エピソード

  • 【終活】のお話 ~仏教の視点で見直す~
    2025/12/17

    終活を仏教の視点で見直します


    🔶終活の目的を整理します

    終活は、人生の終わりに向けて準備する活動です。残される人への負担を減らし、自分自身の不安を和らげ、人生の集大成を整える時間でもあります。


    🔶終活で整える主な項目

    物や人間関係の整理(片づけ、連絡先の整備)

    財産の整理(相続・生前贈与・口座や保険の確認)

    医療・介護の意思表示(延命の可否、在宅/施設の希望など)

    葬儀・埋葬の方針(形式・喪主・菩提寺・お墓/納骨堂/合葬墓/散骨 など)

    書面の準備(エンディングノート、遺言書)


    🔶変わる葬儀・お墓のかたち

    家族葬、直葬、1日葬など多様化が進み、墓所も合葬墓や納骨堂など選択肢が広がっています。背景には、同居の減少や住居事情(仏壇を置きにくい間取りなど)といった社会構造の変化があります。


    🔶「伝える」終活――情報共有が要です

    菩提寺(ぼだいじ)の所在・連絡先、先祖の墓所・納骨先

    葬儀社の希望、喪主・連絡リスト、形見分けの意向

    エンディングノートに書くだけでなく、家族と対話して共有しておくことが大切です。書面に残らない「経緯・思い」も会話で伝わります。


    🔶浄土真宗から見た核心――『白骨の御文(はっこつのごもん)』

    蓮如上人(れんにょ しょうにん)の『御文(=本願寺派では『御文章(ごぶんしょう)』)』は、いのちの無常を静かに示します。

    「朝には元気な人が、夕べには白骨となる身」――だからこそ、阿弥陀如来(あみだ にょらい)の救いに遇(あ)い、念仏を申す道を聞き開いていくことが肝要だと説きます。

    終活は手続きや物の整理にとどまらず、「いのちの行方」を聞き、今を生き直す仏縁の機会でもあります。


    🔶実践のヒント(チェックリスト)

    菩提寺・墓所・過去帳の確認/連絡先を家族で共有した

    医療・介護・葬儀の希望を書き出し、家族と話し合った

    財産目録・重要書類の所在を一箇所にまとめた

    エンディングノートと遺言書(必要なら公正証書)の使い分けを理解した

    仏事の基本(枕経・通夜・葬儀・年忌法要の流れ)を菩提寺に相談した

    仏さまの教えを聞く場(ご法話・報恩講など)に足を運ぶ予定を入れた


    🔶今週のまとめ

    終活は「残すための整え」と同時に、「今を生き直す学び」です。

    社会の変化で葬送の形は多様化。だからこそ情報共有と対話が重要です。

    浄土真宗の要は、無常に目覚め、阿弥陀如来の救いを聞き開くこと。手続きの準備と、ともに歩む心の準備を両輪にしましょう。


    🔴次回のテーマは「クリスマス・イブに寄せて」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【仏教と人権】──「仏のまなざし」で平等を考えます
    2025/12/10

    🔶世界人権デーの由来を押さえます

    12月10日は世界人権デーです。これは1948年(昭和23年)12月10日、パリで開かれた国連総会で「世界人権宣言」が採択されたことに由来します。宣言は前文と30条から成り、「すべての人は法の下に等しく保護される」ことなど、基本的人権の尊重という原則を国際的に掲げました。第2次世界大戦下の迫害や人権侵害の反省から、「人権の保障は世界平和の基礎である」という考えが広がったのです。


    🔶仏教の平等観をたどります

    お釈迦さまは、すべての命は等しく尊いと説きました。これは、身分差を前提にした古代インド社会において画期的な教えでした。生まれや地位に関わらず、人はみな苦(生老病死)を生きる同じ存在であり、そこに差を設けない――それが仏教の平等です。


    🔶カーストと「無差別」の教えを照らします

    当時のインド社会には、バラモン(司祭)・クシャトリヤ(王侯・武人)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(労働者)等の身分秩序(のちにカーストと呼ばれる)がありました。お釈迦さまは、その区別を超えて出家者の集いを開き、身分や出自で価値を量らない「無差別」の実践を示しました。


