#063「仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?」(頂いた質問)
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○質問
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「南無阿弥陀仏ひとつで私が極楽浄土に生まれ、仏に成る」ことは、本当は、とてつもない話なんだと想像しますが、私の知恵では、仏に成ることの尊さが実感できません。
仏に成るとは、どういうことかも分かりません。
仏に成るとは、私が、阿弥陀仏と一体となり、南無阿弥陀仏の名号になることなのでしょうか?
阿弥陀仏の悟りの境地(世界)は、真如であるから、色も形もないと聞いたことがあるのですが、
この私が阿弥陀仏に救われたら、弥陀同体の仏さまに成らせていただき、還相回向で、また娑婆世界に戻り、身近な人を救うことができると聞いたことがありますが、
仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし、と本願をそのまま疑いなく聞けるようになると、私が浄土往生して仏に成ることだけではなく、仏に成ったら、すぐに、また娑婆世界に戻り、苦しみ迷う衆生を自由自在に救うことができることに対しても(還相回向)、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?
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話のなかで出たご文
○唯信鈔文意
法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。(浄土真宗聖典註釈版P710)
○教行信証証巻
一つには法性法身、二つには方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は異にして分つべからず。一にして同じかるべからず。(浄土真宗聖典註釈版・P321)
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安心問答ー浄土真宗の信心について
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