エピソード

  • 【お盆のお話し】 亡き人とのご縁を感じる時間
    2025/07/09
    🔶 お盆の始まりは、目連尊者と母親の物語丸井:「高千穂さん、今週はどんなお話でしょうか?」高千穂さん:「今週は『お盆』についてのお話です」お盆というのは実は略語で、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。この「盂蘭盆」は、インドの古代語サンスクリット語で「ウランバーナー」という言葉に由来し、「逆さ吊るしの苦しみ」という意味を持っています。🔶 盂蘭盆会の由来:母を思う目連尊者の供養これは、お釈迦様の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)のエピソードに基づいています。ある日、目連尊者が神通力で亡き母の様子を探ると、母親は“餓鬼道(がきどう)”という、飢えと渇きに苦しむ世界に堕ちていたのです。どうにかして母を救いたいと願った目連尊者は、お釈迦様に相談しました。お釈迦様はこう言いました。「7月15日、修行を終えた僧たちに食べ物を供え、供養をすれば母は救われるであろう」これが「盂蘭盆会」、そしてお盆の由来とされています。🔶 インドや東南アジアには「お盆」がない?高千穂さん:「実はこのお盆の風習、日本や中国、韓国など東アジアに見られるもので、タイやインドネシアといった仏教国には“お盆”はありません」お盆は大乗仏教の教えに基づいた文化的な行事であり、日本では推古天皇の時代(西暦606年)に『日本書紀』に登場するなど、古くからの歴史があります。🔶 なぜ7月盆と8月盆があるの?「お盆といえば8月」と思う方もいれば、「7月だよ」という地域もありますよね。これは旧暦と新暦の違いによるもので、もともとお盆は旧暦の7月15日とされていました。しかし旧暦をそのまま新暦に置き換えると、農繁期と重なってしまい、供養が難しくなる地域があったため、ひと月遅らせて8月15日をお盆とする風習が広がったのです。高千穂さん:「同じ熊本でも地域によって7月盆と8月盆が混在していますが、今では全国的には8月盆が主流となっています」🔶 キュウリの馬とナスの牛は仏教じゃない?丸井:「お盆といえば、キュウリの馬やナスの牛も思い浮かびますよね?」高千穂さん:「あれ、実は仏教の教えとは直接関係がないんです」それらは日本各地の民間信仰や風習と融合したものであり、仏教と地域文化が重なり合ってできたお盆ならではの風景と言えます。🔶 浄土真宗におけるお盆の意味高千穂さん:「浄土真宗では、お盆は亡き人の命日をご縁として、私が仏法と向き合う時間です」亡くなった方を偲ぶことをきっかけに、親鸞聖人の教え、そして阿弥陀如来のはたらきに触れる機会。それが浄土真宗における“お盆”の本質なのです。🔶 お坊さんも忙しい!お盆は早めの準備をお盆は初盆(ういぼん)や帰省など、家族にとっても準備が多く、慌ただしい時期です。高千穂さん:「お坊さんたちもスケジュールがぎっしり詰まるので、早めにお盆の準備や日程調整をしておくのがおすすめです」🔶 まとめ:お盆は、亡き人とつながる“今”を生きる行事今週は「お盆」をテーマにお届けしました。高千穂さん:「お盆の語源は“盂蘭盆会(うらぼんえ)”。母を思う目連尊者の心がきっかけとなり、僧侶への供養を通じて亡き人を救うという教えが生まれました。その風習が中国を経て日本へ伝わり、旧暦と新暦の違いによって、現在のように7月盆・8月盆に分かれました」お盆はただの休暇ではなく、亡き人とつながる大切なご縁のとき。自分の命、そして命のつながりをあらためて感じる行事として、大切にしていきたいですね。🔶 次回予告:「浄土真宗と海」について次回は「浄土真宗と海」という、少しユニークなテーマでお話しします。どうぞお楽しみに。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正司会:丸井純子
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  • 【仏教と音楽】 伝統と現代をつなぐ旋律
    2025/06/25

