エピソード

  • 【涅槃会】──お釈迦さまの入滅と「救い」のかたち
    2026/02/11

    🔶涅槃会の由来とニルヴァーナの意味

    2月15日は「涅槃会(ねはんえ)」です。これは、仏教の開祖であるお釈迦さまが入滅(にゅうめつ)、すなわちその生涯を終えられた日の法要を指します。涅槃とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」といい、もともとは「火を吹き消すこと」を意味します。私たちの迷いである「煩悩の火」を吹き消した悟りの境地のことであり、中国では「滅度(めつど)」とも訳されました。

    🔶お釈迦さまのご生涯と最後のお食事

    お釈迦さまは29歳でご出家(しゅっけ)され、35歳で悟りを開かれました。それから45年間にわたり「み教え」を説き続け、80歳で入滅されました。今から約2,500年前、日本でいえば縄文時代のことです。お釈迦さまが亡くなられた原因は食中毒であったといわれ、経典『涅槃経』には「スカーラ・マッダヴァ(柔らかい豚、あるいはキノコ料理の意)」を召し上がったと記されています。当時の僧侶は、信徒から供えられたものは肉であってもいただくのが作法であり、その伝統は現在も東南アジアの上座部仏教などに引き継がれています。


    🔶涅槃図にみる「北枕」と約束事

    お釈迦さまが入滅される様子を描いた「涅槃図(ねはんず)」には、いくつもの約束事があります。お釈迦さまは頭を北にし、西を向き、右脇を下にして横たわっておられます。これを「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)」といい、現代の「北枕」の由来となりました。本来、これはお釈迦さまの尊いお姿に倣ったものであり、決して縁起が悪いものではありません。また、図には満月と8本の沙羅双樹(さらそうじゅ)が描かれ、教えが不滅であることを象徴しています。


    🔶生きとし生けるものとの別れと摩耶夫人

    涅槃図にはお弟子さんだけでなく、馬、猿、象といったありとあらゆる生き物たちが集まり、お釈迦さまの死を嘆き悲しむ姿が描かれています。一説に「猫」が描かれないのは、お釈迦さまへの薬を運ぶネズミを猫が捕まえてしまったからだという逸話もあります。また、空の上からはお釈迦さまの母である摩耶夫人(まやぶにん)が、天女とともに亡き息子のもとへ駆けつける姿が描かれており、一切の命がお釈迦さまを慕う様子が表現されています。


    🔶入滅という「方便」が示す導き

    お釈迦さまが亡くなられたことは、単なる命の終わりではありません。仏教ではこれをお釈迦さまが私たちに示された「方便(ほうべん)」、つまり救いのための導きであると捉えます。生死(しょうじ)を超えた悟りの境地を、自らの生涯をもって示されたのです。涅槃会という日は、お釈迦さまを偲ぶとともに、時代や宗派を超えて、私たちが本来出会うべき「救い」と「命のありよう」を改めて見つめ直す大切なご縁となります。


    🔶今週のまとめ

    2月15日は涅槃会。お釈迦さまが80歳で入滅された日を偲ぶ、仏教において極めて大切な法要です。 涅槃(ニルヴァーナ)とは「煩悩の火を吹き消した状態」を指し、仏さまの悟りの境地を意味します。 涅槃図に描かれたお釈迦さまのお姿は、現代の「北枕」の由来となった尊い形です。 涅槃図にはあらゆる動物や天界の摩耶夫人までが登場し、お釈迦さまとの別れを惜しむ姿が描かれています。 お釈迦さまの入滅は、私たちに命の真実と救いのかたちを指し示す尊い「方便」でもあります。


    次回テーマは「山本仏骨(やまもと ぶっこつ)和上」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。


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  • 【動物と仏教】──身近な命との向き合い方
    2026/02/04

    🔶ペットという身近な命とのご縁

    現在、日本で飼育されている犬猫の合計数は約1,600万頭にのぼり、15歳未満の子どもの数(約1,435万人)を上回っています。それだけ動物という存在は、私たちの日常生活において身近な「命のご縁」となっているのです。仏教の視点から動物を考えるとき、そこには「迷いの中に生きる存在」という厳しさと、「尊い平等な命」という慈しみの両面が見えてきます。


