• #067「信後の凡夫にとって聴聞することや生きることに意味はあると思いますか?」(マシュマロより)
    2026/10/22

    今回は、マシュマロに届いた質問について話をしました。

    ○「信後の凡夫にとって聴聞することや生きることに意味はあると思いますか?」

    https://marshmallow-qa.com/messages/8e4a1451-5947-4161-b91f-6ba97e55672d


    ---

    感想や質問はこちらにお願い致します。

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    27 分
  • #066「南無阿弥陀仏と念仏することによって自動的に「弥陀をたのむ」ことになるのでしょうか?」について
    2026/10/03

    ○マシュマロに頂いた質問について話をしました。

    --

    「浄土真宗ではよく「弥陀をたのめ」とお聞きしますが、いるかいないかさえわからない阿弥陀仏をたのむなど雲をつかむような話としか聞けません。しかし阿弥陀仏がよくわからなくても、南無阿弥陀仏と念仏することによって自動的に「弥陀をたのむ」ことになるのでしょうか。」(マシュマロ)

    --


    マシュマロに以下のように書きました。

    --

    いるかいないか分からないしか思えない私に対して、「南無阿弥陀仏」という声に称えられる形になったのが阿弥陀仏です。

    南無阿弥陀仏と念仏する時に、出てくる声が阿弥陀仏です。「弥陀をたのめ」とは、その南無阿弥陀仏をたのむということです。

    --

    これに加えて話をしました。

    ---

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    17 分
  • #065「南無阿弥陀仏をたのむ」には、南無阿弥陀仏と口に出して言うだけでいいのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/09/09

    今回は「南無阿弥陀仏をたのむ」には、南無阿弥陀仏と口に出して言うだけでいいのでしょうか?」(頂いた質問)について話をしました。

    ---

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    21 分
  • #064「聞其名号」とは、自分が想像し、理想とする南無阿弥陀仏を聞こうとすることではなく、今となえ聞こえてくる南無阿弥陀仏をその通りに聞くということでしょうか。(頂いた質問)
    2026/08/25

    今回は以下の質問について話をしました。

    ---

    「聞其名号」とは、自分が想像し、理想とする南無阿弥陀仏を聞こうとすることではなく、今となえ聞こえてくる南無阿弥陀仏をその通りに聞くということでしょうか。(頂いた質問)

    ---

    話の中で出たご文

    ○教行信証信文類

    しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(浄土真宗聖典註釈版P251)


    ○正像末和讃

    (38)

    如来の作願をたづぬれば

     苦悩の有情をすてずして

     回向を首としたまひて

     大悲心をば成就せり(浄土真宗聖典註釈版P606)

    ---

    ⁠⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    28 分
  • #063「仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/08/08

    ○質問

    --

    「南無阿弥陀仏ひとつで私が極楽浄土に生まれ、仏に成る」ことは、本当は、とてつもない話なんだと想像しますが、私の知恵では、仏に成ることの尊さが実感できません。

    仏に成るとは、どういうことかも分かりません。

    仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?

    阿弥陀仏の悟りの境地(世界)は、真如であるから、色も形もないと聞いたことがあるのですが、

    この私が阿弥陀仏に救われたら、弥陀同体の仏さまに成らせていただき、還相回向で、また娑婆世界に戻り、身近な人を救うことができると聞いたことがありますが、

    仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし、と本願をそのまま疑いなく聞けるようになると、私が浄土往生して仏に成ることだけではなく、仏に成ったら、すぐに、また娑婆世界に戻り、苦しみ迷う衆生を自由自在に救うことができることに対しても(還相回向)、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?

    --


    話のなかで出たご文

    ○唯信鈔文意

    法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(浄土真宗聖典註釈版P710)


    ○教行信証証巻 

    一つには法性法身、二つには方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同じかるべからず。(浄土真宗聖典註釈版・P321)

    ---

    ⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    26 分
  • #062「信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/07/28

    ○今回は以下の質問について話をしました。

    ーーー

    第61回目のネットラジオ版安心問答を聞かせていただき、仏願の生起本末を聞いて、その本願に疑いが無くなっても、その本願の内容の詳細までは、人間の知恵では分からずに、ただ、「南無阿弥陀仏ひとつで救われる」「念仏ひとつで浄土往生できて仏に成れる」ということが分かる程度であることが知らされました。


    そこで重ねてお尋ねがあります。

    歎異抄第二章に、以下の文言がありますが、信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?

