高橋御山人の百社巡礼/其之八拾四 長崎・対馬 国境の島の太陽信仰
天照大神のルーツの一つがあり、中世には「お天道様」を崇めた、国境の島の太陽信仰
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著者:
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高橋 御山人
概要
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
- 数少ない月の神を祀る有力な神社が京都に二社 そのルーツは壱岐や大隅にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価2
-
ナレーション2
-
ストーリー2
天照大神、スサノオノミコトとともに「三貴子」の一柱でありながら、神話上の事績が乏しく、祭神とする神社も少ない月の神・月読尊。その数少ない中でも有力な神社が、京都に二つある。一つは京都市西京区の月読神社で、現在は近隣の松尾大社の摂社である。この神社の由来は日本書紀にあり、任那への使者に神託が下りて祀る場所を求めた為、朝廷が現在地付近を奉ったという。その祭祀は壱岐氏によって行われたが、壱岐氏は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡に浮かぶ壱岐島を出自とする氏族で、海人であった。そのため、この月読神社には、内陸であるにも関わらず、今も船に関わる神事が伝わる。そして、壱岐島にも月読神社があり、ここから京都に勧請されたものと見られている。今一つは、京都府南部の京田辺市大住(おおすみ)の月読神社である。こちらは南九州のまつろわぬ民・隼人が、朝廷に従属した後、当地に移住して来た際に、彼らの神を移したものとされ、大住という地名も、彼らの故郷である鹿児島の大隅に由来するという。彼らが伝えた隼人舞は、能のルーツの一つともなった。その隼人舞は一時途絶えたが、大隅一宮・鹿児島神宮に伝わる隼人舞を元に復元された。鹿児島神宮周辺は隼人が朝廷と戦った激戦地で、彼らを弔ったという隼人塚もある。なぜか神社に祀られることの少ない、月の神の謎を解く(カバー画像イラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾参 青森・弘前 鉄の技術者 鬼神様
- 岩木山の麓に鎮まる神社で、神と崇められる鬼は、製鉄と土木の技術者だった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
青森県弘前市、岩木山の麓に、鬼神社(きじんじゃ)なる神社が建つ。岩木山山頂奥宮に鎮まる大国主命の娘・高照姫神の霊験により、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、山麓に社を建てたという由緒を持つ。神社にも関わらず、弘前藩主・津軽氏の家紋と同じ卍を神紋とし、境内に横になった一対の石の魚があるなど、不思議に満ちた神社であるが、何と言っても最大の謎は「おにがみさま」と呼んで尊んでいることである。昔、旱魃で村人が苦しんでいる時、大人(おおひと)と呼ばれる鬼が、山を切り開いて用水路を作ってくれ、以来、その鬼を祀っているとされる。当地の地名・鬼沢もその伝説に由来し、当神社の扁額の一部で「鬼」の字に角がないのも、鬼を崇め祀っているが故という。社殿の屋根下には、鍬、鎌、鋤といった鉄製の農具が、数多く奉納されているが、鬼が使ったかのように、巨大である。本殿には、実際に鬼が使ったとされる、千年前の鍬形が御神体として祀られているという。さらには、出所は定かではないが、本殿の地下に、永遠に錆びない巨大な刀が納められており、こうした高度な技術の持ち主であることが、隠された鬼の真相という話もある。日本各地の伝承を見ても、鬼は鉄と強く結びついており、平地の民が、山岳に住む異様な産鉄民の姿に、鬼を見たと言われる。津軽の神社から、鬼の神髄に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾九 奈良・初瀬 「大和の出雲」に菅公鎮まる
- 古からの父祖ゆかりの地に菅原道真公が自ら鎮まり「コンテンツの聖地」となった初瀬
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
奈良県桜井市、大神神社の神体山・三輪山の南麓の初瀬の地に、天武朝創建の古刹として名高い長谷寺がある。その参道西の山の中に、與喜天満神社が鎮座している。天満神社の名の通り、祭神は菅原道真公であるが、他の天満宮のように「怨霊鎮め」の為に建てられたのではない。長谷寺の鎮守・瀧蔵権現の勧めによって、自ら雷神としてこの地に鎮まったという。それは、当地の道真公の出自との深い関係による。長谷寺参詣の土産として古くから親しまれ、今も参道で売られている「出雲人形」という土人形があるが、それは近隣の出雲集落で作られている。大和にあって出雲という不思議な名を持つこの地は、古代、当麻蹴速との相撲の為に出雲より呼び寄せられ勝利した、野見宿禰ゆかりの地で、皇后の葬儀において、殉死に代わって埴輪を供える事を提案した話が、日本書紀にある。これが出雲人形の発祥とされ、野見宿禰の子孫は土師氏を称した。その後、土師氏の一部は、菅原氏を名乗る。道真公はその出身である。道真公は、父祖ゆかりの地に自ら鎮まったのである。なお、與喜天満神社は、中世、神前で連歌の行われる場所としても名高かった。歌人としても名を轟かせた道真公は、連歌の守護神でもあったのだ。更級日記では夢告を授かる場所としても描かれる初瀬。古の「コンテンツの聖地」巡礼記。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾八 高知・香南 烏の秘儀と「魔法の都」
- 全国で唯一残った「お烏喰神事」。呪術師が集う「魔法の都」。土佐の呪術の深層!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