    🔶 宗教と音楽の深い縁

    丸井:「高千穂さん、今週はどんなお話でしょうか?」

    高千穂さん:「今週は『仏教と音楽』というテーマでお話しします」

    宗教と音楽は、古くから切り離せない深い関わりがあります。

    キリスト教では賛美歌やミサ曲、クラシック音楽もその多くが教会音楽に起源を持っています。

    丸井:「仏教でも音楽って重要なんですか?」

    高千穂さん:「そうですね。たとえば雅楽(ががく)が挙げられます。神社のイメージが強いかもしれませんが、仏教でも大切にされてきました。さらに称名(しょうみょう)、つまりお経や念仏も、節やリズムがあり、音楽的な要素を含んでいるんです」


    🔶 正信偈の多彩な節

    浄土真宗で大切にされている「正信偈(しょうしんげ)」にも、節が存在します。

    高千穂さんによると、現在は「送付(そうふ)」「行譜(ぎょうふ)」「真譜(しんぷ)」の三種類の節がありますが、昔は十種類以上の節が存在し、地域によって歌い方が異なったそうです。


    高千穂さん:「全国が今のように繋がっていなかった時代、各地で独自の節が生まれたんですね」


    🔶 親鸞聖人の「和讃(わさん)」と民衆への伝わり方

    親鸞聖人は、教えを広く民衆に伝えるため、当時の流行歌であった「今様(いまよう)」の旋律に乗せ、かな交じりの柔らかな言葉で「和讃」を作りました。


    高千穂さん:「『教行信証』のような漢文の書物は、当時の庶民には難しかった。だからこそ和讃が作られたんです」


    🔶 明治以降の仏教と洋楽の融合

    明治維新で西洋文化が日本に入り、仏教界でも西洋音楽の要素を取り入れた「仏教唱歌」が生まれました。

    これにより、伝統を守りながらも時代に合わせた新たな表現が模索されてきました。

    丸井:「伝統と新しいもののバランス、難しいですね」

    高千穂さん:「そうなんです。伝統だけだと古びてしまう。でも、新しいものばかりだと本来の形が崩れる。だからこそ、法要や儀式では伝統的な節、みんなで集まる場面では新しい歌、それぞれ役割を分けて大切にしてきたんです」


    🔶 音楽が問いかける“変わるもの・変わらぬもの”

    丸井:「言葉も音楽も、時代とともに変わっていく。でも全部が変わったら大切なものが失われてしまう。その加減って難しいですね」


    高千穂さん:「まさにその通りです。音楽一つとっても、私たちの暮らしや価値観と深く関わっています。伝統を守りつつ、新しいものも取り入れる――その姿勢が仏教にも求められているのだと思います」


    🔶 まとめ:音楽に学ぶ仏教の柔軟さ

    今週は「仏教と音楽」というテーマでお届けしました。


    高千穂さん:「仏教の音楽は、称名や雅楽など古くからのものもあれば、明治以降の仏教唱歌のように新しい風も取り入れてきました。

    伝統と革新のバランス、その難しさと大切さを改めて感じていただければと思います」


    🔶 次回予告:「嘘も方便」について

    来週は「嘘も方便」というテーマでお話しします。

    仏教的に“嘘”はどんな意味を持つのか?興味深いお話をお届けします。どうぞお楽しみに。


    🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

    メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。


    出演
    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)
    司会:丸井純子


    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。
    あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。

