• #171【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展23:イタリアその2
    2025/12/18

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第154回目は「イタリアその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本

    12世紀にイタリアの南部ではノルマン人によって両シチリア王国が建国され、14世紀にシチリア王国とナポリ王国に分裂する。イタリア中部にはローマを中心とした教皇領が広がり、、北部にヴェネツィア、フィレンツェなどの都市国家が分立していた。


    神聖ローマ皇帝が、イタリア政策を推し進めて北イタリアに介入してくると、諸都市の内部では有力市民が皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)などの党派に分かれて抗争を繰り返し、国内統一はさらに遠いものになった。


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  • #170【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展22:イタリア
    2025/12/16

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第153回目は「イタリア」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本

    875年にカロリング朝のイタリア王統が断絶すると、イタリア半島は有力な諸侯による王位争奪戦が繰り広げられ、混乱と分裂の時代が続いた。962年に神聖ローマ帝国が成立すると、イタリア北部は帝国の「イタリア王国」として形式的にその支配下に入る。


    歴代の皇帝は、実質的に支配するため、軍事介入や人事介入を繰り返すイタリア政策を推し進めた。しかし、しばしばローマ教皇や、台頭する都市との激しい対立を引き起こし完全な支配は上手くいかなかった。


    皇帝権力の不徹底に乗じて、特に11世紀以降、北・中部イタリアでは、市民が自治権を獲得したコムーネ(自治都市)が数多く成立する。ヴェツィア共和国、メディチ家が台頭するフィレンツェ共和国、そしてミラノ公国などが名高い。


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  • #169【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展21:ドイツの王権その2
    2025/12/14

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第152回目は「ドイツの王権その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本

    1356年、神聖ローマ皇帝カール4世は金印勅書を発して皇帝選挙法を定めた。これにより、有力諸侯7名が選帝侯として皇帝選出権を握ることが明文化され、また領内における完全な裁判権や徴税権など、諸侯の独立的地位が保障された。この結果、皇帝権は制度的に制約され、ドイツにおける政治的分裂はいっそう固定化・進行することとなる。


    1437年、ルクセンブルク家のジギスムント皇帝が死去すると、翌年、帝国諸侯はオーストリアのハプスブルク家出身であるフリードリヒ3世を神聖ローマ皇帝に選出した。以後、例外的な中断はあるものの、ハプスブルク家は広大な世襲領の保持と結婚政策によって皇帝選挙において優位な立場を保ち、神聖ローマ皇帝位をほぼ一貫して独占する体制を築いていく。



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  • #168【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展20:ドイツの王権その1
    2025/12/11

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第151回目は「ドイツの王権その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本


    ドイツではオットー1世以来、歴代の国王が神聖ローマ帝国の皇帝を務め、ローマ=カトリック教会の守護者として教皇と並ぶ権威をもち続けた。しかし、国内よりもイタリア政策を優先したため、諸侯が自立化して領邦とよばれる小国家が多数生まれる。皇帝は有名無実化し、ドイツは皇帝ではなく小国家単位で集権化が進んでいく。シュタウフェン朝断絶後、実質上の皇帝不在の約20年間を大空位時代という。


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  • #167【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展19:イベリア半島
    2025/12/09

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第150回目は「スペイン王国の誕生」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本

    イベリア半島では8世紀以降、長くイスラームの支配が続いた。その始まりは、711年にウマイヤ朝がイベリア半島へ侵入し、西ゴート王国を滅ぼしたことにある。この征服によって、イベリア半島の大部分はイスラーム教徒の支配下に置かれ、以後、数世紀にわたってイスラーム勢力とキリスト教勢力が併存する地域となっていく。


    これに対して、北部に残ったキリスト教徒勢力は、カスティリャ王国やアラゴン王国を中心に、失われた領土を回復しようとする動きを強めていった。この国土回復運動は、後に「レコンキスタ」と呼ばれることになる。


    12世紀には、カスティリャ王国から独立したポルトガル王国も加わり、キリスト教勢力は次第に南へと進出していった。そして15世紀、カスティリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚を契機に、両王国の領国が実質的に合併され、スペイン王国が成立する。スペイン王国は1492年、イベリア半島最後のイスラーム国家であったナスル朝の都グラナダを陥落させ、ここに700年以上に及んだレコンキスタは完了した。


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  • #166【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展18:百年戦争その3
    2025/12/07

    百年戦争は、両国に深い変化を残した。まずフランスでは、長期戦を通じて常備軍と徴税制度が整えられ、諸侯や騎士の軍事力は低下し、王権の中央集権化が進んだ。



    対してイングランドでは、領土喪失により大陸政策が後退し、貴族の不満が高まり、後のバラ戦争へとつながっていく。また、弓兵(きゅうへい)の台頭や火器の普及により騎士身分の衰退が加速し、中世的な封建秩序は大きく揺らいだ。



    百年戦争は両国の国家統一と絶対王政の形成を強力に推進した。さらにヨーロッパ全体において、中世から近世への転換点となった戦争だったといえる。

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  • #165【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展17:百年戦争その2
    2025/12/04

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第149回目は「百年戦争その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本

    百年戦争は、終始イングランドが優勢だった。1347年頃ヨーロッパ全土でペスト(黒死病)が流行し、両国の戦力が一時的に低下し、戦争も中断を余儀なくされる。その後、フランスでは農民反乱のジャックリーの乱、イングランドではワット=タイラーの乱が発生するなど、両国ともに国内が不安定になった。


    フランスが反撃にでるも膠着状態に陥る。15世紀に入りイングランドは再び攻勢に転じるが、オルレアンを解放するなどジャンヌ・ダルクの活躍により潮目が変わった。王太子シャルルはランスで戴冠してシャルル7世となり、フランス軍はカレー以外の全ての大陸イングランド領を奪還し、戦争は終結した。


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  • #164【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展16:百年戦争
    2025/12/02

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第148回目は「百年戦争」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本

    1337年から1453年にかけてイングランドとフランスで行われた争いを百年戦争という。


    1328年にフランスでカペー朝が断絶しフィリップ6世が王位を継承、ヴァロア朝が始まる。彼は王権を強化し、フランス全土を国王の直接支配下に置くことを目指していた。即位後まもなく、毛織物産地のフランドル地方の支配権を強化している。ここはイングランドにとって重要な羊毛輸出先であり、経済的な結びつきが非常に強かった。しかし国王エドワード3世は、国内政治が不安定だったため対抗措置がとれなかった。

    1337年にフランス王がイングランド王に対してギエンヌ地方の没収を宣言する。フランス王の家臣という立場では領土を守れないと悟ったエドワード3世は母がカペー家出身であることから、自身こそが正統なフランス王位継承者であると宣言し、戦争が始まった。


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