エピソード

  • 【仏教SDGs】について 今日からできる“仏教×SDGs”の実践例
    2025/10/15

    🔶「仏教とSDGs」をやさしく整理します


    SDGs(持続可能な開発目標)は、2015年に国連で採択された17の国際目標です。
    キーワードは「誰一人取り残さない」。貧困・教育・環境・ジェンダーなど、社会の課題を同時に解いていく視点を求めます。

    仏教にも、同じ方向を指す考え方が息づいています。ここでは浄土真宗の視点から、SDGsと響き合うポイントをまとめます。


    🔶SDGsの基本を押さえます

    SDGsは、国連加盟193か国が合意した“世界共通のものさし”です。
    目の前の課題だけでなく、その背景・つながり・未来世代まで含めて考えるのが特徴です。
    行動の理由を問い直し、選択を改善し続ける「学びの循環」が前提になります。


    🔶仏教と響き合うポイントを確認します

    浄土真宗には、阿弥陀さまの救いを表す「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という言葉があります。
    意味は「一切のいのちを摂め取り、決して見捨てない」。まさに“誰一人取り残さない”に通じます。

    また、龍谷大学が掲げる行動哲学「自省利他」は、自分の在り方を省みつつ、他者の利益・しあわせをはかる姿勢を示します。
    自己中心の殻を破り、関係の網の目の中で生き直す視点は、SDGsの基盤とよく重なります。


    🔶近江商人の「三方よし」に学びます

    近江商人は「売り手よし・買い手よし・世間よし」を商いの規範としてきました。
    取引当事者の満足だけでなく、社会全体の益を同時に実現する発想です。
    この精神は、仏教の慈悲や「摂取不捨」と相性がよく、現代で言えばSDGsの先駆けといえます。
    利益の追求を否定するのではなく、「どうすれば社会の益と調和するか」を問い続けることが要になります。


    🔶今日からできる“仏教×SDGs”の実践例を挙げます

    ・買い物:価格だけでなく、環境配慮・公平性・作り手の尊厳を意識して選びます。
    ・仕事:自部署の成果が「世間よし」につながる設計かを定期的に振り返ります。
    ・地域:過疎や孤立に目を向け、「取り残されやすい人」への橋渡しを習慣化します。
    ・学び:自分の思い込みを点検し、異なる立場の声を聴く“自省”の時間を持ちます。
    ・お寺:法要や行事を“分かち合いの場”として、食のロス削減やバリアフリーに取り組みます。


    🔶今週のまとめ

    SDGsは「誰一人取り残さない」世界への約束であり、仏教の「摂取不捨」や「自省利他」と深く呼応します。
    近江商人の「三方よし」は、個人・組織・社会の益を同時に実らせる道しるべです。
    まずは足元から。“私の選択”を少しずつ整えることが、持続可能な社会への確かな一歩になります。


    来週のテーマは「いい日・悪い日」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【仏教とお米】迷信に惑わされずに歩む 一椀のご飯が教えてくれる“いのちのつながり”
    2025/10/08

    🔶「仏教とお米」に宿る“いのちへの感謝”

    秋は実りの季節です。お米をいただくたびに、たくさんの“いのち”のつながりに支えられて生きていることを思い出します。今回は、浄土真宗における「御仏飯(おぶっぱん)」を中心に、お供えの意味や作法、迷信との向き合い方までを整理してご紹介します。


