたタイトルを見たBunniesの方々は)
しかし本当にそうなのでしょうか?
かつてフランスの哲学者フーコーは「中世時代には一種の「知」とされていた「狂気」が、のちに理性主義が優位になると社会的に監禁されるようになった。「狂気」と「正常」の線引きがはっきりとなされ、社会的な型にはまっている状態こそが「正常」で、そこから外れた存在が「狂気」と定義づけられた」と語っています。「狂気」とはポジティブかネガティブか、理性か非理性かで定義づけられるものではなく、文明が未来を切り開くための可能性でさえあったということです。
またアインシュタインは、「狂気」について、「同じことを繰り返しながら、異なる結果を期待すること(Insanity is doing the same thing over and over again and expecting different results)」だと説きました。
カニエもミン・ヒジンも、同じことは一切しない、常に新しいアイデアで未来を切り開く天才として評価され続けているわけですが、彼らにだって、いや、むしろ彼らのような「狂気」を孕んだ人間の行動や思想にこそ「繰り返し」や「非合理」による実践があるはずだと考えるわけです。
たとえば、カニエはパンデミック以降、私財を投げ打ってリスニングパーティーを何度も開催しています。ツアーやフェスで各地を周り、チケット代やマーチの売り上げなどでプロモーション費用を回収することが最も合理的かつ一般的とされている音楽業界において彼のような行動は実に非合理的です。
またミン・ヒジンは、CDやグッズなどのアートワークデザインに並々ならぬ執着と意匠を持ち、たとえ採算が合わなくても良質で革新的なものを提供したいという意思のもとでクリエイティブを続けています。K-POPのシーンの規模や環境が変わってもなお、確固として変わらない彼女の信条もまた実に「繰り返し」と「非合理」の上に成り立っているものです。
収録を終えてふと振り返って考えてみると、僕ら2人は「狂気」というテーマについて明るく楽しくポジティブに語ってみたかったんじゃないかと思います。ですから皆さんも一見すると物騒なタイトルに臆することなく、どうか気楽に明るい気持ちで聞いていただければ。かつてないほど「狂気」が嫌悪されるこの時代に、改めて「狂気」について考えてみることにしましょう。
Bunnies Campから一年経って、世界はあの頃よりも最悪だけど、これからも彼女たちが、僕たちが生き延びるために。