    🔶念仏と平等──法然・親鸞の転換を押さえます

    時代が下ると、学識や財力に依る修行が重んじられ、宗教世界にも階層差が生じました。これに対し、法然上人・親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」と念仏を申す道こそ、誰にでも開かれたすぐれた行であると示しました。能力や功徳の“量”で救いが分かれるのではなく、阿弥陀如来の本願によって、どの命にも等しくはたらきが届く――ここに仏教の平等が具体化します。


    🔶『仏説阿弥陀経』の蓮の喩えを味わいます

    経典には「青色は青光、黄色は黄光、赤色は赤光、白色は白光を放つ」と説かれます。蓮はそれぞれの色のまま光を放ちます。仏の光に照らされた命は、ありのままの個性のまま尊く輝く、という譬えです。だれかと同じになることではなく、「違いのまま等しく尊い」――それが仏の平等です。


    🔶人権と仏のまなざしを重ねます

    世界人権宣言は「人間の平等」を掲げます。仏教はそこへ、さらに「いのち全体」への視野を重ねます。人も他の生き物も、互いに命をいただき合って生きる存在です。仏のまなざしに学ぶなら、差別や排除を退け、違いを違いのまま尊重する具体的なふるまい(言葉づかい、配慮、制度づくり)へと私たちの実践は導かれます。


    🔶今週のまとめ

    12月10日は世界人権デーで、人権尊重を国際社会が確認した日です。

    仏教の平等は「仏のまなざし」に立ち、出自や能力によらず、すべての命が等しく尊いと見る立場です。

    法然・親鸞は念仏の道を、誰にでも開かれた救いとして位置づけました。

    『仏説阿弥陀経』の蓮の喩えは、「違いのまま等しく光る」平等のかたちを示します。

    人権の実践に、仏のまなざしを重ねて、日々の言葉と行為に平等を育てていきます。


    次回テーマは「終活」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【成道会特集:お釈迦さまの「中道」を今日に生かす】
    2025/12/03

    🔶成道会(じょうどうえ)特集|今回の放送でお伝えしたこと


    12月8日の成道会に合わせて、お釈迦さまが悟りに到るまでの道のり(四門出遊→出家→苦行と中道→スジャータの乳粥→菩提樹下の成道→初転法輪)を、できごとの順にたどりました。物語としての面白さだけでなく、「いま私がどう生きるか」へつながる視点も添えて解説しています。


    🔶放送の流れ(ダイジェスト)


    1. 出発点:王子シッダールタの不安

      ・豊かな生活を送りながらも、心は満たされなかった——ここに「苦(ドゥッカ)」の自覚が芽生えます。

    2. 四門出遊:老・病・死・出家者との遭遇

      ・老い・病い・死の現実に直面し、「苦を超える道」を探す決意が生まれます。

    3. 出家と6年の苦行

      ・ストイックな苦行を徹底するも、「苦行そのものでは悟れない」と見切りをつけ、中道へ。

    4. 転機:スジャータの乳粥

      ・心身を整え、再び“見る力”を取り戻す準備段階。

    5. 成道:菩提樹下の瞑想

      ・煩悩(誘惑)を見極め、明けの明星のころ「目覚め(ブッダ)」に到達。

    6. 初転法輪:鹿野苑で五比丘に説く

      ・四諦と八正道を示し、仏教の車輪が回り始めます。

    🔶放送で押さえたキーワード

    ・ブッダ=「目覚めた人」:新発見ではなく、元からある真理への到達。

    ・中道:快楽と苦行の両極端を離れた実践の道。

    ・四諦と八正道:苦の事実と、その終息に向かう具体的な実践指針。

    ・臘八会(ろうはちえ):多くの寺院で12/8に営まれる成道の法会名。


    🔶エピソードの読みどころ(番組の視点)

    ・「なぜ“苦行”ではなく“中道”なのか?」——身体をすり減らす修行から、心身を調える実践へ。

    ・「最初に説いた相手が“かつて去った五比丘”である意味」——関係の修復と普遍性の示し。

    ・「科学的知見と信仰的伝承の重ね合わせ」——史実(地名・人名・法要)と伝承(明星・49日瞑想など)を区別して紹介。

    ・「現代への置き換え」——“目の前の苦をどう見るか”“中道を日々の選択にどう落とすか”。


    🔶放送内の具体例(こんな話をしました)