    🔶六道輪廻における畜生道という世界

    仏教には、迷いの世界を六つに分けた「六道輪廻(ろくどうりんね)」という教えがあります。動物は「畜生道(ちくしょうどう)」に分類され、本能(欲)のままに生き、楽しみが少なく苦しみが多い世界とされています。これを「愚鈍(ぐどん)に生きて真理を知らない」という意味で「愚痴(ぐち)」とも呼びます。人間とは異なる迷いの形を生きる存在として、まずはその違いを見つめる立場があります。


    🔶シビ王の物語にみる命の平等

    一方で、動物を人間と「同じ救いの対象」として尊ぶ見方もあります。古くから伝わる「シビ王(しびおう)」の物語では、タカに追われたハトを救うため、シビ王が自らの肉を切り、ハトと同じ重さ分をタカに与えて両者の命を救いました。これは「命の重さに人間も動物も区別はない」という仏教の平等観を象徴しています。命に優劣をつけない、慈悲のまなざしがここにあります。


    🔶親鸞聖人が説く命の繋がり

    浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、著書『歎異抄(たんにしょう)』の中で「一切の群生(ぐんじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟(きょうだい)なり」と述べられました。生きとし生けるものは、幾度も生まれ変わりを繰り返す中で、かつて自分の父母であり兄弟であったかもしれない存在だという教えです。目の前の動物を、他人事ではない深い縁(えにし)ある命として受け止める姿勢を説いています。


    🔶他の命に支えられているという自覚

    私たちは、他の命をいただくことで生かされています。詩人の金子みすゞさんは、その詩「大漁」の中で、浜が祭りのように湧く一方で、海の中では何万ものイワシの弔いがあるだろうと詠みました。近年注目される「アニマルウェルフェア(動物福祉)」の考え方も、単なる愛護にとどまらず、私たちの生活を支えてくれる動物たちのストレスを減らし、尊厳を守る取り組みです。こうした具体的な配慮の中に、平等を育てる一歩があります。


    🔶今週のまとめ

    現代社会において、動物は子どもより数多く存在するほど、人にとって身近な命のご縁となっています。 仏教では動物を「畜生道」という迷いの存在と見る一方で、等しく尊い平等な命としても捉えます。 親鸞聖人は「すべての命はかつての父母兄弟である」と説き、命の境界を超えた繋がりを示されました。 私たちは他の命に支えられて生きていることを自覚し、動物への配慮や制度づくりに関心を持つことが大切です。 阿弥陀如来の救いはすべての命に届いており、共に仏となる道を歩む「いのち」であることを忘れてはなりません。


    次回テーマは「繁栄(はんえい)」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【現代の葬儀】──変わりゆくかたち、変わらない意味
    2026/01/28

    🔶宮型霊柩車の激減とその背景


    かつて葬送の象徴だった、金飾りの施された「宮型霊柩車」が姿を消しつつあります。2003年には全国で2,000台以上が走っていましたが、現在は10分の1の220台ほどにまで激減しました。その背景には、近隣住民から「自宅の前を通るのは縁起が悪い」という苦情が寄せられるなど、死を忌み嫌い、遠ざけようとする意識の変化があります。現在では全国150以上の自治体で、火葬場への宮型霊柩車の乗り入れが制限されるようになっています。


    🔶葬儀の場と家族のかたちの変遷


    葬儀の簡素化は、社会構造の変化と深く結びついています。かつては自宅で執り行われ、地域住民が列をなす「葬列」がありましたが、明治時代に葬儀社が誕生し、やがて葬儀会館での式が一般的となりました。三世代同居から核家族化、そして単身世帯が約半数を占める現代において、住環境(マンションなど)の変化もあり、葬儀のかたちが変化していくのは時代の必然とも言えます。


    🔶死を「縁起」で捉える心への問い


    霊柩車を「縁起が悪い」と避ける心理の根底には、死を恐れ、穢れ(けがれ)として遠ざけたいという人間の感情があります。しかし、仏教(浄土真宗)では、死を穢れとは捉えません。そのため、葬儀の後に「清めの塩」をまく習慣もありません。亡くなった大切な方を穢れとして扱うのではなく、最後までその命の尊さに敬意を払い、感謝の心で送ることを大切にします。


    🔶葬送儀礼が持つ本来の意味


    葬儀や通夜、火葬といった一つひとつの儀礼には、深い意味が込められています。霊柩車のルーツが「葬列」にあるように、それは亡き人を丁寧にお送りする真心のかたちでした。形式が質素になること自体は時代の流れですが、その奥にある「意味」まで失われてはなりません。儀礼を簡略化する現代だからこそ、私たちが何を大切にすべきかを改めて見つめ直す必要があります。


