#062「信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?」(頂いた質問)
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○今回は以下の質問について話をしました。
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第61回目のネットラジオ版安心問答を聞かせていただき、仏願の生起本末を聞いて、その本願に疑いが無くなっても、その本願の内容の詳細までは、人間の知恵では分からずに、ただ、「南無阿弥陀仏ひとつで救われる」「念仏ひとつで浄土往生できて仏に成れる」ということが分かる程度であることが知らされました。
そこで重ねてお尋ねがあります。
歎異抄第二章に、以下の文言がありますが、信心獲得すると、「弥陀の本願まこと」と、阿弥陀仏の本願が、歴史的な事実(真実)であると、疑いなく受け入れることができるのでしょうか?
この歎異抄第二章に書いてある内容について、ネットラジオ版安心問答でお話をしていただけると、ありがたいです。
よろしくお願いします。
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せ、そらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、またもってむなしかるべからず候か」 (歎異抄二章)
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○話のなかで出たご文
「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(教行信証信巻)
信心の智慧(左訓)弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに信ずる心のいでくるは智慧のおこるとしるべし(表記・漢字仮名遣いを現代に変更)(正像末和讃)
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安心問答ー浄土真宗の信心について
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