高知県の香南市に、若一王子宮という神社が鎮座する。近郷八村の総鎮守で、鎌倉~南北朝時代に、紀州熊野より勧請されたと見られている。若一王子は、若王子ともいい、熊野三山で信仰される神の一柱。この神社で特筆すべきは「お烏喰神事」である。それは、海水で禊し、結界を張った神社に籠って球形の餅を作り、深夜、祈祷した後に本殿の屋根の上に供えるというもの。すると、熊野より二羽の烏が飛来し、餅を食べて行くといい、早朝、宮司がそれを知らせる。烏は、熊野の神の使いとされ、それは三本足の「八咫烏(やたがらす)」ともされている。この神事は、熊野三山の一つ・熊野速玉大社と、京都の若王子宮の三ヶ所で行われていたが、現在では高知の若一王子宮にしか残っていない。また、近隣の赤岡には、神主や巫女、僧侶、漂泊の芸能民、大工等が住んでいたことを示す地名が残っている。その中心には、土佐特有の呪術師「博士(はかしょ)」を統率する博士頭・芦田注連太夫の屋敷があり、摩利支天を祀り中臣祓を行うという、神仏習合の呪術を司っていた。土佐北東の山間・物部村に伝わる陰陽道の色彩が濃い民間呪術「いざなぎ流(百社巡礼其之七参照)」との関係も深い。時を超え、呪術の国・土佐の深層へと降りる旅。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾五 茨城・行方 有角蛇・夜刀神 物語に生きる魂
- 常陸国風土記の「まつろわぬ」角のある蛇・夜刀神 「物語化」によって魂を語り継ぐ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ストーリー0
霞ヶ浦と北浦に挟まれた、茨城県南部の行方市。古より行方郡と呼ばれ、常陸国風土記にも、沢山の物語が掲載されている地である。その一つに「夜刀神」の物語がある。継体天皇の時代、箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)が、谷あいの土地を開墾し田としようとしたところ、頭に角のある蛇「夜刀神(やとのかみ)」が沢山現れ、妨害した。そこで麻多智は夜刀神を打ち殺して追い払った。そして山と田との境界の堀に杖を立て、山を夜刀神の土地、田を人の土地とすることを宣言し、麻多智が子々孫々神として祭ることとした。さらに、孝徳天皇の時代、壬生連麿(みぶのむらじまろ)が、この谷の池に堤を築こうとした時には、池のほとりの椎の木の上に夜刀神が群がって登り、去ろうとしなかったので、壬生連麿が工事で使役していた人々に打ち殺すよう命ずると、逃げ隠れた。このような話が書かれている。麻多智が神を祭った場所は、行方市玉造の愛宕神社と言われており、その手前に湧く泉が、壬生連麿が堤を築こうとした「椎井の池」だという。謎多き夜刀神の伝承であるが、同じ風土記の行方郡の記事には、数多くの「まつろわぬ民」が登場し、彼らとの関係が窺われる。また、彼らを討つ日本武尊の記述も多いが、風土記では日本武尊を「天皇」としている。物語に託された古の人々の魂を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾参 コシャマイン破りて就いた「蝦夷の王」
- アイヌの首長を討ち「蝦夷の王」となった武士 神社が語る、知られざる中世北海道史
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 28 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
北海道西南部、上ノ国町の海を望む山の頂に、夷王山神社(いおうざんじんじゃ)が建つ。その中腹には、保存状態の良い、中世の山城・勝山館(かつやまだて)の遺跡がある。中世、北海道の南部には「渡党(わたりとう)」と呼ばれる、和人もしくは人種的・文化的に和人に近いアイヌが住んでいた。彼らは「道南十二館」と呼ばれる拠点を築き、各館は道南、津軽、秋田にかけての地域を支配した豪族・安東氏の配下にあった。「上ノ国」という地名も、二家に分かれた安東氏の家名に由来する。渡党はアイヌと本州との交易などを糧としていたが、やがてアイヌとの摩擦が拡大、渡島半島東部の首長・コシャマインを中心とするアイヌの蜂起に発展する。アイヌは強く、十二館のうち十までが陥落する。そこで、上ノ国・花沢館の館主・蠣崎氏(かきざきし)の養子となっていた、若狭武田氏の一族という武田信広が、残った武士を集めて反撃、アイヌに勝利する。戦いの後、花沢館は勝山館に移り、信広は夷王山山頂に葬られたという。その子孫は蝦夷地での支配権を確立、安東氏の支配をも脱して、松前藩主・松前氏となる。夷王山は、松前氏にとって、偉大な祖神が眠る聖地であった。神社を鍵に、知られざる中世北海道の歴史を紐解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾八 京都へ遷された壱岐や大隅の月の神
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- 岩木山の麓に鎮まる神社で、神と崇められる鬼は、製鉄と土木の技術者だった
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾弐 尾張、下総、常陸 物部が鎮めた石の下のモノ