    🔶死別を「自己の命」に向き合うご縁に


    仏教において葬儀とは、単なる別れの儀式ではありません。亡き人が「仏さま」となられ、新たなる関係が始まる場です。死を終わりと見るのではなく、死別という出来事をご縁として、今を生きる私が「自らの命」を見つめ直す。死を恐れるだけでなく、自分もいつか終わりゆく命であることを受け入れていく。そのまなざしを持つことが、亡き人への敬意となり、私たちの生きる力となります。


    🔶今週のまとめ

    宮型霊柩車は全盛期の10分の1に激減。死を遠ざける社会心理や自治体の規制が影響しています。

    社会や家族のあり方が変化し、葬儀の場は「家」から「会館」へと移り、簡略化が進んでいます。

    浄土真宗では死を穢れと見ないため「清めの塩」は使いません。命の繋がりを尊びます。

    葬送儀礼の形式が変わっても、そこに込められた「亡き人を送る意味」を忘れてはなりません。

    葬儀は死別を機に、自分自身の命のあり方に向き合う大切な「ご縁」の場です。


    次回テーマは「動物と仏教」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。
    お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。


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  • 【丙午と「迷信」をほどく】 — 親鸞の視点で考える一年の心得
    2026/01/21

    🔶 今回のテーマ

    今週は「迷信」を取り上げます。なかでも話題に上がりやすい丙午(ひのえうま)と出生数の揺れ、その背景にある物語、そして仏教的な受け止め方を整理します。


    🔶 丙午とは何か

    十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせでできる六十通り(六十干支)のうちの一つが丙午です。

    六十年で一巡するため、干支が生年に戻る年を「還暦」と呼びます。


    🔶 なぜ「丙午の女は強い」という話が広まったのか

    江戸期に広まった八百屋お七の放火事件を素材にした芝居や読み物が、後世の想像と結びついて「丙午生まれの女性は気性が激しい」といった根拠の薄い俗信を後押ししました。物語上の極端な行為が、出生年一般の性格づけに飛躍して結びつけられたのが問題の核心です。


    🔶 数字が示す「迷信の社会的影響」

    1966年(昭和41年)は丙午に当たり、前年に比べ出生数が大幅に減少した事実があります。個人の決断に社会的な思い込みが影響し得ることを示す一例です。令和の現在は状況が変わりつつありますが、不確かな通念が行動を左右する危うさは教訓として残ります。


    🔶 親鸞の視点:日柄や占いに振り回される私

    浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、良し悪しの日取りや占いに執着する人の姿を「悲しいありさま」として嘆いた和讃を残しています。

    要点は明快です。

    いい日・悪い日という恣意的な物差しに生き方を明け渡すのではなく、煩悩を抱えたままの自分が阿弥陀如来のはたらきに遇うことこそ肝要、ということです。


    🔶 どう受け止めるか(実践のヒント)

    迷信は「蓋をして無視」よりも、由来を知って距離を取るのが有効です。出所と論理の飛躍を知れば、必要以上に怯えたり他者を傷つけたりせずに済みます。

    人生の大切な選択は、確かな情報と自分たちの意思で決める。そこに仏教でいう「今、この身に届いているはたらき」を聞きひらく姿勢が重なります。


    🔶 まとめ

    丙午の俗信は、物語が独り歩きした歴史的産物です。数字が示す影響を教訓に、思い込みよりも事実、そして念仏の教えに立ち返る心を大切にしたいものです。誰かの人生や尊厳を、根拠の薄い通念で狭めない——それが今年のはじめに確認したい「迷信との付き合い方」です。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【いのちをめぐる報恩講と“海の循環”】 — 田崎市場から考える仏教とSDGs
    2026/01/14

    🔶 今回のポイント

    親鸞聖人の御正忌にあわせて、御正忌報恩講の意義をたどりながら、「いただくいのち」と「生かされる私」を見つめ直します。ゲストは、海の卸売を担う 大海水産株式会社(熊本市・くまもと田崎市場) で働く幼なじみ、豊増 琢真(とよます たくま)さんです。


    🔶 報恩講とは

    浄土真宗の宗祖 親鸞聖人のご遺徳を偲び、阿弥陀如来の救いに遇う中心法要。起点は第3代宗主 覚如上人の『報恩講式』にさかのぼり、のちに第4代 存覚上人が整備。700年以上続く“報恩”の実践です。