    🔶御仏飯の意味を学びます

    御仏飯とは、炊きたてのご飯を仏さまにお供えすることです。

    「今からいただく食べ物は、私のいのちを生かす尊いご縁です」と確かめ、仏さまの光の中で感謝を表します。

    浄土真宗では、亡き人への“施し”というより、今を生きる私が“いのちの事実”に気づくためのご縁として大切にします。


    🔶器と置き方を整理します

    ご飯を盛る器は「仏器(ぶっき)」といいます。

    お内仏(仏壇)では、中央の阿弥陀如来、左右の親鸞聖人・蓮如上人の前にお供えします(お家の荘厳により並べ方は異なります)。

    量は多すぎる必要はありません。まごころをこめた“ひと椀”で十分です。


    🔶正午までに下げます

    御仏飯は原則として正午までにお下げします。

    これは、釈尊の時代から伝わる「過午不食(昼を過ぎて食さない)」の戒めに由来します。

    お下げした御仏飯は、感謝をもって家族でいただきます。供えたものを無駄にせず、“お下がり”としていただく姿勢が大切です。


    🔶水と華瓶(けびょう)を整えます

    コップの水だけを「喉が渇くから」とお供えする考え方は、浄土真宗の趣旨とは少し違います。

    仏前には一対の「華瓶(けびょう)」を置き、常緑の「樒(しきみ)」を挿します。

    樒は“香りある清らかな水”を象徴し、仏さまへの敬いと感謝の心をあらわします。


    🔶“好物のお供え”を考えます

    故人の好物を供える気持ちは尊いものです。

    ただし、浄土真宗では亡き人はすでに仏さまです。仏前には基本のお供え(御仏飯・華瓶など)を調え、好物は法要後に参列者でいただくなど、“いのちに感謝して分かち合う”形にするとよいです。


    🔶避けたい迷信を確認します

    ご飯に箸を突き立てる、通夜に火を絶やさない“火の番”、葬儀後に塩をまく――これらは地域の俗習・迷信によるところが大きいです。

    火気のつけっぱなしは危険ですし、恐れや穢れの観念で亡き人を遠ざける発想は、阿弥陀さまの平等の救いにそぐいません。

    “感謝と念仏”を要に、安心・安全を優先した実践に整えましょう。


    🔶今日からできる“ひと手順”をまとめます

    朝、炊きたてのご飯を小さく盛って仏器に供える。

    一礼し、声に出さずとも「いただきます」と心で称える。

    正午までにお下げし、感謝をもっていただく。

    華瓶の樒を清潔に保ち、仏前を整える。

    迷信で不安にならず、念仏と感謝を深める。


    🔶今週のまとめ

    御仏飯は、私たちが“いのちのご縁”に気づき直すための、毎日の小さな礼拝です。

    お供えは仏さまへのお礼であり、同時に自分自身の心を正す実践でもあります。

    一椀のご飯から広がるたくさんのつながりに手を合わせ、今日の一日を丁寧にいただきましょう。

    来週のテーマは「仏教とSDGs」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【月のうさぎ】 自ら火に飛び込んだうさぎの話
    2025/10/01

    🔶「月のうさぎ」に宿る布施と慈悲

    お月見で親しまれる「中秋の名月」には、古くから心を澄ませる時間という意味合いがあります。今回は、月面にうさぎが見えるとされる由来を、仏教説話「ジャータカ(本生譚)」に基づいてわかりやすくご紹介します。月をめでる習わしと、そこに息づく布施と慈悲のこころをたどります。


    🔶中秋の名月の由来

    中秋の名月は、中国の「中秋節」を起源とする行事です。旧暦8月15日に月の恵みを喜び、実りに感謝する風習が日本へ伝わりました。日本では平安期に貴族文化として受容され、のちに庶民へ広がりました。お月見団子や秋の収穫物を供えるのは、自然への感謝を形に表す作法です。


    🔶月のうさぎの仏教的ルーツ

    月にうさぎがいるという伝承は、仏教の本生譚「ジャータカ」に由来します。お釈迦さまの前世を語る物語群の一つで、うさぎ・猿・山犬・カワウソが登場します。物語は、命を懸けた布施と、戒を守る尊さを伝えます。


    🔶物語のあらすじ(施しを求める修行者)

    森に修行者が現れ、動物たちに食べ物の施しを求めます。カワウソは川辺で魚を見つけ、持ち主の不在を理由に持ち帰ります。

    山犬は番小屋で肉や乳に出会い、応答がないまま持ち出します。猿は木の実を集め、正当に得た食べ物を用意します。


    🔶物語のあらすじ(うさぎの自己犠牲)

    うさぎは何も蓄えがなく、施せる食べ物を見つけられません。うさぎは「私をお召し上がりください」と自らを差し出します。修行者に殺生をさせないため、自ら火中へ飛び込む方法を選びます。これは「不殺生」の戒を守るための、徹底した思いやりの表れです。


