『ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について)』のカバーアート

ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について)

ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について)

著者: yamamoyama
無料で聴く

ブログ安心問答(浄土真宗の信心について)の音声版です。浄土真宗の教え、信心、その他についていろいろと話をするpodcastです。yamamoyama スピリチュアリティ
エピソード
  • #064「聞其名号」とは、自分が想像し、理想とする南無阿弥陀仏を聞こうとすることではなく、今となえ聞こえてくる南無阿弥陀仏をその通りに聞くということでしょうか。(頂いた質問)
    2026/08/25

    今回は以下の質問について話をしました。

    ---

    「聞其名号」とは、自分が想像し、理想とする南無阿弥陀仏を聞こうとすることではなく、今となえ聞こえてくる南無阿弥陀仏をその通りに聞くということでしょうか。(頂いた質問)

    ---

    話の中で出たご文

    ○教行信証信文類

    しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(浄土真宗聖典註釈版P251)


    ○正像末和讃

    (38)

    如来の作願をたづぬれば

     苦悩の有情をすてずして

     回向を首としたまひて

     大悲心をば成就せり(浄土真宗聖典註釈版P606)

    ---

    ⁠⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    28 分
  • #063「仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/08/08

    ○質問

    --

    「南無阿弥陀仏ひとつで私が極楽浄土に生まれ、仏に成る」ことは、本当は、とてつもない話なんだと想像しますが、私の知恵では、仏に成ることの尊さが実感できません。

    仏に成るとは、どういうことかも分かりません。

    仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?

    阿弥陀仏の悟りの境地(世界)は、真如であるから、色も形もないと聞いたことがあるのですが、

    この私が阿弥陀仏に救われたら、弥陀同体の仏さまに成らせていただき、還相回向で、また娑婆世界に戻り、身近な人を救うことができると聞いたことがありますが、

    仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし、と本願をそのまま疑いなく聞けるようになると、私が浄土往生して仏に成ることだけではなく、仏に成ったら、すぐに、また娑婆世界に戻り、苦しみ迷う衆生を自由自在に救うことができることに対しても(還相回向)、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?

    --


    話のなかで出たご文

    ○唯信鈔文意

    法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(浄土真宗聖典註釈版P710)


    ○教行信証証巻 

    一つには法性法身、二つには方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同じかるべからず。(浄土真宗聖典註釈版・P321)

    ---

    ⁠⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    続きを読む 一部表示
    26 分
  • #062「信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?」(頂いた質問)
    2026/07/28

    ○今回は以下の質問について話をしました。

    ーーー

    第61回目のネットラジオ版安心問答を聞かせていただき、仏願の生起本末を聞いて、その本願に疑いが無くなっても、その本願の内容の詳細までは、人間の知恵では分からずに、ただ、「南無阿弥陀仏ひとつで救われる」「念仏ひとつで浄土往生できて仏に成れる」ということが分かる程度であることが知らされました。


    そこで重ねてお尋ねがあります。

    歎異抄第二章に、以下の文言がありますが、信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?

    この歎異抄第二章に書いてある内容について、ネットラジオ版安心問答でお話をしていただけると、ありがたいです。

    よろしくお願いします。


    弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」    (歎異抄二章)

    ーー


    ○話のなかで出たご文

    「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(教行信証信巻)


    信心の智慧(左訓)弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに信ずる心のいでくるは智慧のおこるとしるべし(表記・漢字仮名遣いを現代に変更)(正像末和讃)

    ---

    ⁠⁠⁠安心問答ー浄土真宗の信心について⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

    yamamoyama@gmail.com

    X(⁠⁠⁠⁠⁠⁠@anjinmondou⁠⁠⁠⁠⁠⁠)⁠⁠⁠

    匿名での質問はこちらから

    ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠マシュマロ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


    続きを読む 一部表示
    21 分
adbl_web_anon_alc_button_suppression_t1
まだレビューはありません