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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾五 鳥取・八頭 白兎神話異伝と「習合」文化
- もう一つの「因幡の白兎」神話が伝わる八頭町は、今も昔も「習合」文化の町
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
鳥取県南東部の八頭町には、古事記の「因幡の白兎」神話とは異なる白兎神話が伝わっている。神代、近隣の霊石山に天照大神が降臨し、どこからともなく現れた白兎の導きで、仮宮にふさわしい場所に着いたというもの。白兎は気が付いたら姿を消していたが、実はこの白兎こそ、天照大神の弟・月読神の化身だった。そこで、八頭町の中心地である郡家(こおげ)周辺数村では、月読神を道祖白兎大明神と称し、氏神として崇めたという。郡家という地名の通り、古代には朝廷の郡衙(ぐんが)があった場所で、その遺跡や白鳳時代の廃寺跡も発見されている。このあたりには今も白兎神社が数社点在しているが、その総鎮守であった神社は、明治の神社合祀で近隣の神社に一度合祀されている。一方立派であった社殿は惜しまれ、近くの成田山青龍寺に引き取られた。そのため、本堂内に社殿を安置し、その中に本尊を祀るという、特異な寺院になっている。近隣には、寺院の境内に残っている白兎神社もあり、当地の白兎信仰は、神仏習合、分離、神社合祀などの影響を強く受けている事が分かる。町内には隼神社という神社もあるが、神社に由来する隼の地名と、隼という駅もあり、その駅は鉄道とバイクと「萌え」が混在する、現代における「習合」が現在進行形で見られる場所である。白兎神話の町に「習合」文化の精髄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾 神奈川・鎌倉 戦に明け暮れし親王最期の地
- 山中を転戦し鎌倉幕府を討った護良親王は、その後失脚し捕縛され、鎌倉で最期を遂げた
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
源頼朝が幕府を開いた古都・鎌倉。その一角に、鎌倉宮なる神社が建つ。祭神は、大塔宮護良親王。紀伊半島の山中を転戦し、鎌倉幕府討幕に大きく貢献した、後醍醐天皇の皇子だ。その功により征夷大将軍に任じられたが、足利尊氏と対立、後醍醐天皇とも反目した為、失脚。皇位簒奪の罪を着せられて捕えられ、鎌倉へ送られた。鎌倉では尊氏の弟・直義が身柄を預かったが、鎌倉幕府の執権・北条氏の残党が反乱を起こすと、将軍に擁立される可能性があったため、直義の手の者に殺害されてしまう。その愛妾・雛鶴姫が落ち延び、子を産んで亡くなったという伝説は、「其之四拾六山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞」で取り上げた。その護良親王を、「王政復古」を成し遂げ南朝正統を打ち立てた明治政府により祀ったのが、鎌倉宮である。その境内には、古くより護良親王が幽閉されたと伝えられる土牢がある。史実かどうかは定かでなく、皇族の扱いとしてはあまりに酷い点も疑問だが、崇徳院や菅原道真と並ぶ大怨霊ともされたことを考えれば、頷けなくもない。このような鎌倉宮であるが、一方で、厄除の御利益があると強く信仰されてもいる。鎌倉宮の獅子頭のお守りのおかげで、九死に一生を得たという報告も境内に掲示してある。宗教と政治・軍事、あるいはご利益信仰といった、鎌倉宮を巡る諸事象を考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾五 鳥取・八頭 白兎神話異伝と「習合」文化
- もう一つの「因幡の白兎」神話が伝わる八頭町は、今も昔も「習合」文化の町
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ストーリー
鳥取県南東部の八頭町には、古事記の「因幡の白兎」神話とは異なる白兎神話が伝わっている。神代、近隣の霊石山に天照大神が降臨し、どこからともなく現れた白兎の導きで、仮宮にふさわしい場所に着いたというもの。白兎は気が付いたら姿を消していたが、実はこの白兎こそ、天照大神の弟・月読神の化身だった。そこで、八頭町の中心地である郡家(こおげ)周辺数村では、月読神を道祖白兎大明神と称し、氏神として崇めたという。郡家という地名の通り、古代には朝廷の郡衙(ぐんが)があった場所で、その遺跡や白鳳時代の廃寺跡も発見されている。このあたりには今も白兎神社が数社点在しているが、その総鎮守であった神社は、明治の神社合祀で近隣の神社に一度合祀されている。一方立派であった社殿は惜しまれ、近くの成田山青龍寺に引き取られた。そのため、本堂内に社殿を安置し、その中に本尊を祀るという、特異な寺院になっている。近隣には、寺院の境内に残っている白兎神社もあり、当地の白兎信仰は、神仏習合、分離、神社合祀などの影響を強く受けている事が分かる。町内には隼神社という神社もあるが、神社に由来する隼の地名と、隼という駅もあり、その駅は鉄道とバイクと「萌え」が混在する、現代における「習合」が現在進行形で見られる場所である。白兎神話の町に「習合」文化の精髄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾 神奈川・鎌倉 戦に明け暮れし親王最期の地