    🔶結末と月面に刻まれたしるし

    修行者の正体は、仏法を守護する帝釈天でした。帝釈天は、うさぎの尊い布施心を後世に伝えるため、月の面にその姿を刻みます。以来、月にはうさぎの姿が見えると語り継がれます。物語は、無私の徳が永く記憶される尊さを示します。


    🔶物語が語る仏教の徳目

    うさぎは「布施(与える行い)」を身をもって示しました。修行者に殺させない配慮は「不殺生戒」を尊ぶ態度です。他者の苦を引き受けようとする心は「慈悲」の体現です。形だけでなく、心の在り方にこそ徳行の核心があると物語は教えます。


    🔶月光が象る智慧と平等の慈悲

    仏教では、闇を静かに照らす月は「智慧」の象徴と語られます。月光は分け隔てなく万物を照らし、「平等の慈悲」を想起させます。

    阿弥陀さまの光明になぞらえられ、迷いの闇を導く比喩として親しまれてきました。


    🔶季節の行事としての実践

    お月見団子や秋の恵みを供えることは、日々の「いただきます」を深める実践になります。月を仰ぐひとときは、利他心や感謝を見つめ直す時間になります。自然のめぐみに手を合わせる所作が、心の静けさを育てます。


    🔶今週のまとめ

    「月のうさぎ」は、自己犠牲的な布施と慈悲の象徴として語り継がれてきました。月光のように、静かで温かな心を忘れず、季節の行事を味わいたいものです。中秋の名月を前に、物語が照らす徳のひかりを胸に刻み直します。


    🔴来週のテーマは「仏教とお米」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【仏教と火】通夜の晩に「火を絶やすと死者が迷う」は迷信
    2025/09/24

    🔶「仏教と火」に息づく光と香り

    お寺に足を運ぶと、必ずといっていいほど目にする「ろうそく」や「お線香」。これらには、仏教における深い意味が込められています。今回は、「仏教と火」をテーマに、その象徴的な意味や浄土真宗における作法、さらには迷信との違いまで、幅広くご紹介します。


    🔶ろうそくの火に込められた意味

    ろうそくの火は、仏さまである阿弥陀如来の「智慧」と「慈悲」を象徴しています。

    暗闇を照らす明かりは智慧、そして温かさをもつ炎は慈悲のあらわれです。

    心が氷のように凝り固まってしまっている私たちに、仏さまの知恵と慈悲の光が差し込むのです。


    🔶ろうそくの色と形の違い

    日本では江戸時代中期から色付きろうそくの文化が広まり、現在では用途によって様々な色のろうそくが使われています。

    一般的な白のろうそくは法事などでよく用いられ、赤は浄土真宗で最も重要な行事である報恩講、銀は中陰法要、金は結婚式や住職の就任式など、お祝いの場で用いられます。

    形状も、まっすぐな棒状のものや、ウエストがくびれた「イカリ型」と呼ばれる形があり、浄土真宗ではこの「イカリ型」が主流です。また、素材には「和ろうそく」と「洋ろうそく」がありますが、お寺ではすすが取りやすいことなどから和ろうそくが使われます。


    🔶お線香とお香の意味

    お線香やお香も火を使う仏具の一つです。日本書紀によると、お香は595年にはすでに使われており、悪臭を除き、心を落ち着かせる作用があるとされています。阿弥陀如来の「分け隔てない慈悲の心」を香りによって感じる——そんな意味が込められているのです。


    🔶浄土真宗の作法と起源

    お線香の使い方は宗派によって異なります。浄土真宗では、お線香は立てずに横にして供えます。これは、江戸時代以前に使われていた「抹香」の名残であり、抹香を粉状にして横に火をつけていたことが由来です。

    また、焼香の作法も特徴的です。一礼してから抹香を1回だけつまみ、額にあてずそのまま香炉に入れ、再び一礼します。このように、宗派ごとに異なる作法があるため、自分の信仰する宗派の作法に則って行うのが望ましいでしょう。


    🔶「火の番」は迷信?

