エピソード

  • 【御朱印】のお話。 浄土真宗のお寺には御朱印が無い!?
    2025/05/14
    🔶 御朱印と浄土真宗:なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 御朱印ブームの現在最近、御朱印を集めるのが流行っています。テレビで芸能人が紹介したり、文房具店にはおしゃれな御朱印帳が並んでいたりして、目を引きますよね。しかし、意外に知られていないのが、浄土真宗のお寺には御朱印がないという事実。今回は、その理由と御朱印の歴史についてお話しします。🔶 御朱印のルーツとは?御朱印のはじまりは、お経を写してお寺に納めた証として印をいただくことにあります。特に「法華経」を納める際の受領印がその起源とされています。高千穂さん:「中世には“六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)”という人々が全国を巡って法華経を納めていました。その活動の証が御朱印だったんです」🔶 江戸時代の御朱印文化江戸時代には「御朱印帳」という冊子の形が普及し、参拝の証として御朱印を集める文化が広まりました。この背景には、当時の移動制限も関係していたといいます。高千穂さん:「江戸時代の人は簡単に他の藩に移動できなかったんです。でも“信仰のため”なら関所を通ることが許されていたので、神社仏閣への参拝は立派な旅行の理由になったんです」その参拝記録として御朱印帳は重宝されたのです。🔶 明治維新と御朱印の変化明治時代になると大きな社会変革が訪れます。「神仏分離令」によって神社とお寺は明確に分けられ、御朱印文化にも変化が生まれました。また、庶民が自由に移動できるようになり、信仰目的でなくても旅行が可能に。その結果、御朱印は「参拝記念」の性格が強くなっていきます。🔶 スタンプから御朱印ブームへ昭和初期になると「スタンプラリー」的な文化が浸透し、御朱印もまた「記念スタンプ」のように親しまれるようになります。高千穂さん:「近年の御朱印ブームも、平成後期から現在にかけて徐々に広まりました。特別なきっかけがあったというより、SNSなどで紹介される中で自然と人気が出てきた印象です」🔶 では、なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?仏教の多くの宗派では、写経や参拝を通じて“功徳”を積むことを重視します。御朱印は、その功徳の証として存在するものでした。高千穂さん:「しかし、浄土真宗は“自力で功徳を積む”教えではないんです。阿弥陀如来の救いの力にすべてをお任せし、念仏を申して生きる教えです」そのため、写経や御朱印という修行的な行為を行わないのが真宗の特徴でもあります。🔶 参拝記念スタンプはありますとはいえ、築地本願寺や西本願寺などでは“参拝記念スタンプ”を用意しているお寺もあります。高千穂さん:「御朱印ではありませんが、お参りの思い出として記念スタンプを押してもらうのは歓迎されています。気軽に受け取れるので、ぜひ旅の記念にどうぞ」🔶 まとめ:御朱印に込められた意味を知る今週は「御朱印と浄土真宗」についてお話を伺いました。高千穂さん:「御朱印はもともと写経を納めることで功徳を積む証として始まりました。それがやがて時代の変化とともに“参拝記念”の役割に変わり、文化として定着しました」しかし、浄土真宗の教えでは“阿弥陀仏のはたらき”によって救われるとされ、自力修行による功徳の蓄積を必要としません。高千穂さん:「だからこそ、真宗には御朱印がないんです。でも、参拝の喜びを形に残す“記念スタンプ”というかたちで、仏縁にふれることはできますよ」* 例外的対応ただし、近年では観光客への対応や文化的な側面として、一部の浄土真宗寺院で限定的に御朱印を授与しているところもあります。たとえば、「参拝記念」として日付入りの印を押すスタイルで、他宗派のような「納経」や「修行の証」としてではなく、あくまで記念印的な扱いで行われています。🔶 次回予告:「親鸞聖人の誕生日・降誕会」次回は、親鸞聖人の誕生日を祝う降誕会...
