Audible会員は対象作品が聴き放題、2か月無料体験キャンペーン中
商品を追加できませんでした
カートに追加できませんでした。
ウィッシュリストに追加できませんでした。
ほしい物リストの削除に失敗しました。
ポッドキャストのフォローに失敗しました
ポッドキャストのフォロー解除に失敗しました
Audible会員プラン 無料体験
こちらもおすすめ
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十五 奈良・飛鳥 文化揺籃の地の 巨石と性の信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県の飛鳥地方は、古代に都が置かれた、日本文化揺籃の地。 そこは、著名な石舞台古墳をはじめ、数多くの巨石構造物が残る地でもある。 それらのうちの幾つかは、大洪水の伝承や、ゾロアスター教の拝火台説など、 使途不明で、奇妙な言い伝えが残る、謎に包まれたものも少なくない。 そんな飛鳥の中心地に「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」が鎮座する。 飛鳥に都が置かれる以前から当地に鎮座する、出雲系の極めて古い神社であるが、 境内には数多くの男根と女陰の形の石が祀られており、飛鳥巨石文化の一部を成す。 この神社に伝わる「お田植祭(おんだまつり)」も、奇祭として知られる。 豊作と子孫繁栄を祈るこの神事では、天狗とオカメが性行為の踊りを奉納する。 現代では、前近代的な奇習としてばかり注目されがちなこういった文化も、 かつては家や村落の存続を賭けた、真摯な祈りが込められたものであった。 何となれば「子作り」は、現代においても、人工授精・体外受精など、 先端科学の粋を集めてでも成し遂げたいと願う人々も少なくない、 「自然の神秘」に左右される、困難で切実な事象だからだ。 近代以前の、生存率の低い社会にあっては、「子作り」はまさに神頼みであった。 子のない夫婦が神に祈って超人的な子を授かるのは、民話の定番でもあるし、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾四 長崎・小値賀 巨石と教会のパーキングエリア
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
長崎県小値賀町(おぢかちょう)は、東シナ海に浮かぶ、五島列島の北部に位置する島々から成る町である。中核となるのは小値賀島であり、「肥前国風土記」にも登場する。風土記によれば、かつて「まつろわぬ民」土蜘蛛がいて、島民の言葉や習俗が本土と異なり、南九州の「まつろわぬ民」隼人と似ているという。そんな小値賀島には、地の神島神社(こうじまじんじゃ)がある。この神社は、野崎島にある沖の神島神社と、海を挟んで向かい合っている。野崎島は、近年無人化した島で、小値賀島と違って急峻な地形であり、沖の神島神社は海に面した標高300m程の山頂近くに鎮座する。社殿の後ろには、王位石(おえいし)という高さ20m以上の巨石が聳える。人工的に作られたと思われるようなテーブル状の石組で、古代ヨーロッパの巨石遺構「ドルメン」を想起させる。野崎島は、隠れキリシタンの島でもあり、禁教が解かれた後に築かれた教会は、暫定世界遺産リストに登録されている。日本の果てでありつつも、大陸に近く、かつては交通の大動脈上に位置した小値賀。その小ぶりな島々は、現代の高速道路にある、パーキングエリアのような役目であり、様々な人々が小休止しつつ、あるいは定着したのではないか。古の国際海上交通から神社とその立地を考える。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾 大分・熊本 まつろわぬ土蜘蛛 その核心は!!
- 九州に数多い「まつろわぬ」土蜘蛛の伝承。その核心は大分と熊本の間にあった!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大分県南西部山間、竹田市や豊後大野市は、日本書紀や豊後国風土記に、土蜘蛛にまつわる伝承が数多く記されている地である。竹田市久住町の宮処野神社(みやこのじんじゃ)は、景行天皇が土蜘蛛征伐にあたり陣を構えた地とされる。そこから南に行軍したところ、土蜘蛛の抵抗に遭い、一旦退却した地が、同じ竹田市の城原八幡社(きばるはちまんしゃ)、その南西、やはり同じ市内の、阿蘇外輪山の麓の禰疑野神社(ねぎのじんじゃ)が、三人の精強な土蜘蛛、ウチサル、ヤタ、クニマロの本拠地で、三人はここで天皇に討たれたという。また、豊後大野市の知田(ちだ)は、アオ、シロという二人の土蜘蛛を討ち、血が大量に流れたので「血田」と呼ばれたのが地名の起源という。一方、豊後大野市には、景行天皇を食事でもてなした、シノカオキ、シノカオミという土蜘蛛の伝承もある。なぜ、この地域にはこんなにも土蜘蛛の伝承が多いのか。そのヒントは、山を越えた、熊本県側にあった。肥前国風土記は、禰疑野の土蜘蛛と同じウチサルという名の土蜘蛛が、熊本市近郊の山にいたと伝え、それを討ったのが、市内の健軍神社の祭神・タケオクミノミコトという。この二つのウチサル伝承地の中央には、阿蘇山が聳える。そこは、神代より戦国を経て今まで続く、阿蘇氏の治める地であった。九州土蜘蛛伝承の真相に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾参 コシャマイン破りて就いた「蝦夷の王」
- アイヌの首長を討ち「蝦夷の王」となった武士 神社が語る、知られざる中世北海道史
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