- 山中を転戦し鎌倉幕府を討った護良親王は、その後失脚し捕縛され、鎌倉で最期を遂げた
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
源頼朝が幕府を開いた古都・鎌倉。その一角に、鎌倉宮なる神社が建つ。祭神は、大塔宮護良親王。紀伊半島の山中を転戦し、鎌倉幕府討幕に大きく貢献した、後醍醐天皇の皇子だ。その功により征夷大将軍に任じられたが、足利尊氏と対立、後醍醐天皇とも反目した為、失脚。皇位簒奪の罪を着せられて捕えられ、鎌倉へ送られた。鎌倉では尊氏の弟・直義が身柄を預かったが、鎌倉幕府の執権・北条氏の残党が反乱を起こすと、将軍に擁立される可能性があったため、直義の手の者に殺害されてしまう。その愛妾・雛鶴姫が落ち延び、子を産んで亡くなったという伝説は、「其之四拾六山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞」で取り上げた。その護良親王を、「王政復古」を成し遂げ南朝正統を打ち立てた明治政府により祀ったのが、鎌倉宮である。その境内には、古くより護良親王が幽閉されたと伝えられる土牢がある。史実かどうかは定かでなく、皇族の扱いとしてはあまりに酷い点も疑問だが、崇徳院や菅原道真と並ぶ大怨霊ともされたことを考えれば、頷けなくもない。このような鎌倉宮であるが、一方で、厄除の御利益があると強く信仰されてもいる。鎌倉宮の獅子頭のお守りのおかげで、九死に一生を得たという報告も境内に掲示してある。宗教と政治・軍事、あるいはご利益信仰といった、鎌倉宮を巡る諸事象を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十五 奈良・飛鳥 文化揺籃の地の 巨石と性の信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
奈良県の飛鳥地方は、古代に都が置かれた、日本文化揺籃の地。 そこは、著名な石舞台古墳をはじめ、数多くの巨石構造物が残る地でもある。 それらのうちの幾つかは、大洪水の伝承や、ゾロアスター教の拝火台説など、 使途不明で、奇妙な言い伝えが残る、謎に包まれたものも少なくない。 そんな飛鳥の中心地に「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」が鎮座する。 飛鳥に都が置かれる以前から当地に鎮座する、出雲系の極めて古い神社であるが、 境内には数多くの男根と女陰の形の石が祀られており、飛鳥巨石文化の一部を成す。 この神社に伝わる「お田植祭(おんだまつり)」も、奇祭として知られる。 豊作と子孫繁栄を祈るこの神事では、天狗とオカメが性行為の踊りを奉納する。 現代では、前近代的な奇習としてばかり注目されがちなこういった文化も、 かつては家や村落の存続を賭けた、真摯な祈りが込められたものであった。 何となれば「子作り」は、現代においても、人工授精・体外受精など、 先端科学の粋を集めてでも成し遂げたいと願う人々も少なくない、 「自然の神秘」に左右される、困難で切実な事象だからだ。 近代以前の、生存率の低い社会にあっては、「子作り」はまさに神頼みであった。 子のない夫婦が神に祈って超人的な子を授かるのは、民話の定番でもあるし、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十六 島根・奥出雲 八岐大蛇と製鉄神 トーテムの物語
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
島根県南東部、中国山地沿いの奥出雲地方は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話の舞台。 鳥取県境の船通山は、高天原を追放されたスサノオノミコトが降臨した山とされる。 山中の鳥上滝は、出雲一の大河・斐伊川の源流で、八岐大蛇の棲み処だったと伝わる。 八岐大蛇の神話には様々な解釈があるが、その一つが「治水神話」である。 暴れ川である斐伊川を見事に治めたのが、スサノオノミコトだというのだ。 蛇や龍は、世界中の神話で水を司るものとされている。 「製鉄神話」や「征服神話」とする説もある。八岐大蛇の尻尾から、三種の神器の一つ、 天叢雲剣が出るが、これは当地の土着民を降し、鉄資源と生産を得た物語なのだという。 