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    9 分
  • 【仏教と子ども】のお話。 お寺は子どもたちの学びの場
    2025/05/07
    🌟今回は「仏教と子ども」のお話。 お寺は子どもたちの学びの場だった🔶 仏教と子ども:お寺は学びと育ちの場こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 お寺は高齢者だけの場じゃない?高千穂さん:「“お寺=法事やお葬式の場所”というイメージを持たれる方も多いと思いますが、実は昔から子どもたちのための行事や学びの場でもあったんです」その代表が「日曜学校」と呼ばれる活動。これは仏教の教えを子どもたちに伝えるための取り組みで、実はキリスト教の“サンデースクール”と似た側面もあるのだとか。🔶 お寺の教育といえば“寺子屋”教育とお寺の関係といえば「寺子屋」を思い浮かべる方も多いでしょう。高千穂さん:「寺子屋は、平安時代に始まったお寺での教育がルーツとされ、江戸時代には読み書きそろばんなどを教える庶民の教育の場でした。武士の子どもは武家屋敷で、庶民の子どもはお寺で――そんな時代背景があったんです」このように、お寺はかつて“地域の学び舎”でもあったのです。🔶 仏教版サンデースクール「日曜学校」そして、もう一つの大きな柱が「日曜学校(少年教化)」です。高千穂さん:「その起源は、明治13年(1880年)、福岡・博多の萬行寺にて七里恒順先生が始めた活動にさかのぼります」少年少女に向けて、親鸞聖人や阿弥陀様の教えを伝えるこの活動は、やがて全国の寺院へと広がっていきました。🔶 日曜学校の中身って?一般的な日曜学校では、まずお経をみんなでお勤めし、その後は紙芝居や影絵、レクリエーション、ゲームなどを楽しみます。高千穂さん:「最後にみんなで歌を歌って終了、というのが定番の流れです。地域によっては昔話を語るお年寄りを招いてお話会をしたり、民話を通じて熊本の歴史を伝える場にもなっていました」今では少子高齢化やコロナ禍の影響で開催が難しいお寺も増えていますが、お寺を楽しい思い出の場所にするための取り組みとして大切にされてきたのです。🔶 「児童念仏奉仕団」という夏の体験夏休みや春休みに行われるのが「児童念仏奉仕団」という特別な活動です。高千穂さん:「熊本の子どもたちが集まって京都・西本願寺へ行くんです。念仏を称え、奉仕活動を行い、仏教に親しむだけでなく、水族館やユニバーサル・スタジオ・ジャパンといったお楽しみもあります」宗教行事と修学旅行、そして仲間との交流が一体となったこの経験は、参加した子どもたちの心に深く残ることでしょう。🔶 子どもたちと、もう一度お寺で丸井:「仏嚴寺さんでも昔は子ども会をしていたんですよね?」高千穂さん:「はい、少子化の影響で今はお休みしていますが、もし“やってほしい”という声があればぜひ再開したいと考えているところです」地域に子どもたちが集う場所が減っている今だからこそ、お寺のあたたかさと仏教のやさしさを届けたい――そんな思いが伝わってきました。🔶 まとめ:子どもたちの心に仏の種をまく場所今週は「仏教と子ども」をテーマにお話を伺いました。高千穂さん:「お寺は昔から子どもたちの成長に寄り添ってきました。日曜学校や児童念仏奉仕団などを通して、命の大切さや感謝の心を育てる場でもあったんです。うちのお寺でも、またそんな活動ができる日を楽しみにしています」🔶 次回予告:「浄土真宗には御朱印がない?」次回は「浄土真宗には御朱印がない?」という、ちょっと意外なお話をお届けします。どうぞお楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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    9 分
  • 【ジャータカ物語】のお話。 「タカとハト」のたとえに学ぶ命の尊さ
    2025/04/30