北海道西南部、上ノ国町の海を望む山の頂に、夷王山神社(いおうざんじんじゃ)が建つ。その中腹には、保存状態の良い、中世の山城・勝山館(かつやまだて)の遺跡がある。中世、北海道の南部には「渡党(わたりとう)」と呼ばれる、和人もしくは人種的・文化的に和人に近いアイヌが住んでいた。彼らは「道南十二館」と呼ばれる拠点を築き、各館は道南、津軽、秋田にかけての地域を支配した豪族・安東氏の配下にあった。「上ノ国」という地名も、二家に分かれた安東氏の家名に由来する。渡党はアイヌと本州との交易などを糧としていたが、やがてアイヌとの摩擦が拡大、渡島半島東部の首長・コシャマインを中心とするアイヌの蜂起に発展する。アイヌは強く、十二館のうち十までが陥落する。そこで、上ノ国・花沢館の館主・蠣崎氏(かきざきし)の養子となっていた、若狭武田氏の一族という武田信広が、残った武士を集めて反撃、アイヌに勝利する。戦いの後、花沢館は勝山館に移り、信広は夷王山山頂に葬られたという。その子孫は蝦夷地での支配権を確立、安東氏の支配をも脱して、松前藩主・松前氏となる。夷王山は、松前氏にとって、偉大な祖神が眠る聖地であった。神社を鍵に、知られざる中世北海道の歴史を紐解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾八 長野・阿智 御山人の遠祖 峠のエネルギー王
- 東山道最大の難所に、高橋御山人の祖先・炭焼藤太と金売吉次の伝説を訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
長野県南西部の阿智村は、高橋御山人の祖母の出身地であり、先祖代々当地に住んで来た。旧姓を園原というが、阿智村の西端、岐阜県との境である神坂峠付近に、園原という地名があり、ここが園原氏発祥の地だという。神坂峠は、古代から中世の幹線道路・東山道最大の難所に当たり、日本武尊が山の神の化身である白鹿を討った神話がある。日本武尊の腰掛石とも、古代祭祀の磐座ともされる巨石が、神坂神社境内にある。神坂神社は園原の里の最奥、神坂峠の手前にあり、境内を東山道が通っている。祭神は山中にあって海神の住吉三神で、古代に信濃の安曇野に移住した海洋氏族・阿曇氏との関係が窺われる(本シリーズ其之弐拾参参照)。一方、社殿手前両脇には御柱も立っており、諏訪文化圏である事も明らかである。東山道最大の難所であっただけに、都の人々にも古くから知られ、当地に聳える巨木「帚木」は、源氏物語の巻名にもなっている。園原氏の祖先は、ここに屋敷を構えた長者・炭焼藤太といい、宮廷貴族在原氏の娘・客女姫との婚姻や、その間に生まれた金売吉次の伝説がある。金売吉次は、平家物語等に登場する黄金商人で、源義経を奥州平泉へ案内したとされ、当地にも「義経駒繋ぎの桜」が残る。古のエネルギー資源を生産し、巨万の富を築いたという、高橋御山人の遠い祖先の物語を追う。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十五 奈良・飛鳥 文化揺籃の地の 巨石と性の信仰
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県の飛鳥地方は、古代に都が置かれた、日本文化揺籃の地。 そこは、著名な石舞台古墳をはじめ、数多くの巨石構造物が残る地でもある。 それらのうちの幾つかは、大洪水の伝承や、ゾロアスター教の拝火台説など、 使途不明で、奇妙な言い伝えが残る、謎に包まれたものも少なくない。 そんな飛鳥の中心地に「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」が鎮座する。 飛鳥に都が置かれる以前から当地に鎮座する、出雲系の極めて古い神社であるが、 境内には数多くの男根と女陰の形の石が祀られており、飛鳥巨石文化の一部を成す。 この神社に伝わる「お田植祭(おんだまつり)」も、奇祭として知られる。 豊作と子孫繁栄を祈るこの神事では、天狗とオカメが性行為の踊りを奉納する。 現代では、前近代的な奇習としてばかり注目されがちなこういった文化も、 かつては家や村落の存続を賭けた、真摯な祈りが込められたものであった。 何となれば「子作り」は、現代においても、人工授精・体外受精など、 先端科学の粋を集めてでも成し遂げたいと願う人々も少なくない、 「自然の神秘」に左右される、困難で切実な事象だからだ。 近代以前の、生存率の低い社会にあっては、「子作り」はまさに神頼みであった。 子のない夫婦が神に祈って超人的な子を授かるのは、民話の定番でもあるし、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾四 長崎・小値賀 巨石と教会のパーキングエリア
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
長崎県小値賀町(おぢかちょう)は、東シナ海に浮かぶ、五島列島の北部に位置する島々から成る町である。中核となるのは小値賀島であり、「肥前国風土記」にも登場する。風土記によれば、かつて「まつろわぬ民」土蜘蛛がいて、島民の言葉や習俗が本土と異なり、南九州の「まつろわぬ民」隼人と似ているという。そんな小値賀島には、地の神島神社(こうじまじんじゃ)がある。この神社は、野崎島にある沖の神島神社と、海を挟んで向かい合っている。野崎島は、近年無人化した島で、小値賀島と違って急峻な地形であり、沖の神島神社は海に面した標高300m程の山頂近くに鎮座する。社殿の後ろには、王位石(おえいし)という高さ20m以上の巨石が聳える。人工的に作られたと思われるようなテーブル状の石組で、古代ヨーロッパの巨石遺構「ドルメン」を想起させる。野崎島は、隠れキリシタンの島でもあり、禁教が解かれた後に築かれた教会は、暫定世界遺産リストに登録されている。日本の果てでありつつも、大陸に近く、かつては交通の大動脈上に位置した小値賀。その小ぶりな島々は、現代の高速道路にある、パーキングエリアのような役目であり、様々な人々が小休止しつつ、あるいは定着したのではないか。古の国際海上交通から神社とその立地を考える。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾 大分・熊本 まつろわぬ土蜘蛛 その核心は!!