中央で編纂された記紀神話にある八岐大蛇退治も、出雲で編纂された風土記にはない。 これは、征服者に魔物とされた存在も、被征服者にとっては祖神であるからともいう。 さて、奥出雲地方は、古より製鉄の盛んな土地で、今もたたら製鉄を行う場所がある。 「金屋子神(かなやごかみ)」を祀る神社の総本宮、金屋子神社もあり、 全国の鉄山師の信仰を集めた。今も境内に数多くの鉄滓が置かれている。 金屋子神は、死の穢れを好むなど、通常の神道の常識とは大きく異なる信仰を持つ。 片目・片足の神や魔物などは、過酷な製鉄に従事し障害を負った民が、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾参 香川・高松 機織の「ちきり」と人柱の少女
- 「神託」により、生き埋めにされた後、嘆き声を上げ続け、神として祭られた少女
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
高松市の南部、仏生山地区の滕神社(ちきりじんじゃ)。「ちきり」とは機織りに使う道具の名である。ここには「いわざらこざら」という悲しい人柱伝説が伝わっている。近くにある平池という、平安時代に造られたため池がある。それが災害により大きく破損し、平清盛の命で、在地の豪族が改修にあたった。しかし、改修は困難で、何度やっても堤が壊れた。そこで神仏に祈願したところ、明日「ちきり」を持った女が通るので、人柱にせよとの託宣を受ける。果たして翌朝一人の娘が通りかかり、役人が何を持っているか尋ねると、「ちきり」だと答えるので、捕えて生き埋めにし人柱とした。娘は埋められる時「言わざら来ざら(言わなければ良かった、来なければ良かった)」と言い続けたという。こうして無事ため池の改修は終わったのだが、堤の東の方では、どこからともなく水が漏れ出し、僧侶がそれを聞くと、「言わざら来ざら」と聞こえた。彼女の霊を慰めるため、神として祀ったのが、滕神社という。この神社は、そうした特異な由緒がある為、「身代わりお守り」を授与し、「人形祓い」を積極的に行っている。日本各地に古くから伝えられる人柱という悲劇的な一種の呪術。それはなぜ行われたのか?水、機織、女性、魔性という他伝承との共通項にも注目しつつ(其之参拾壱「福島・奥会津武家の世開くドラゴン退治」参照)、近代以前の社会における共同体と個人の関係について考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾六 東京にも残る古代の石神信仰 ルーツは諏訪に
- 東日本に残る古代信仰「石神」、その根源は諏訪の「ミシャグジ神」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
高橋御山人が毎日通る道沿いに鎮座する、東京都板橋区の天祖神社。その境内には「天孫降臨の頃」より存在したという男根型の石「おしわぶきさま」が祀られている。それは柳田國男の「石神問答」で指摘された、古代より東日本に広がっている「石神」である。そこからそう遠くない、練馬区石神井の石神井神社には「神代以前の石剣」を御神体とする石神井神社があるが、この石神井という地名も「石神」信仰に由来するものという。そして、各地に残る石神信仰のルーツを遡って行くと、諏訪の土着神「ミシャグジ神」の信仰へと辿り着く。それは、精霊崇拝的な原始信仰であり、近代以前は「神長官(じんちょうがん)」の役職を世襲する守矢家がその祭祀を司った。諏訪には、記紀神話とは異なる神話も伝わっており、守矢家は、皇室と同等の古さを誇る家だという。そのような原初的な信仰を伝える諏訪の祭祀には、串刺しにした兎や、鹿の生首を大量に供える血生臭いものもあり、諏訪大社は、仏教の教理に基づき建前上肉食禁止であった中世の日本において、狩猟と肉食の許可状を発行する唯一の神社でもあった。諏訪は、縄文文化が栄えた地でもあるが、諏訪大社の狩猟との関連は、狩猟が盛んだった縄文由来のものとも言われる。「平地」とは異なる「山」の原初的信仰と、そのセンターである諏訪について考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾 京都・丹後 聖なる元伊勢と 鬼跋扈する魔界
- 伊勢の神宮のルーツの一つでありながら、鬼が跋扈する魔界でもある、驚くべき丹後の謎
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
