
#7 特集:村田沙耶香(前半)『世界99』と『エブエブ』
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このコンテンツについて
今回の特集は村田沙耶香の小説『世界99』です。
上下巻合わせて900ページ近い超大作であるこの作品には、私たち読者が日頃から無意識に受け入れている「正しいこと」「普通のこと」といった常識を、根本から揺さぶる圧倒的な強さがあります。この物語の登場人物たちの行動や思考が、一見すると異常でありながら、その異常こそが現代社会の規範が持つ矛盾や欺瞞がありありと露呈してゆく。この物語を読む私たちは、何が「普通」で、何が「異常」なのかという根源的な問いを突きつけられることになります。
この衝撃を我々はどう受け止めればよいのか。ここで「過剰接続」の出番です。
今回はA24の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)』という映画を引き合いに出しながら、両作品に共通する事項について、つまりは「家族観」や「多様な選択の可能性」といったトピックを中心に考えていきます。
『エブエブ』におけるマルチバースという設定によって、主人公エヴリンは「もしあの時こうしていたら…」という無数の可能性を目の当たりにします。カンフーマスター、映画スター、ソーセージの指を持つ人間など、様々な「あり得たかもしれない自分」を経験することで、彼女自身のアイデンティティが揺らぐことになります。このアイデンティティの揺らぎによってエブリンは自身の中の多様さ、複雑さを受け入れていく過程が描かれます。
『世界99』も『エブエブ』も、両者ともに、現代社会では当たり前となった感覚やシステムを揺さぶり、それによって発生したカオスの中から新たな意味を見出すという点で、非常に重要な作品であるということを訴えたいと思います。
今回も重いテーマになりますが、どうぞ最後までお付き合いください。
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