    🔶 “いのち”を直視する親鸞の眼

    他のいのちをいただかずには生きられない私、煩悩に満ちた私。そのありのままを見つめ、「その私こそ救いの目当て」とする阿弥陀如来の本願を確かめます。科学が進んでも、生と死の根源的な問いは残ります。


    🔶 田崎市場の現場から見える循環

    豊増さんによると、魚は可食部が概ね半分。骨や頭など未利用部位は肥料へリサイクルして「捨てずに次のいのちへつなぐ」ルートを構築。海洋プラスチック対策にも関与し、行政と連携しながら地域発のSDGsを進めています。


    🔶 三方よし × いのちの礼儀

    漁師が命がけで獲った魚を卸が預かり、食卓へ届ける。売り手・買い手・世間がともに良しとなる関係は、仏教が説く「いのちが縁で支え合う」世界観と響き合います。食べられない部位も無駄にしない——それが“いのちへの報恩”です。


    🔶 まとめ

    御正忌報恩講は、私が他のいのちに生かされている事実を思い起こす場。海の恵み一皿にも無数のはたらきが通っています。無駄にせず次へ渡す。日常の小さな選択に、報恩は宿ります。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)。

    ゲストは 大海水産株式会社(熊本市・くまもと田崎市場) の 豊増 琢真 さんでした。


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  • 【海と仏教】——“二つの海”が出会うところ
    2026/01/07

    新年最初の放送は、海の卸売を担う「大海水産株式会社」(熊本市・くまもと田崎市場)で働く幼なじみのゲスト、豊増琢真さんを迎え、「海と仏教」を語りました。


    仏教には海をめぐる二つのイメージがあります。ひとつは尽きない迷いを示す煩悩の海。もうひとつは、限りなく広がる阿弥陀如来の大いなる慈悲をたたえる海。

    相反するようでいて、実は同じ海の比喩であり、清濁を抱きとめる大きなはたらきの中に、迷いも救いも包まれていくと考えます。


    🔶田崎市場から食卓へ——“いのち”を受け渡す現場

    大海水産は熊本の台所・田崎市場で、県内外や海外から届く魚介を見極め、飲食店や家庭へ届けています。豊増さんの実感として、近年は海水温の上昇により水揚げの時期や漁場のずれが目立ち、北海道でブリが上がるなどの変化も体感しているとのこと。漁師が命がけで獲った魚を預かり、消費者に手渡す——現場はいつも“いのち”の重みと向き合っています。


    🔶海を守ることは、いのちを守ること

    海洋プラスチック問題など、海の環境悪化は魚の生存そのものを脅かします。会社としては寄付や行政との連携に取り組み、廃棄物の抑制や啓発にも協力。仏教が説く「私たちは他のいのちに生かされている」という視点に立てば、環境保全は信仰や倫理の実践とも重なります。


    🔶「いただきます」の意味をもう一度

    パックの切り身の向こう側には、海のいのち、漁の危険、流通の労苦、数えきれない人の手があります。「いただきます」は、その総体へ向けた感謝の言葉。仏教の言葉でいえば、煩悩の海を生きる私が、慈悲の海に照らされて「いのちの縁」をいただく営みです。


    🔶今日のひとこと

    広大な海に生かされる私たち。迷いも救いも同じ大海に抱かれている——そう受け止めると、目の前の一皿が少し違って見えてきます。


    🔶今週のまとめ

    海は迷いの比喩でもあり、慈悲の比喩でもあります。

    田崎市場の現場から見える環境変化は、海を守る責任を私たちに突きつけます。

    「いただきます」は、いのちの受け渡しに対する感謝の宣言です。


    来週は「いのち」をさらに掘り下げます。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂 光正(たかちほ こうしょう)さん。

    お相手は丸井 純子(まるい じゅんこ)でした。


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  • 【大晦日を味わう】——言葉の由来と「除夜の鐘」の意味
    2025/12/31

    🔶大晦日・晦日・つごもり

    「晦日(みそか)」は本来、月の30日を指しましたが、のちに月の最後の日という意味になりました。

    「大晦日」は年の最後の日、12月31日です。

    「つごもり(晦)」は太陰太陽暦で月末に月が隠れることから生まれた語とされます。


    🔶「師走(しわす)」の語源(諸説)