京都府丹後地方、日本三景・天橋立のすぐ北側に、丹後一宮・元伊勢籠神社(このじんじゃ)が建つ。伊勢の神宮・外宮の豊受姫神は、元々ここに鎮座していたとされ、天照大神も、宮中から出て伊勢の内宮に鎮まる前に、ここに数年祀られたという。宮司を代々世襲する海部氏は、神話に遡る非常に古い家柄であり、社宝にして国宝のその家系図は、現存では日本最古のもの。神社に受け継がれた二枚の鏡はそれぞれ前漢・後漢のものであり、出土品ではない伝世鏡としては、これも日本最古。また、元伊勢内宮・外宮と称する神社は、天橋立の南に聳える大江山の山中にも別にあり、「天の岩戸」も存在する。一方、大江山は、酒呑童子伝説で有名な鬼の住む山。しかも、大江山の「鬼」はそれだけではない。大和朝廷黎明期には、土蜘蛛・陸耳御笠(くがみみのみかさ)が丹後じゅうを転戦し大江山に入って消息不明になったといい、聖徳太子の弟・麻呂子皇子(まろこのみこ)が、大江山の悪鬼、英胡(えいこ)・軽足(かるあし)・土熊(つちぐま)を討ったという。伊勢の神宮発祥の地にして、三つの時代に渡り鬼が跋扈する魔界。聖と魔の交錯する根源に、古代「丹後王国」の繁栄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾参 福岡・朝倉 古代の鳥人 羽白熊鷲
- 日本書紀に現れる、翼を持って空を飛んだという人物・羽白熊鷲 古代九州の鳥人伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
日本書紀には、羽白熊鷲(はじろくまわし)という、不思議な人物が現れる。翼を持って空を飛び、民を脅かしたため、三韓征伐の前に、神功皇后に討たれたという。日本書紀によればその拠点は「荷持田村(のとりたのふれ)」であり、福岡県朝倉市、秋月城跡近くの「野鳥(のとり)」という地名は、その名残だという。同じ市内の筑後川近く、蜷城(ひなしろ)の地には美奈宜(みなぎ)神社が建つが、その地名は、神功皇后が川蜷(かわにな)によって城を作り、攻めて来た羽白熊鷲を水攻めにして滅ぼしたため「になしろ」といい、それが訛ったものという。羽白熊鷲を滅ぼした後、神を祀る場所を求めて、一羽の白鷺を放し、その降り立った場所に建てたのが、美奈宜神社とされる。朝倉市内には、もう一つ美奈宜神社がある。それは羽白熊鷲の拠点であり、討たれた地ともいう古処山(こしょさん)の山裾にある。そこで神功皇后が熊鷲を討った事を神に奉告したのが、この神社の始まりという。この神社から山を登ったダム湖の畔には、羽白熊鷲ものとされる墳墓もある。隣の筑前町には、三韓征伐にあたり兵を集めたが、神の障りによって集まらず、祭祀をすることで集まったという伝承があるが、その召集に、羽白熊鷲が応じなかったため討たれたという伝説もある。日本神話唯一と言っていい、鳥人伝説の伝承地案内。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾 まつろわぬ「鬼」達 日本史の裏側(特別対談)
- 作品の多くに共通するテーマ「まつろわぬ民」や「鬼」。その頂点に「天皇」が!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 43 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾参 岩手・江刺 まつろわぬ経清 斯く戦えり
- 朝廷を裏切り、蝦夷に味方した奥州藤原氏の祖・藤原経清 そこに武家文化の淵源を見る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
其之五拾九「岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄」でも取り上げた、岩手県奥州市。そこはアテルイから安倍氏、奥州藤原氏へ至る、古代東北史の舞台だ。北上川東岸の旧江刺市には、奥州藤原氏初代・清衡とその父・経清の居城であった豊田館跡や、経清と一族郎党の墳墓と伝わる五位塚がある。式内社・鎮岡神社(しずめがおかじんじゃ)も鎮座する。清衡は、豊田館跡の鎮守としてこの神社を尊崇、社殿の修造や荘園の寄付を行ったという。江戸時代には、中部・東北・北海道を旅した博物学者・菅江真澄も参拝し「畏しな荒ぶるとても幣取らば心鎮めの岡の神籬」という歌を残している。神社名にかけ自らの心を鎮める歌と解されるが、この神社が荒ぶる神を鎮めている事を、言外に仄めかしているようにも思われる。鎮岡神社は五位塚の麓に鎮座し、その地名も五位塚であって、それと無関係とは思われないからである。藤原経清は五位の官人でありながら朝廷に背き、蝦夷の末裔・安倍氏と共に前九年の役を戦って源氏に辛酸を舐めさせ、敗れた後、鋸挽きで処刑されたという。一方で、それが明言されないのは何故か。それは潔き武将を怨霊とせず貶めまいとする、敬意があるのではないか。勝敗や敵味方に関係なく、猛き者、智き者を尊ぶ、独特ながらも日本文化の主軸の一つとなった、高潔なる武家の精神文化の発祥を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八 宮崎・鹿児島 まつろわぬ隼人「弥五郎どん」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