    ・老・病・死を「見ないままにしない」ことの効用。

    ・SNS時代の“過剰な苦行”と“過剰な快楽”——心身のバランスを取り戻す「中道」のヒント。

    ・仕事・家庭・介護など、揺らぎの中で「いま取れる最善」を選ぶ視点。

    ・“悟りは遠い理想”ではなく、「苦を正しく見る」小さな実践の継続だという提案。


    🔶今回のまとめ

    成道会は、「苦」を避けずに見つめ、中道を実践へつなげる日です。四門出遊から初転法輪までの道のりを、歴史と伝承の双方から確認し、今日の暮らしの“選び方”に落とし込みました。


    🔶次回予告

    次回は「仏教と人権」。尊厳・平等・差別観と、仏教の視点を重ねてお届けします。


    🔶出演

    お話:熊本市中央区京町(きょうまち)・仏嚴寺(ぶつごんじ)
       高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん
      

      進行:丸井純子(まるい じゅんこ)


    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【報恩講(ほうおんこう)】とは
    2025/11/26

    浄土真宗で最も大切な年中行事が報恩講です。宗祖・親鸞(しんらん)聖人のご命日にちなみ、仏さまのご恩、そして教えを伝えてくださった先人のご恩に「報(むく)いて恩に謝する」法要として営まれます。


    🔶日にちと暦を整えます

    親鸞聖人のご命日:旧暦11月28日(新暦換算では1月16日)。

    本願寺派(西本願寺)では、宗祖のご命日に合わせて御正忌(ごしょうき)報恩講を1月16日前後に厳修します。

    真宗大谷派(東本願寺)では、11月21日〜28日に報恩講を営むのが通例です。

    旧暦(太陰太陽暦)は月の満ち欠けを基本とするため年日が短く、閏月で季節のずれを調整してきました。明治以降は太陽暦(新暦)へ移行し、法要日程の運用に両派の伝統が残っています。


    🔶報恩講のはじまり

    第3代本願寺門主・覚如(かくにょ)上人(親鸞聖人の曾孫)が、法要の次第を整えた『報恩講式(ほうおんこうしき)』を撰述。

    その子の存覚(ぞんかく)上人が内容を整備・普及に尽力しました。

    第8代・蓮如(れんにょ)上人の時代には、全国の寺院・道場へと広く定着していきます。500年以上に及ぶ歴史をもつ行事です。


    🔶報恩講で何をするのか

    お勤め:正信偈(しょうしんげ)などをお唱えします。

    ご法話:阿弥陀如来の本願と親鸞聖人のご遺徳に学び、念仏の道を確かめ合います。

    趣旨:供養中心ではなく、恩を知り、恩に報いる仏事として、今を生きる私の聞法(もんぽう)の場であることが要点です。


    🔶歎異抄の一節を手がかりに

    親鸞聖人の言行を伝える『歎異抄(たんにしょう)』には、

    「親鸞は、父母の孝養のためとて、一念一度も念仏申したること候はず」

    とあります。念仏は誰かのために「してあげる供養」ではなく、阿弥陀如来の働き(本願力)に遇(あ)った私の口からおのずとあふれる称名である、という核心が示されています。生死は無常。だからこそ本願に身をまかせ、今ここで聞法し念仏申す。報恩講は、その原点に立ち返るご縁です。


    🔶旧暦と新暦のミニ知識

    旧暦(太陰太陽暦)は1か月を約29.5日と数えるため、354日ほどで1年になり、季節とずれます。

    ずれを補うため閏月(うるうづき)を置きました。

    新暦(太陽暦)移行後、本願寺派は新暦1月、大谷派は新暦11月にそれぞれの慣行で報恩講を営んでいます。


    🔶今週のまとめ

    報恩講は、親鸞聖人のご命日にちなむ「恩に報いる」法要。

    起源は覚如上人の『報恩講式』、整備は存覚上人、全国的な普及は蓮如上人。

    趣旨は供養中心ではなく聞法中心。阿弥陀如来の本願に遇い、念仏の道を確かめるご縁です。

    暦の違いにより、西本願寺は1月(御正忌報恩講)、東本願寺は11月に営むのが通例です。


    来週のテーマは「お釈迦さまのお話」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【お布施のお話(その二)】 地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽に
    2025/11/19

