
高橋御山人の百社巡礼/其之六拾弐 新潟・上越 盲目の旅芸人「瞽女」の足跡
姿を消した盲目の旅芸人「瞽女」、上越に「忘れられた日本人」の幽き姿を求め歩く
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高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
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ストーリー
富山市郊外に鎮座する鵜坂神社は、二千年の昔、崇神天皇の頃、四道将軍の一人大彦命によって建てられたと伝わり、六国史や延喜式にも載る、「越の大社」と言われた古社である。越中国司時代に大伴家持も参拝し、近くの神通川で鵜飼を鑑賞、万葉集に歌も残している。行基が二十四堂伽藍を建立、白鳳期には真言宗鵜坂寺も建てられ、源義仲の挙兵により一時焼失するも、源頼朝が再建、明治の神仏分離まで神宮寺として栄えた。こうした長い歴史を持つ神社であるが、特筆すべきは、平安時代から行われていたという特殊神事「尻打祭」である。これは、女が一年の内に会った男の数を申告し、神主がその数だけ榊で女の尻を打つというものであった。元々は、正月に七草粥を炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという、公家の遊びが伝わったものだったが、鎌倉時代には、既に女の性の乱れを戒める趣旨であったという。「尻打祭」は「日本五大奇祭」の一つに数えられ、平安歌人・源俊頼や、松尾芭蕉がこの神事を詠んでいる。しかし、この行事は近代社会には馴染みにくく、明治以降は雌馬で行われるようになり、第二次大戦以後は途絶えた。けれども、近代的観念と相容れない、「SM」すら彷彿とさせるこのような行事にこそ、神事の真髄が垣間見えるのである。奇祭の向こうに「近代的常識」の揺らぎを見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
- 太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
-
総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
兵庫県北部の豊岡市に、城下町・出石がある。出石藩主・仙石氏は、信州からの移封の際、そばを持ち込み、それが現在の名物・出石皿そばのルーツとなっている。桂小五郎が潜伏した住居や、新島八重の前夫・川崎尚之助の生家など、幕末の歴史に関わる史跡もある。そんな出石の街から外れたところに、但馬国一宮・出石神社が鎮座する。その祭神・天日槍命(アメノヒボコノミコト)は、古事記や日本書紀、播磨国風土記に神話が掲載されている。新羅にて、太陽光を女陰に受け、妊娠して赤い玉を産んだ女性がおり、新羅の王子である天日槍命がその赤玉を入手して、自邸に置いておいたところ、姫の姿になったので、これを妻とした。しかしある時、天日槍命と姫は喧嘩して、姫は祖国へ帰ってしまう。その祖国こそ、日本であった。姫は大阪あたりまで逃げ、天日槍命はこれを追うが追い切れず、結局但馬に土着したという。あるいは、天日槍命は出雲の大国主命と争い、播磨は大国主命、但馬は天日槍命が治めることになったという。また、その子孫からは、天皇の命で不老不死の果実を探し求めた田道間守(タジマモリ)が出ている。太陽光による懐妊、赤玉から生まれる姫、渡来する新羅王子といった、謎に満ちた神話の向こうに、古代における朝鮮と日本、父権社会と母権社会といったものの結節点を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾九 西宮から淡路へ 漂泊の傀儡のえびす鎮めの旅
- 淡路人形浄瑠璃のルーツは、西宮のえびす様を鎮める漂泊の民「傀儡」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
兵庫県の淡路島には、国の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃が伝わっていて、今も上演されている。その歴史は古く、五百年以上に及び、人形遣い達が住んだ三條集落には、彼らが崇めるえびす神の神社が建つ。諸国を巡る人形遣い達は、ここで巡業地の割り振りを決め、その安全と成功を祈った。そのルーツを遡ると、兵庫県本土の西宮神社に行き着く。伝承によれば、西宮に漂着し祀られたえびす神が、荒ぶり災厄をもたらしたので、その心を慰める為に行ったのが発祥とされる。日本には、古代から諸国を巡り人形芸を行う「傀儡(くぐつ)」という漂泊、放浪の民がいた。彼らは剣舞や奇術等、様々な芸能の他、狩猟などでも生計を立て、女性の場合は遊女を兼ねることもあった。公家や武家に庇護されることもあり、傀儡が歌った歌は、後白河法皇の「梁塵秘抄」にも記録されている。彼らは古くから西宮神社の周辺を本拠地とし、神社の雑役を行いつつ、諸国を巡って、えびす神の人形劇を行い、全国にえびす神と西宮神社の神徳を広めた。いつしか西宮から傀儡達は去ってしまったが、その業は、今も淡路人形浄瑠璃や、大阪の文楽に受け継がれている。伝統芸能の奥に潜む、神社と神道の深層を掘り下げる語らい。
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はいはいはいはいはいとはいが多すぎる
- 投稿者: Prima 日付: 2022/08/30
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾六 東京にも残る古代の石神信仰 ルーツは諏訪に
- 東日本に残る古代信仰「石神」、その根源は諏訪の「ミシャグジ神」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
-
総合評価
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ナレーション
-
ストーリー
高橋御山人が毎日通る道沿いに鎮座する、東京都板橋区の天祖神社。その境内には「天孫降臨の頃」より存在したという男根型の石「おしわぶきさま」が祀られている。それは柳田國男の「石神問答」で指摘された、古代より東日本に広がっている「石神」である。そこからそう遠くない、練馬区石神井の石神井神社には「神代以前の石剣」を御神体とする石神井神社があるが、この石神井という地名も「石神」信仰に由来するものという。そして、各地に残る石神信仰のルーツを遡って行くと、諏訪の土着神「ミシャグジ神」の信仰へと辿り着く。それは、精霊崇拝的な原始信仰であり、近代以前は「神長官(じんちょうがん)」の役職を世襲する守矢家がその祭祀を司った。諏訪には、記紀神話とは異なる神話も伝わっており、守矢家は、皇室と同等の古さを誇る家だという。そのような原初的な信仰を伝える諏訪の祭祀には、串刺しにした兎や、鹿の生首を大量に供える血生臭いものもあり、諏訪大社は、仏教の教理に基づき建前上肉食禁止であった中世の日本において、狩猟と肉食の許可状を発行する唯一の神社でもあった。諏訪は、縄文文化が栄えた地でもあるが、諏訪大社の狩猟との関連は、狩猟が盛んだった縄文由来のものとも言われる。「平地」とは異なる「山」の原初的信仰と、そのセンターである諏訪について考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾四 新潟・粟島 離島という「独立小国家」