九州南東部、宮崎県から鹿児島県にかけての地域、 宮崎県都城市山之口、同県日南市飫肥、鹿児島県曽於市岩川に鎮座する、 三社の八幡神社では、「弥五郎どん」の祭りが行われる。 面を付けた高さ数メートルの大きな人形「弥五郎どん」が練り歩く、 この祭礼には、古代にまで遡る由緒があった。 ○朝廷の勢力圏外であった南九州には、隼人と呼ばれる土着民が住んでいた ○奈良時代、反抗的な隼人も征伐され、完全に朝廷に服属する ○隼人征伐に神威を示したと言われるのが、八幡神社総本宮の宇佐神宮 ○宇佐の託宣により始まった「放生会」が、「弥五郎どん」の起源 南九州の「まつろわぬ民」の慰霊が「弥五郎どん」の祭りの目的であり、 それは同時に、南九州の民が「中央」とは異なる習俗を持っていたことと、 その独立独歩の気風を、今に伝えていくこととなった。 ●島津氏は関ヶ原の戦いで西軍に味方するも、中央突破して薩摩に戻った ●琉球を支配し、鎖国体制下でも独自に海外交易を行った ●長州とともに討幕の中心となり、明治維新を成し遂げた ●維新から程なくして、西南戦争により明治政府と戦った これら、近代に至るまで「まつろわぬ」気概を持ち続けた、 「薩摩隼人」のルーツの一つが、「弥五郎どん」ではないか。 荒ぶる桜島の噴火と降灰にも、その本質を垣間見る。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ストーリー
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其の一 大阪・枚方 渡来人の地に眠るまつろわぬ民
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 40 分
- 完全版
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ストーリー
大阪府北東部、枚方市。 京都にも程近いこの土地は、 古代、渡来人達が根を下ろした土地だった。 その名残を留めるのが、市内の神社仏閣や遺跡。 ○滅亡した百済の王族を祀る、百済王神社。 ○広大な敷地が往時の栄華を偲ばせる、百済寺跡。 ○日本に漢字と儒教を伝えたという、王仁の墓。 ○地名からしてただならぬものが感じられる、九頭神廃寺。 そして、河内一宮・片埜神社の傍らには、 平安初期、朝廷に従わずに戦い続け、 征夷大将軍・坂上田村麻呂に討たれた、 古代東北の先住民・蝦夷の首領、アテルイの首塚が!なぜこんな場所にアテルイの首塚があるのか。 そこに秘められた謎を解き明かしていきます。 ●怨霊を鎮め、それを制御しパワーを得るという古代日本の呪術 ●これらを司るのが神社の重要な役割の一つ ●渡来人が東北で日本初の黄金を発見した ●蝦夷が鍛えた鉄の刀が日本刀のルーツ などなど、神社と古代史を巡る謎に迫ります。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其の二 宮城・秋田 古代東北のまつろわぬ信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 48 分
- 完全版
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ナレーション
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ストーリー
大学卒業前、御山人が青春18きっぷ片手に、一人で行った東北旅行。 困難に満ちた道程を経てたどり着いたのは、多賀城・アラハバキ神社。 かつて「東北に朝廷に対抗する古代王国があった」とする内容で、 偽書騒動を巻き起こしたアラハバキ神とは何なのか?改めてその謎を掘り下げる。 ○手足の長い「まつろわぬ民」の荒ぶる魂 ○陸羽東線沿線にも篤く信仰されるアラハバキ神社が ○国譲りに納得出来ず?!三河の荒ぶる大国主命 ○怨み荒ぶるのは大陸的か それを鎮めて習合した日本の信仰 卒業旅行二日目は、冬の奥羽山脈を越え、秋田県へ。 後三年の役の古戦場で、腰まで雪に埋もれつつ訪ねたのは、 蘇我氏に滅ぼされた古代豪族・物部氏の末裔が守って来た唐松神社。 そこに満ちた数々の謎に挑む。 ●堀を巡らした三角錐の石積みの上に建つ社殿 ●神社の古文書には、物部氏の祖神が鳥海山に降臨し、出羽こそ物部の故郷と ●仏教を拒否して追われた神道を奉じる物部の「物」とは物の怪の「物」 ●「まつろわぬ民」と血縁を持ち、「韓をまつろわせた」物部氏 そして、「まつろう」「まつろわぬ」ことの現代的解釈や意義をも問います。 流行に「まつろう」ことなく、孤高の旅の中で見出したものとは。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾壱 島根・松江 神々の法事 永遠の神在祭