    🔶「お布施(その二)」をやさしく読み解きます


    今週は、仏教の実践「布施(ふせ)」を前回につづいて深めます。ことば・人名・仏教用語を正しながら、日常に落とし込める形で整理します。


    🔶布施の語源を正します

    布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ) の意訳です。「自分の持ち物・力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を指します。

    なお、日本語の「旦那/檀那(だんな)」は仏教語で、施主・パトロンの意から来ました(関連語:檀家(だんか)・檀越(だんおつ))。浄土真宗では一般に「門徒(もんと)/門信徒」と呼び、「檀家」は用いないのが通例です。


    🔶六波羅蜜における布施

    菩薩の六つの修行 六波羅蜜(ろくはらみつ:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の第一が布施です。布施は次の三つに大別されます。


    1. 財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力などを分かち合います。

    2. 法施(ほうせ):教え・知恵・気づきを分かち合います。

    3. 無畏施(むいせ):恐れや不安にある人を安心へ導く支え(傾聴・付き添い・安全の提供など)です。
      いずれも見返りを求めない「贈与の心」が核です。


    🔶お金がなくてもできる「無財の七施」

    財産がなくても今日から実践できる布施が、**無財の七施(むざいのしちせ)**です。


    1. 眼施(がんせ):温かなまなざしを向けます。

    2. 和顔施(わがんせ/和顔悦色施):にこやかな表情で接します。

    3. 言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。

    4. 身施(しんせ):体を使って手助けします。

    5. 心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやりを向けます。

    6. 床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、居場所を提供します。

    7. 房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・休ませるなど、憩いの場を与えます。


    🔶「床座施」を日常に生かします

    バスや電車での席を譲ることは床座施の代表例です。要点は次の三つです。

    ・相手の状況(高齢・妊娠・体調等)に気づく眼施をもつ。

    ・和顔+言辞(やわらかな表情と一言)で申し出る。

    ・断られても気を悪くしない(見返りを求めない)。

    さらに、職場などで役割やポジションを後進に譲る姿勢も、広い意味での床座施です。執着から一歩離れる修行といえます。


    🔶執着から離れるヒント

    地位・所有・席へのしがみつきは、怒りや不満の芽になります。小さな一歩(席を譲る・順番を譲る・発言枠を譲る)を日々の習慣にすると、心の柔らかさが育ちます。できない日があっても構いません。続けようとする志が、布施のいのちです。


    🔶今週のまとめ

    ・布施は dāna の訳で、「惜しみなく分かち合う」実践です。

    ・六波羅蜜の第一で、財施・法施・無畏施の三施を含みます。

    ・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。

    ・とくに床座施は、席や役割を譲る実践。執着を離れる小さな歩みが、やさしい社会の土台になります。


    来週のテーマは「報恩講(ほうおんこう)」のお話です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の
    高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 「お布施のお話」その一 お金がなくてもできる「無財の七施」
    2025/11/12

    🔶「お布施(その一)」をやさしく整理します

    「お布施=お金や物を渡すこと」と思われがちですが、仏教でいう**布施(ふせ)**はもっと広く深い実践を指します。今週は、用語を正しつつ、日常で生かせる形にまとめます。


    🔶布施の本来の意味

    布施はサンスクリット語 dāna(ダーナ) の意訳で、「自分の持ち物や能力・心を惜しみなく分かち合い、互いに助け合い喜び合うこと」を意味します。見返りや取引ではなく、純粋な贈与の心が要です。