    かつては通夜の晩に、ろうそくや線香の火を一晩中絶やさない「火の番」が行われていました。その理由は「火を絶やすと死者が迷う」といった迷信に基づいていたのです。

    しかし、現代では火事のリスクを考慮して、安全性の観点からも火を絶やすことが推奨されます。迷信と現実の区別をしながら、仏教の教えを大切にしたいものです。


    🔶今週のまとめ

    今週は「仏教と火」をテーマに、ろうそくやお線香に込められた意味や、浄土真宗における作法、そして迷信との向き合い方についてお話ししました。

    ろうそくの炎には阿弥陀如来の「智慧」と「慈悲」が表され、色や形には用途ごとの意味があります。

    お線香やお香には、心を清める香りとしての役割があり、その使い方にも宗派ごとの深い意味が存在しています。

    日常の中にある小さな「火」のひとつひとつにも、仏教の教えが息づいているのです。


    来週のテーマは「月の兎」。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【お彼岸のお話】亡き人への祈りであると同時に、今を生きる私たちのためにあるもの
    2025/09/17

    🔶お彼岸の心を見つめ直す

    今年の秋のお彼岸は、9月20日から26日までです。中日(ちゅうにち)にあたる9月23日は「秋分の日」で、祖先を敬い、亡くなった人々をしのぶ日とされています。

    お墓参りやお寺参りをする方も多いこの期間、「彼岸」という言葉の語源は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」から来ています。これは「悟りの境地に至ること」を意味し、仏教でいう「お浄土(じょうど)」を表しています。


    🔶太陽が教えてくれる彼岸の意味

    お彼岸は春と秋にありますが、この時期は太陽が真東から昇り、真西に沈む日です。その太陽の動きに重ねて、西方極楽浄土を思う日とされてきました。

    つまりお彼岸は、亡き人への祈りであると同時に、私たち自身が仏の教えを聞き、自らの心を見つめる機会なのです。


    🔶芦屋仏教会館に学ぶ「聞法(もんぽう)」の心

    昭和2年、兵庫県芦屋に「芦屋仏教会館」という施設が建てられました。これは、大手商社「丸紅」の創業者・伊藤長兵衛氏が私財を投じて建てたものです。

    伊藤氏は、当初「地域の人に教えを聞いてもらおう」と考えていましたが、仏教学者・梅原真隆先生の「それは違うのではないか」という言葉に戸惑います。

    伊藤氏は悩んだ末、考えを改め、「この私が教えを聞かせていただく場所として会館を建てよう」と計画を変更。

    梅原先生はその言葉を聞いて、「その言葉を待っていた」と感動したといいます。

    今でも芦屋仏教会館は、宗派を問わず多くの人が集う聞法の場として息づいています。


    🔶亡き人のためでなく、今を生きる私のために

    お墓参りやお寺参りは、つい「亡き人のため」と考えがちですが、実は「今を生きる私自身のため」なのだと、仏教は教えてくれます。

    亡き人や仏さまから「今のあなたを見つめてほしい」という願いが届いている──そのことに気づかされるのが、お彼岸なのです。


    🔶今週のまとめ

    今週は「お彼岸の心」をテーマに、芦屋仏教会館と伊藤長兵衛氏のエピソードを通して、「仏教を聞くことの意味」について考えてみました。

    春分・秋分の日に、太陽が西へ沈む様子を見ながら「極楽浄土」を思う。

    お寺やお墓に手を合わせるのは、他者のためではなく、自らの心と向き合うため──そんなお彼岸の過ごし方を、あらためて見つめてみてはいかがでしょうか。


    来週は「仏教と火」というテーマでお届けします。


    お話は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん、お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)さんでした。どうぞまた来週。

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  • 【平和を願う心】 ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話 2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した9月11日を前に
    2025/09/10

    🔶平和を願う心は尊い

    9月11日は、2001年にアメリカで起こった同時多発テロが発生した日です。旅客機4機がハイジャックされ、結果的に3,000人以上の命が失われました。

    この事件は、世界中に大きな衝撃を与えました。事件後は、アラブ系やイスラム教徒への差別や偏見が広まり、空港での人種差別的な扱いや、職場でのいじめ、ヘイトクライムなども発生しました。