- 九州に数多い「まつろわぬ」土蜘蛛の伝承。その核心は大分と熊本の間にあった!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大分県南西部山間、竹田市や豊後大野市は、日本書紀や豊後国風土記に、土蜘蛛にまつわる伝承が数多く記されている地である。竹田市久住町の宮処野神社(みやこのじんじゃ)は、景行天皇が土蜘蛛征伐にあたり陣を構えた地とされる。そこから南に行軍したところ、土蜘蛛の抵抗に遭い、一旦退却した地が、同じ竹田市の城原八幡社(きばるはちまんしゃ)、その南西、やはり同じ市内の、阿蘇外輪山の麓の禰疑野神社(ねぎのじんじゃ)が、三人の精強な土蜘蛛、ウチサル、ヤタ、クニマロの本拠地で、三人はここで天皇に討たれたという。また、豊後大野市の知田(ちだ)は、アオ、シロという二人の土蜘蛛を討ち、血が大量に流れたので「血田」と呼ばれたのが地名の起源という。一方、豊後大野市には、景行天皇を食事でもてなした、シノカオキ、シノカオミという土蜘蛛の伝承もある。なぜ、この地域にはこんなにも土蜘蛛の伝承が多いのか。そのヒントは、山を越えた、熊本県側にあった。肥前国風土記は、禰疑野の土蜘蛛と同じウチサルという名の土蜘蛛が、熊本市近郊の山にいたと伝え、それを討ったのが、市内の健軍神社の祭神・タケオクミノミコトという。この二つのウチサル伝承地の中央には、阿蘇山が聳える。そこは、神代より戦国を経て今まで続く、阿蘇氏の治める地であった。九州土蜘蛛伝承の真相に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾参 コシャマイン破りて就いた「蝦夷の王」
- アイヌの首長を討ち「蝦夷の王」となった武士 神社が語る、知られざる中世北海道史
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
北海道西南部、上ノ国町の海を望む山の頂に、夷王山神社(いおうざんじんじゃ)が建つ。その中腹には、保存状態の良い、中世の山城・勝山館(かつやまだて)の遺跡がある。中世、北海道の南部には「渡党(わたりとう)」と呼ばれる、和人もしくは人種的・文化的に和人に近いアイヌが住んでいた。彼らは「道南十二館」と呼ばれる拠点を築き、各館は道南、津軽、秋田にかけての地域を支配した豪族・安東氏の配下にあった。「上ノ国」という地名も、二家に分かれた安東氏の家名に由来する。渡党はアイヌと本州との交易などを糧としていたが、やがてアイヌとの摩擦が拡大、渡島半島東部の首長・コシャマインを中心とするアイヌの蜂起に発展する。アイヌは強く、十二館のうち十までが陥落する。そこで、上ノ国・花沢館の館主・蠣崎氏(かきざきし)の養子となっていた、若狭武田氏の一族という武田信広が、残った武士を集めて反撃、アイヌに勝利する。戦いの後、花沢館は勝山館に移り、信広は夷王山山頂に葬られたという。その子孫は蝦夷地での支配権を確立、安東氏の支配をも脱して、松前藩主・松前氏となる。夷王山は、松前氏にとって、偉大な祖神が眠る聖地であった。神社を鍵に、知られざる中世北海道の歴史を紐解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾八 長野・阿智 御山人の遠祖 峠のエネルギー王
- 東山道最大の難所に、高橋御山人の祖先・炭焼藤太と金売吉次の伝説を訪ねる
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
長野県南西部の阿智村は、高橋御山人の祖母の出身地であり、先祖代々当地に住んで来た。旧姓を園原というが、阿智村の西端、岐阜県との境である神坂峠付近に、園原という地名があり、ここが園原氏発祥の地だという。神坂峠は、古代から中世の幹線道路・東山道最大の難所に当たり、日本武尊が山の神の化身である白鹿を討った神話がある。日本武尊の腰掛石とも、古代祭祀の磐座ともされる巨石が、神坂神社境内にある。神坂神社は園原の里の最奥、神坂峠の手前にあり、境内を東山道が通っている。祭神は山中にあって海神の住吉三神で、古代に信濃の安曇野に移住した海洋氏族・阿曇氏との関係が窺われる(本シリーズ其之弐拾参参照)。一方、社殿手前両脇には御柱も立っており、諏訪文化圏である事も明らかである。東山道最大の難所であっただけに、都の人々にも古くから知られ、当地に聳える巨木「帚木」は、源氏物語の巻名にもなっている。園原氏の祖先は、ここに屋敷を構えた長者・炭焼藤太といい、宮廷貴族在原氏の娘・客女姫との婚姻や、その間に生まれた金売吉次の伝説がある。金売吉次は、平家物語等に登場する黄金商人で、源義経を奥州平泉へ案内したとされ、当地にも「義経駒繋ぎの桜」が残る。古のエネルギー資源を生産し、巨万の富を築いたという、高橋御山人の遠い祖先の物語を追う。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾壱 宮崎・高千穂 天孫降臨の地にまつろわぬ影
- 天孫降臨や天岩戸など、聖なる神々の事績を伝える高千穂にちらつく、「魔」の影を追う
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
宮崎県北東部の山間にある高千穂は、神話伝承の地である。天照大神の孫・ニニギノミコトが天照大神の命を受け、地上の統治の為に高天原より降臨した場所が、この高千穂とされ、天孫降臨の地として知られる。それだけでなく、高千穂には様々な神話伝承地があり、その中でも有名なものが、天岩戸神社だ。この神社の御神体は渓流沿いの岩窟であるが、これこそ天照大神が隠れた岩戸だという。その他、岩戸隠れの際、八百万の神々が集まって相談したという天安河原や、高天原の水を移したという天真名井など、数々の伝承地があるのだが、高千穂には、こうした「聖なる神々」の伝承地だけでなく、荒ぶる「まつろわぬ」鬼たちの伝承もある。その代表的なものが、神武天皇の兄に討たれた鬼八(きはち)であり、夜神楽で有名な高千穂神社には、その討伐の様子が彫刻されている。また、日向国風土記逸文には、天孫ニニギノミコトの降臨時、地上は暗闇に覆われていたが、二人の土蜘蛛の助言で明るくなったという神話が載っている。ここでは天孫に協力しているが、土蜘蛛は、記紀・風土記で天皇に逆らう土着の勢力として描かれ、後世には人を食う妖怪とされている。「魔」の影ちらつく神話の舞台の謎を解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十七 セックスから神社を読み解く(特別対談前編)