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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ストーリー
島根の県庁所在地・松江市北部、島根半島の中程に、出雲国二宮・佐太神社が鎮座する。全国の神々が出雲に集う旧暦十月「神無月」も、出雲では「神在月」となり、出雲大社では「神在祭」が行われるが、ここ佐太神社にも、神々が集うと言われ、「神在祭」が行われる。佐太神社に神々が集う理由は、奥の山に神々の母・イザナミノミコトが葬られており、「法事」を行うためだという。その先触れを告げるのが、毎年秋になると海流に乗って出雲へやって来る海蛇「龍蛇様」だ。蛇は、世界中の伝承で、永遠の生命の象徴とされる。それは、男性器に似た形状に由来するという。男性器は子孫を生み出すものであり、それを通じて、過去の祖先と、未来の子孫に繋がっていると。それ故に永遠の象徴だと。その永遠の象徴たる「龍蛇様」が、あの世から祖先神を連れてきて、子孫の神々と再会する。それが毎年繰り返される。この繰り返しによって、永遠の時が紡がれる。それが神在祭なのだという。これは「死と再生」という、世界中の多くの宗教が中心に据えたテーマである。神々の国・出雲で、その真髄を見る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十二 茨城・日立 星を司る「最強」の まつろわぬ神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
茨城県日立市に鎮座する、大甕倭文(おおみかしずり)神社。 この神社の境内には、「宿魂石」という、山のような巨岩があるが、 神話に登場する星の神・天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)を、 倭文の神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が討ち、ここに封じたものだという。 天津甕星は、国譲りのあたり、天孫降臨に先立って様々な国津神を平定した場面に、 わずかに登場する神だが、出雲で国譲りを成し遂げ各地を平定した、 建御雷命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の祭神)と、 経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の祭神)にも従わず、 ついに建葉槌命によって討たれたのだという。 この神話は謎だらけだ。まず、天津甕星は国津神ではなく、 「高天原にいる悪神」だとされていること。つまり天津神なのだが、 天津神にして天照大神に従わない神が存在すること自体、神話上不合理だ。 せいぜいが暴虐を働いた須佐之男命くらいだが、それでも最終的には従っている。 建葉槌命も他に伝承のほとんどない神で、織物の神だが、武神・雷神の建御雷命や、 剣神・経津主命でも平定できなかった悪神を、なぜ織物の神が討伐できたのかも謎だ。 日本神話では、明確に星の神だと書かれているのが天津甕星のみという謎もある。 星の名を持つ神も、他に物部氏の神話にわずかに登場するのみ。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾八 喜界、奄美 下 神々や天女の天降る島々
- 琉球神話と同系の神々の降臨、シャーマンや遊女につながる天女、南島の天降る神話伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
奄美大島には、日本神話とは異なる体系の神話がある。奄美の神話では、女神アマミコと男神シニレクが降臨したのが、島の始まりという。降臨した地「アマンデー」は今も聖所として残り、それを拝む阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)も建つ。なお、二神は降臨後島伝いに南下したというが、琉球神話開闢の神も天降ったアマミキヨとシネリキヨであり、酷似する。アマンデーと、琉球王朝の最高の聖所・斎場御嶽もよく似ていて、これらは琉球王朝の奄美征服により持ち込まれたとも、逆に奄美が発祥で琉球に伝わったともいう(アマミコこそ「奄美」の地名由来ともいう)。このような神話や、ノロ、ユタといった巫女の存在など、琉球と共通する精神文化は多い。ノロは、元々琉球王朝が各地域の統治の為に設置した女神官であるが、江戸時代以降、薩摩藩が直接統治するようになっても、村落の司祭として存続し、今でも一部で続いている。扇や勾玉など、その神具も独特であり、喜界島ではその装束が「天女の羽衣」として伝えられて来た例もある。天女は奄美群島では「アモレウナグ」と呼ばれ、喜界島には天女を祀る天降神社が建ち、奄美大島にも伝承が多数残るが、それはノロと、遍歴の遊女の双方につながっている。日本、琉球の古層文化に通ずる、奄美群島の「天降り」神話伝説を追う。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾五 京都・粟田口 昔も今も刀剣に神宿る