    🔶ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の尊い行動

    6,438機の飛行機を短時間で安全に着陸させたのは、当時の運輸大臣、ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏でした。

    事件発生からわずか2時間22分の間に、これほどの機数を無事故で着陸させるという前例のない判断と指導力が発揮されたのです。

    ミネタ氏は、アラブ系やムスリム系であることを理由にした航空機の搭乗拒否や、人種による選別的な取り扱いを厳しく禁止しました。その背景には、彼自身が太平洋戦争中、日系人であることを理由に強制収容された過去がありました。


    🔶ミネタ氏の遺したもの

    2022年、90歳で死去したミネタ氏の功績は、アメリカでも日本でも高く評価されています。

    アメリカでは、運輸省の入る建物に「ノーマン・Y・ミネタ連邦ビルディング」という名称が冠されました。

    さらに、駐日米国大使の公邸の一室には「ノーマン・ミネタ・ルーム」という名が与えられ、彼の功績が称えられています。

    また、出身地であるカリフォルニア州サンノゼの国際空港は、彼の名にちなんで「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と名付けられています。


    🔶平和を願う心を忘れずに

    今でも中東では戦争やテロが続いています。平和を願う心、そして差別を許さない心。それを言葉だけでなく行動で示したのがミネタ氏でした。

    現在の日本はグローバル社会の一員であり、外国人と接する機会も増えています。そうした時代に生きる私たちは、ミネタ氏の姿勢から学び、多様な人々を排除することなく、平和を願い続ける心を大切にしていくべきでしょう。


    🔶今週のまとめ

    今週は「平和を願う心」というテーマで、ノーマン・ヨシオ・ミネタ氏の話をご紹介しました。

    日系人として強制収容された経験を持ちながら、差別に立ち向かい、平等と安全を守る行動を貫いたミネタ氏の生き方から、今を生きる私たちも学ぶべきことは多くあります。


    来週は「お彼岸のお話」です。どうぞお楽しみに。


    お話は熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん、お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)さんでした。

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  • 【物の見方】 “それってあなたの感想ですよね?” の意味を考える
    2025/09/03
    🔶今週のテーマは「物の見方」この番組では、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんに、仏教にまつわるさまざまなお話をうかがってまいります。🔶和歌が伝える物の見方の違い「手を打てば鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」という和歌をご紹介します。猿沢の池(さるさわのいけ)は奈良公園にある池です。ある人が手を叩いたところ、鳥は驚いて飛び立ち、鯉は餌をもらえると思って寄ってきた、という情景が詠まれています。同じ行為でも、受け取る側によって反応は異なることを示しています。これは、見るものによって物の見方が異なるという、仏教的な視点に通じています。🔶仏教の教え「唯識(ゆいしき)」とは仏教では「唯識(ゆいしき)」という教えがあります。これは「すべてのものは心の働きによって生じている」という考え方です。たとえば、「一水四見(いっすいしけん)」という例えがあります。水という同じ存在も、見る者によって異なるものに見えるとされます。・人間にとっては、命を支える飲み物・天人(てんにん)にとっては、水晶のような床・魚にとっては住処・餓鬼にとっては燃え盛る炎このように、物の見え方は存在する側の心によって決まるとされているのです。🔶人間の価値観は経験で変わる人間の場合も同じです。生まれ育った環境、教育、経験などによって価値観が形成されます。たとえば、コップに水が半分入っていたとき、「もう半分しかない」と見る人もいれば、「まだ半分もある」と見る人もいます。人は五感を通して物事を認識し、そこに好き嫌いや善し悪しといった価値判断を加えて、自分だけの世界をつくり上げているとも言えます。🔶「それってあなたの感想ですよね?」の意味を考える「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が、最近では子どもでも使うようになりました。しかし、それを言っている本人もまた、自分自身の感想の世界を生きているということを忘れてはいけません。つまり、私たちは誰もが自分の感想というフィルターを通して世界を見ており、その見方に絶対の正解はないということなのです。🔶仏さまは事実をありのままに見通す仏教における「仏になる」とは、自分の都合や感情、価値観から離れて、物事の本質や事実をそのままに見通すことができる存在になるということです。水が半分入ったコップを見て、「半分も」「半分しか」と感じるのではなく、「水が半分入っている」という事実そのものをありのままに見る。これが仏の視点であり、私たちが目指すべき心のあり方でもあります。🔶違いを認めることで穏やかに生きる私たちは完全に仏のような視点を持つことはできませんが、せめて「人によって物の見方は違うのだ」という前提を持つことで、怒りやトラブルを減らすことができるかもしれません。身近な人とであっても、見ている世界が違うことを認め合いながら暮らしていく。その心が、穏やかで平和な毎日を築く第一歩となるのではないでしょうか。🔶今週のまとめ今週は「物の見方」というテーマでお話ししました。「手を打てば鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」という和歌を通して、物の見方は人それぞれであり、それは自分の心の働きによって生じていることを学びました。仏さまはその心の働きから離れ、ありのままの姿を見通す存在です。私たちには難しいことですが、「人によって見方は違う」という前提を持つだけで、心穏やかに生きていく助けになることでしょう。🔵来週のテーマは「平和を願う心」です。どうぞお楽しみに。お話は仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんでした。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
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  • 【蓮如上人と大阪のご縁】 "大阪の名付け親"とも言われる蓮如上人について
    2025/08/27

