エピソード

  • 『兄弟全員が夫』ネパール高地の一妻多夫制で、女性たちは夜をどう過ごしていたのか
    2026/08/21

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    ネパール北西部のヒマラヤ高地には、兄弟全員が一人の女性を共同で妻とする「一妻多夫制」が、古くから受け継がれてきました。

    この制度が生まれた背景にあったのは、女性不足ではなく、限られた農地や家畜を兄弟の代ごとに分割せず、一族の財産と生活基盤を守るという現実的な事情でした。

    兄弟たちは同じ家で暮らし、農耕や牧畜、交易を分担しながら、妻や子どもを含めた一つの家族を支えていたのです。

    では、兄弟全員の妻となった女性は、夫たちとの夜をどのように過ごしていたのでしょうか。

    今回は、ネパール高地に残る一妻多夫制が生まれた理由や家族の暮らし、妻に求められた役割、そして現代社会の変化とともに姿を消しつつある背景を紹介します。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/sekai/128557/

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    8 分
  • 幽閉された黒田官兵衛を支えた敵方の牢番・加藤重徳とは? 子の代まで続いた二人の絆【豊臣兄弟】
    2026/08/14


    荒木村重を説得するため有岡城へ赴いた黒田官兵衛は、逆に捕らえられ、およそ1年間にわたって幽閉されました。

    その過酷な日々の中で、敵方でありながら官兵衛を支え続けた人物がいます。

    それが、牢番を務めていた加藤重徳です。

    重徳は官兵衛の人柄に心を動かされ、密かな差し入れを黙認し、城の落城時には救出にも協力しました。

    そして官兵衛も、その恩を生涯忘れることはありませんでした。

    二人の約束は、重徳の息子を官兵衛が養子として迎えるという形で受け継がれ、その絆は次の世代へと続いていきます。

    今回は、戦国時代の敵味方を超えて結ばれた、黒田官兵衛と加藤重徳の知られざる友情に迫ります。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/toyotomi/128571

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    10 分
  • 清朝皇帝と初夜を迎える側室、全裸で「すまき」にされて運ばれていた?
    2026/08/07

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    清朝の宮廷ドラマでは、皇帝との初夜を迎える側室が全裸で布団に包まれ、宦官たちに運ばれるという印象的な場面が描かれることがある。

    その衝撃的な演出を見て、「本当にこんな制度があったのだろうか」と疑問に思った人も多いのではないだろうか。

    実際の清朝には、皇帝と妃嬪の夜伽を厳格に管理する制度が存在し、その手続きは公的な記録にも残されている。

    しかし、ドラマで描かれるような場面が史実なのかどうかは、別の問題である。

    今回は、清朝後宮の夜伽制度をひもときながら、「全裸で『すまき』にされて運ばれた」という有名な逸話の真相に迫っていく。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/yahoo/111649/

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    9 分
  • 豊臣秀吉はなぜ衰弱したのか 〜精が尽きる病とされた「腎虚」とは
    2026/07/31

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    戦国時代から江戸時代初期にかけて、「腎虚」は生命力の衰えを意味する状態として広く知られ、多淫や老化によって起こる「精が尽きる病」と考えられていた。

    豊臣秀吉や加藤清正は、その急激な衰弱や最期の様子から、当時の人々に「腎虚ではないか」と噂された人物である。

    一方、多くの側室を持ちながらも、漢方や食事、運動によって腎の養生を心がけたと伝わる徳川家康は、70歳を超えても精力的に政務をこなし、江戸幕府の礎を築いた。

    では、東洋医学でいう「腎虚」とは、本来どのような状態を指すのだろうか。

    今回は、秀吉、加藤清正、徳川家康の生涯をたどりながら、「生命力の衰え」と考えられてきた腎虚の正体について解説していく。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/yahoo/123486/

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    12 分
  • 『高野山で自害した関白』豊臣秀次は本当に粛清されたのか?秀吉に殺意はなかった説
    2026/07/24