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    9 分
  • 【英語と法話】言葉の壁を越えて伝えるには
    2025/06/18
    🔶 英語で法話仏教を言葉の壁を越えて伝えるにはこんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 仏教の教えを英語で伝える難しさ丸井:「高千穂さん、今週はどんなお話でしょうか?」高千穂さん:「今週は“英語で法話”というテーマで、浄土真宗の教えを英語に翻訳することの難しさについてお話します」日本に根付いた仏教の言葉や文化を英語に訳すのはとても難しいことです。なぜなら、その背景にある文化や感性が異なるからです。🔶 芭蕉の俳句を訳すと…?たとえば、松尾芭蕉の有名な句「古池や かわず飛びこむ 水の音」。これをラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、"The old pond — a frog jumps in — the sound of water"と訳しました。丸井:「英語だと、なんだか大きなウシガエルがドボンと飛び込んだような印象ですね」高千穂さん:「そうなんですよ。日本語では静かで風情があるけど、英語にすると印象が変わるんですよね」🔶 浄土真宗のキーワードも苦労の連続仏教用語を英語にする際も同じ苦労があります。たとえば「信心(しんじん)」は英語で「Faith(フェイス)」と訳されることが多いです。また「浄土」は「Pure Land(ピュアランド)」とされます。高千穂さん:「でも、この“Faith”や“Pure Land”という言葉では、日本語が持つニュアンスや奥深さをすべて表すのは難しいんですよね」🔶 アメリカで広がる「ゴールデンチェーン」そんな中、アメリカの仏教界で大切にされている一つの歌があります。それが「ゴールデンチェーン(Golden Chain)」です。これは1920年、ハワイの女性僧侶ドロシー・ハンドさんが作詞したもので、日曜学校などで今も歌い継がれています。🔶 日本語訳されたゴールデンチェーン高千穂さん:「英語では少し難しいので、日本語に訳されたものをご紹介します」私は世界に広がる阿弥陀仏の金の鎖の一つで、明るく強く輝き続けます。私は生きとし生けるものすべてに対して思いやり深く、弱いものを守ります。私は阿弥陀仏からいただいた美しい心を大切にし、美しい言葉を語り、美しい行いをします。金の鎖の一つ一つが輝き続け、世界のすべての人が大いなる安らぎに満たされますように。英語では「Golden Chain of Love(愛の金の鎖)」と表現されており、キリスト教文化の影響も感じられます。丸井:「仏教ではあまり“Love”という言葉は使わないですよね」高千穂さん:「そうですね。本来は“慈悲”を表しているんですが、英語では“Love”という言葉で伝えるんです」🔶 文化の違いを超えて伝わる“心”言葉の壁はあるものの、人が宗教を求める心はどこでも同じです。アメリカでは、日系人だけでなく、まったく仏教と縁のなかった人たちが仏教に触れ、その教えに感動し、信仰を深めています。🔶 翻訳しない、という方法もある高千穂さん:「あるアメリカの先生が“信心(しんじん)はそのままShinjinでいい”と言われていました」たとえば“豆腐”といった言葉が、そのまま“tofu”として定着しているように、“Shinjin”という言葉も、そのまま浸透させていくのも一つの方法です。🔶 まとめ:言葉は違っても“心”は伝わる今週は「英語で法話」をテーマに、仏教を世界に伝えることの難しさと面白さをお届けしました。高千穂さん:「アメリカでは“ゴールデンチェーン”という歌が浄土真宗の教えを伝える手段として根付いています。文化や言葉は違っても、仏教の教えが世界中で受け入れられているという事実は、私たちにとっても喜びです」🔶 次回予告:「仏教と音楽」について来週は「仏教と音楽」をテーマに、心に響くお話をお届けします。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結...
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    9 分
  • 【仏教と雨】 梅雨の季節に心を見つめなおす
    2025/06/11

    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。


    🔶 お坊さんの足元にも「雨対策」あり

    丸井:「雨の日でも、お寺のお仕事ってあるんですね」

    高千穂さん:「もちろんあります。実は私たちが履いている草履には、雨の日用のビニールカバーを装着するんですよ」

    草履の下には足袋を履いていますが、雨水が染み込むと泥だらけになってしまいます。

    そのため、足元を守るための“雨具”もしっかり用意されているんです。


    🔶 インド仏教における雨季(うき)と安居(あんご)