    🔶 蓮如上人とは

    浄土真宗本願寺派の第8代門主で、「浄土真宗中興の祖」と称されます。

    室町時代(1415年~)に生まれ、不遇の幼少期を経て、43歳で本願寺の門主となりました。

    荒廃していた本願寺を復興し、門信徒を増やしながら教えを広めました。


    🔶 教えの普及と工夫

    当時、本願寺は天台宗の傘下で、仏具やご本尊も天台宗の様式でした。

    蓮如上人はこれを改め、本願寺を浄土真宗の寺として確立されました。

    民衆にも理解できるよう、教えを簡潔に綴った「御文章」や「名号(阿弥陀仏と書いた紙)」を多数配布しました。

    読み書きができない人も多い時代に、視覚や口伝を通じて信仰が広まりました。

    *本願寺派(西本願寺)では「御文章(ごぶんしょう)」、大谷派(東本願寺)では「御文(おふみ)」と呼ぶことが一般的です。


    🔶 教団の広がりと対立

    教えは近江(滋賀)を中心に、近畿・東海・北陸などへ急速に広がりました。

    その影響力の大きさから、天台宗から敵視され、本願寺が焼き討ちに遭うという事件も起きました。

    その後、越前・吉崎御坊へ移り、そこを拠点としてさらに信仰を拡大しました。

    ただし、武力と結びついたことで「一向一揆」などの争いも起こり、蓮如上人は吉崎を去り、山科(京都)へ移られました。


    🔶 大阪との関わり

    山科本願寺の建立後、蓮如上人は晩年に現在の大阪にも拠点を移し、それが後の「石山本願寺」の基礎となりました。

    石山本願寺は、のちに織田信長との戦いの舞台となり、退去後は豊臣秀吉によって大阪城が築かれたため、その場所は「大阪城の元になった」とされています。

    当時「小坂」や「尾坂」などと呼ばれていたこの地に「大坂(のちの大阪)」という名を用いたのが蓮如上人だという説もあります。

    そのため、蓮如上人は「大阪の名付け親」と称されることもあり、大阪と浄土真宗は今も深い縁で結ばれているのです。



    🔶 熊本との関係

    蓮如上人の布教活動により、熊本にも浄土真宗のお寺が多く建立されました。

    熊本市中央区京町の仏嚴寺も、そうした歴史をもつお寺の一つです。


    🔶 まとめ

    蓮如上人は、荒廃した本願寺を再興し、民衆に向けた布教活動を展開された中興の祖です。

    京都から北陸、そして大阪と、各地を巡って教えを広め、今の浄土真宗の礎を築かれました。

    「大阪の名付け親」として、都市の成り立ちとも深く関わっています。


    🔵来週のテーマは「物の見方」です。どうぞお楽しみに。

    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。 あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。


    出演

    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)

    司会:丸井純子(まるい じゅんこ)

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    9 分