- 様々な氏族が興亡し、役割分担をして来た粟島は、今も我が道を往く「小国家」
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
新潟県北東、佐渡よりもさらに北の海に浮かぶ粟島。一島一村の粟島浦村に帰属し、独自に発電所も所有する。佐渡と同じく、西海岸は日本海の荒波に削られ、断崖絶壁の奇観を成し、初夏には岩ゆりで彩られる。歴史も古く、縄文遺跡が残り、万葉集には粟島を詠んだ歌が残っている。東海岸、島の中心集落・内浦の八所神社は、島の総鎮守と言えるが、その祭神は古代から天皇の守護神として宮中で祀られて来た「宮中八神」であり、歴史の古さの窺わせる。伝承によれば、最初に島に住んでいたのは蝦夷であった。9世紀初め頃には北部九州から松浦家がやって来て、内浦にて共存したという。やがて越前より本保家が渡って来ると、蝦夷と松浦家は西海岸に追いやられた。その後蝦夷は滅亡する。それから様々な変遷を経て、政治面を担う本保家、財政面を担う脇川家、学問面を担う神丸家と、各氏族が役割分担して島を統治して来た。このように、一つの島にあって、様々な氏族があるいは争い、あるいは共存して興亡する様は、一国の歴史を見るようでもある。本土と隔絶した自然が、こうした独自の歴史と文化を育んで来たのだ。常識をはるかに超越したゆるキャラ「泡姫ちゃん」など、現代の粟島にも、その独自性、独立性を見る事が出来る。離島というメインストリームに「まつろわぬ」存在を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾五 茨城・行方 有角蛇・夜刀神 物語に生きる魂
- 常陸国風土記の「まつろわぬ」角のある蛇・夜刀神 「物語化」によって魂を語り継ぐ
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
-
総合評価
-
ナレーション
-
ストーリー
霞ヶ浦と北浦に挟まれた、茨城県南部の行方市。古より行方郡と呼ばれ、常陸国風土記にも、沢山の物語が掲載されている地である。その一つに「夜刀神」の物語がある。継体天皇の時代、箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)が、谷あいの土地を開墾し田としようとしたところ、頭に角のある蛇「夜刀神(やとのかみ)」が沢山現れ、妨害した。そこで麻多智は夜刀神を打ち殺して追い払った。そして山と田との境界の堀に杖を立て、山を夜刀神の土地、田を人の土地とすることを宣言し、麻多智が子々孫々神として祭ることとした。さらに、孝徳天皇の時代、壬生連麿(みぶのむらじまろ)が、この谷の池に堤を築こうとした時には、池のほとりの椎の木の上に夜刀神が群がって登り、去ろうとしなかったので、壬生連麿が工事で使役していた人々に打ち殺すよう命ずると、逃げ隠れた。このような話が書かれている。麻多智が神を祭った場所は、行方市玉造の愛宕神社と言われており、その手前に湧く泉が、壬生連麿が堤を築こうとした「椎井の池」だという。謎多き夜刀神の伝承であるが、同じ風土記の行方郡の記事には、数多くの「まつろわぬ民」が登場し、彼らとの関係が窺われる。また、彼らを討つ日本武尊の記述も多いが、風土記では日本武尊を「天皇」としている。物語に託された古の人々の魂を読み解く。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾四 越中富山 女の尻に鞭打つ神事
- SMは神事だった?! 松尾芭蕉も油断した?! 「越の大社」は女の尻に鞭を打つ!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾弐 兵庫・出石 太陽光妊娠と新羅の王子
- 太陽光で妊娠して生まれた赤玉の化身の姫を追い、新羅王子・天日槍命が渡来する神話
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
兵庫県北部の豊岡市に、城下町・出石がある。出石藩主・仙石氏は、信州からの移封の際、そばを持ち込み、それが現在の名物・出石皿そばのルーツとなっている。桂小五郎が潜伏した住居や、新島八重の前夫・川崎尚之助の生家など、幕末の歴史に関わる史跡もある。そんな出石の街から外れたところに、但馬国一宮・出石神社が鎮座する。その祭神・天日槍命(アメノヒボコノミコト)は、古事記や日本書紀、播磨国風土記に神話が掲載されている。新羅にて、太陽光を女陰に受け、妊娠して赤い玉を産んだ女性がおり、新羅の王子である天日槍命がその赤玉を入手して、自邸に置いておいたところ、姫の姿になったので、これを妻とした。しかしある時、天日槍命と姫は喧嘩して、姫は祖国へ帰ってしまう。その祖国こそ、日本であった。姫は大阪あたりまで逃げ、天日槍命はこれを追うが追い切れず、結局但馬に土着したという。あるいは、天日槍命は出雲の大国主命と争い、播磨は大国主命、但馬は天日槍命が治めることになったという。また、その子孫からは、天皇の命で不老不死の果実を探し求めた田道間守(タジマモリ)が出ている。太陽光による懐妊、赤玉から生まれる姫、渡来する新羅王子といった、謎に満ちた神話の向こうに、古代における朝鮮と日本、父権社会と母権社会といったものの結節点を読み解く。
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾九 西宮から淡路へ 漂泊の傀儡のえびす鎮めの旅
- 淡路人形浄瑠璃のルーツは、西宮のえびす様を鎮める漂泊の民「傀儡」にあった
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
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ストーリー
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ストーリー
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著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四 山形・秋田県境 鳥海山の荒ぶる「物忌」の神
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
