
#6 特集:狂気(後半) カニエ・ウェストとミン・ヒジン
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ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングダム』という映画があります。物語の舞台は1965年9月のはじめ、ニューイングランドの架空の島。子供たちの冒険と成長、そして大人たちの混乱を描いたオフビートなコメディ映画なのですが、ここで注目したいのは、周囲の大人たちが子供たちに向ける多種多様な視線です。とある親は子を過保護に心配し、またある親は問題児である我が子に愛想を尽かして無関心な態度を見せる。何よりも主人公であるサムが孤児であるということ。どの子供たちも複雑で/ある種無責任で/欠落した視線を大人たちから向けられている。そんな中、彼らは野山に集い、テントを張って共に生活をします。「血のつながっていない家族」のひと夏の物語。
”君は覚えてるかな?9月のあの夜のこと”
“互いの愛が、噓つきな僕らの心を変えていったこと”
“まるで雲を追い払うみたいに’
(Earth, Wind & Fire / September)
もうひとつ。タイカ・ワイティティの傑作『ジョジョ・ラビット』について話しましょう。舞台は1940年代、第二次世界大戦末期のドイツ。10歳の少年ジョジョ・ベツラーは、熱心なヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)のメンバー。彼は空想上の親友として、頭の中のコミカルで陽気で狂気的なヒトラーと会話しながら日々を過ごしています。ジョジョはヒトラーユーゲントのトレーニングを経て優秀な兵士になることを夢見ていましたが、ウサギを殺すことができず、「ジョジョ・ラビット」というあだ名をつけられ、ついには怪我で訓練キャンプを追放されてしまう。そんな彼はある日ユダヤ人のエルサと出逢います。彼はエルサの話を聞いたことで、自身の「ユダヤ人に関する知識」が全てデタラメであることに気づきます。そして何よりも彼を救ったのは母ロージーの存在。彼女はジョジョに希望や愛情だけでなく充実した教育を与えます。「感性とはなにか?」を知ったジョジョ。しかしロージーは反戦活動に関わった結果、処刑されてしまいます。母を喪失という絶望を糧に、彼はエルサと2人で未来へと歩いていくことを決意する。この作品は、国や大人たちが動かす邪悪で強大なシステム、イデオロギーや信仰にどっぷりと支配されてしまっていた「子ウサギ」が、母や友、師の支えや教えを受けながら、戦禍の中で自らの意志を掴み取り、成長してゆく物語であるということです。
“君が泳げたらな”
“イルカのように イルカが泳ぐように”
“どんなに引き離されそうになっても”
“僕らはやつらを打ち倒せる、いつまでも、何度でも”
“僕らは英雄になれる、一日だけならば”
(David Bowie / Heros)
今挙げた2作品には、共通するテーマがいくつかあります。勘のいい方なら既にお気づきかと思いますが、要は僕ら二人が「未来」を思考するために「過剰接続」という手段を用いるとして、今回の特集『狂気』の後半パートはその核心的な部分へと触れることになるのではないでしょうか。
現在、世界では軍事的/産業的、大小様々な規模の戦争が繰り広げられており、終わりの兆しすら見えません。日々ますます最悪な状況が加速するこの世界を生き抜くために、来たる未来に対して「備える」こと、そして何より忘れてはならないのが「教育」と「慈愛」であると考えます。フランシス・フォード・コッポラの集大成である『メガロポリス』は、そういったメッセージが存分に込められた映画でした。自分の中にある「狂気」を飼いながら、その「狂気」をどういった場面でどのように発揮するか。未来を「視る」ためにはどうすればよいのか。
それでは考えてみることにしましょう。