    この歎異抄第二章に書いてある内容について、ネットラジオ版安心問答でお話をしていただけると、ありがたいです。

    よろしくお願いします。


    弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」    (歎異抄二章)

    ーー


    ○話のなかで出たご文

    「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(教行信証信巻)


    信心の智慧(左訓)弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに信ずる心のいでくるは智慧のおこるとしるべし(表記・漢字仮名遣いを現代に変更)(正像末和讃)

    ---

    ⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


    続きを読む 一部表示
    21 分
  • #061 「本願を疑惑するのと、本願の内容の意味が分からないのは、同じなのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/07/17

    ○今回は以下の質問について話をしました。

    ---

    浄土真宗の信心は、「仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし」ですが、

    私には、仏願の生起である、「無常」や「罪悪」が分からず、煩悩悪業によって、流転輪廻していることも分からず、また「後生の一大事」と聞いても、驚きも立たずに、何とも思いません。

    また、阿弥陀仏が私一人を救うために、五劫思惟の願や、兆載永劫の行をされて、私を救うための手段として「南無阿弥陀仏」が完成されて(仏願の本)、その本願の名号である「南無阿弥陀仏(念仏の信心)ひとつで救われる」(仏願の末)と聞いても、意味が分からないのですが、これらのことは、本願を疑惑していることになるのでしょうか?

    私は、本願を疑惑するというよりも、仏願の生起本末の内容の意味が分からないのです。

    本願を疑惑するのと、本願の内容の意味が分からないのは、同じなのでしょうか?

    また、本願疑惑心が無くなると、仏願の生起本末の内容の全てに対して、塵露ほどの疑いも無くなるのでしょうか?

    ---



    ○話の中で出した御文

    ここをもつて、いま大聖(釈尊)の真説によるに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓を憑み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀してこれを憐憫して療したまふ。たとへば醍醐の妙薬の、一切の病を療するがごとし。濁世の庶類、穢悪の群生、金剛不壊の真心を求念すべし。本願醍醐の妙薬を執持すべきなりと、知るべし」(教行信証信巻・浄土真宗聖典註釈版P296)

    ---

    ⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    25 分
  • #060 「本願疑惑心や疑情(疑心)や自力心は、煩悩の一種なのか?」(頂いた質問)
    2026/07/11

    今回は#059を聞かれた方からの質問です。


    ○質問

    ---

    第59回目を聞いて、「阿弥陀仏の本願と私の関係性が非常に大切」だということは理解できたのですが、本願疑惑心や疑情や自力心が、煩悩だということを聞いて、不審に思いました。


    それというのも、親鸞聖人は、以下の文証のように、凡夫の煩悩は死ねまで無くならないと言われているからです。

    阿弥陀仏の本願の救いと、煩悩は関係がないと思っていましたが、本願疑惑心や疑情や自力心が、煩悩であるならば、本願疑惑心や疑情や自力心も死ねまで無くならないということになりませんか?


    浄土真宗の信心は、「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」ではないのですか?

    この疑心が煩悩であるならば、疑心は死ぬまで無くならないことになりませんか?


    疑心往生説は、異安心だと聞いたことがあるので、

    本願疑惑心や疑情(疑心)や自力心は、煩悩の一種なのか?について、お聖教を根拠にして、ネットラジオ版安心問答でお話を聞かせていただきたいです。


    よろしくお願いします。


    「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。(一念多念証文)P693

    --


    ○話のなかで出したご文


    ○教行信証信巻

    ○【65】 しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。(浄土真宗聖典註釈版P251)


    ○まことに知んぬ、疑蓋間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく。(教行信証信巻・浄土真宗聖典註釈版P230)

    ○【28】 次に信楽といふは、すなはちこれ如来の満足大悲円融無碍の信心海なり。このゆゑに疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく。すなはち利他回向の至心をもつて信楽の体とするなり。(教行信証信巻・浄土真宗聖典註釈版P234)


    ○教行信証化土巻

    ○そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、〈世尊、なんの因なんの縁にか、かの国の人民、胎生・化生なる〉と。仏、慈氏に告げたまはく、〈もし衆生あつて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修し、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して、その国に生れんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳ならん。つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず、このゆゑにかの国土、これを胎生といふ。{乃至}弥勒まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑに。その胎生のものはみな智慧なし〉。{乃至}(浄土真宗聖典註釈版P377)

    ---

    ⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    31 分