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
日本に限らず、世界中で「宗教」と言えば、性欲を抑制し、遠ざけるものだというのが、 現代社会における通念である。しかし、本当にそうなのだろうか?確かに日本の神社は厳粛、清浄を旨とし、神社に仕える巫女にも、処女性が求められる。 巫女に、古より処女性が求められたのは確かだ。しかし、それは巫女の一面でしかない。 特定の神社に所属せず、諸国を放浪した「歩き巫女」のような巫女もいたのである。 彼女らは祈祷や託宣を行いつつも、旅芸人や遊女を兼ねる事もあった。 なぜ、清浄さを求められる巫女が、遊女をも兼ねたのか。 それは古代の根源的な宗教、信仰が、シャーマンによる神憑りを重視するからだ。 神憑りとは神が己の肉体に入ることであり、セックスと極めて近い性質がある。 さればこそ、シャーマン、巫女は女性であることが多いのだ。 文明発祥地・古代メソポタミアの神殿には「神聖娼婦」がいたという。 洋の東西を問わず、神なるものの根源にはセックスがある。 また、「歩き巫女」がそうであったように、芸能との関連も注目される。 遊女の代名詞である「傀儡」は人形使いの芸能者であるし、 諸国を放浪した歌舞伎の始祖・出雲阿国は、巫女であったとも言うが、 幕府に禁止されるまで、歌舞伎は女性が踊り、ストリップ的要素が強かった。 天の岩戸神話のアメノウズメノミコトの踊りは、ストリップ以外の何物でもない。...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾参 青森・弘前 鉄の技術者 鬼神様
- 岩木山の麓に鎮まる神社で、神と崇められる鬼は、製鉄と土木の技術者だった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
青森県弘前市、岩木山の麓に、鬼神社(きじんじゃ)なる神社が建つ。岩木山山頂奥宮に鎮まる大国主命の娘・高照姫神の霊験により、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、山麓に社を建てたという由緒を持つ。神社にも関わらず、弘前藩主・津軽氏の家紋と同じ卍を神紋とし、境内に横になった一対の石の魚があるなど、不思議に満ちた神社であるが、何と言っても最大の謎は「おにがみさま」と呼んで尊んでいることである。昔、旱魃で村人が苦しんでいる時、大人(おおひと)と呼ばれる鬼が、山を切り開いて用水路を作ってくれ、以来、その鬼を祀っているとされる。当地の地名・鬼沢もその伝説に由来し、当神社の扁額の一部で「鬼」の字に角がないのも、鬼を崇め祀っているが故という。社殿の屋根下には、鍬、鎌、鋤といった鉄製の農具が、数多く奉納されているが、鬼が使ったかのように、巨大である。本殿には、実際に鬼が使ったとされる、千年前の鍬形が御神体として祀られているという。さらには、出所は定かではないが、本殿の地下に、永遠に錆びない巨大な刀が納められており、こうした高度な技術の持ち主であることが、隠された鬼の真相という話もある。日本各地の伝承を見ても、鬼は鉄と強く結びついており、平地の民が、山岳に住む異様な産鉄民の姿に、鬼を見たと言われる。津軽の神社から、鬼の神髄に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾壱 滋賀・永源寺 木地師を束ねる「フリーメーソン」
- 深山に逃れた親王に始まる木地師の里 諸国を漂泊する木工職人達を束ねる組織の秘密
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
滋賀県東部、鈴鹿山脈の西側の麓の旧永源寺町(現東近江市)の、三重県と境を接する最奥部に、木地師発祥の地であり、全国の木地師達の本拠地、元締の住む地があった。木地師とは、深山に分け入って木を伐り、ろくろで削って椀や盆などの木工品を作って、良材がなくなればまた移動するという、漂泊の民である。その木地師の元締めの集落が、永源寺の最奥部に蛭谷、君ヶ畑と二つある。皇位継承を巡る争いに敗れ、逃れてこの地に隠れ住んだ惟喬親王が、ろくろを発明し木地師の祖となったのが、その由来という。蛭谷には筒井神社があり、かつては「公文所」と呼ばれて、木地師の免状や通行手形を発行していた。木地師は全国の山の八合目以上の木を自由に伐って良く、通行も自由であった。境内にある資料館には、ろくろや椀、盆などの木工品の他、発行した免状や手形、全国の木地師を「氏子」として記録した戸籍の一種「駈帳」、時の為政者による許可状などがあり、古いところでは約千百年前、朱雀天皇の綸旨まである。君ヶ畑にはかつて惟喬親王が出家した金龍寺が建ち、「高松御所」と呼ばれ、筒井神社と同じく免状と手形を発行した。また、君ヶ畑にもゆかりの神社が建つ。深山に分け入り、全国を自由に往き来しつつも、一定程度組織化された木工職人達。ベールに包まれたその秘教的実態を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾弐 三重・志摩 まつろわぬ別宮 伊勢の深層
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
平成25年に式年遷宮が行われた、伊勢の神宮。それが内宮・外宮より成ることは一般にも知られているが、その他に多くの別宮・摂末所管社があり、全て合わせると125社となる。由来は様々だが、その多くは、神宮創祀の際、地元の神が従って、神宮に土地の譲渡や貢納を約束する話となっている。その別宮の一つ伊雑宮が、志摩市に鎮座する。この伊雑宮は、伊勢から離れたリアス式海岸に近いという地理的条件もあって、別宮の一つでありながら、独立的傾向が強かった。明治の神仏分離を経てもなお、北極星の信仰に関わる祭祀が続けられ、江戸時代には、伊雑宮こそが神宮の発祥、中心であるという偽書の発行に関わり、幕府より弾圧を受けるという「まつろわぬ」歴史もある。そもそも伊勢とは、神話の時代に遡れば「まつろわぬ」土地だった。また、中世においても「まつろわぬ」ものの噴出する土地であった。朝廷、国家の宗教的中心地に、なぜ「まつろわぬ」要素があるのか。事象の「裏側」から見た、伊勢というものの深層を掘り下げる。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾七 山梨・上野原、小菅 忌部、諏訪、太子 深き山路の古伝