    🌟今回は「ジャータカ物語」のお話。 タカとハトの例え。お釈迦様の前世の物語!


    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるお話をお届けします。


    🔶 ジャータカ物語とは?

    今週のテーマは「ジャータカ物語」

    これはお釈迦様の前世における物語で、古代インドでは民衆に仏教を広めるために説かれた重要な説話集です。

    高千穂さん:「今回はその中から『タカとハトのたとえ』というお話をご紹介します」


    🔶 「タカとハトのたとえ」

    昔、インドに「シビ王」という正義感あふれる王様がいました。

    ある日、王様のもとに一羽のハトが飛び込んできます。

    「助けてください!タカに追われているんです」

    ハトを匿った王様のもとに、間もなくタカが現れます。

    「王様、そのハトを渡してください。私は何日も食べておらず、このままでは飢え死にしてしまいます」

    タカの訴えに、王様は苦悩します。

    そしてついに、自らのもも肉を切り取ってタカに与える決意をします。

    しかし、タカは「それでも足りない」と言います。

    仕方なく反対の足のもも肉も切り取りますが、それでも釣り合いません。

    ついには、王様自身が秤に乗り、その命を丸ごとタカに差し出しました。

    その瞬間、タカとハトは菩薩様の姿に変わり、こう告げます。

    「あなたは命の重さ、命の尊さに気づいてくれた。あなたの行いは素晴らしい。あなたは仏となるでしょう」

    このシビ王こそ、お釈迦様の前世の姿だったのです。


    🔶 命の重さは、すべて等しい

    この物語は、「人も鳥も、すべての命は等しく尊い」というメッセージを伝えています。


    • 大人も子どもも

    • 動物も草木も

    • 敵も味方も

    命の重さに違いはない

    私たちは他の命をいただきながら生きている――

    この物語は、その厳しくもありがたい事実を、優しく語りかけてくれます。


    🔶ジャータカ物語には他にも素敵なお話がたくさん

    高千穂さん:「月にウサギがいるという話、聞いたことありますよね?あれも実はジャータカ物語の一つなんです」

    ウサギが月に昇った理由――その物語も、ジャータカの世界に息づいています。

    絵本や児童書などでやさしく読めるものも多いので、ぜひ手に取ってみてくださいね。


    🔶 まとめ:命をいただき、生きる私たちへ

    今週は「ジャータカ物語:タカとハトのたとえ」をご紹介しました。

    高千穂さん:「この物語から、命はすべて等しく尊いということ、そして私たちは多くの命をいただきながら生かされていることに気づかされます

    日々の中で、その命のありがたみを改めて感じていけたら素敵ですね」


    🔶 次回予告:「仏教と子ども」

    来週は「仏教と子ども」についてお話します。

    仏教が子どもたちに伝えたいこととは?どうぞお楽しみに!


    🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

    メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。


    出演

    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正

    司会:丸井純子

    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。

    あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。


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    9 分
  • 【六曜と仏教】のお話。 仏滅はもともと物滅! 親鸞は嘆いていた…
    2025/04/23

    🌟六曜と仏教:占いに揺れ動く私たちの心と、親鸞上人のまなざし


    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるお話をお届けします。


    🔶「六曜」とは何か?

    「大安」「仏滅」「友引」など、冠婚葬祭の日取りを決めるときによく目にする“六曜(ろくよう)”。

    これは月曜から日曜までの「七曜」に対し、六日を一周期とする暦の区分です。

    高千穂さん:「六曜は中国・三国時代の諸葛孔明が軍略に使った“孔明六曜星”に由来すると言われています。日本には14世紀頃に伝わり、実際に広く使われるようになったのは幕末以降のことなんですよ。」

    現代では、占いのように扱われがちですが、仏教とは無関係であるということが大前提です。


    🔶友引と仏教の誤解

    「友引の日に葬儀をしない」――そんな風習を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

    高千穂さん:「“友を冥土に引く”というイメージから避けられがちですが、実はこれは完全な誤解なんです。そもそも“友引”は当て字であり、仏教とは一切関係ありません。」

    しかし、火葬場が友引に休みを取る地域もあり、現代でも慣習的に影響が残っているのが実情です。


    🔶仏滅も仏教と関係ない?