- 石によってこの世とあの世、人の心を鎮めた物部氏 日本人の原初の死生観とは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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名古屋の高橋御山人の実家近くに、物部神社が鎮座する。神武天皇の時代、当地のまつろわぬ民を討って、大石を鎮めとし、それを御神体とするということだが、それは討ったまつろわぬ民の怨霊を封じた「重石」ということになる。実際、この大石は、別名を鎮撫石という。鎮撫とは、反乱を鎮める意。要石、根石の別名もあるが、これもまた「まつろわぬ民」封じの感がある。要石とは大地を鎮め地震を防ぐ呪術的な意味の石であるが、有名なものは鹿島神宮と香取神宮のものである。それらは、地表に出ている部分はわずかであるが、深く樹木が地中に根を張るように伸びていると伝わる。これらにも地震鎮めの意はあるが、両神宮の祭神は、天孫降臨に先立ち国津神を平定した武神であり、朝廷黎明期の勢力圏の端にあって、両神宮には北の蝦夷に睨みを利かす意味がある。また、鹿島の神は中臣氏の氏神であり、古代には神事を司る氏族としてより上位の、物部氏の包括下にあったという。香取の神は、物部氏が石上神宮にて直接祭祀を行っている神である。物部氏は軍事をもってまつろわぬ民を平らげ、神事をもってその怨念を鎮め、支配地の人心を鎮めた。そして石によって死者を鎮めるという祭祀には、地下に暗い死者の国があるという、古代の死生観が根底にあった。石を通じ、日本人の原初の死生観に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五 出羽三山 逃れた皇子と月と即身仏と
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東日本最大級の山岳信仰霊場として名高い、出羽三山。 今も修験の聖地として名高く、山伏が荒行を積み、白装束の信徒が山に登る。 三山は、曼荼羅のように、それぞれ異なる特色を持っている。 その中でも、一番平地に近い羽黒山には、多くの人が訪れる。 ○日本三大五重塔の一つが聳える杉並木の参道は、ミシュラン三ツ星の評価 ○巨大な三神合祭殿前の池からは、数多くの平安時代の鏡が出土した ○蘇我馬子に弑逆された崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が逃れて来た開いたという 蜂子皇子開山は、時代的には修験道の開祖・役小角以前のこと。 当時は朝廷の勢力圏外でもあり、伝承には謎がつきまとう。 そんな羽黒山の背後には、三山の内でもひときわ高い月山が聳えたっている。 ●万年雪のある、標高二千メートル近くの山頂に神社が鎮座 ●湿原の広がる弥陀ヶ原、役小角が追い返された行者返しなど、神仏習合的な地名 ●月山の名の通り、月の神を祀る そして、出羽三山の最奥とも言うべき、湯殿山。 ◎御神体を、文字通り肌で感ずる聖地で、かつては口外禁止であり、今も撮影禁止。 ◎即身仏の信仰が行われた場所で、今もいくつかの寺院に残っている ◎かつて三山を構成した山は今と異なり、宗派も一つではなかった 明治政府の廃仏毀釈によって損なわれた、神仏習合、修験道とは何か。 ...
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高橋御山人の百社巡礼/其之十二 茨城・日立 星を司る「最強」の まつろわぬ神
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茨城県日立市に鎮座する、大甕倭文(おおみかしずり)神社。 この神社の境内には、「宿魂石」という、山のような巨岩があるが、 神話に登場する星の神・天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)を、 倭文の神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が討ち、ここに封じたものだという。 天津甕星は、国譲りのあたり、天孫降臨に先立って様々な国津神を平定した場面に、 わずかに登場する神だが、出雲で国譲りを成し遂げ各地を平定した、 建御雷命(たけみかづちのみこと、鹿島神宮の祭神)と、 経津主命(ふつぬしのみこと、香取神宮の祭神)にも従わず、 ついに建葉槌命によって討たれたのだという。 この神話は謎だらけだ。まず、天津甕星は国津神ではなく、 「高天原にいる悪神」だとされていること。つまり天津神なのだが、 天津神にして天照大神に従わない神が存在すること自体、神話上不合理だ。 せいぜいが暴虐を働いた須佐之男命くらいだが、それでも最終的には従っている。 建葉槌命も他に伝承のほとんどない神で、織物の神だが、武神・雷神の建御雷命や、 剣神・経津主命でも平定できなかった悪神を、なぜ織物の神が討伐できたのかも謎だ。 日本神話では、明確に星の神だと書かれているのが天津甕星のみという謎もある。 星の名を持つ神も、他に物部氏の神話にわずかに登場するのみ。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
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ストーリー1
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾五 阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる「大麻」
- 聖なる「大麻」を作る、神代からの祭祀氏族・忌部氏が、黒潮に乗り阿波から安房へ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
徳島県鳴門市、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波一宮。古代、阿波に勢力を誇った、忌部氏が祖神を祀った神社である。忌部氏は、出雲、紀伊、讃岐などに広がり、それぞれの地の特産品を献じた。阿波の忌部が献じたのは、麻であり、それが神社名の由来となっている。麻は、衣服の原料として重要であるとともに、神事に用いる神聖な植物でもあった。現代の神社でも祓に用いる神具の名は「大麻」であるし、御札も「大麻」と呼ばれる。そして、忌部氏は、天の岩戸開き以来の、神話にまで遡る祭祀氏族であった。「穢れを忌む」ことで神事に臨む氏族なのである。阿波の忌部氏は、朝廷の祭祀を司る忌部氏に連なる人々として、神聖な植物・麻を栽培した。その阿波忌部氏の一部は、古代、黒潮に乗って、千葉県の房総半島へ移住した。「安房」とは「阿波」にちなむ地名であり、「上総」「下総」の「総」とは、麻の古名にちなむものという。房総半島の先端近くには安房一宮・安房神社が建ち、忌部氏の祖神を祀る。他、房総には忌部氏にまつわる神社が。麻の聖性と、摂関藤原家の同族・中臣氏に役割を奪われ衰微した、古代の祭祀氏族の足跡を辿る。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾四 秋田三湖 古の龍伝説が未来を拓く