- 忌部、諏訪、聖徳太子……「辺境」における「中央」とつながる物語の意味とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第三弾は、市北部の棡原(ゆずりはら)集落に鎮座する鷲神社。特徴的な名前のこの神社の祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。この神は、古代の祭祀氏族、忌部氏の祖神である。忌部氏は四国の阿波に勢力を持ち、そこで神聖なる植物・麻を栽培し、その一部は黒潮に乗り、房総半島へ移住した(其之弐拾五阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」参照)。この神が祀られている棡原には、麻の栽培技術を持った忌部氏の一派が移住して来たのか。棡原は、甲州街道から小菅村へ至る道沿いにあるが、その小菅村にも、天日鷲命を祀る箭弓神社(やぎゅうじんじゃ)がある。そのすぐ隣に建つ諏訪神社は、全国に約九千ある諏訪神社の内でも、二十番台にあたる由緒ある神社という。棡原から小菅へ至る道の途上には、鎌倉時代に建てられた長作観音堂があり、国の重要文化財となっている。そこには、六代孝安天皇の皇女と聖徳太子の伝説もある。山深い棡原や小菅に、なぜこんなにもはるか太古の歴史と関わる信仰や伝承があるのか。「辺境」における「中央」とのつながりの意味を考える。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其の一 大阪・枚方 渡来人の地に眠るまつろわぬ民
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 40 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大阪府北東部、枚方市。 京都にも程近いこの土地は、 古代、渡来人達が根を下ろした土地だった。 その名残を留めるのが、市内の神社仏閣や遺跡。 ○滅亡した百済の王族を祀る、百済王神社。 ○広大な敷地が往時の栄華を偲ばせる、百済寺跡。 ○日本に漢字と儒教を伝えたという、王仁の墓。 ○地名からしてただならぬものが感じられる、九頭神廃寺。 そして、河内一宮・片埜神社の傍らには、 平安初期、朝廷に従わずに戦い続け、 征夷大将軍・坂上田村麻呂に討たれた、 古代東北の先住民・蝦夷の首領、アテルイの首塚が!なぜこんな場所にアテルイの首塚があるのか。 そこに秘められた謎を解き明かしていきます。 ●怨霊を鎮め、それを制御しパワーを得るという古代日本の呪術 ●これらを司るのが神社の重要な役割の一つ ●渡来人が東北で日本初の黄金を発見した ●蝦夷が鍛えた鉄の刀が日本刀のルーツ などなど、神社と古代史を巡る謎に迫ります。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之七拾弐 尾張、下総、常陸 物部が鎮めた石の下のモノ
- 石によってこの世とあの世、人の心を鎮めた物部氏 日本人の原初の死生観とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
名古屋の高橋御山人の実家近くに、物部神社が鎮座する。神武天皇の時代、当地のまつろわぬ民を討って、大石を鎮めとし、それを御神体とするということだが、それは討ったまつろわぬ民の怨霊を封じた「重石」ということになる。実際、この大石は、別名を鎮撫石という。鎮撫とは、反乱を鎮める意。要石、根石の別名もあるが、これもまた「まつろわぬ民」封じの感がある。要石とは大地を鎮め地震を防ぐ呪術的な意味の石であるが、有名なものは鹿島神宮と香取神宮のものである。それらは、地表に出ている部分はわずかであるが、深く樹木が地中に根を張るように伸びていると伝わる。これらにも地震鎮めの意はあるが、両神宮の祭神は、天孫降臨に先立ち国津神を平定した武神であり、朝廷黎明期の勢力圏の端にあって、両神宮には北の蝦夷に睨みを利かす意味がある。また、鹿島の神は中臣氏の氏神であり、古代には神事を司る氏族としてより上位の、物部氏の包括下にあったという。香取の神は、物部氏が石上神宮にて直接祭祀を行っている神である。物部氏は軍事をもってまつろわぬ民を平らげ、神事をもってその怨念を鎮め、支配地の人心を鎮めた。そして石によって死者を鎮めるという祭祀には、地下に暗い死者の国があるという、古代の死生観が根底にあった。石を通じ、日本人の原初の死生観に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾壱 福島・奥会津 武家の世開くドラゴン退治
- ドラゴン=機織りの女神を征服して、会津に武家時代の夜明けを告げる、蘆名氏の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福島県西部、奥会津・金山町に、只見川から山一つ隔てて、沼沢湖というカルデラ湖が存在する。その湖畔に鎮座する沼御前神社は、浜姫命という、他に見られない神を祭神としている。伝説によれば、浜姫命、通称沼御前は、沼沢湖に住む雌の大蛇で、時折人に危害を加えていた。そこで、鎌倉時代初期、会津若松・黒川城(鶴ヶ城の前身)城主、佐原十郎義連(さわらじゅうろうよしつら)が、家臣を引き連れ、退治する。その首は湖畔に埋め、その霊を弔うために、沼御前神社を立てたという。以後、大蛇の霊は美女に姿を変え、湖底で機を織っていると伝わり、機織りの女神として、明治大正期には、機織りに従事する女性に熱心に信仰された。また、沼御前を退治した佐原十郎義連は、相模の豪族・三浦氏の一族で、源頼朝の挙兵に加わり、平家追討の一ノ谷の戦いでは、義経が率いた「鵯越の逆落とし」で真っ先に崖を駆け下りる武勇を見せたと「平家物語」は伝える。奥州藤原氏征伐の奥州合戦でも武功を上げ、会津に領地を与えられ、戦国時代、伊達政宗に滅ぼされるまで数百年に渡り会津を支配した、蘆名氏の始祖となる。会津に武家時代の夜明けを告げる神話的「ドラゴン退治」の伝説を読み解く。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之参拾六 静岡・浜松 修験で栄えた火防の聖地