東北の日本海側に聳える二千メートル級の独立峰・鳥海山。 その神を祀る、ただならぬ名を持つ大物忌神社は、 出羽国一の宮であり、古くから朝廷に重んぜられて来た。 そこには、一体どんな背景があるのか。 ○鳥海山は、度々噴火を繰り返して来た活火山であった ○出羽の蝦夷は屈強で、なかなか朝廷に従わなかった ○火山と蝦夷、これら「荒ぶる」存在を鎮めるという意図があった ○手長足長という、「まつろわぬ民」を彷彿とさせる妖怪の伝承も 手長足長という妖怪は、羽前・羽後国境の有耶無耶関にあって人々を悩ませ、 大物忌神が天より火を降らせて滅ぼしたとも、慈覚大師が法力で退治したともいう。 この関を越えて行った松尾芭蕉は、松島と同じような象潟の風景に魅せられた。 多数の小島が浮かぶ象潟は、鳥海山の噴火に伴う地震によって隆起して陸地となった。 このほか、周辺の土地には、いくつもの注目すべき史跡や伝承がある。 ●麓の沿岸には、「なまはげ」で有名な男鹿と対になる、女鹿という地名がある ●女鹿の近くには、荒磯に刻まれた巨大な石仏群、羅漢岩が立ち並ぶ ●沖に浮かぶ飛島は、鳥海山の頭が飛んで行って出来たと伝わる ●その飛島には、小物忌神社が建ち、蝦夷が住んだという人骨の見つかった洞穴もある 万年雪の斜面を踏み越え、荒ぶる神の住む山に挑み、 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾五 鳥取・八頭 白兎神話異伝と「習合」文化
- もう一つの「因幡の白兎」神話が伝わる八頭町は、今も昔も「習合」文化の町
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
-
総合評価
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ナレーション
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ストーリー
鳥取県南東部の八頭町には、古事記の「因幡の白兎」神話とは異なる白兎神話が伝わっている。神代、近隣の霊石山に天照大神が降臨し、どこからともなく現れた白兎の導きで、仮宮にふさわしい場所に着いたというもの。白兎は気が付いたら姿を消していたが、実はこの白兎こそ、天照大神の弟・月読神の化身だった。そこで、八頭町の中心地である郡家(こおげ)周辺数村では、月読神を道祖白兎大明神と称し、氏神として崇めたという。郡家という地名の通り、古代には朝廷の郡衙(ぐんが)があった場所で、その遺跡や白鳳時代の廃寺跡も発見されている。このあたりには今も白兎神社が数社点在しているが、その総鎮守であった神社は、明治の神社合祀で近隣の神社に一度合祀されている。一方立派であった社殿は惜しまれ、近くの成田山青龍寺に引き取られた。そのため、本堂内に社殿を安置し、その中に本尊を祀るという、特異な寺院になっている。近隣には、寺院の境内に残っている白兎神社もあり、当地の白兎信仰は、神仏習合、分離、神社合祀などの影響を強く受けている事が分かる。町内には隼神社という神社もあるが、神社に由来する隼の地名と、隼という駅もあり、その駅は鉄道とバイクと「萌え」が混在する、現代における「習合」が現在進行形で見られる場所である。白兎神話の町に「習合」文化の精髄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之三 秋田・男鹿 なまはげが山から海からやって来る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- 完全版
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ナレーション
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ストーリー
前回に引き続いて、御山人が青春18きっぷを使い行った一人大学卒業旅行。 その最終到達地は、日本海に突き出た、秋田県・男鹿半島。 この地に伝わる「なまはげ」を求めて、半島中心部の山間にある真山神社を訪ねる。 併設の伝承館では「なまはげ」来訪の実演も行われる真山神社には、 こんな習俗と伝承がある。 ○祭礼の日、山から「なまはげ」が降りて来る ○「なまはげ」は家々を訪れ、怠け者を責めて暴れ回る ○一方では、五穀豊穣、家内安全などの福や富をもたらす「神の使い」でもある ○ゆえに、真山神社の鬼には角がない しかしこれは、あくまでも真山神社の「なまはげ」の話。 男鹿半島一帯に伝わる「なまはげ」は、場所によって言い伝えや姿も異なる。 特に注目すべきなのが、半島南西部沿岸の赤神神社。 ここにはまた別の伝承がある。 ●漢の武帝が、海の彼方より五匹のこうもりを連れて来た ●そのこうもりが鬼となり、村を荒らし回る ●困った村人は鬼らと賭けをし、知略によって退散させる ●赤神神社の五社堂はその鬼らを祀り、これが「なまはげ」の起源という 「なまはげ」のような来訪神とは何なのか?古代における「未知との遭遇」とは?卒業式前日、自らマレビトと化して追う、彼方より寄り来る「異類」たちの足跡。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾四 飛騨・美濃の異形の宿儺 魔か神か
- 古代の飛騨・美濃に現れた両面四手四足の超人!円空も彫った両面宿儺は悪魔か神か!?
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
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- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
岐阜県の飛騨・美濃両地域の神社仏閣に、「両面宿儺(りょうめんすくな)」の伝説がある。彼は、二つの顔に、各四本の手足を持つ超人で、日本書紀にも仁徳朝の飛騨に現れたと書かれている。書紀では、人民を害し、朝廷に従わず討たれたとされ、岐阜県内の神社においても、書紀に近い伝承を伝える事が多い。一方、県内の寺院においては、善政を施した豪族や、龍を討った英雄、観音の化身などとして語られる。最も有名な伝承地は、円空作の宿儺像が残る、高山市東部、丹生川の千光寺だ。丹生川の北アルプスの麓には、宿儺が出現したという洞窟もある。高山市街、日本三大夜祭・高山祭で有名な桜山八幡宮他、美濃から丹生川へ至るルート沿いには、朝廷軍の進軍を伝える八社の八幡神社が鎮座する。高山市南部の飛騨一宮・水無神社には驚くべき伝承がある。ここでは「七儺(しちな)」という女の龍を宿儺が討ったとされているが、中世の記録によれば、水無神社の神体山・位山に宿儺が降臨し、神武天皇に皇位を授けたという。位山は、古代の祭祀遺構である巨石が数多く存在し、飛騨こそ大和以前の皇室のルーツだとする「異端」の説もある。「堕落論」で有名な坂口安吾氏も、宿儺や「飛騨王朝説」について調査し著述している。聖俗の交錯する異形の超人伝承の謎に挑む。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾弐 「佐賀」発祥地 女神の祟りを鎮める賢い女達