- 田沢湖・十和田湖・八郎潟の「秋田三湖」に伝わる龍伝説に、明日への展望を見出す
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
秋田県にある「秋田三湖」と呼ばれる三つの湖。その全てに龍の伝説が伝わっている。まずは、田沢湖の「辰子姫」。このあたりに住んでいた人間の娘・辰子は、永遠の美を求めて観音菩薩に願を掛け、お告げにより山中の泉の水を飲んだ。しかし喉が渇いて際限なく水を飲み続け、龍の姿に変ってしまった。そこで仕方なく泉を広げて湖とし、そこに住んだ。これが田沢湖だという。湖畔のその泉の近くには、辰子姫を祭る御座石神社が建っている。青森との県境にある十和田湖にも、近くに住んでいたマタギの若者「八郎太郎」が、掟を破って仲間のイワナまで食べてしまい、川の水を飲み続けて龍となり、十和田湖を作って住んだという伝説がある。そこに、熊野で修業を積んだ山伏「南祖坊(なんそのぼう)」が現れる。南祖坊は「草鞋が切れた場所が終の棲家となる」という神託とともに鉄の草鞋を授かり、その切れた場所が十和田湖だった。南祖坊はここで龍に化身して八郎太郎と戦い、勝利する。これが十和田神社に祭られる青龍権現である。敗れた八郎太郎は西へ逃れて湖を作って住む。これが八郎潟であり、湖岸の八郎神社に祭られている。その八郎潟を戦後干拓して作ったのが大潟村で、入植した村民により建てられた大潟神社にも、八郎太郎は祭られている。古の龍伝説を辿り、明日にまで展望を広げた未来志向対談。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾九 福井・名田庄 陰陽道宗家 土御門の疎開
- 陰陽道宗家・土御門家が、戦乱を逃れ、数代に渡って山村に移り住んだ、その思いとは
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
福井県南西部、おおい町の旧名田庄村は「陰陽道と暦のふるさと」。平安時代の大陰陽師・安倍晴明の子孫は、代々陰陽道をもって朝廷に仕え、後に「土御門」を名乗るが、応仁の乱の戦災を逃れる為、有宣(ありのぶ)のとき、領地であった名田庄に移り住む。それから子の有春(ありはる)、孫の有脩(ありすえ)と住み続け、徳川家康に陰陽道宗家と認められた曾孫の久脩(ひさなが)の代になってようやく京へ戻った。土御門家は、名田庄に住んでいる間も、家業の陰陽道を忘れることなく、その祭祀を行った為、独特の信仰や神社がこの地に残った。例えば名田庄の加茂神社は、今も泰山府君を祭神とするが、これは元々中国・道教の神であり、土御門家がこの神を祀って天皇長寿の祈祷を行った。土御門家三代の墓も、その近くに残る。その後土御門家は、暦発行の独占権を得て栄え、独自の神道流派「土御門神道」をも打ち立てるが、明治維新により廃された。それを後世に伝えようと、関係者によって名田庄に復興されたのが「天社土御門神道本庁」である。強大な守護大名武田氏の庇護に与ろうと、若狭には公家が頻繁に下向して来たが、数代に渡り本格的に住んだ例は稀。由緒正しき陰陽師達は、この山村で何を思ったのか。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十九 東京・青ヶ島 死と再生のシャーマンの島
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
東京より南へ358km、伊豆諸島有人島最南端の青ヶ島。 一番近い有人島の八丈島からでも、南に65km離れている絶海の孤島。 行政区分としては一島一村の青ヶ島村より成り、 人口約170人、日本で最も人口の少ない市区町村となっている。 島の周囲を絶壁のような山に取り囲まれた島で、船を泊める場所にも窮する。 八丈島からの定期船はあるが、接岸が難しく、就航率は6割程度。 八丈島からの1日1往復のヘリコプターが主たる交通手段。 昭和の30年代でも月に一度しか船が来ず、完全な自給自足社会であり、 赴任した小学教師が「明治時代に逆戻りだ」と逃げ出そうとした程だった。 また青ヶ島は火山島であり、島の内側はカルデラとなっている。 絶壁のような山が外輪山となって、カルデラの内部にさらに火山がある。 この火山が江戸時代に大噴火し、多くの犠牲者を出した。 生き残った全島民も八丈島で五十年に渡って避難生活を送った。 五十年後島民を率いて「還住」を果たした名主を、 柳田國男は「青ヶ島のモーセ」と讃えている。 こんな過酷な環境の青ヶ島には、それゆえに、古より特殊な信仰が伝わる。 あちこちに祠があり、御幣が立てられる青ヶ島は、「神の島」と呼ばれている。 島の巫女は、舞い踊るうちに神憑り、悪霊を祓い人々を癒すシャーマン、呪医だった。 島の総鎮守、大里神社では、鬼面の子が女面の母を蘇生させるという筋書きの...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
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特にない。
- 投稿者: 匿名 日付: 2025/10/12
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾参 岩手・江刺 まつろわぬ経清 斯く戦えり