    丸井:「仏滅って名前からして悪い日って感じしますよね?」

    高千穂さん:「実はそれも全くの誤解なんです。“仏が滅びる”ではなく、もともとの字は“物滅(ぶつめつ)”。“物が一度滅び、新たに始まる”という意味なんです。」

    さらに“滅度”とは、サンスクリット語の「ニルヴァーナ(涅槃)」の訳語であり、本来は仏となる悟りの境地を意味します。

    つまり、“仏滅=悪い日”という考え方もまた、仏教的根拠はないということです。



    🔶親鸞上人の言葉に耳をすます

    親鸞聖人は、こうした迷信や占いに対する姿勢を、こんなふうに表しています。


    「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祗をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」


    高千穂さん:「“日を選び、神にすがり、占いに頼る世のあり方”を、“悲しきかな”と嘆いておられるのです」

    それは、占いに一喜一憂し、“自分自身を見失ってしまう”生き方への警鐘でもあります。



    🔶占いに縛られる私たちの心

    現代でも、「今日は仏滅だからやめておこう」「大安なら安心」といった心の動きは、誰しも少なからず経験しているかもしれません。

    高千穂さん:「でも本来、仏教は“その日に何をするか”よりも、“今ここをどう生きるか”に重きを置いています。占いによって行動を狭めてしまうのは、本当にもったいないことなんです。」



    🔶まとめ:迷信ではなく、仏の教えに耳を澄ませて

    今週は「六曜と仏教」というテーマでお届けしました。

    高千穂さん:「六曜に代表される占いは、もともと仏教とは無関係なものです。そしてそれに振り回される生き方は、親鸞上人の教えから見ても“悲しいこと”だとされています。