- 巨石に宿る、荒ぶる女神の祟りを、土蜘蛛の「賢い」女達が鎮めた、「佐賀」の由来
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
佐賀市の北の郊外に鎮座する與止日女神社(よどひめじんじゃ)は、肥前一宮。嘉瀬川畔、肥前国府の近くに建ち、現存する五風土記の一書「肥前国風土記」にも登場する古社だ。風土記によれば、嘉瀬川の上流に荒ぶる神がおり、往来の人の半分を生かし、半分は殺していた。そこで領主が占いで神意を問うたところ、土蜘蛛(記紀や風土記に登場する、朝廷に反逆的な「まつろわぬ民」)の大山田女(おおやまだめ)と狭山田女(さやまだめ)が、埴輪のような土の人形・馬形を神に捧げれば、祟りは鎮まると告げた。その通りにしたら祟りが鎮まったので、領主は彼女達を「さかしい(=賢い)女」だと誉めた。それが「佐賀」という地名の由来だという。また風土記には、川上に石神がおり、毎年海の神たるワニ(サメまたはナマズとされる)と小魚たちが遡上して来るが、捕って食べると死ぬことがある、とも書かれている。そして、現代のこの地域を見てみると、土蜘蛛の女性達の名を残す「東山田」という地名があり、嘉瀬川上流には「肥前大和巨石パーク」と名付けられた古くから信仰される巨石群があり、ナマズを食べないという風習がある。人の往来が激しく、先進文化が押し寄せる、近代を開いた佐賀という地の特性を古代に見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五拾七 山梨・上野原 「異界の民」が神輿を担ぐ
- 「ヤンキー」と「自宅警備員」の「百鬼夜行」!神社が結ぶ土着民と異界民の邂逅
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
平成二十七年九月、本対談の聞き役・盛池雄峰が居を構える、山梨県の東端・上野原市中心部の牛倉神社で、例祭が行われ、高橋御山人も参加した。例祭は、市内を巡る勇壮な神輿で知られるが、盛池雄峰の居住地の町内では、過疎化・高齢化もあって、神輿の担ぎ手が不足しており、毎年近隣の東京都八王子市から、多くの若者も含めた担ぎ手がやって来る。神輿というものは、比叡山延暦寺の僧兵や、日吉神社の神人などによる強訴に使われ、千年近い昔から「荒々しい」側面も強いが、当神社の神輿も少なからずそうである。そして、僧兵や神人の如く、担ぎ手にも「荒々しい」者が少なくない。多くの祭に付き物の、見るからに荒々しい「ヤンキー系」の人々もいれば、見た目はそうでなくとも、僧兵や神人の如く「社会の不穏分子」となり得る「自宅警備員」など、地元の人々からすれば異様な面々である。妖怪達の「百鬼夜行」のモデルは、このようなものに違いない。だが、そうした「異類」達が、必要とされ、活躍する。神社や祭というものは、古より、そのような社会の結節点としての役割があった。当神社の祭神たる牛頭天王も、外より来る「来訪神」だが、それは、こうした「異類」達の遠い先祖である。大都市八王子から数駅にして、過疎化の進む上野原、そこに新たなる神事として再浮上する、古き類型を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其の一 大阪・枚方 渡来人の地に眠るまつろわぬ民
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 40 分
- 完全版
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ナレーション
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ストーリー
大阪府北東部、枚方市。 京都にも程近いこの土地は、 古代、渡来人達が根を下ろした土地だった。 その名残を留めるのが、市内の神社仏閣や遺跡。 ○滅亡した百済の王族を祀る、百済王神社。 ○広大な敷地が往時の栄華を偲ばせる、百済寺跡。 ○日本に漢字と儒教を伝えたという、王仁の墓。 ○地名からしてただならぬものが感じられる、九頭神廃寺。 そして、河内一宮・片埜神社の傍らには、 平安初期、朝廷に従わずに戦い続け、 征夷大将軍・坂上田村麻呂に討たれた、 古代東北の先住民・蝦夷の首領、アテルイの首塚が!なぜこんな場所にアテルイの首塚があるのか。 そこに秘められた謎を解き明かしていきます。 ●怨霊を鎮め、それを制御しパワーを得るという古代日本の呪術 ●これらを司るのが神社の重要な役割の一つ ●渡来人が東北で日本初の黄金を発見した ●蝦夷が鍛えた鉄の刀が日本刀のルーツ などなど、神社と古代史を巡る謎に迫ります。 語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
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雑談?
- 投稿者: まるまる36 日付: 2024/07/14
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾弐 三重・志摩 まつろわぬ別宮 伊勢の深層
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
平成25年に式年遷宮が行われた、伊勢の神宮。それが内宮・外宮より成ることは一般にも知られているが、その他に多くの別宮・摂末所管社があり、全て合わせると125社となる。由来は様々だが、その多くは、神宮創祀の際、地元の神が従って、神宮に土地の譲渡や貢納を約束する話となっている。その別宮の一つ伊雑宮が、志摩市に鎮座する。この伊雑宮は、伊勢から離れたリアス式海岸に近いという地理的条件もあって、別宮の一つでありながら、独立的傾向が強かった。明治の神仏分離を経てもなお、北極星の信仰に関わる祭祀が続けられ、江戸時代には、伊雑宮こそが神宮の発祥、中心であるという偽書の発行に関わり、幕府より弾圧を受けるという「まつろわぬ」歴史もある。そもそも伊勢とは、神話の時代に遡れば「まつろわぬ」土地だった。また、中世においても「まつろわぬ」ものの噴出する土地であった。朝廷、国家の宗教的中心地に、なぜ「まつろわぬ」要素があるのか。事象の「裏側」から見た、伊勢というものの深層を掘り下げる。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾六 徳島の山間 高知の秘境 四国の猫神様
- 「犬神」だけではなかった!四国の山間に鎮まる「猫神」の神社とその伝承を訪ねて
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 33 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