- 火防の神として全国で信仰された、修験の聖地・秋葉山は、御山人のルーツでもある
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
静岡県西部、浜松市の北の山中に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社。ここは、全国に鎮座する「火防(ひぶせ)」の神・秋葉神社の総本宮である。東京・秋葉原の地名由来でもある(民衆が秋葉神社が勧請されたと誤解した)。秋葉山は、太古から火の神を祀った山であるといい、奈良時代に行基が寺院を営んだとされる。その後信州・戸隠の出身で、越後・長岡の蔵王権現で修業した三尺坊が、秋葉山に留まって「秋葉権現」となったという。三尺坊は観音菩薩の化身であり、烏天狗の姿で表わされ、数多くの眷属を従えるといわれる。このように、秋葉山は、神仏習合、修験道の聖地として栄え、全国から参拝客が訪れた。しかし、明治政府の神仏分離、廃仏毀釈により、神道の神社として改組され、仏教・修験道的要素が排除されて、秋葉権現も廃された(その後神社の近くに復興した秋葉寺等に祀られている)。なお、高橋御山人の母方は、修験の儀式を行い、年に一度は名古屋郊外の山に登り、山中の先祖の墓前で、「先達(せんだつ)さん(修験者、山伏のこと)」とともに神仏習合の供養を行っている。その山には秋葉神社が祀られ、「先達さん」も秋葉山で修業したという。御山人が「神話伝説研究家」となったルーツに迫る。尚、カバー画像は秋葉山の火打石。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾 まつろわぬ「鬼」達 日本史の裏側(特別対談)
- 作品の多くに共通するテーマ「まつろわぬ民」や「鬼」。その頂点に「天皇」が!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 43 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之壱百 青森・十三湖 「まつろわぬ」はじまりの地
- 高橋御山人の「まつろわぬ旅」は、偽書曰く「まつろわぬ国」建国の地よりはじまった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
津軽半島北西部、日本海と繋がる十三湖は、古くは十三湊と呼ばれ、中世には日本の十大港湾に数えられる程に繁栄した。ここを拠点とした安東氏は、北海道にも進出し、和人とアイヌとの間の交易を取り持った(本シリーズ其之参拾参参照)。安東氏が南部氏に津軽を追われた後は衰えたが、大規模な宗教施設の遺構が発見されている山王坊日吉神社など、往時を偲ぶ神社仏閣や遺跡が、周辺に多数残っている。安東氏は、後に秋田氏となり、奥州三春藩主として明治まで続いているが、特異な家系伝承を伝えており、前九年の役で討たれた安倍氏、さらに神武天皇に討たれた長髄彦の兄・安日まで遡るという。相内の神明宮は、かつて長髄神社と呼ばれ、長髄彦を葬った場所とも言われる。境内には縄文時代の貝塚があり、人骨が発見されている。昭和末期には、こうした伝承を過剰に膨らませ、古代の日本には西の大和朝廷に対する東の荒吐王国があったとする「東日流外三郡誌」が発表され、学界に騒動を巻き起こした。本書は科学的に偽書である事が確定しているが、一方で本書により古代の東北、津軽が脚光を浴びたのも事実である。それは、高橋御山人の生涯にも強い影響を及ぼした。偽りであっても、絶大なパワーを持つ「コンテンツ」には違いないのである。「パワーを発する」コンテンツ・百社巡礼、ここに完結!
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾弐 宮崎・椎葉 「ヤル気」満々 平家の落人
- 宮崎の秘境・椎葉村 那須与一の弟と合流した平家の落人達は、再起を図る意欲満々!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
宮崎県西部、険しい山の谷あいにある秘境・椎葉村。伝承によれば、壇ノ浦で敗れた平家が落ち延び隠れ住んだが、源頼朝の命で那須与一の弟・大八郎が追討にやって来る。が、狩猟や焼畑など、山の暮らしで精一杯で、戦闘意欲を捨てた落人達を見て、便宜を図り、ともに暮らしたという。大八郎は、落人達のために、平家繁栄のシンボル・厳島神社を勧請さえした。さらに、平家の女官である鶴富姫と結ばれ、一子設けたという。大八郎はやがて頼朝の召還命令により椎葉を去るが、鶴富姫は娘に婿を取り那須姓を継がせ、その子孫が代々椎葉の庄屋を継いだ。その那須家の江戸時代の邸が今も椎葉に残っており、「鶴富屋敷」と呼ばれている。しかし、この鶴富屋敷や、椎葉村北部の十根川集落は、斜面に石垣を築いて屋敷を構えており、まるで山城に見え、十分に戦闘意欲を感じさせる。十根川には、大八郎御手植えと伝わる樹齢八百年の杉が聳える十根川神社があるが、これは彼らが再起を図ることを誓った記念碑のようにも見える。神仏習合色を残した神楽や、呪術性の強い正月行事、猪のお供えなど、山深い地ゆえの独特の文化が見られ、柳田國男も「後狩詞記」を著し「日本民俗学発祥の地」と言われる椎葉。その源泉たる「落人のエネルギー」を探る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾参 熊本・五家荘 菅家、平家 千年の執念
- 熊本の秘境・五家荘 菅原道真と平家の末裔 執念深く再興を夢見る、武装する落人の里
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