- 能から女性向けゲームまで!伝統文化とサブカルチャーが交錯する日本刀の聖地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
京の出入口「京の七口」の一つとして、古くから知られた粟田口。京都盆地東端のこの地は、古代、五代孝昭天皇の子孫・粟田氏が鉱物採取や粟、瓜の生産を行ったという。平安時代には、清和天皇の勅により、祇園の八坂神社の疫病鎮めの神・牛頭天皇を祀る社が建立された。八坂神社は感神院とも呼ばれた為、こちらは感神院新宮と呼ばれたが、これが現在の粟田神社である。鉱物資源に恵まれていた為か、粟田口近辺には、古より刀工が数多く住んでいた。その中でも代表的なのが、平安時代の三条小鍛冶宗近と、鎌倉時代の粟田口藤四郎吉光で、古代からの製鉄の神・天目一箇神とともに、境内の末社・鍛冶神社の祭神となっている。特に、三条小鍛冶宗近は伝説的な存在で、一条天皇の宝刀「小狐丸」は、稲荷明神が化身した童子が合槌を打って完成したといい、その稲荷の神は、粟田神社境内摂社の北向稲荷神社や、粟田神社と三条通を挟んだ向かいに建つ合槌稲荷神社に鎮まるという。この伝説は、謡曲「小鍛冶」の題材となっていて、能や神楽、歌舞伎等の伝統芸能を通じ広く知られて来たが、近年、名刀を美男子として擬人化した「刀剣乱舞」でも取り上げられ、若い女性にも三条小鍛冶宗近の名が知られるようになった。今も昔も、「刀剣に神が宿る」地、粟田。ここに伝統文化とサブカルチャーの交錯を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾七 喜界、奄美 上 大宰府、源平 古の日本の南限
- 薩摩や琉球の配下にあった奄美群島。だが、古には「南西諸島最大の都」があった。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
九州と沖縄の中間に位置する奄美群島。最北端の喜界島でも、鹿児島から南に約400kmという僻遠の地にある。にも関わらず、本土との繋がりを示す伝説が多い。保元の乱で敗れて伊豆大島に流され、当地で討伐された源為朝は、南に逃れて沖縄へ至り、琉球王朝の祖となったというが、途中喜界島へ辿り着いたといい、為朝ゆかりの泉や神社が残る。平家失脚を狙う「鹿ケ谷の陰謀」が発覚し、俊寛が流された「鬼界ヶ島」は、喜界島の事ととも言われ、島にはその墓がある。平家の落人達も喜界島に逃れ、やがて奄美大島に根拠地を移したといい、喜界島にも奄美大島にもゆかりの神社がある。中世、北端の喜界島に至るまで琉球王朝に征服され、近世には薩摩藩の侵攻によりその直轄領となった奄美群島だが、古代には大和朝廷の勢力下にあったと見られ、平安時代には、暴れ回る奄美大島の民と見られる人々に対し、大宰府より喜界島に討伐の命を下した記録が残っている。そして喜界島の、平安から室町頃の城久遺跡群では、約五百棟もの建物跡や、製鉄の跡、日本本土や朝鮮半島、中国等多数の島外産陶磁器が発見されている。これは同時代の南西諸島の遺跡と比べ、群を抜く規模で、内容も極めて特異だ。その繁栄の背景には、宝飾品となる夜光貝の輸出があるという。知られざる古代・中世の「日本の南のボーダー」を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十四 青森・東北町 まつろわぬ象徴 「日本中央碑」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
本州の北端近く、下北半島の付け根近くに位置する、青森県東北町。 ここには県内最古級の歴史を誇る、千曳(ちびき)神社がひっそりと鎮座する。 日本神話には「千曳の岩」というものが登場する。死した妻・イザナミを求め、 冥界へ下った夫・イザナギが、醜く変わり果てた妻から逃げて、 怒り追って来た妻を足止めする為、この世とあの世の境界に置いた岩である。 即ち、「魔」を入り込ませぬ為の境界防衛の岩であり、「塞の神」「道祖神」として、 村落の入口などを守る神として崇められた。千曳神社の神格も同様である。 ただし、この北辺の地にあっては、単なる村落の防衛が目的ではなかった。 ここは朝廷の勢力が辛うじて及ぶか及ばないかという地域であり、 蝦夷(えみし)を「魔」として、「魔」を祓い、朝廷を守る目的があった。 ゆえに、神社の創建は、征夷大将軍・坂上田村麻呂によるとされる。 そして、坂上田村麻呂がこの地に来て、「日本中央」と岩に刻んだという、 奇妙な伝説が、平安時代に生まれ、都の貴族らの歌に詠まれた。 その岩が、千曳神社の社殿の下に埋められていたというが、いつしか行方不明となる。 明治天皇の行幸時、政府の命令により捜索されるも見つからなかったその岩は、 戦後になってから、偶然発見され、今は近くの施設にて保存されている。...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾弐 三重・志摩 まつろわぬ別宮 伊勢の深層