- 朝廷を裏切り、蝦夷に味方した奥州藤原氏の祖・藤原経清 そこに武家文化の淵源を見る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
其之五拾九「岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄」でも取り上げた、岩手県奥州市。そこはアテルイから安倍氏、奥州藤原氏へ至る、古代東北史の舞台だ。北上川東岸の旧江刺市には、奥州藤原氏初代・清衡とその父・経清の居城であった豊田館跡や、経清と一族郎党の墳墓と伝わる五位塚がある。式内社・鎮岡神社(しずめがおかじんじゃ)も鎮座する。清衡は、豊田館跡の鎮守としてこの神社を尊崇、社殿の修造や荘園の寄付を行ったという。江戸時代には、中部・東北・北海道を旅した博物学者・菅江真澄も参拝し「畏しな荒ぶるとても幣取らば心鎮めの岡の神籬」という歌を残している。神社名にかけ自らの心を鎮める歌と解されるが、この神社が荒ぶる神を鎮めている事を、言外に仄めかしているようにも思われる。鎮岡神社は五位塚の麓に鎮座し、その地名も五位塚であって、それと無関係とは思われないからである。藤原経清は五位の官人でありながら朝廷に背き、蝦夷の末裔・安倍氏と共に前九年の役を戦って源氏に辛酸を舐めさせ、敗れた後、鋸挽きで処刑されたという。一方で、それが明言されないのは何故か。それは潔き武将を怨霊とせず貶めまいとする、敬意があるのではないか。勝敗や敵味方に関係なく、猛き者、智き者を尊ぶ、独特ながらも日本文化の主軸の一つとなった、高潔なる武家の精神文化の発祥を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾壱 岩手・三陸 津波にも残ったアイヌの痕跡
- アイヌの「イナウ」酷似の神宝、津波に耐えた奇跡の一本松、その「シンボル」の意味
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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東日本大震災による津波で凄絶な被害を受けた、岩手県の大船渡市。その郊外の漁港近くに、尾崎神社が建っている。式内社・理訓許段神社(りくこたじんじゃ)と目されるこの神社は、社会学者・田村浩氏や、民俗学者・谷川健一氏によって、アイヌの祭祀具「イナウ」そっくりな「稲穂」の神宝を収蔵する事が知られた。その箱には「えぞ」の習俗を伝えるものだという歌も添えられている。この尾崎神社も、東日本大震災の津波によって大きな被害を受けたが、この「イナウ」のような神宝は奇跡的に残り、その後、高橋御山人も直接会った事のある北海道のアイヌの長老・アトゥイ氏による、アイヌ式の犠牲者供養の儀式が、宮司立会いの下、神社境内で行われた。大船渡の隣、陸前高田市の氷上神社も、理訓許段の神を祀る神社である。2015年10月には、震災後初めての、五年に一度の大祭が行われ、高橋御山人も参加した。市街の大半が失われ、氏子の多くが亡くなったが、各方面の尽力により、何とか大祭を行う事が出来、郷土芸能「虎舞」も披露された。被災地を嵩上げ造成し、復興が進められる陸前高田。そのシンボルとなっているのが津波に耐えた「奇跡の一本松」である。「イナウ」や「奇跡の一本松」、そして「神社」。そこに共通する、共同体の記憶を留める「シンボル」としての役割を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾六 東京にも残る古代の石神信仰 ルーツは諏訪に
- 東日本に残る古代信仰「石神」、その根源は諏訪の「ミシャグジ神」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価2
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ナレーション2
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ストーリー2
高橋御山人が毎日通る道沿いに鎮座する、東京都板橋区の天祖神社。その境内には「天孫降臨の頃」より存在したという男根型の石「おしわぶきさま」が祀られている。それは柳田國男の「石神問答」で指摘された、古代より東日本に広がっている「石神」である。そこからそう遠くない、練馬区石神井の石神井神社には「神代以前の石剣」を御神体とする石神井神社があるが、この石神井という地名も「石神」信仰に由来するものという。そして、各地に残る石神信仰のルーツを遡って行くと、諏訪の土着神「ミシャグジ神」の信仰へと辿り着く。それは、精霊崇拝的な原始信仰であり、近代以前は「神長官(じんちょうがん)」の役職を世襲する守矢家がその祭祀を司った。諏訪には、記紀神話とは異なる神話も伝わっており、守矢家は、皇室と同等の古さを誇る家だという。そのような原初的な信仰を伝える諏訪の祭祀には、串刺しにした兎や、鹿の生首を大量に供える血生臭いものもあり、諏訪大社は、仏教の教理に基づき建前上肉食禁止であった中世の日本において、狩猟と肉食の許可状を発行する唯一の神社でもあった。諏訪は、縄文文化が栄えた地でもあるが、諏訪大社の狩猟との関連は、狩猟が盛んだった縄文由来のものとも言われる。「平地」とは異なる「山」の原初的信仰と、そのセンターである諏訪について考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
- ヨガで「解脱」の鍵とされる蛇の女神が、軍荼利明王を経て、果ては剣の軍神へと
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション0
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ストーリー0