    🔶六波羅蜜と三種の布施

    菩薩の修行である**六波羅蜜(ろくはらみつ)**のはじめに置かれるのが布施です。布施には大きく三つあります。

    財施(ざいせ):金品・物品・時間・労力を分かち合います。

    法施(ほっせ):教えや知恵・気づきを分かち合います(僧侶だけでなく、学んだことをやさしく伝える行為全般を含みます)。

    無畏施(むいせ):不安・恐れにある人を安心へ導く支え(傾聴・寄り添い・安全の提供など)。

    いずれも「相手の利益(やすらぎ)を願う心」が中心にあります。


    🔶布施の心得は「見返りを求めない」

    「これをしたから、相手は返してくれるはず」という計算は布施の心から離れます。結果や評価に執着せず、ただ相手のためにおこなう——その自由さが布施のいのちです。


    🔶お金がなくてもできる「無財の七施」

    財産がなくても実践できる布施として、仏教には無財の七施(むざいのしちせ)が説かれます。

    眼施(がんせ):温かいまなざしを向けます。

    和顔施(わがんせ)(和顔悦色施):にこやかな表情で接します。

    言辞施(ごんじせ):やさしい言葉をかけます。

    身施(しんせ):体を使ってできる助けをします(手伝い・介助など)。

    心施(しんせ/慈心施 じしんせ):思いやり・祈りなど心からの善意を向けます。

    床座施(しょうざせ):席や場所を譲るなど、快適な居場所を提供します。

    房舎施(ぼうしゃせ):雨宿りの軒を貸す・玄関先で休ませるなど、憩いの場を与えます。

    どれも「今日から・ここで」実践できます。


    🔶「和顔愛語(わげんあいご)」を合い言葉に

    和顔愛語とは、柔和な顔(和顔)と愛ある言葉(愛語)で人に接すること。対面でもオンラインでも、誹謗や刺々しさが生まれやすい時代だからこそ、表情と言葉に温度を取り戻すことが無畏施にもつながります。

    ・まずは深呼吸→和顔→ひと言目をやさしく。

    ・相手の事情を慮(おもんぱか)る一拍を置く。

    小さな実践が、身の回りの空気を確実に変えます。


    🔶今週のまとめ

    ・布施は贈与の心であり、六波羅蜜の第一。

    ・財施・法施・無畏施はいずれも「相手の安楽」を願う実践です。

    ・結果を求めずおこなうのが布施のいのち。

    ・無財の七施(眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施)は、誰でも今日から始められます。

    ・合い言葉は和顔愛語。顔と言葉から、やさしさを広げましょう。


    来週も引き続き、「お布施(その二)」をお届けします。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の

    高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。


    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【お手紙の話】浄土真宗とメディア
    2025/11/05

    🔶「お手紙(御文章)と本願寺」

    浄土真宗の教えが全国へ広がる過程で、大きな役割を果たしたのが「手紙」でした。室町期に本願寺の宗主・蓮如上人(れんにょ しょうにん)が人びとに向けて書き送った文書は、のちに『御文章(ごぶんしょう)』として編纂され、真宗大谷派(東本願寺)では『御文(おふみ)』とも呼ばれます。ここでは、その要点をやさしく整理します。


    🔶蓮如上人と『御文章』

    ・著者は浄土真宗本願寺派の第八代宗主・蓮如上人です。

    ・本願寺派では**『御文章』、真宗大谷派では『御文』と呼びます。

    ・門信徒に平易な言葉で教えを伝えるための手紙で、のちに『五帖御文』としてまとめられ、法要やご法話で今も拝読されています。


    🔶時代背景(室町時代)

    ・寛正(かんしょう)の大飢饉や戦乱で、人びとの暮らしは困窮していました。

    ・識字率が高くない中でも、朗読・回覧に適した平明な手紙が大きな力を発揮しました。

    ・ちょうど宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき)の頃と重なり、教えを正しく広く伝える必要が高まっていました。


    🔶『白骨の御文』のエッセンス

    ・『御文章』で最も知られる一節が「白骨の御文(はっこつのごもん)」です。

    ・「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となる身なり」と、いのちの無常を示し、

     阿弥陀如来(あみだ にょらい)の本願に身をまかせ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏して生きる道を勧めます。