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    豊臣秀吉の後継者として関白となった豊臣秀次。

    しかし、秀頼の誕生からわずか2年後、突然失脚し、高野山で自害を遂げました。

    一般には、「秀吉による粛清」として知られる事件ですが、近年では、秀吉に必ずしも秀次を死に追いやる明確な意思はなく、秀次自身が絶望の末に自ら命を絶った可能性も指摘されています。

    今回は、一次史料をもとに、秀吉と秀次の関係の変化や、高野山での最期の経緯をたどりながら、豊臣政権最大の謎の一つとされる「秀次事件」の真相に迫ります。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/study/history/japan/azuchi/toyotomi/120892/

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    16 分
  • 店に入るだけで繁盛した実在の福の神「仙台四郎」とは何者だったのか
    2026/07/17

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    「店に入ると、なぜか客が増えて繁盛する」
    そんな不思議な逸話を持つ人物が、明治の仙台に実在していた。

    その名は仙台四郎。

    本名を羽賀四郎といい、知的障害を抱えながらも、いつも笑顔で街を歩き回り、多くの人々から親しまれていた人物である。

    やがて彼は「生きる福の神」と呼ばれるようになり、その人気は「仙台市長の名前は知らなくても、四郎を知らない者はいない」といわれるほどだった。

    没後もその人気は衰えず、不況の時代になるたびに「福の神」として再び注目を集め、現在でも写真を待ち受けにすると運気が上がるという噂が語り継がれている。

    なぜ仙台四郎は、単なる街の名物男ではなく、「福の神」として信仰されるまでになったのか。

    今回は、実在した謎多き人物・仙台四郎の生涯と、その伝説が生まれた背景をたどっていく。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/study/history/japan/bakumatu/124116/

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    11 分
  • 卑弥呼はただの巫女ではなかった?魏と呉を翻弄した邪馬台国の外交戦略
    2026/07/10

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    「鬼道を使う巫女」として語られることの多い卑弥呼。

    しかし近年では、彼女を優れた外交指導者として再評価する見方が強まっています。

    卑弥呼が生きた3世紀前半は、中国で魏・呉・蜀が覇権を争う三国時代の真っただ中でした。

    遼東半島をめぐる魏と呉の対立は、海を隔てた倭国にも大きな影響を与えていたと考えられています。

    当時の邪馬台国は、狗奴国との争いを抱え、決して安泰な立場ではありませんでした。

    そんな中、卑弥呼は大国・魏との関係を築きながら、魏と呉の対立構造を巧みに利用し、邪馬台国の存在価値を高めていった可能性があります。

    なぜ魏は、遠く離れた倭の女王に「親魏倭王」という破格の称号を与えたのでしょうか。

    そして卑弥呼は、どのような国際感覚と外交戦略を持っていたのでしょうか。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/study/history/japan/yayoi/125109/

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    8 分
  • 40万の趙兵は本当に生き埋めにされたのか 〜1995年発掘が揺るがせた白起「坑殺」の通説
    2026/07/03

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    中国史上最大級の虐殺として知られる、長平の戦い。

    『史記』には、秦の名将・白起が降伏した趙兵40万人余りを「坑」、つまり生き埋めにしたと記されています。

    この凄惨な逸話は二千年以上にわたり、白起を「人屠」と恐れられる存在にしてきました。

    しかし、1995年に山西省高平市で行われた発掘調査によって、この通説に新たな疑問が投げかけられます。

    出土した人骨には斬撃や打撃の痕が数多く残されており、兵士たちは生き埋めにされたのではなく、殺害された後に埋葬された可能性が浮上したのです。

    さらに、『史記』が伝える「40万人」という数字についても、当時の趙の人口規模や動員能力から見て、誇張ではないかとする研究が存在します。

    今回は、長平の戦いの経緯を振り返りながら、1995年の発掘成果と最新の研究をもとに、「40万の趙兵生き埋め説」の真相と、白起の「坑殺」の実態に迫ります。

    草の実堂
    https://kusanomido.com/study/history/chinese/syunjyu/126149/

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    11 分