「犬神」で知られる四国だが、「猫神」を祭る神社もある。徳島県阿南市の「お松大権現」もその一つ。江戸時代、当地の庄屋・惣兵衛が、近在の富豪・野上三左衛門から金を借り、不作で困窮する村を救った。その後借金は返済するが、証文を取りそびれたまま惣兵衛は病死する。惣兵衛の妻・お松は、何度も証文を請求するが受け取れず、逆に未返済だと偽られ、担保の土地も取られてしまう。お松は奉行所に訴え出るが、奉行も富豪に買収され、下された裁きは不当だった。意を決したお松は、藩主に直訴、その罪により処刑される。残された愛猫・三毛は、化け猫となって三左衛門と奉行の家に現れ、両家は断絶、仇を討った。そのお松を村人が祀ったのが「お松大権現」だという。仇討ちの成功譚から、勝負や受験の神として信仰され、境内には夥しい招き猫が奉納されている。また、高知県南西部、足摺岬近くにも関わらず、全く海に接していない内陸の三原村には「猫神様」が祀られている。戦国時代、土佐南西部を治めた一条氏の姫君・椿姫の屋敷が当地にあったが、姫が何者かにさらわれ、姫の乳母や飼い猫も姫を探したが見つからず、乳母は滝に身を投げて自殺、猫も何も食べず衰えて死んだので、里人達が祠を造って祀ったという。猫神様は喘息や胸の病に霊験があると言われる。四国山間の「猫神信仰」を考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾九 三重・斎宮 最高位の巫女 斎王の真実
- 古、皇族女性より選ばれ、伊勢の神宮に仕えた斎王。その衝撃的な真相とは?!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ストーリー
朝廷には、かつて「斎王」という制度があった。天皇の即位に伴い、その在位中、未婚の皇族女性が最高位の巫女として、伊勢の神宮に仕えるものである。起源は、朝廷黎明期、宮中より天照大神を遷し、皇女・倭姫命が遍歴の末に伊勢に祀ったという神宮の創建伝承にあるが、歴史的に確実に遡れるのは、天武天皇の治世である。最盛期は平安時代だが、平安後期には衰退し始め、後醍醐天皇の治世を最後に断絶した。斎王は、年数回の祭典の他は、神宮の十数キロ北西に居住し、その御所は斎宮と呼ばれた。遺構は現在の三重県明和町で発見されていて、非常に広大である。その核心たる斎王の御座所のあった内院は、現在、竹神社が鎮座するあたりにあった。当神社は神宮鎮座以前から当地にあった豪族の祖神を祀り、子孫は竹連といい、斎宮は「竹の都」とも呼ばれた。斎王は、当然ながら身を清浄に保つ事が重視されたが、かといって常に厳格な暮らしをしていた訳でもない。斎宮は文学サロンとして賑わっていたし、当時の文学作品にも登場する。「伊勢物語」に至っては、在原業平と斎王のスキャンダルが仄めかされている。腐敗した斎宮頭を「神託」を通じ糾弾したせん子女王のような斎王もおり、詳細に見れば見る程、現代的な「巫女」のイメージとは異なる存在である事が分かる。古代の朝廷における神道祭祀の核心を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾壱 高知・香美 いざなぎ流に見る日本人本来の心象
- 「いざなぎ流」は本来日本人にとって「普通」のものだったと、京極夏彦氏は指摘する
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
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ストーリー
毎年高橋御山人が足を運んでいる、民間呪術「いざなぎ流」が伝わる、高知県北西部山間の物部村(現・香美市)。毎年、高知県立歴史民俗資料館が、研究ツアーを開催しているが、平成二十八年は、資料館でも「いざなぎ流の里・物部」という企画展を開き、多数のイベントを開催した。例年通りツアーも行われ、今回は、まだあまり研究の進んでいない、物部北部の上韮生(かみにろう)地域を中心に巡った。ここでは、魚を捕る為に淵に毒を流し、祟りによって山崩れが起き滅びた集落や、鍛冶屋が熱した大金槌を池に投げ入れて退治した、人々に恐れられた大蛇など、水神の伝承が目立つ。その大蛇伝説の池がある神池の集落には、かつて七堂伽藍の大寺院があったというが、現在境内に残るのは大日寺と王子神社のみである。その間の広場では、かつていざなぎ流の呪術師・太夫による「大山鎮め」の儀式が行われていた。神道、仏教、陰陽道、修験道が混ざり合っていたいざなぎ流らしさの残る場所である。その様相は現代からすれば「ガラパゴス」のように見受けられるが、かの小説家・京極夏彦氏は、それをガラパゴスと感じる方がおかしいのだと指摘する。実は今回、ツアー翌日に、香美市主催の小松和彦氏や京極夏彦氏の講演も行われ、御山人も参加したのである。「辺境の呪術」に、「日本人の本来の心象」を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之七拾八 福島・棚倉 土蜘蛛、サンカ 物語が紡ぐ明日
- 土蜘蛛の姫、日本武尊の征伐、「神」の名を冠す生き残り、サンカ。奥州一宮の物語。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
福島県南部の棚倉町に建つ都々古別神社は、陸奥国一宮。棚倉には、馬場、八槻の二ヶ所に都々古別神社があるが、どちらも奥州一宮である。奥州では、はるか北に位置する宮城県塩竈市の鹽竈神社も一宮であるが、これは時代による朝廷勢力圏変遷の影響で、当地はより古い時代の中心地であったと思われる。それを窺わせるのが、近隣の建鉾山で、古代の祭祀遺跡が発見されているが、この建鉾山こそが両都々古別神社創建の地であり、日本武尊による東征の際、ここに鉾を立てて神を祀ったとされる。陸奥国風土記逸文には、その時の様子が詳しく記されており、太古、この地には八人の首長に率いられた土蜘蛛がいたという。そのうち二人は姫の名を持つ女性であった。この土蜘蛛は強大で、朝廷側の国造を敗走させる。そこで、日本武尊が官軍とともに征伐に来るのだが、土蜘蛛は津軽の蝦夷と共謀し、砦に多数の弓を連ね張って、官軍は手を焼く。しかし日本武尊が放った八発の矢は、見事八人の首長を射抜き、それらは全て根付いて芽が生え、槻の木になった。そこでその地を八槻と呼んだという。また、八人のうち「神」の名を冠す二人は許されて(うち一人が女性)、子孫が当地に住むと書かれている。その棚倉で、御山人は偶然にも「サンカ」が営む店を発見!「今」を生きる人々にとっての古の「物語」の意味を考える。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾六 大蛇VS大ムカデ 北関東のラグナロク
- 日光男体山の神と、赤城山の神が、大蛇と大ムカデに化身して戦った、戦場ヶ原の伝説
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