    「僧が走るほど忙しい」という説が知られますが定説ではありません。

    「年が果てる(年果つ)」が変化したという説、四季が極まるを語源とする説など、いずれも年の瀬の慌ただしさを映す説明です。


    🔶除夜の鐘と「除夜会(じょやえ)」

    「除夜」は大晦日の夜のこと。古い年を除き新しい年を迎える意です。

    浄土真宗本願寺派(西本願寺)では、除夜会や元旦会などの法要が営まれます。寺院によっては鐘を撞きます。


    🔶なぜ108回なのか

    有名なのは四苦八苦の合計という説明です。4×9+8×9=108

    もう一つの説明は次の組合せです。六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)に三つの受(楽、苦、不苦不楽)と二つの状態(染、清)と三つの時(過去、現在、未来)を掛け合わせ、六×三×二×三=108とする考え方です。

    ただし浄土真宗の自覚としては、煩悩は108で数え尽くせません。人は煩悩具足の凡夫であり、いのちが終わる時まで煩悩は尽きない存在です。だからこそ鐘の響きに自分のありのままを聞き、新しい一年に念仏のご縁を結び直します。


    🔶年末の寺の景色

    十二月は各家で営むお取越報恩講などがあり、僧侶も慌ただしくなります。

    帰省に合わせた墓参や寺参りも増え、師走の空気が境内に満ちます。


    🔶今週のまとめ

    晦日、大晦日、つごもりはいずれも月や年の締めを示す言葉です。

    除夜会は古い年を除く法要で、108という数え方には複数の説明があります。真宗の立場では、数え切れない煩悩を見つめ直す機縁として受けとめます。

    鐘の音を縁に、悔い改めと感謝で一年を締め、新たな年に念仏の一歩を踏み出しましょう。


    来年最初のテーマは「海と仏教」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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  • 【クリスマス・イブに寄せて】――日本人の宗教観と「信じる」力
    2025/12/24

    🔶今週のテーマ


    12月24日の「クリスマス・イブ」を手がかりに、日本人の宗教行動、科学と宗教の関係、そして“人間はなぜ信じるのか”を考えます。


    🔶「イブ」は“前夜祭”ではなく「その夜」

    「イブ(Eve)」は evening(夕べ) の古い形に由来し、12月24日の夜 を指します。日本では“前夜祭”的に受け止められがちですが、本来は「クリスマスの夜」という意味です。


    🔶日本人の宗教行動の特徴


    • クリスマスを祝い、結婚式はチャペルで、葬儀は仏式、正月は神社へ――複数の宗教文化が生活の中で共存しています。

    • 文化庁『宗教年鑑』や統計数理研究所の調査でも、「自分は無宗教」と感じながら 宗教的行事には親しむ 傾向が示唆されます。

    • これは「特定宗教への強い帰属」より、行事や文化を通じて“宗教性”に触れる日本的なあり方と言えます。

    🔶科学と宗教――二項対立ではなく並び立つもの


    • 科学は「どう働くか」「何が起きているか」を説明し、人類の知を拡張してきました。

    • しかし 「なぜ生まれ、死んだらどうなるのか」 といった究極の問いは、科学の方法だけでは答えきれません。

    • だからこそ、科学の営みと宗教の応答は並び立つ。両者は互いの領分で人間を支えます。

    🔶“人間は苦悩する管”という比喩


    • パスカルが「人間は考える葦」と語ったように、別の言い方をすれば人間は悩まずにいられない存在。

    • 欠けやすく、揺れやすいからこそ、人は何かを信じ、寄る辺を求める。この“信じる力”が文化や祈りを生み、季節の行事を温めてきました。

    🔶仏教から見た“平等”の眼差し


    • 先週までの流れとも響き合いますが、仏教は すべてのいのちは等しく尊い と観じます。

    • 「信じる」という営みは、弱さの証明ではなく、人間らしさのあかし。そこに救いの道が開かれます。

    🔶今週のまとめ


    • 「イブ」は24日の“その夜”。

    • 日本の宗教行動は多宗教的で、無宗教と宗教性の両立が日常に見られます。

    • 科学と宗教は対立ではなく相補。人は究極の問いに向き合うとき、信じる力を必要とします。

    • だからこそ、季節の祈りを大切に――「揺れる私を支える“よりどころ”」として。

    次回のテーマは「大晦日のお話」です。どうぞお楽しみに。


    お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。

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