A. 知識について
A.1. 世界という言葉の途方もなさ──知識と世界の関係性について
A.1.1. このカテゴリーでは、知識について取り上げます。基本的に、哲学は知識として蓄積され、保存され、普及していきます。では、そもそも知識とはどんなものなのか。ここでは、そうした知識についての考えるときの前提となる考え方、ものごとの感じ方を、なるべく一つずつ紹介していきたいなと思っています。
A.1.2. 今回は、世界と知識の関係性についてです。そもそも、「世界」とはなんでしょう。地球全体のことでしょうか。この意味で「世界の半分をやろう」というなら、地球を半分こすれば良さそうです。どこからどこまでが半分と言えるのか、揉めそうですけれど。
A.1.3. 一方で、「鉱物の世界」や「古代メソポタミアの世界」、「ミツバチの世界」や「子どもの世界」、また「アートの世界」というように、「世界」という言葉にはもっと多様な、個性的な意味合いが含まれているように思います。これらの人間的な、社会的な世界も、物理的な、地理的な世界に加えるとしたら、どう定義したものでしょう。
A.1.4. 仮に、私たちの生きている「世界」を、あらゆるモノ、またヒトを含む生き物が経験してきた過去の出来事、また現在経験している出来事の全体として考えてみます。
A.1.5. するとその「世界」には定義上、宇宙の誕生から生命の誕生、また文明の誕生といった壮大な過去の出来事も含まれますし、ある人が初めて自転車に乗れた日や、大きな挫折を味わった日など、プライベートな過去の出来事も全て含むことができるようになります。
A.1.6. もちろん、あるアーティストが苦難の末、ようやく作品を完成させた日という文化的に大事な出来事も含まれることでしょうし、もっと小さなところでは、地下鉄のシートに埃がついたというような、取るに足りない日常の出来事も含まれることでしょう。
A.1.7. それだけ多くの出来事のぜんぶについての精確な知識を、私たちは獲得したり、記録したり、人に伝えたりできるでしょうか。おそらく、誰にもできることではありませんね。それほど「世界」は途方もないもののようです。
A.1.8. その意味で「世界」を完全にコピーするような知識も、できそうにありません。たとえ地下鉄のシートについた埃一つを見たという、個人的にも些細な思い出であったとしても、それが再現されていなかったら、それはわたしたちが日常、まさにいま経験している「世界」とは別の何かです。
A.1.9. 誰もが自分なりの仕方で、日常的に「世界」について知っています。どんなに小さなことでも、それは「世界」を構成するものとして、また知識としても、大切にされるべきものではないかと思うのです。
参考文献
Gabriel. M. (2017). Why the World Does Not Exist. trans. G. Moss. Polity. (清水一浩訳『なぜ世界は存在しないのか』講談社,2018年)
Heidegger, M. (1953/2010). Sein und Zeit. Max Niemeyer Verlag. (Being and Time. trans. J. Stambaugh. State University of New York Press. 細谷貞雄訳『存在と時間(上・下)』筑摩書房,1994年)
Schutz, A. (1964). On Multiple Realities. In: M. Natanson, (Ed.). Collected Papers, Vol. Ⅰ: The Problem of Social Reality. (pp. 207-259). Martinus NijHoff. (渡部光・那須壽・西原和久訳「多元的現実性について」『アルフレッドシュッツ著作集 第2巻 社会的現実の問題Ⅱ』マルジュ社,9-80頁,1985年)
Wittgenstein, L. (2024). Tractatus Logico-Philosophicus. trans. B. McGuiness & D. Pears. Routledge. (野矢茂樹訳『論理哲学論考』岩波書店,2003年)