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第一弾は、市街地の北東、東京都、神奈川県との境近くの山中に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)。祭神は日本武尊で、その東征の帰り道、草薙の剣を神の宿る剣として祀ったとされるが、創建は平安中期で、社名から密教の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った、修験道の聖地であったことは明らかだ。明王とは、仏道に導き難い者を力ずくで帰依させる存在で、多くは憤怒の表情、逆立った髪、何本もの手に武器を持つという、恐ろしい姿を取る。そのルーツは、古代インドで鬼や悪魔に相当する夜叉や修羅だが、軍荼利明王の場合は、クンダリーニという蛇の女神が起源である。ヨガにおいては、性器と肛門の間にある、最も下部のチャクラに宿っており、クンダリーニを覚醒させ、脊髄を上昇させて、その途上にあるチャクラを開いていき、頭頂に至る事によって「解脱」できるとされている。それが伝播の過程で男性となったのが、現在の軍荼利明王である。しかし、そうした遠い起源は忘れられ、ここでは軍神として崇拝されている。明治の神仏分離により、明王とも切り離されたが、剣を奉納する信仰は続いている。神格の変遷と土着化する信仰というものについて考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾 パワースポット見直し論(特別対談)
- 神社の祭神は「パワー」溢れる古の人々 それを目指して自ら「パワー」を発するべし
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
近年各地の神社が「パワースポット」として注目を浴び、それを目的として老若男女が参拝している。場所によっては、連日人が押し寄せ、縁結びや運気向上を願っている。あるいは「パワー」を得る為、境内の石に手を当てているような光景もまま見られる。こうした事は、近代以前からあり、神社信仰、文化の一側面ではある。しかし、それに偏重し、それをもって神社の主体のように思うのはいかがなものであろうか。神社に祀られる神々の多くは、過去実在した人物である。百社巡礼でも何度か取り上げた菅原道真公や安倍晴明公はもちろんの事、各地に祀られる氏族の祖神や開拓の祖神もそうであるし、天照大神ですらも実在の人間とする神道家もいる。そうした過去実在した人々は、皆、抜きん出た「パワー」に溢れた人々であり、だからこそ後世に語り継がれる実績を残し、神として祀られて来たのである。鬼や邪神とされた「まつろわぬ民」であっても、時代の趨勢によって敗者となっただけで、同じことである。彼らは皆、時代時代を精一杯生きて、何らかの大きな結果を出したのだ。今を生きる我々は、彼らを祀る神社でただ「パワー」を貰おうとするのではなく、彼らを畏怖し、目標として、自らも「パワー」溢れる存在となり、精一杯生きて行く必要があるのではなかろうか。神社における「パワー」の意義を再考。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
- 太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
兵庫県北部の豊岡市に、城下町・出石がある。出石藩主・仙石氏は、信州からの移封の際、そばを持ち込み、それが現在の名物・出石皿そばのルーツとなっている。桂小五郎が潜伏した住居や、新島八重の前夫・川崎尚之助の生家など、幕末の歴史に関わる史跡もある。そんな出石の街から外れたところに、但馬国一宮・出石神社が鎮座する。その祭神・天日槍命(アメノヒボコノミコト)は、古事記や日本書紀、播磨国風土記に神話が掲載されている。新羅にて、太陽光を女陰に受け、妊娠して赤い玉を産んだ女性がおり、新羅の王子である天日槍命がその赤玉を入手して、自邸に置いておいたところ、姫の姿になったので、これを妻とした。しかしある時、天日槍命と姫は喧嘩して、姫は祖国へ帰ってしまう。その祖国こそ、日本であった。姫は大阪あたりまで逃げ、天日槍命はこれを追うが追い切れず、結局但馬に土着したという。あるいは、天日槍命は出雲の大国主命と争い、播磨は大国主命、但馬は天日槍命が治めることになったという。また、その子孫からは、天皇の命で不老不死の果実を探し求めた田道間守(タジマモリ)が出ている。太陽光による懐妊、赤玉から生まれる姫、渡来する新羅王子といった、謎に満ちた神話の向こうに、古代における朝鮮と日本、父権社会と母権社会といったものの結節点を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾八 群馬と愛知 羊をめぐる神社の不思議
- 日本に二社のみ存在する「羊神社」 和銅と「まつろわぬ民」のミステリー
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
群馬県東部の安中市に「羊神社」がある。集落の外れにある小さな神社ではあるが、境内には狛犬と別に「狛羊」もあり、干支にちなんで未年には多くの参拝者が訪れる。その名は「羊太夫」に由来する。羊太夫は、秩父で日本初の銅を見つけ、その功績により、上野国に新設された多胡郡を朝廷より与えられたという。「羊」という人物に多胡郡を与えたことは、「続日本紀」や、羊神社より少し離れた高崎市内に残る「多胡碑」(日本三碑の一つに数えられる古代の石碑)にも刻まれている。伝説によれば、羊太夫には八束脛(やつかはぎ)という神通力を持つ従者がおり、その力で空を飛んで、毎日都へ上り、参内していたという。しかし、あるとき好奇心に駆られて、羊太夫が八束脛の腋の羽を抜いてしまうと、空を飛べなくなり、参内出来なくなってしまう。その為、朝敵として討たれてしまったといわれる。一方、八束脛は金色の蝶に化身して飛び去り、群馬県最北部の水上にある、八束脛洞窟に住んだという。そこには八束脛を祀る祠が建つが、弥生時代の遺跡も発掘されている。また遠く離れた名古屋市には、羊太夫が都へ上る途中で立ち寄ったという場所に、同じく「羊神社」が建つ。未年にちなんだ神社のミステリーを探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾九 岩手・衣川 命懸けで詠む歌の真髄