熊本県南東部の五家荘は、険しい山に囲まれた秘境。壇ノ浦で敗れた平家が落ち延び隠れ住んだが、源頼朝の命を受けた那須与一の息子・小太郎が、追討にやって来た。それを知った鬼山御前なる平家の女官は、仲間を討たせまいと、何とか小太郎を引き留める。彼女は元の名を玉虫御前といい、那須与一が屋島で射た扇を、舟上で用意した女官であった。やがて二人は結ばれてここで暮らし、その子孫の那須家は今も続いている。彼女を祀る神社もあり、巨乳で乳の出も良かったという伝承により、乳の神として崇められている。また、五家荘という地名の由来は、五つの集落にそれぞれの庄屋がいるためで、うち三つが平家の子孫を名乗る。残り二つは、菅原道真の子孫という。藤原時平の讒言により左遷された道真は、大宰府で憤死したが、復讐を恐れた時平は二人の子らを討とうとした為、五家荘へ逃れ土着したと伝わる。こうして「落人の隠れ里」となった五家荘だが、やがて人口が増えて食糧が不足し、隠れ住むのも限界となり、武力で名を馳せた阿蘇大宮司家へ同盟を申し出て、武装化する。一般には戦を忘れて平和に暮らしたというイメージのある「落人の里」だが、実際には武装し、血筋の尊さを伝え、いつか再興する事を夢見続けた、覇気と執念に満ちた集落なのだ。「落人」の実態に迫り、その現代的意義を考える。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之十四 青森・東北町 まつろわぬ象徴 「日本中央碑」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
本州の北端近く、下北半島の付け根近くに位置する、青森県東北町。 ここには県内最古級の歴史を誇る、千曳(ちびき)神社がひっそりと鎮座する。 日本神話には「千曳の岩」というものが登場する。死した妻・イザナミを求め、 冥界へ下った夫・イザナギが、醜く変わり果てた妻から逃げて、 怒り追って来た妻を足止めする為、この世とあの世の境界に置いた岩である。 即ち、「魔」を入り込ませぬ為の境界防衛の岩であり、「塞の神」「道祖神」として、 村落の入口などを守る神として崇められた。千曳神社の神格も同様である。 ただし、この北辺の地にあっては、単なる村落の防衛が目的ではなかった。 ここは朝廷の勢力が辛うじて及ぶか及ばないかという地域であり、 蝦夷(えみし)を「魔」として、「魔」を祓い、朝廷を守る目的があった。 ゆえに、神社の創建は、征夷大将軍・坂上田村麻呂によるとされる。 そして、坂上田村麻呂がこの地に来て、「日本中央」と岩に刻んだという、 奇妙な伝説が、平安時代に生まれ、都の貴族らの歌に詠まれた。 その岩が、千曳神社の社殿の下に埋められていたというが、いつしか行方不明となる。 明治天皇の行幸時、政府の命令により捜索されるも見つからなかったその岩は、 戦後になってから、偶然発見され、今は近くの施設にて保存されている。...
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之五拾九 岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄
- 黄金都市・平泉の前身、衣川 戦人も詠む「和歌」とは何か?「まつろわぬ」芸術論!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
中尊寺金色堂を抱え、「黄金の国ジパング」の由来ともなった平泉。奥州藤原氏が開いた、京にも匹敵するこの一大都市の北を、衣川という北上川の支流が流れている。その合流点近くには、芭蕉の「奥の細道」でも有名な、源義経最後の地・衣川館(高館義経堂)があるが、古くはこの衣川こそが朝廷の勢力圏と蝦夷の勢力圏の境界であった。そして、流域に広がる旧衣川村(現奥州市)には、奥州藤原氏のルーツである、安倍氏累代の拠点・安倍館があったと伝えられる。元々朝廷の武士であった藤原経清は、安倍氏と婚姻関係を結び、朝廷から派遣された源氏と、安倍氏の側に立って前九年の役を戦ったが、最終的には滅ぼされる。が、数奇な運命を経て、後三年の役の末に奥羽の覇権を握ったのが、経清と安倍氏の娘との子であり、奥州藤原氏初代の清衡である。衣川は平泉のルーツなのだ。安倍館の近くには、安倍氏の守護神・アラハバキ神(其の二「宮城・秋田古代東北のまつろわぬ信仰」参照)を巨石に祀った神社が建ち、前九年の役の古戦場も残る。そこで、源義家は、戦いながら歌を詠み、安倍貞任はそれに返したという。捕縛され都に送られた安倍宗任も、蝦夷と小馬鹿にする貴族相手に歌を詠み、教養を示したという。命懸けの局面ですら詠まれる「和歌」とは一体何なのか。その真髄を読み解く驚天動地の芸術論!
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾九 福井・名田庄 陰陽道宗家 土御門の疎開
- 陰陽道宗家・土御門家が、戦乱を逃れ、数代に渡って山村に移り住んだ、その思いとは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
福井県南西部、おおい町の旧名田庄村は「陰陽道と暦のふるさと」。平安時代の大陰陽師・安倍晴明の子孫は、代々陰陽道をもって朝廷に仕え、後に「土御門」を名乗るが、応仁の乱の戦災を逃れる為、有宣(ありのぶ)のとき、領地であった名田庄に移り住む。それから子の有春(ありはる)、孫の有脩(ありすえ)と住み続け、徳川家康に陰陽道宗家と認められた曾孫の久脩(ひさなが)の代になってようやく京へ戻った。土御門家は、名田庄に住んでいる間も、家業の陰陽道を忘れることなく、その祭祀を行った為、独特の信仰や神社がこの地に残った。例えば名田庄の加茂神社は、今も泰山府君を祭神とするが、これは元々中国・道教の神であり、土御門家がこの神を祀って天皇長寿の祈祷を行った。土御門家三代の墓も、その近くに残る。その後土御門家は、暦発行の独占権を得て栄え、独自の神道流派「土御門神道」をも打ち立てるが、明治維新により廃された。それを後世に伝えようと、関係者によって名田庄に復興されたのが「天社土御門神道本庁」である。強大な守護大名武田氏の庇護に与ろうと、若狭には公家が頻繁に下向して来たが、数代に渡り本格的に住んだ例は稀。由緒正しき陰陽師達は、この山村で何を思ったのか。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾九 大分・日田 母権社会の記憶 土蜘蛛の姫
- 土蜘蛛・五馬媛を神社に祀り、女性首長の古墳もある、母権社会の記憶を伝える地
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