    仏教が生まれたインドにも「乾季(かんき)」と「雨季(うき)」があります。

    インドの雨季は非常に激しく、なんと3か月以上雨が降り続くこともあります。

    この期間、仏教教団では「安居(あんご)」と呼ばれる学びの時間が設けられていました。

    これは、修行僧たちが移動することで小さな命を踏んでしまうのを避けるため、一か所にとどまり、学問や修行に励むというものです。


    🔶 日本にも伝わる安居の精神

    この「安居」の伝統は、日本にも伝えられました。

    浄土真宗本願寺派では、毎年7月下旬ごろに「安居」と呼ばれる最高峰の勉強会が京都で開かれます。


    高千穂さん:「私もかつてお手伝いで参加したことがありますが、全国から集まった精鋭の僧侶たちが真剣に学び合う様子は圧巻でした」

    九州からの参加は大変ではありますが、学びへの熱意は地域を越えてつながっています。


    🔶 源信(げんしん)和尚の教えに学ぶ

    今回は、親鸞聖人が心の師と仰いだ七高僧のひとり、源信和尚(げんしんかしょう)が著した『往生要集(おうじょうようしゅう)』のお言葉を平易にご紹介します。


    高い山には雨水はとどまらず、必ず低いところに流れていく。
    これと同じように、人もおごり高ぶれば仏の教えは心に入らない。
    反対に、謙虚な心で師の教えを敬えば、その功徳は自らに流れ込むのだと。


    🔶 仏教的に見る“高い山”と“謙虚な谷”

    高千穂さん:「これはまさに“自力の思い上がり”を戒めたお言葉です」

    努力や修行に偏るあまり、自分こそが正しいという思いにとらわれてしまうと、

    阿弥陀様のはたらき=他力の救いを素直に受け入れることができなくなってしまう。

    それが仏教の世界でいう「自力の限界」なのです。


    🔶 まとめ:梅雨の季節は、学びのチャンス

    今週は「仏教と雨」をテーマにお届けしました。


    高千穂さん:「仏教が生まれたインドには3か月以上続く雨季があり、その間、修行僧たちは一か所にとどまり学びを深めていました。この教えは日本にも伝わり、今も“安居”という形で大切にされています」

