『C02 思いの幅を拡げる』のカバーアート

C02 思いの幅を拡げる

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概要
C. 哲学することC.2. 思いの幅を拡げるC.2.1. 今回は、「思いの幅を広げる」ことについて、考えてみたいと思います。C1にて、思いとは、日々嬉しい、楽しい、悲しいといった感情に加え、これが大事だ、これが正しい、この方が善い、あるいはこれが美しいと感じられた経験によって、まるで雪が降り積むように積み重なっていく感覚・思考・判断のまとまりだと、考えてみたのでした。C.2.2. 私たちが生きているこの世界には、そのようにして積み重なったまとまりが、いたるところに結晶化していると思っています。例えば言語も、料理も、ダンスも、絵画も、音楽も、映画も、そうした「思い」が結晶化していったものの一つだと思うのです。C.2.3. そうして積み重なったさまざまな思いは、何らかの厚みを持つようになります。文化人類学の用語に「意味の厚み」という、一見するだけではなぜそんなことをしているのかわからない他の地域の文化には、一つだけに限らないたくさんの意味が積み重なっているものだということを示す概念があります。C.2.4. 例えば、お祭りはただ単に飲み食いするだけのイベントではありません。飲食を通じて身近な人との親密さを高めること、音楽や舞踊を介して人々が世代を超えて互いにコミュニケーションをとること、そうしたコミュニケーションを通じて地元の経済を潤し、地域の無形文化を保存していくことなど、さまざまな意味が相互に積み重なっていて、切り離せないものです。C.2.5. それと似たように、日常の出来事への思いにも、単に前後の文脈の単純さや複雑さを説明されただけでは見えてこない、一人の人間の思いがたくさん込められることで生まれてくる、「厚み」があるように思うのです。C.2.6. 今回はこうした、確かにこの世界に実在する、人々の抱く「思い」の厚みの違いについて、「思いの幅」という言葉を比喩に用いて、考えてみたいと思います。C.2.7. 例えば、外を夜中に一人で歩くという出来事について、みなさんはどんな「思い」を持っておられるでしょうか。仮に、その歩く人が女性である場合と、男性である場合とで、起きる出来事の違いはたくさんあると考えられます。男性からいきなり肩をぶつけられる、身体を触られる、追いかけられ、身体を掴まれる。最悪の場合には、レイプ、殺害の危険もあります。C.2.8. もちろん、男性の場合でも、いきなり身体を触られる、追いかけられる、レイプ、殺害の危機は存在しています。しかし統計的に観たとき女性は男性と異なり、10名に1人が強制的な性交を強いられていることがわかっています。その7割以上が顔見知り、またはパートナーからのものであり、被害のほとんどが30代までに、特に20代の間に生じている点で、幼い年齢からこれらの危機に家庭のなかでも晒され続けていることは明らかです。C.2.9. こうした強制的な暴力が家庭生活のなかにすら埋め込まれているにもかかわらず、女性が性的なアピールと男性に受け取られる服装をしているから、性欲の強い男性からの被害を受けるのだという非難は、しばしば起こってきました。しかし果たして本当に、何らかの欲求へのアピールをした人間が悪く、アピールされたことで駆り立てられた欲求を満たしただけの人間は、悪くないのでしょうか。C.2.10. この非難が前提としている「思いの幅」の狭さ、そしてその薄さについて、ちょっと考え直してみましょう。例えば、夜中に一人で歩いていたある女性が性的なアピールを伴う服装を、互いに性的に愛し合う関係にある恋人とのデートのために着てきていたとしましょう。こうした状況下でも、そのようなアピールをする服を着ている女性のほうが、そんな服装で性被害に遭っても自己責任だと、咎められるべきでしょうか。仮に、それでもその服装の露出の多さなどから、「一般道徳として咎められるべきだ」と、一層非難されたとしましょう。C.2.11. ではこの「一般道徳」について考え直してみるべく、まったく別の場面で考えてみましょう。あるキャンプ場にきていたカップルが、二人で一緒に食べようと思って...
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