    仏教は、今のこの私をそのまま丸ごと受け止めてくれる教え。どうぞ、安心して今日という日を生きていただきたいと思います。」


    あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

    メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。



    🔶出演

    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正
    司会:丸井純子


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  • 【仏教と花】のお話。 仏花として菊をよく使う理由は…
    2025/04/16
    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるさまざまなお話をお届けします。仏教と花の深い関係高千穂さん:「お寺やお墓に行くと、お花がきれいに飾られているのを目にしますよね。実はあの花、亡き人のためというだけではなく、お浄土(じょうど)という美しい世界をこの世に表すために供えられているんです」仏教では、花は「荘厳(しょうごん)」と呼ばれる装飾の一つ。お浄土の美しさを象徴し、私たちがその理想に近づこうとする心のあらわれでもあります。仏前に花を供える文化のはじまり6世紀に仏教が日本に伝来すると同時に、「仏前に花を供える」という風習が生まれました。高千穂さん:「仏前に供える花を“仏花(ぶっか)”といいます。華厳経(けごんきょう)や法華経(ほけきょう)など、経典の名前にも“花”という字が含まれています。それほど仏教と花は深く関わっているのです。」インドの仏教では蓮(はす)の花が象徴的ですが、日本では季節の花々が仏前を彩ってきました。仏花としての“菊”の歴史仏花といえば「菊」を思い浮かべる方も多いでしょう。でも、この文化は意外にも戦後以降に定着したものだそうです。高千穂さん:「昔は行列を組んでお葬式をする風習があり、季節ごとの花が使われていました。ですが、戦後に菊が一年中手に入るようになったこと、そして西洋の祭壇スタイルが入ってきたことで、現在のように菊が仏花の定番となったんです」日持ちがよく、準備しやすいという実用性も、菊が選ばれた大きな理由です。仏教の象徴“蓮の花”に込められた意味蓮の花は、仏教において特別な意味を持つ花です。高千穂さん:「蓮は“泥の中から美しい花を咲かせる”という性質を持っています。この泥は、煩悩や苦しみにまみれた私たちの姿を表しているんです。」その泥から咲く蓮の花は、そんな私たちをも阿弥陀如来(あみだにょらい)が必ず救ってくださるという仏の誓いを象徴しています。浄土真宗では、ご本尊の阿弥陀如来が蓮の台座に立っておられるのも、そうした意味を込めてのことです。念仏を称える者を表す花さらに、蓮の花は念仏を称える者そのものの象徴でもあります。高千穂さん:「仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)というお経には、“もし念仏するものはまさに知るべし、この人はこれ人中のフンダリケなり”という言葉が出てきます。フンダリケとは、サンスクリット語で“白蓮華”を意味する言葉です」つまり、念仏を称える者は蓮の花のように清らかで尊い存在であると説かれているのです。仏花の選び方に決まりはあるの?丸井:「菊じゃないとダメ、ってことはあるんですか?」高千穂さん:「いえ、そういう決まりはありません。ただし、とげのある花や匂いが強すぎる花は避けたほうがいいでしょうね」まとめ:花に込められた祈りのこころ今週は「仏教と花」というテーマでお話を伺いました。高千穂さん:「仏教と花には長い歴史と深い意味があります。特に菊や蓮の花は、仏さまの教えや、私たちの心を映し出す大切な存在です。花を通して、仏さまの慈しみや、浄土の世界の美しさに思いを馳せていただければと思います」次回予告:「六曜と仏教」来週は「六曜(ろくよう)と仏教」をテーマにお送りします。「大安」「仏滅」など、日取りに関するあの“六曜”は仏教と関係があるのか?――そのルーツに迫ります。お楽しみに。あなたのお悩み、お聞かせくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談もお待ちしています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただきありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心から感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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    9 分
  • 【仏教とAI】のお話。 お坊さんの役割はAIに取って代わられるのか?
    2025/04/09
    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんと一緒に、仏教にまつわるさまざまなお話をお届けします。仏教の世界にもAIがやってきた?今週のテーマはなんと「仏教とAI」。まったく異なる世界に見えるこのふたつが、今、大きく交わろうとしています。高千穂さん:「実は、仏教界にも人工知能(AI)が導入されてきて『ブッダボット』というAIがあります。これはお釈迦様の教えを学習して、悩みに対して仏教的な答えを返してくれるチャットボットなんですよ」まさに仏教版ChatGPTといったところ。質問を入力すると、経典に基づいたメッセージで悩みに答えてくれるというのです。丸井:「すごいですね…でも、高千穂さん、正直困りませんか?(笑)」高千穂さん:「はい、めちゃくちゃ困ります(笑)」親鸞ボット・世親ボットも登場!