- 黄金都市・平泉の前身、衣川 戦人も詠む「和歌」とは何か?「まつろわぬ」芸術論!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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中尊寺金色堂を抱え、「黄金の国ジパング」の由来ともなった平泉。奥州藤原氏が開いた、京にも匹敵するこの一大都市の北を、衣川という北上川の支流が流れている。その合流点近くには、芭蕉の「奥の細道」でも有名な、源義経最後の地・衣川館(高館義経堂)があるが、古くはこの衣川こそが朝廷の勢力圏と蝦夷の勢力圏の境界であった。そして、流域に広がる旧衣川村(現奥州市)には、奥州藤原氏のルーツである、安倍氏累代の拠点・安倍館があったと伝えられる。元々朝廷の武士であった藤原経清は、安倍氏と婚姻関係を結び、朝廷から派遣された源氏と、安倍氏の側に立って前九年の役を戦ったが、最終的には滅ぼされる。が、数奇な運命を経て、後三年の役の末に奥羽の覇権を握ったのが、経清と安倍氏の娘との子であり、奥州藤原氏初代の清衡である。衣川は平泉のルーツなのだ。安倍館の近くには、安倍氏の守護神・アラハバキ神(其の二「宮城・秋田古代東北のまつろわぬ信仰」参照)を巨石に祀った神社が建ち、前九年の役の古戦場も残る。そこで、源義家は、戦いながら歌を詠み、安倍貞任はそれに返したという。捕縛され都に送られた安倍宗任も、蝦夷と小馬鹿にする貴族相手に歌を詠み、教養を示したという。命懸けの局面ですら詠まれる「和歌」とは一体何なのか。その真髄を読み解く驚天動地の芸術論!
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾 不撓不屈!! 神代より続く紀伊の精神
- 神代より現代まで続く紀氏の祭祀と、驚くべき紀伊の「まつろわぬ」不屈の精神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
和歌山市の日前・國懸神宮(ひのくま・くにかかすじんぐう)は、紀伊一宮。天照大神の天の岩戸隠れの際に作られた三種の神器の一つ・八咫鏡(やたのかがみ)に先立って作られた二枚の鏡を祀るとされ、日本書紀にも載る、非常に古く格式の高い神社である。その祭祀は、土佐日記の作者・紀貫之を輩出した古代豪族・紀氏により、神代より今に至るまで続けられている。その境内にある中言神社(なかごとじんじゃ)に祀られる名草姫命(なぐさひめのみこと)は、紀氏の祖神の一柱であるが、地元には、名草姫命は日本書紀において神武天皇に逆らい討たれたという、当地の首領・名草戸畔(なぐさとべ)のこととする伝承がある。「名草」とは、紀三井寺の建つ名草山に見られるように、当地の古名であり、「戸畔」とは、女性シャーマンを意味するという。名草戸畔は、討たれた後に首、胴、足の三つに分断されて葬られたとされ、それぞれの地に神社が建っている。頭を葬った地、海南市の小野田には宇賀部神社(うがべじんじゃ)が建つが、その地の名を負う小野田家からは、第二次大戦中フィリピンに赴き、三十年近く潜伏して帰還した、小野田寛郎(ひろお)氏が出ている。古代から現代へ続く紀州の「まつろわぬ」系譜を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾六 徳島の山間 高知の秘境 四国の猫神様
- 「犬神」だけではなかった!四国の山間に鎮まる「猫神」の神社とその伝承を訪ねて
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ストーリー0
「犬神」で知られる四国だが、「猫神」を祭る神社もある。徳島県阿南市の「お松大権現」もその一つ。江戸時代、当地の庄屋・惣兵衛が、近在の富豪・野上三左衛門から金を借り、不作で困窮する村を救った。その後借金は返済するが、証文を取りそびれたまま惣兵衛は病死する。惣兵衛の妻・お松は、何度も証文を請求するが受け取れず、逆に未返済だと偽られ、担保の土地も取られてしまう。お松は奉行所に訴え出るが、奉行も富豪に買収され、下された裁きは不当だった。意を決したお松は、藩主に直訴、その罪により処刑される。残された愛猫・三毛は、化け猫となって三左衛門と奉行の家に現れ、両家は断絶、仇を討った。そのお松を村人が祀ったのが「お松大権現」だという。仇討ちの成功譚から、勝負や受験の神として信仰され、境内には夥しい招き猫が奉納されている。また、高知県南西部、足摺岬近くにも関わらず、全く海に接していない内陸の三原村には「猫神様」が祀られている。戦国時代、土佐南西部を治めた一条氏の姫君・椿姫の屋敷が当地にあったが、姫が何者かにさらわれ、姫の乳母や飼い猫も姫を探したが見つからず、乳母は滝に身を投げて自殺、猫も何も食べず衰えて死んだので、里人達が祠を造って祀ったという。猫神様は喘息や胸の病に霊験があると言われる。四国山間の「猫神信仰」を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾壱 アイヌ神話と習合する最北の神社
- アイヌ神話の英雄「オキクルミ」と習合する最北端・宗谷岬や聖地・二風谷の神社
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価0
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ナレーション0
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ストーリー0