    ・現在も法要・通夜・ご法話で拝読され、いまを生きる私に向けた言葉として息づいています。


    🔶「メディア」としての手紙、そして現代

    ・交通・通信が乏しい時代、手紙(文書)は最強のメディアでした。

    ・一通の手紙を読み聞かせ・回覧することで、非識字層にも教えが届きました。

    ・現代は書籍・新聞・ラジオ・テレビ・インターネットと媒体が移り変わっても、

     「誰にでもわかる言葉で、いのちの問題に応答する」という蓮如上人の姿勢は変わりません。


    🔶まとめ

    ・正称は『御文章』(大谷派は『御文』)。著者は蓮如上人(本願寺派 第八代宗主)です。

    ・背景には寛正の大飢饉と宗祖大遠忌があり、平明な手紙が教えの全国的な広がりを後押ししました。

    ・『白骨の御文』は無常の事実を直視し、阿弥陀如来の本願にまかせる念仏の道を示します。

    ・媒体が変わっても、やさしく・正確に伝えることが『御文章』の今日的意義です。


    来週のテーマは「お布施(その一)」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の

    高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。


    続きを読む 一部表示
    9 分
  • 【旅と本願寺】 鉄道の時代が参拝を変えた
    2025/10/29

    秋は旅に出たくなる季節です。なかでも京都(きょうと)は、今も昔も人びとを惹きつけます。

    観光地としての賑わいの陰には、「寺院参拝」と「鉄道の発展」が織りなした歴史の流れがありました。

    今回は、旅の視点から本願寺と京都の関係をたどります。


    🔶一生に一度の「本山参り」でした

    江戸時代、多くの庶民にとって移動手段は“徒歩のみ”でした。
    藩をまたぐ移動も容易ではなく、本願寺への参拝は「一生に一度」の大行事でした。
    やっとの思いでたどり着き、本堂の畳に頬ずりして喜んだ——そんな記録が各地に残ります。
    参拝は、信仰の確かめと人生の節目を刻む「旅」でもありました。


    🔶西本願寺(にしほんがんじ)という「目的地」が育てた旅

    京都にある西本願寺は、天正19年(1591)に現在地・六条堀川(ろくじょう・ほりかわ)へ移転しました。
    伽藍の中心は御影堂(ごえいどう)と阿弥陀堂(あみだどう)で、唐門(からもん)・飛雲閣(ひうんかく)などの国宝が建ち並びます。
    平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されました。
    “行き先としての魅力”が、遠路はるばるの参拝を後押ししてきました。


    🔶鉄道の時代が参拝を変えました

    明治以降、鉄道が全国に伸び、寺社参拝は「現実的な旅程」になりました。
    寺院参拝は鉄道会社にとっても重要な旅客需要となり、観光旅行が広がります。
    本願寺で営まれる大規模法要——たとえば宗祖・親鸞(しんらん)聖人の大遠忌(だいおんき/概ね50年ごと)は、全国からの参拝者を呼び込みました。
    「歩いて一生に一度」から「列車で計画的に」へ。参拝のかたちは、交通の発達とともに大きく変わりました。


    🔶京都の観光基盤と門前の宿が支えました
    鉄道網の整備は京都への人流を回復・加速させ、観光都市としての基盤づくりを後押ししました。
    本願寺周辺には、参拝者を受け入れる門前旅館や講中宿(こうじゅうやど)※が発達。
    今日ではシティホテルから歴史ある旅館まで選択肢が広がり、海外からの旅行者も伝統的な宿に滞在して文化に触れています。
    「寺を目的に泊まる」という旅のかたちが、今も息づいています。

    ※講中宿=講(信徒の参拝グループ)を受け入れる宿。


    🔶数字で見る“いま”の京都(要点)

    近年の京都は国内外からの旅行者で活気づいています。
    観光地・宿泊・交通の受け皿が整い、寺院参拝と観光の相乗効果が続いています。
    かつての「団体参拝の列車旅」から、「個人がネットで計画する旅」へと多様化が進みました。


    🔶今週のまとめ
    旅が容易でなかった時代、本願寺参拝は人生を賭す「一度の旅」でした。
    鉄道の発展は参拝文化を大きく変え、京都という都市の観光振興にも連動しました。
    本願寺という確かな目的地が、信仰の道行きと旅の楽しみを結び、今に続く人の往来を育ててきたのです。

    来週のテーマは「お手紙のお話」です。どうぞお楽しみに。

    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

    続きを読む 一部表示
    9 分