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
平成25年に式年遷宮が行われた、伊勢の神宮。それが内宮・外宮より成ることは一般にも知られているが、その他に多くの別宮・摂末所管社があり、全て合わせると125社となる。由来は様々だが、その多くは、神宮創祀の際、地元の神が従って、神宮に土地の譲渡や貢納を約束する話となっている。その別宮の一つ伊雑宮が、志摩市に鎮座する。この伊雑宮は、伊勢から離れたリアス式海岸に近いという地理的条件もあって、別宮の一つでありながら、独立的傾向が強かった。明治の神仏分離を経てもなお、北極星の信仰に関わる祭祀が続けられ、江戸時代には、伊雑宮こそが神宮の発祥、中心であるという偽書の発行に関わり、幕府より弾圧を受けるという「まつろわぬ」歴史もある。そもそも伊勢とは、神話の時代に遡れば「まつろわぬ」土地だった。また、中世においても「まつろわぬ」ものの噴出する土地であった。朝廷、国家の宗教的中心地に、なぜ「まつろわぬ」要素があるのか。事象の「裏側」から見た、伊勢というものの深層を掘り下げる。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾参 山口・萩 長州統合の象徴 松下村塾
- 吉田松陰が維新志士を育てた松下村塾は、「長州統合の象徴」として神社となった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
維新回天の地、萩。江戸時代、約250年に渡って、長州藩主・毛利氏の居城があったこの城下町は、維新で活躍した数多くの長州藩士や志士を生んだ。彼らを吉田松陰が育てた事も、多くの人の知るところである。吉田松陰が開いた私塾・松下村塾も世に名高いが、その松下村塾の建物が、萩市内の松陰神社境内に現存する。松下村塾は、元々松陰の伯父・玉木文之進が開いたもので、松陰もそこで教育を受け、後に松陰が継ぐが、安政の大獄による処刑後しばらく中絶、後に再開し、明治初期には再び玉木文之進が塾頭となった。しかし、萩の乱に多くの元塾生が参加し、責任を感じた玉木文之進が切腹した為、再度中絶、しばらくして松陰の兄・杉民治が再興し、明治中期まで続いた。松陰神社は、その数年前、杉民治が松陰の硯と書簡を御神体として邸内の小祠に祀ったのが起源で、塾舎の保存もこの頃持ち上がった。正式に神社となったのは、明治後期、元塾生の伊藤博文や野村靖らの請願による。維新発祥の地でありながら、明治になって、敵味方に分かれて市街戦さえ行われた萩。萩の乱は、松陰の師・玉木文之進の切腹に見るように、萩市民や長州人の心に大きな溝や傷跡を残したと思われる。松陰神社は、それらを昇華し、萩市民や長州人の心を統合する役割も果たしたであろう。維新の遺址に、神社の本質の一つを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾 酒は神の賜物 過ぎれば祟る(断酒記念対談)
- 酒は本来神事で飲む貴重なもの。やたらと飲めば依存症となり祟る。警世の対談。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
百日以上の断酒を継続している、盛池雄峰。そのきっかけとなったことの一つが、高橋御山人の「まつろわぬ神と民について書くのに、まともに働いていては人生の残り時間が足りない」という言葉だった。戦前、殊に近代以前においては、多くの人は経済的にさほど豊かでもなく、日々やらねばならない事に追われ、忙しかった。そんな中、たまの祭で飲む酒は、貴重であり、共同体の一員として、神と一体となる為のものであった。しかし、機械化・自動化が進んだ現代では、少なくとも五十年、百年前よりははるかに物質的に豊かになり、時間も出来て、安価に大量の酒を入手出来るようになった。その結果、かつて酒が持っていた神聖さはすっかり失われ、多くのアルコール依存症者やその予備軍を生み出すようになってしまった。「神の賜物」であったはずの酒が、「祟り」を成してしまっているのである。神との一体化は「非日常」だからこそ恩寵なのであり、それが「日常」化したら、神に祟られてしまうのだ。断酒を通じて、そうした真実が浮き彫りになって来たのであった。現代の病理となりつつあるこの問題を前に、神社や神事を通じ、酒を捉えなおすことが、今後必要とされるであろう。人の一生も「神の賜物」である。その貴重な人生を、浪費し棒に振らない為に、酒の本義を問い直すべし。警世の特別対談。
著者: 高橋 御山人