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ダイアローグ・マネジメント 対話が生み出す強い組織
- 著者: ケネス・J・ガーゲン (著), ロネ・ヒエストゥッド (著), 伊藤 守 (監修, 、その他
- ナレーター: 芹川 晴夫
- 再生時間: 7 時間 36 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
一人のリーダーが率いる時代は終わった。組織の力はメンバーの対話から生まれる。従来のリーダーシップの概念を根底から覆す最新理論、待望の翻訳
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他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論
- 著者: 宇田川 元一
- ナレーター: 佐田 直啓
- 再生時間: 4 時間 39 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
忖度、対立、抑圧…あらゆる組織の問題において、「わかりあえないこと」は障害ではない。むしろすべての始まりである──。
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進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」
- 著者: 太刀川 英輔
- 再生時間: 14 時間
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
★進化思考──それは、生物の進化のように二つのプロセス(変異と適応)を繰り返すことで、本来だれの中にもある創造性を発揮する思考法。
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手の倫理
- 著者: 伊藤 亜紗
- ナレーター: 乃神 亜衣子
- 再生時間: 6 時間 43 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面でコミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。
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さわるとふれる
- 投稿者: 金子 修 日付: 2021/03/24
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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す
- 著者: 山口 周
- ナレーター: 角田 雄二郎
- 再生時間: 7 時間 49 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? これが、本書の執筆のきっかけとなった筆者の疑問です。
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素晴らしい
- 投稿者: Amazon カスタマー 日付: 2021/03/21
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- 投稿者: 金子 修 日付: 2021/03/24
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素晴らしい
- 投稿者: Amazon カスタマー 日付: 2021/03/21
あらすじ・解説
内容
対話型組織開発、教育、心理療法etc.
注目を集める「社会構成主義」最良の入門書
ここに対立を超える鍵がある。
社会構成主義の基礎的な考えはとてもシンプルなようでいて、非常に奥深くもあります。
私たちが「現実だ」と思っていることはすべて「社会的に構成されたもの」です。
もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たち が、「そうだ」と「合意」して初めて、それは「リアルになる」のです。
あなたは懐疑的にこう反応するかもしれません。
「死が存在しないという意味ですか? この身体も太陽もこの椅子も?」
私たちはここで、ひとつはっきりさせておかなければいけません。
社会構成主義者は「何も存在しない」とか「現実などない」と言っているわけではないのです。
重要なポイントは、人が「何が現実か」を定めるとき、
常にそれは、あるひとつの文化の伝統から話しているのだということです。
確かに何かは起こりました。けれど、それを描写するには、ある特定の文化の観点を通さざるをえないのです。
つまり、その文化特有の言語だとか、見方、話し方を通して語らざるをえないということです。
たとえば、「彼のお父さんが亡くなりました」ということを描写しようとすると、
普通は生物学的観点から語ることになります。
ここで私たちは「起こったこと」を「特定の身体機能の停止」として「構成」しているのです
(けれども、医療専門家たちの間でもそれを死と確定することには同意が成立しないかもしれません。
移植外科医は、かかりつけの内科医とは別の意見を持っている可能性があります)。
他の文化的伝統においては、「彼は昇天しました」とか「彼は彼女の心の中に住み続けます」とか、
「これは彼の生まれ変わりの新しいサイクルの始まりなのです」とか、
「彼は苦しみから解き放たれました」とか、「彼は、彼が残した功績という遺産の中に生き続けます」とか、
「彼の3人の息子たちに彼の人生は引き継がれます」とか、
「この物体の原子構成が変化したのです」などと語られるかもしれません。
こういったあらゆる文化的伝統の外に出てしまったとしたら、私たちはどのように語ることができるでしょうか?
構成主義者にとっては、「何も存在しない」のではなく、「私たちにとっては何も意味しない」ということなのです。
他の言い方をすると、「私たちの関係性」によって、
私たちの世界は、私たちが「木」「太陽」「身体」「椅子」などと捉えているもので満たされるのです。
もっと広い意味で言えば、お互いにコミュニケーションを取るたびに、
私たちは、この生きている世界を構成していると言えるかもしれません。
私たちが日頃慣れ親しんでいる伝統の中にいつづけるかぎり、人生はそのままでしょう。
たとえば、「男と女」、「貧富」、「教養がある/教養がない」などのように慣れ親しんだ「区別」をしている限り、
人生は、比較的予測できるものであり続けるのです。
しかし私たちは、「当たり前だ」と考えられているものすべてに挑戦することもできるのです。
たとえば、「問題」はすべての人の目に見えるわけではありません。
私たちが「良し」とする世界を構成していて、
私たちが価値を置いていることを実現するのを妨げるものを「問題」と見なしているわけです。
私たちが「問題」として「構成」しているすべてのものを、
「チャンス(機会)」として「再・構成」することはできないでしょうか?
(第1章より)