• 【重要】次回の投稿は8月4日(月)です
    2025/07/19

    8月3日まで諸事情により投稿をお休みします。次回の投稿は2025年8月4日(月)です。

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  • #111【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展14:後漢2
    2025/07/17

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第99回目は東アジア文化圏の形成と発展「後漢2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    2世紀後半、前漢の末期と同じく外戚が幼い皇帝を操っていた。成人した皇帝は宦官を頼りにしたので、宦官と外戚が対立を繰り返すようになる。この状況を官僚や学者が批判すると、宦官は弾圧した。

    2度にわたる弾圧(党錮の禁)により混乱が生じる。184年に宗教結社の太平道が黄巾の乱を起こし、各地に軍事政権が誕生する中で後漢は滅亡した。

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  • #110【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展13:後漢
    2025/07/15

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第98回目は東アジア文化圏の形成と発展「後漢」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    西暦25年、新に代わって漢王室の一族である劉秀(洪武帝)が都を洛陽に移して後漢を建てた。匈奴や高句麗が服属した他、倭人(奴国の王)が朝貢した。「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印を授け、後に福岡県志賀島で発見されている。

    このころ西アジアではパルティアとローマ帝国が対立していた。後漢は西域にも積極的に進出し、西域都護の班超は多くのオアシス都市を服属させる。部下の甘英をローマ帝国に派遣したが、大海に妨げられ皇帝とは面会できなかった。


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  • #109【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展12:外戚の王莽
    2025/07/14

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第98回目は東アジア文化圏の形成と発展「外戚の王莽」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    西暦8年、外戚の王莽が帝位を奪い新を建てる。彼は官僚機構や貨幣制度を数百年前の周のように戻そうとしたので大混乱が起きた。飢饉が発生しても対策しなかったので、各地で農民反乱(赤眉の乱)が発生。匈奴や高句麗の王を諸侯に格下げしたので抗争に発展する。豪族も反王莽をスローガンに離反した。王莽が殺され、わずか15年で滅びた。


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  • #108【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展11:漢(前漢)その3
    2025/07/10

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第97回目は東アジア文化圏の形成と発展「漢(前漢)その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    積極的な対外進出の結果、財政難が生じた。武帝は財政再建のため均輸や平準などの経済政策を採用し、塩・鉄・酒の専売を実施。税や労役の重い負担で小農民は没落、大商人はその土地を買い占めて豪族となるものも現れた。

    武帝は地方長官の推薦で官吏(かんり)を選任する郷挙里選を実施して、人格の優れた人間を登用しようとした。さらに監察官を派遣して全国を監視。中央では皇帝側近の外戚が力を持つようになった。


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  • #107【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展10:漢(前漢)その2
    2025/07/08

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第96回目は東アジア文化圏の形成と発展「漢(前漢)その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前2世紀後半までに国内では中央集権化が進んだ。歴代の皇帝は外交、内政ともに現実的な政策をとり、国内の充実に努めてきたが、第7代皇帝、武帝は対外積極策に転じる。

    最大の敵である匈奴を倒すため、張騫を大月氏に派遣するなど西域(中央アジア)への外交政策を行う。さらに匈奴にたびたび遠征軍を派遣し、タリム盆地のイラン系オアシス都市国家群を解放する。


    ベトナム中部まで進出して南海9郡を設置、インド方面につながる海の道にアクセスできるようになった。朝鮮にも進出し朝鮮4郡を設置。この結果、武帝の時代に漢は領土が最大となった。

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  • #106【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展9:漢(前漢)
    2025/07/07

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第95回目は東アジア文化圏の形成と発展「漢(前漢)」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前202年、農民出身の劉邦(高祖)が、楚の名門出身の項羽を破り、長安を都として漢を建国する。国外では前200年に北方の匈奴に敗れ、貢納を支払う和親策を70年近くとった。


    国内では、郡県制と封建制を併用する郡国制を実施して、封建制の縮小を図った。劉邦の死後、皇帝と諸王の対立が深まり呉楚七国の乱が起きる。鎮圧後は、諸王国の統治に皇帝が干渉するようになり、第7代の皇帝武帝のころには実質的に郡県制に移行した。


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  • #105【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展8:秦
    2025/07/03

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第94回目は東アジア文化圏の形成と発展「秦」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前221年、秦が戦国時代の動乱を収め中国を統一する。秦王の政は、王の上の君主として始皇帝と名乗った。彼は都の咸陽から全土を支配する中央集権政治を進め、郡県制を用いて地方へ官僚を派遣した。それまでバラバラだった文字や度量衡、貨幣の統一を進め、半両銭を鋳造している。しかし、急速な改革や土木事業の負担、焚書・坑儒に代表される思想・文化の統制などが民衆の反感を生む。始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱が発生し秦は滅亡した。

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