ブッダボットに加えて、「親鸞ボット」「世親ボット」といった、特定の仏教思想を反映したAIも開発されています。親鸞ボットは、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教えをベースに。世親ボットは、古代インドの僧・世親(ヴァスバンドゥ)の教義を学習。それぞれのボットが異なる仏教哲学を学び、ユーザーの質問に応じて言葉を返してくれるそうです。AI仏教の3つの価値この仏教AIには、次のような価値が期待されています:学術的価値:新しい仏教解釈や思想の発展のきっかけとなる産業的価値:悩み相談や心のケアのデジタル化による社会的活用宗教的価値:仏教の教えを広く、深く伝える手段となるさらに、AIによって僧侶の話し方や説明の質も向上し、信者との関係性も深まる可能性があるといいます。お坊さんの仕事もAIに?AIが仏教相談を担うようになれば、「お寺に行かなくてもスマホで相談できる」時代になるかもしれません。丸井:「それって、お坊さんの仕事が減ってしまう可能性もありますね…」高千穂さん:「そうなんですよ。相談の内容によっては、人よりもAIのほうが話しやすいってこともあるでしょうし…」匿名性が高く、感情を持たないAIだからこそ打ち明けられる悩みもあるかもしれません。仏教における「言葉の重み」とAIの限界ただし、仏教の経典には一字一句が持つ意味が深く、解釈を間違えると全く異なる意味になってしまうという側面もあります。高千穂さん:「仏教では、同じ経典の一節でも、宗派によって解釈が異なり、時には論争になることもあるんです。AIがこの“言葉の繊細さ”をどこまで理解できるのかは、まだ未知数です」言葉を“伝える”だけでなく、“受け取る心”をどう育てるか。そこに人間ならではの力が求められるのかもしれません。2025年、ブータンでは国家レベルで導入ちなみに、2025年から仏教国・ブータンでは、この仏教AIが国家事業として運用されるそうです。仏教とテクノロジーの融合は、世界レベルで進んでいます。高千穂さん:「今、“葬式仏教”などと揶揄されることもある現代の仏教にとって、AIは大きな転機となるかもしれません。“お経をあげて終わり”ではなく、“人の悩みに寄り添う仏教”の本質が、AIによって改めて問われる時代が来たのではないかと思います」まとめ:AI時代の仏教に、私たちはどう向き合うのか今週は、「仏教とAI」という、まさに時代の最先端を行くテーマについてお話を伺いました。高千穂さん:「ブッダボットや親鸞ボット、世親ボット。これらは、仏教が時代の変化にどう適応するかを考えるうえで、非常に重要な存在です。我々僧侶にとっても、“心に寄り添う”という仏教本来の姿勢を見直すきっかけになるのではないでしょうか」次回予告:「仏教と花」次回のテーマは、「仏教と花」。お釈迦様と花の関係や、仏教儀礼における花の意味についてお話します。どうぞお楽しみに。あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さんからのお悩み相談を受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子今週もお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心...
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  • お釈迦様の誕生日を祝う【花まつり】のお話し 仏教の優しさにふれる春の日に
    2025/04/02
    出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子🎧 花まつりとは何か?今週のテーマは「花まつり」。ちょうど一年前に高千穂さんがRKKの番組『とんでるワイド』でこのお話をされてから、さまざまなご縁が重なり、この番組がスタートしたそうです。高千穂さん:「1年経つのは本当に早いですね。この花まつりは『灌仏会(かんぶつえ)』とも呼ばれていまして、4月8日、お釈迦様のお誕生日を祝う日なんです」お釈迦様は今から約2500年前、現在のネパール・ルンビニーの花園でお生まれになったとされています。その誕生の際、花が咲き乱れ、天から甘露の雨が降ったという伝説があり、それが花まつりの由来です。甘茶と白い象の意味お釈迦様の誕生を祝って、花で飾られた「花御堂(はなみどう)」の中に安置されたお釈迦様の像に、甘茶をかけるという風習があります。丸井:「あの甘茶、なんでかけるのか考えたことがありませんでした」高千穂さん:「あれは、天から降った甘露の雨の再現なんです」また、白い象の像を見かけたことがある人もいるかもしれません。これは、お釈迦様の母・摩耶夫人(まやぶにん)が、白い象が自分の体内に入る夢を見て懐妊した、という伝説に由来しています。「天上天下唯我独尊」に込められた本当の意味お釈迦様が生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えたという逸話があります。どこか「自分が一番偉い」と誤解されがちな言葉ですが、本来の意味は「この世のすべての命は唯一無二で、かけがえのない尊いものだ」という仏教の根本思想を表したものです。正岡子規が詠んだ花まつりの歌近代文学の巨匠・正岡子規(まさおか しき)は、花まつりについて次のような歌を詠みました。「げんげんも つつじも時と 咲きいでて 佛生るる日に逢はんとや」これは、れんげ草やつつじが一斉に咲き始める様子を、お釈迦様の誕生日に合わせて咲こうとしているかのようだ、と詠んだものです。結核や脊椎カリエスに苦しみながらも、仏教に出会ったことで支えを得たという子規の人生。この歌には、苦しみの中でも生きる意味を見出そうとした子規の祈りが込められています。高千穂さん:「花まつりは、ただ花を飾るだけの行事ではなく、そうした人の心のよりどころとしての仏教の教えが息づいている行事なんです。