世界的な観光地・日光の一角を成す戦場ヶ原。標高約1400mの高原に広がるこの湿原は、名前の通り古戦場であるが、その戦いは人と人との戦いではなく、神々の戦いである。伝説によれば、この近くの中禅寺湖を巡って、日光男体山の神が大蛇に、赤城山の神が大ムカデに化けて戦ったが、自らの子孫である弓の名手・小野猿丸の加勢により、男体山の神が勝ったという。男体山を神体山とするのは二荒山神社で、山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、東照宮に隣接して本社が建っている。一方、県境を越えた群馬県の赤城山には赤城神社があり、山頂のカルデラ湖・大沼湖畔と、南麓の三夜沢に鎮座する。また北麓の老神温泉は、戦場ヶ原で敗れた赤城山の神が、湯で傷を癒し、男体山の神を追い払ったため、「追神」と呼んだという地名由来がある。ただし、当地の伝説によれば、赤城山の神が大蛇に、男体山の神が大ムカデに化けたとされる。そもそも赤城山では大蛇信仰が強く、赤城神社の祭神は、古代、赤城山の龍神に助けられ、その後を継いだ豪族の娘・赤城姫ともされる。一方、三夜沢の赤城神社には、藤原秀郷が植えたという「俵杉」があるが、秀郷には琵琶湖・竹生島の龍神の依頼で、三上山の大ムカデを退治したという伝説がある。北関東の「ラグナロク(北欧神話における神々の最終戦争)」の謎に迫る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之六拾四 因幡の白兎と出雲国風土記 山陰のワニ神話
- 「因幡の白兎」と出雲国風土記に見る「ワニ」の神話とは?海より来るモノたちの伝承
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 31 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
鳥取市西部の白兎海岸は、神話の「因幡の白兎」の舞台となった場所である。隠岐島に住む兎が、本土に渡るため、ワニの数を数えると騙して、海にズラリと並ばせて、その上を渡るが、最後のところで騙したことを明らかにしてしまい、報復としてワニに皮をはがれたという話だ。その後、因幡の八上比売(やがみひめ)に求婚する旅の途上であった、大国主命の兄神達に騙されて傷が悪化するが、大国主命に救われて、大国主命が八上比売と結ばれることを予言する。鳥取市の南部内陸には、この八上比売を祭る売沼神社(めぬまじんじゃ)もある。中国地方では古くからサメのことをワニと呼び、広島県の三次市周辺ではその刺身などもよく食べられているが、このワニにまつわる話は、出雲国風土記でも見られる。その一つは島根県安来市の「史実」として書かれた話で、さる姫が海岸にいたところワニに食われてしまい、父が神に祈ってその復讐を果たすというもの。これは安来に伝わる「月の輪神事」の起源ともされている。もう一つは同県奥出雲町の「鬼の舌震(おにのしたぶるい)」という峡谷の伝承で、上流に住む玉日女命(たまひめのみこと)を恋い慕ったワニが上って来るが、これを嫌った玉日女命が、石で川を堰き止めたというもの。山陰の神話に伝わる、海より来るワニとは何なのか。その真相を探る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾八 高知・香南 烏の秘儀と「魔法の都」
- 全国で唯一残った「お烏喰神事」。呪術師が集う「魔法の都」。土佐の呪術の深層!!
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ストーリー
高知県の香南市に、若一王子宮という神社が鎮座する。近郷八村の総鎮守で、鎌倉~南北朝時代に、紀州熊野より勧請されたと見られている。若一王子は、若王子ともいい、熊野三山で信仰される神の一柱。この神社で特筆すべきは「お烏喰神事」である。それは、海水で禊し、結界を張った神社に籠って球形の餅を作り、深夜、祈祷した後に本殿の屋根の上に供えるというもの。すると、熊野より二羽の烏が飛来し、餅を食べて行くといい、早朝、宮司がそれを知らせる。烏は、熊野の神の使いとされ、それは三本足の「八咫烏(やたがらす)」ともされている。この神事は、熊野三山の一つ・熊野速玉大社と、京都の若王子宮の三ヶ所で行われていたが、現在では高知の若一王子宮にしか残っていない。また、近隣の赤岡には、神主や巫女、僧侶、漂泊の芸能民、大工等が住んでいたことを示す地名が残っている。その中心には、土佐特有の呪術師「博士(はかしょ)」を統率する博士頭・芦田注連太夫の屋敷があり、摩利支天を祀り中臣祓を行うという、神仏習合の呪術を司っていた。土佐北東の山間・物部村に伝わる陰陽道の色彩が濃い民間呪術「いざなぎ流(百社巡礼其之七参照)」との関係も深い。時を超え、呪術の国・土佐の深層へと降りる旅。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之八拾六 死と海と「まつろわぬ民」の熊野古道
- 浄土目指して不帰の船出する地に祀られる「まつろわぬ民」 熊野信仰の深層を探る
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
日本三名瀑の一つ・那智の滝と、熊野三山の一つ・熊野那智大社で名高い、和歌山県南部の那智勝浦町。その海岸近くに、熊野三所大神社という神社が建つ。熊野三山の主祭神・熊野三所権現を祀る為にこの名があるが、元は熊野参詣路に建てられた九十九王子の一つ・浜の宮王子であった。また、明治の神仏分離までは、隣接する補陀洛山寺と一体であった。ここは、小型の木造船に行者が乗り込んで、南海の「補陀落浄土」に向かう「補陀落渡海」が行われた寺院で、行者の死が前提の儀礼だった。三重県熊野市には社殿がなく岩窟に神を祀る花の窟神社があるが、日本書紀では大母神・イザナミノミコトの墓とされており、熊野は神代より「死」にまつわる土地である事を示している。そんな熊野という地は、元々「まつろわぬ民」の土地だった。熊野三所大神社の境内には、神武天皇の仮宮跡と、地主神「丹敷戸畔(にしきとべ)」を祀る摂社があるが、日本書紀によれば、東征の際、神武天皇軍は熊野で土地の首長・丹敷戸畔を討ち、ここより内陸に入って大和を目指したとされている。紀伊半島の南端・串本町には、その名を伝える地名や、墓もある。中央の王侯貴族がこぞって参詣する一方、中央には容易に制御出来ず、熊野水軍のように日本の行く末さえも左右した熊野。海と山とが迫る当地の深層に光を当てる。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之弐拾参 筑紫から信濃へ 海洋氏族 阿曇氏の展開
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
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ストーリー