大分県西北の内陸、日田市には、渓谷沿いに湧く天ヶ瀬温泉があるが、その南側の高原に、五馬市(いつまいち)という土地がある。ここは、豊後国風土記に、土蜘蛛・五馬媛(いつまひめ)がいたと記される地である。五馬市の玉来神社(たまらいじんじゃ)は、景行天皇とその五馬媛を祭神としている。土蜘蛛とは、記紀や風土記において、天皇、朝廷に従わず、その多くが討たれたとされる辺境の民であり、神社の祭神とされているのはここが唯一の例と思われる。ただし、全ての土蜘蛛が朝廷に従わず討たれたと書かれる訳ではなく、例外もある。五馬媛も、特に朝廷との関係は書かれていない。景行天皇は、日本書紀や風土記に九州の土蜘蛛を数多く討った事績があるが、五馬媛との関係は特に記されていない。にも関わらず、玉来神社では並んで祭神とされている。また、同じ五馬市の元宮神社は、五馬媛のものとされる古墳の上に立っている。さらに、近くにある宇土古墳群には、女性首長を葬った古墳も存在している。古文書、伝承、考古資料の全てが、古、ここに卑弥呼のような女性首長がいた事を示している。はるか太古の、シャーマニズムと母権社会の記憶を伝えて来た、五馬市。それから千数百年、父権社会の崩壊局面にある今、それらの意義や遷移について、根底から再考する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾七 吉備から大和へ 物部の司る石上神宮の遷座
- 神事と軍事を司る物部氏が神剣の神霊を祀る石上神宮は、吉備より遷されたものだった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奈良県天理市の石上神宮は、大和朝廷に重んぜられた、極めて古い歴史を誇る神社である。主祭神は、天孫降臨前の国津神の平定や神武東征で使われた、神剣・布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされ、その祭祀は、神事と軍事を司る物部氏が行っていた。明治に禁足地を調査したところ、古代の七支刀が発見された事でも知られる。祭神の一柱には、スサノオノミコトが八岐大蛇を斬った剣も含まれているのだが、一方で、日本書紀には八岐大蛇を斬った剣は吉備にあると書かれ、古語拾遺には後に石上神宮へ遷されたとある。その吉備の、剣があったという場所に建つのが、岡山県赤磐市の石上布都魂神社である。この神社の社伝によれば、八岐大蛇を斬ったその剣こそが、布都御魂剣という。岡山県の山間部に鎮座するこの神社は、山の麓に建つが、かつては山頂に社殿が営まれ、今もそこには大きな磐座がある。そこは石上神宮と同じく、禁足地となっている。神社の宮司は、今も物部姓だ。この近くには、弓削という地名もある。弓削の名が付く地名は全国にいくらかあり、それは道鏡を輩出したことで有名な古代の氏族・弓削氏の住んだ場所であるが、弓削氏とはその名の通り武器製作を生業とした民で、物部氏の一派であった。神話に遡る石上の信仰と、磐座の祭祀。古の人々が重視した「石」の意味に迫る。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
- ヨガで「解脱」の鍵とされる蛇の女神が、軍荼利明王を経て、果ては剣の軍神へと
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第一弾は、市街地の北東、東京都、神奈川県との境近くの山中に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)。祭神は日本武尊で、その東征の帰り道、草薙の剣を神の宿る剣として祀ったとされるが、創建は平安中期で、社名から密教の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った、修験道の聖地であったことは明らかだ。明王とは、仏道に導き難い者を力ずくで帰依させる存在で、多くは憤怒の表情、逆立った髪、何本もの手に武器を持つという、恐ろしい姿を取る。そのルーツは、古代インドで鬼や悪魔に相当する夜叉や修羅だが、軍荼利明王の場合は、クンダリーニという蛇の女神が起源である。ヨガにおいては、性器と肛門の間にある、最も下部のチャクラに宿っており、クンダリーニを覚醒させ、脊髄を上昇させて、その途上にあるチャクラを開いていき、頭頂に至る事によって「解脱」できるとされている。それが伝播の過程で男性となったのが、現在の軍荼利明王である。しかし、そうした遠い起源は忘れられ、ここでは軍神として崇拝されている。明治の神仏分離により、明王とも切り離されたが、剣を奉納する信仰は続いている。神格の変遷と土着化する信仰というものについて考察する。
著者: 高橋 御山人
-
高橋御山人の百社巡礼/其之八拾八 喜界、奄美 下 神々や天女の天降る島々
- 琉球神話と同系の神々の降臨、シャーマンや遊女につながる天女、南島の天降る神話伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
奄美大島には、日本神話とは異なる体系の神話がある。奄美の神話では、女神アマミコと男神シニレクが降臨したのが、島の始まりという。降臨した地「アマンデー」は今も聖所として残り、それを拝む阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)も建つ。なお、二神は降臨後島伝いに南下したというが、琉球神話開闢の神も天降ったアマミキヨとシネリキヨであり、酷似する。アマンデーと、琉球王朝の最高の聖所・斎場御嶽もよく似ていて、これらは琉球王朝の奄美征服により持ち込まれたとも、逆に奄美が発祥で琉球に伝わったともいう(アマミコこそ「奄美」の地名由来ともいう)。このような神話や、ノロ、ユタといった巫女の存在など、琉球と共通する精神文化は多い。ノロは、元々琉球王朝が各地域の統治の為に設置した女神官であるが、江戸時代以降、薩摩藩が直接統治するようになっても、村落の司祭として存続し、今でも一部で続いている。扇や勾玉など、その神具も独特であり、喜界島ではその装束が「天女の羽衣」として伝えられて来た例もある。天女は奄美群島では「アモレウナグ」と呼ばれ、喜界島には天女を祀る天降神社が建ち、奄美大島にも伝承が多数残るが、それはノロと、遍歴の遊女の双方につながっている。日本、琉球の古層文化に通ずる、奄美群島の「天降り」神話伝説を追う。
著者: 高橋 御山人