お釈迦様のお誕生日を祝う機会に、ぜひ多くの方に日々の忙しさの中で、ふと立ち止まり、命の尊さに思いを寄せる——そんなひとときになればと思います」まとめ今週は、「花まつり」をテーマに、仏教におけるお釈迦様の誕生日の意味や、その背景にある教えを深掘りしました。高千穂さん:「花まつりとは、命の尊さと仏教の教えにふれる大切な行事です。甘茶をかけるという優しい所作のなかに、2500年続く祈りが込められています。ぜひ皆さんにも参加していただきたいですね。」次回予告:仏教とAIの関係来週は、少し現代的なテーマに迫ります。「仏教とAI」について、高千穂さんの視点からお話を伺います。どうぞお楽しみに。今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたとのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。★お悩み相談受付中番組では、あなたからのお悩みやご質問もお待ちしております。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。📻地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4 AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。📢 Podcastで過去回も配信中!▶️ 各種ポッドキャストはコチラ https://linktr.ee/takachihogoen2025年4月2日(水)RKKラジオ放送分#仏教 #花まつり #浄土真宗 #正岡子規 #天上天下唯我独尊
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    9 分
  • 【医療現場における宗教者の役割】のお話し 患者さんの話を聴くことの大事さ
    2025/03/26
    🎧 今回は、高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんとともに、「医療現場における宗教者の役割」について考えていきます。さらに、ゲストとして今週も杉村病院総長・熊本大学名誉教授の安東由喜雄(あんどう ゆきお)先生をお迎えしました。医療現場における宗教者の役割:傾聴と心のケアの重要性チャプレンとは? 宗教者が果たす役割医療の現場では、患者さんやそのご家族が抱える心の痛みに寄り添う「チャプレン(Chaplain)」と呼ばれる宗教者が活躍しています。特に欧米では、キリスト教、仏教、イスラム教など、宗派を超えて患者さんのケアを行う活動が広がっています。高千穂さん:「安東先生、このチャプレンのような宗教者の活動について、どう思われますか?」安東先生:「とても重要なことだと思います。人は一人では死ねないものです。ある絵本に『だいじゅうぶだよ、ゾウさん』という物語があります。森で最期を迎えようとする老いたゾウが、ネズミに導かれながら静かに旅立つ話なのですが、これが示すように、どんな命も誰かの助けを必要とするのです」日本の「臨床宗教師」とは日本では、「チャプレン」に近い役割を担う**「臨床宗教師」**という存在がいます。高千穂さん:「先生、臨床宗教師についてご存じでしたか?」安東先生:「申し訳ないのですが、初めて聞きました」高千穂さん:「臨床宗教師とは、医療現場や災害現場で心のケアを行う宗教者のことです。伝道活動はせず、『傾聴』を重視した支援を行うのが特徴です。」患者さんが抱える悩みや苦しみをじっくり聞くことで、心の負担を軽減し、穏やかな気持ちになってもらうことが目的です。安東先生:「それは非常に大切なことですね。医療の現場では、医療の限界が見えてしまうことが多いんです。そうした時、患者さんの心のケアがどれほど重要かは計り知れません」「話を聞く」ことの力医学的に回復が難しい場合、患者さんの「心の在り方」が治療に大きな影響を与えます。安東先生:「同じ薬を飲むにしても、『効かないかもしれない』と思うより、『これは効くに違いない』と思う方が効果が出やすい。つまり、心の持ち方が治療の一部になり得るのです」しかし、近年の医療現場は多忙を極め、ナースや医師がじっくり患者の話を聞く時間を確保するのが難しくなっています。高千穂さん:「そこで宗教者の存在が重要になってくるのですね」安東先生:「その通りです。宗教者は医学的な治療が及ばない領域で、患者さんの気持ちを支える大切な役割を担うことができます」日本における宗教者の役割欧米では、死を迎える場面で神父や牧師が登場するのが一般的ですが、日本の映画やドラマでは仏教の僧侶が登場することは少ないように感じられます。高千穂さん:「日本の仏教界も、これからもっと積極的にこの分野へ関わっていくべきではないでしょうか?」安東先生:「そう思います。実際、日本でも東日本大震災以降、臨床宗教師の活動が本格化しています。仏教界でも、宗派を超えて協力し合いながら、この役割を果たしていくことが求められています」死後の世界を考えること高千穂さん:「日本では『死んだら終わり』という考え方が根強いですが、それではあまりにも寂しいですよね」安東先生:「私も年齢を重ねるにつれ、死への恐怖やその先の世界について考えるようになりました。医療ができることには限界がありますが、心の支えとなるものがあれば、人はもっと穏やかに最期を迎えられるのではないでしょうか」まとめ今週の放送では、「医療現場における宗教者の役割」について考えました。高千穂さん:「医療がすべてを救えるわけではありません。だからこそ、宗教者ができること—人の話を聞き、仏教の教えを伝え、心のケアを行うこと—が重要になってくるのではないでしょうか」安東先生:「宗教の持つ『傾聴の力』は、患者さんにとって大きな支えになります。これからの医療と宗教の協力がさらに深まることを願っています」次回のテーマ:「花まつり」次回の放送では、「花まつり」についてお話しします。どうぞお...
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