日本最北端、空気の澄んだ日には樺太(サハリン)をも望む、北海道稚内市の宗谷岬。そのわずか数キロ南西に、宗谷の集落がある。ほぼ最北の集落と言って良いこの地は、古くから和人も入り、天明元年に建てられたという当地の宗谷厳島神社には、江戸時代の鳥居が残されている。この神社は、当然ながら和人が勧請したものであるが、アイヌの伝説も伝わっている。当地のアイヌのメノコ(娘)が、父の眼病の回復を祈って宗谷厳島神社でお百度参りを行い、弁財天の夢告により泉を探し当て、その泉の水で父が眼を洗うと、たちまち回復した。その泉の霊験は広く知られ、アイヌ、和人を問わず、水を求めて集まって来たという。その「カネクロサワの清水」は、今も海岸近くの国道脇に存在する。メノコの名前「オキミルク」は、アイヌ神話の英雄「オキクルミ」と酷似しており、それがルーツと見られる。「オキクルミ」は、人々に文化をもたらしたと言われており、現在もアイヌコタンとして知られる日高・平取町の二風谷には、彼が降臨したというハヨピラという崖がある。江戸時代、新井白石はこれを平泉を脱出した源義経と見て、近藤重蔵は義経の像を作らせ、アイヌに神として祀らせた。それはやがて、今もハヨピラに鎮座する義経神社となる。アイヌ神話と習合した、最北の神社の縁起を紐解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価3
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ナレーション3
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ストーリー3
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾八 大阪・阿倍野 白狐が生んだ安倍晴明
- 白狐の化身の女性が通い、安倍晴明が生まれた、豪族・阿部氏の根拠地、大阪・阿倍野
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
稀代の陰陽師・安倍晴明ゆかりの地と言えば、京都の晴明神社や一条戻橋が有名だが、大阪・阿倍野の安倍晴明神社も欠かせない。安倍晴明という占術の大家を祭神とし、「拝み屋」文化の盛んな大阪だけあって、境内の占いコーナーで東洋・西洋の占い師が日替わりで相談に乗ってくれるこの神社は、晴明出生の地に祀られたものだが、そもそも阿倍野という地名は、古代豪族阿部氏の根拠地であったことに由来する。そして、当地に住んでいた安倍保名(やすな)が、「信太の森」で白狐を助け、その狐が化けた「葛の葉」という女性が保名の元へ通い、やがて生まれたのが晴明という伝説がある。正体を知られた葛の葉は「恋しければ信太の森まで訪ねて来い」という歌を残して去り、保名と晴明が訪ねたところ、葛の葉が現れて、神秘的な力を持った霊宝を授けたという。この伝説は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材ともなっているが、阿倍野からいくらか南に離れた和泉市に信太森葛葉稲荷神社が建ち、伝承地となっている。また、安倍晴明神社の隣に建つ阿倍王子神社は、熊野参詣路の九十九王子の一つで、信太も熊野参詣路の途上にあった。人と物とが行き交う街道筋に、異能者の異常出生譚の背景を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾七 吉備から大和へ 物部の司る石上神宮の遷座
- 神事と軍事を司る物部氏が神剣の神霊を祀る石上神宮は、吉備より遷されたものだった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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総合評価4
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ナレーション4
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ストーリー4
奈良県天理市の石上神宮は、大和朝廷に重んぜられた、極めて古い歴史を誇る神社である。主祭神は、天孫降臨前の国津神の平定や神武東征で使われた、神剣・布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされ、その祭祀は、神事と軍事を司る物部氏が行っていた。明治に禁足地を調査したところ、古代の七支刀が発見された事でも知られる。祭神の一柱には、スサノオノミコトが八岐大蛇を斬った剣も含まれているのだが、一方で、日本書紀には八岐大蛇を斬った剣は吉備にあると書かれ、古語拾遺には後に石上神宮へ遷されたとある。その吉備の、剣があったという場所に建つのが、岡山県赤磐市の石上布都魂神社である。この神社の社伝によれば、八岐大蛇を斬ったその剣こそが、布都御魂剣という。岡山県の山間部に鎮座するこの神社は、山の麓に建つが、かつては山頂に社殿が営まれ、今もそこには大きな磐座がある。そこは石上神宮と同じく、禁足地となっている。神社の宮司は、今も物部姓だ。この近くには、弓削という地名もある。弓削の名が付く地名は全国にいくらかあり、それは道鏡を輩出したことで有名な古代の氏族・弓削氏の住んだ場所であるが、弓削氏とはその名の通り武器製作を生業とした民で、物部氏の一派であった。神話に遡る石上の信仰と、磐座の祭祀。古の人々が重視した「石」の意味に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価1
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ナレーション1
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ストーリー1
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
添付ファイルもない。
話はきょうみはあるが…
写真が見らないからなんのこっちや?
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