福岡市西部、博多湾と玄界灘を仕切る砂州・海の中道の先に、志賀島がある。ここは、漢の皇帝より奴の国王に贈られた金印が発見された地として、名高い。この島は、金印が発見されるにふさわしく、古代には海洋氏族・阿曇氏の根拠地であり、彼らが崇める海の神を祀った志賀海神社がある。顔に貝殻が付着して醜かったという「安曇磯良」の不思議な伝説もある。阿曇氏は、古代のある時期、志賀島から全国各地へ展開する。彼らが定着した土地には、氏族の名が付けられた。滋賀県の安曇川や、愛知県の渥美半島、福島県の安積原野などがそうだという。ここに見えるように、海洋氏族でありながら内陸にも展開した。その典型が、長野県の安曇野である。安曇野の穂高神社は、山に囲まれた信州にあって海神を祀り、船形の山車「御船」をぶつけ合う「御船祭」など、海洋氏族の名残を留める神事もある。一方、古代の安曇野には、坂上田村麻呂に討たれた「まつろわぬ者」八面大王の伝説もある。朝廷に食を奉る氏族でありながら、どこか異形の影がつきまとう、全国展開した海洋氏族・阿曇氏の足跡を追う。語り:高橋御山人 聞き役:盛池雄峰
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之参拾 京都・丹後 聖なる元伊勢と 鬼跋扈する魔界
- 伊勢の神宮のルーツの一つでありながら、鬼が跋扈する魔界でもある、驚くべき丹後の謎
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
京都府丹後地方、日本三景・天橋立のすぐ北側に、丹後一宮・元伊勢籠神社(このじんじゃ)が建つ。伊勢の神宮・外宮の豊受姫神は、元々ここに鎮座していたとされ、天照大神も、宮中から出て伊勢の内宮に鎮まる前に、ここに数年祀られたという。宮司を代々世襲する海部氏は、神話に遡る非常に古い家柄であり、社宝にして国宝のその家系図は、現存では日本最古のもの。神社に受け継がれた二枚の鏡はそれぞれ前漢・後漢のものであり、出土品ではない伝世鏡としては、これも日本最古。また、元伊勢内宮・外宮と称する神社は、天橋立の南に聳える大江山の山中にも別にあり、「天の岩戸」も存在する。一方、大江山は、酒呑童子伝説で有名な鬼の住む山。しかも、大江山の「鬼」はそれだけではない。大和朝廷黎明期には、土蜘蛛・陸耳御笠(くがみみのみかさ)が丹後じゅうを転戦し大江山に入って消息不明になったといい、聖徳太子の弟・麻呂子皇子(まろこのみこ)が、大江山の悪鬼、英胡(えいこ)・軽足(かるあし)・土熊(つちぐま)を討ったという。伊勢の神宮発祥の地にして、三つの時代に渡り鬼が跋扈する魔界。聖と魔の交錯する根源に、古代「丹後王国」の繁栄を見る。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾六 山梨・上野原 南朝悲話と弔いの舞
- 暗殺された親王の愛妾と子の悲劇、そこに世の無常を感じ土着した皇族と里人の弔い
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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ナレーション
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ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第二弾は、市の南西部、都留市との境にある、雛鶴峠の麓、旧秋山村の無生野(むしょうの)に鎮座する雛鶴神社(ひなづるじんじゃ)。後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王は、鎌倉幕府打倒の立役者の一人だが、父や足利尊氏と対立し、鎌倉で幽閉され、暗殺されてしまう。その愛妾・雛鶴姫は、親王の首を抱え、わずかな従者とともに鎌倉を脱出、逃れ逃れて、無生野へ辿り着いた。そこで皇子の子を産むも、母子ともに亡くなってしまう。その二十年後、護良親王の子・葛城宮綴連王(つづれおう)が、南北朝の戦乱を逃れてこの地にやって来るが、雛鶴姫とその子の話を聞き、不思議な因縁を感じてこの地に住み着き、73歳の天寿を全うしたという。護良親王、雛鶴姫とその子、綴連王を祀っているのが、雛鶴神社である。境内には、綴連王の墳墓もある。また綴連王は、父の護良親王、雛鶴姫とその子の菩提を弔う為、大念仏を始めた。これは今も続けられている踊り念仏の一種で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。甲斐に伝わる南朝悲話と伝統芸能を探求する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 阿波に眠る水の女神・アマテラス
- 五角形の祭壇を頂く古墳を拝む阿波一宮は、天照大神の葬儀を伝える
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 34 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
諸国において最も格式が高い神社とされる一宮だが、時代による変遷等の影響で、一国に複数存在する場合もある。阿波国には四社存在し、その一社、大麻比古神社は、当シリーズの第弐拾五社「阿波から安房へ 神祀る忌部と聖なる『大麻』」で紹介した。今回取り上げる八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)も、阿波一宮の一社である。当社は、徳島市西方の杉尾山に鎮座するが、麓には阿波史跡公園があり、縄文時代から中世にかけての巨大遺跡が存在する。徳島有数の古墳地帯で、「国府町」の地名の通り、阿波国府があった場所でもあり、古代、繁栄した地であった。社殿は、前方後円墳の前に立っており、その古墳は「奥の院」と称され、上にこの地域の特産「阿波の青石」で築かれた、五角形の祭壇が鎮座している。また、当社に伝わる古文書には、何と天照大神の葬儀の様子が事細かに記されている。これらを踏まえ、当社の古墳こそが、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説もある。さらに、折口信夫によれば、天照大神は三種に分かれるが、阿波ではその一つ、水の女神として信仰されているという。、すぐ近くに五角形の井戸を持つ「天乃真名井」があり、かつては社殿の瓦に龍の浮彫があったなど、水との関わりは深い。特異な「神の死」伝承の意味を考える。(カバー画像のイラストは日本神話と邪馬台国を題材とする小説「ラスト・シャーマン」の著者・長緒鬼無里氏による。同作品には高橋御山人の解
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之四拾五 山梨・上野原 ヨガの奥義から剣の軍神へ
- ヨガで「解脱」の鍵とされる蛇の女神が、軍荼利明王を経て、果ては剣の軍神へと
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 30 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
百社巡礼の対談相手・盛池雄峰師宅のある、山梨県上野原市の神社を取り上げ、収録も上野原で行う「上野原シリーズ」。第一弾は、市街地の北東、東京都、神奈川県との境近くの山中に鎮座する軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)。祭神は日本武尊で、その東征の帰り道、草薙の剣を神の宿る剣として祀ったとされるが、創建は平安中期で、社名から密教の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った、修験道の聖地であったことは明らかだ。明王とは、仏道に導き難い者を力ずくで帰依させる存在で、多くは憤怒の表情、逆立った髪、何本もの手に武器を持つという、恐ろしい姿を取る。そのルーツは、古代インドで鬼や悪魔に相当する夜叉や修羅だが、軍荼利明王の場合は、クンダリーニという蛇の女神が起源である。ヨガにおいては、性器と肛門の間にある、最も下部のチャクラに宿っており、クンダリーニを覚醒させ、脊髄を上昇させて、その途上にあるチャクラを開いていき、頭頂に至る事によって「解脱」できるとされている。それが伝播の過程で男性となったのが、現在の軍荼利明王である。しかし、そうした遠い起源は忘れられ、ここでは軍神として崇拝されている。明治の神仏分離により、明王とも切り離されたが、剣を奉納する信仰は続いている。神格の変遷と土着化する信仰というものについて考察する。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之五 出羽三山 逃れた皇子と月と即身仏と
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 28 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
東日本最大級の山岳信仰霊場として名高い、出羽三山。 今も修験の聖地として名高く、山伏が荒行を積み、白装束の信徒が山に登る。 三山は、曼荼羅のように、それぞれ異なる特色を持っている。 その中でも、一番平地に近い羽黒山には、多くの人が訪れる。 ○日本三大五重塔の一つが聳える杉並木の参道は、ミシュラン三ツ星の評価 ○巨大な三神合祭殿前の池からは、数多くの平安時代の鏡が出土した ○蘇我馬子に弑逆された崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が逃れて来た開いたという 蜂子皇子開山は、時代的には修験道の開祖・役小角以前のこと。 当時は朝廷の勢力圏外でもあり、伝承には謎がつきまとう。 そんな羽黒山の背後には、三山の内でもひときわ高い月山が聳えたっている。 ●万年雪のある、標高二千メートル近くの山頂に神社が鎮座 ●湿原の広がる弥陀ヶ原、役小角が追い返された行者返しなど、神仏習合的な地名 ●月山の名の通り、月の神を祀る そして、出羽三山の最奥とも言うべき、湯殿山。 ◎御神体を、文字通り肌で感ずる聖地で、かつては口外禁止であり、今も撮影禁止。 ◎即身仏の信仰が行われた場所で、今もいくつかの寺院に残っている ◎かつて三山を構成した山は今と異なり、宗派も一つではなかった 明治政府の廃仏毀釈によって損なわれた、神仏習合、修験道とは何か。 ...
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之九拾七 坂東に残る平将門新皇が駆けた足跡
- 日本史上唯一「新皇」を名乗った平将門。その即位にも終焉にも、神社が深く関係する。
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人, 盛池 雄峰
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
日本史上唯一、自ら新たなる天皇「新皇」を名乗った、平将門。将門に関係した神社としては、東京・大手町の首塚とともに語られる事が多い神田明神など、死後の怨霊伝承を伝えるものが有名だが、「新皇」としての事績にまつわる神社もある。その一つが、群馬県前橋市の総社神社だ。当社は上野国の総社であり、他国と同じく、国司が国内の神社を巡拝する代わりに、国府の傍らに国内の神を集めて祀ったものである。将門は、常陸、下野、上野の国府を陥し、上野国府で諸国の任官を行うが、その時、一人の巫女が現われ、八幡大菩薩の神託を下す。この神託により、将門は新皇に即位したのである。この巫女や神託には、国府にあった総社が深く関与している可能性が高いと思われる。尚、中世に総社は位置が変わっており、近隣の旧鎮座地には今も宮鍋神社が建っている。ここには、将門が神託を受けた国府政庁の復元図もあり、当時の様子を偲ぶ事が出来る。将門は、茨城県坂東市の岩井に政庁を置いたが、朝廷による討伐軍はここに攻め寄せ、乱は二ヶ月程度で鎮圧された。この将門の本拠地にして終焉の地に建つのが、将門を祀る、その名も国王神社である。戦を逃れていた将門の三女・滝夜叉姫が、父の三十三回忌にあたり、木像を刻んで安置し祠に祀ったのが始まりと言われる。神社は「歴史の活断層」の標柱でもある。
著者: 高橋 御山人
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高橋御山人の百社巡礼/其之十九 東京・青ヶ島 死と再生のシャーマンの島
- 著者: 高橋 御山人
- ナレーター: 高橋 御山人
- 再生時間: 29 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
東京より南へ358km、伊豆諸島有人島最南端の青ヶ島。 一番近い有人島の八丈島からでも、南に65km離れている絶海の孤島。 行政区分としては一島一村の青ヶ島村より成り、 人口約170人、日本で最も人口の少ない市区町村となっている。 島の周囲を絶壁のような山に取り囲まれた島で、船を泊める場所にも窮する。 八丈島からの定期船はあるが、接岸が難しく、就航率は6割程度。 八丈島からの1日1往復のヘリコプターが主たる交通手段。 昭和の30年代でも月に一度しか船が来ず、完全な自給自足社会であり、 赴任した小学教師が「明治時代に逆戻りだ」と逃げ出そうとした程だった。 また青ヶ島は火山島であり、島の内側はカルデラとなっている。 絶壁のような山が外輪山となって、カルデラの内部にさらに火山がある。 この火山が江戸時代に大噴火し、多くの犠牲者を出した。 生き残った全島民も八丈島で五十年に渡って避難生活を送った。 五十年後島民を率いて「還住」を果たした名主を、 柳田國男は「青ヶ島のモーセ」と讃えている。 こんな過酷な環境の青ヶ島には、それゆえに、古より特殊な信仰が伝わる。 あちこちに祠があり、御幣が立てられる青ヶ島は、「神の島」と呼ばれている。 島の巫女は、舞い踊るうちに神憑り、悪霊を祓い人々を癒すシャーマン、呪医だった。 島の総鎮守、大里神社では、鬼面の子が女面の母を蘇生させるという筋書きの...
著者: 高橋 御山人