    そして、原信和尚の言葉にあるように、謙虚な心で教えを受け止めることの大切さ――

    雨の時期だからこそ、自分の内面と静かに向き合う機会にしたいものですね。


    🔶 次回予告:「英語で法話」について

    次回は「英語で法話」というちょっと変わったテーマでお届けします。

    仏教の教えを、もし英語で伝えるなら?という興味深いお話です。どうぞお楽しみに。


    🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

    メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。


    🔶出演
    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)
    司会:丸井純子


    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。

    あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。

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    9 分
  • 【仏教と蓮の花】のお話し ―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―
    2025/06/04
    蓮の花に宿る仏の教え―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―🔶今週のテーマは「仏教と蓮の花」熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶごんじ)のご住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんと、丸井純子(まるい じゅんこ)さんが語り合います。蓮の花が象徴する「清らかさ」蓮の花――仏教では「れんげ」とも呼ばれ、お釈迦様が悟りを開いたときにもその足元に咲いていたと伝えられる、美しい花です。浄土真宗の仏様である阿弥陀様も、蓮の花の上に立っておられる姿で表されます。では、なぜ蓮の花がこれほど大切にされてきたのでしょうか。それは、蓮が「泥の中から咲く花」だからです。この泥は、煩悩に満ちた私たちの生きる世界を表します。そんな世界に染まることなく、清らかに咲く蓮の姿は、仏教の理想そのもの。「どんなに汚れた世界の中でも、美しい花を咲かせられる――」そんな希望と慈悲の象徴として、仏教では蓮が尊ばれてきたのです。🔶阿弥陀様は「立って」おられる理由仏様といえば、座っている姿を想像する方が多いかもしれません。けれど、浄土真宗の阿弥陀様は「立って」おられます。それは、「救いに行くために座っている暇などない」という姿勢の現れ。さらにお顔は、やや斜め前に傾けておられます。「今すぐあなたのもとへ向かいますよ」という、まさに“やる気満々”の姿なのです。🔶浄土の世界と「白蓮華(びゃくれんげ)」仏教発祥の地・インドでは、蓮は国家の花。仏教と深く結びついた特別な花とされています。浄土真宗の教えの中でも、「正信偈(しょうしんげ)」には極楽浄土を「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」と表現し、蓮が咲き誇る美しい世界として描かれています。また、念仏を唱える人は「白い蓮の花」のようだとも語られます。心清らかに阿弥陀様を信じ、念仏に生きる人々を称えて、そう呼ばれるのです。🔶念仏に生きた人々――妙好人(みょうこうにん)そのような念仏者たちは「妙好人」と呼ばれます。親鸞聖人の教えに目覚め、阿弥陀様の慈悲を喜び、感謝とともに生きた人々――それが妙好人です。今回はその中から、妙好人・浅原才市(あさはら さいち)さんをご紹介します。浅原才市さん――「念仏の日暮らし」浅原才市さんは、1850年・江戸末期に島根県温泉津(ゆのつ)で生まれました。もとは下駄職人でしたが、福岡の七里(しちり)先生という高僧と出会い、念仏の道へ。以来、20年以上も七里先生の話に耳を傾け、お念仏の喜びを歌にして人々へ伝えました。昼も夜も、寝ても覚めても「南無阿弥陀仏」。まさに「念仏の日暮らし」と呼ぶにふさわしい生き方です。歌に込めた信仰の喜びたとえば、次のような歌があります:寝るも仏 起きるも仏 覚めるも仏冷めて敬う 南無阿弥陀仏胸に六字の声がする親の呼び声 慈悲の催促 南無阿弥陀仏ここでいう「親」とは阿弥陀様。念仏を唱える私の声も、阿弥陀様の導きによって出てくるものだ――そんな深い気づきを表しています。🔶「自分は鬼」――角を描かせた肖像画ある日、画家が才市さんの肖像画を描いたときのこと。できあがった絵を見た才市さんは「これはわしじゃない。角を描いてくれ」と言いました。「わしは鬼だ。怒り、妬み――そんな心を持っている」と。頭に2本の角を描かせて完成した肖像画を見て、「これが本当のわしだ」と喜んだそうです。才市さんは、自らの煩悩に気づき、それを抱えながらもなお、阿弥陀様の慈悲に感謝して生きていたのです。🔶まとめ今週は仏教と蓮の花についてのお話でした。蓮の花は、泥の中から清らかに咲くその姿が、私たちの生き方の理想を表しています。念仏を喜び、感謝して生きた先人――妙好人たち。浅原才市さんのような念仏者の存在は、現代に生きる私たちにも、温かい光を届けてくれます。🔶次回のテーマは「仏教と雨のお話」。番組では、あなたのお悩み相談も受け付けています。メールは goen@rkk.jp までお寄せください。お話は仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。聞き手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。ご縁に感謝して、...
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  • 【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ること
    2025/05/28
    🔶 共命鳥とは?阿弥陀経に登場する不思議な鳥今週のテーマは「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」です。高千穂さん:「共命鳥は、『仏説阿弥陀経』に登場する極楽浄土に住む美しい鳥のひとつです」“共命”とは「命をともにする」という意味。この鳥は体は一つ、頭が二つ。それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。仏教では、この鳥を通じて人間の「煩悩(ぼんのう)」や「自己中心的な心」のはかなさを説いています。🔶 提婆達多(だいばだった)と共命鳥の物語ある日、弟子が釈尊(お釈迦さま)にこう尋ねます。「仏法を聞いていたはずの提婆達多は、なぜ釈尊に深い恨みを抱いたのですか」この問いに対し、お釈迦さまは共命鳥のたとえ話をもって答えられました。🔶 二つの頭と一つの命:破滅へ向かう心昔、雪山のふもとに共命鳥が住んでいました。一つの体に、カルダとウバカルダという二つの頭がついており、それぞれに独立した意識を持っていました。ある日、カルダがウバカルダに黙って「摩頭迦という果樹の実」を食べてしまいます。これは非常に良い香りと功徳を持つ果実だったため、ウバカルダはひどく怒りました。そしてあるとき、ウバカルダは毒の花を見つけます。「この毒を食べれば、カルダを苦しめることができる」と考え、眠っているカルダに黙って自ら毒の花を食べてしまいました。その結果――共命鳥は、体ごと死んでしまったのです🔶 お釈迦さまが語った深い意味死の間際、カルダはウバカルダにこう語ります。「私は良かれと思って花を食べた。だが、あなたは怒りにかられて毒を口にした。その結果、私たちはともに命を落とした。怒りや憎しみに利はなく、それは自らを、そして他者をも破滅させる」お釈迦さまはこう締めくくられました。「カルダは私・釈尊でありウバカルダは提婆達多である」🔶 共命鳥が教えてくれること高千穂さん:「共命鳥は、“自他は分けられるものではない”という教えを体現した存在です」現代に置き換えるなら――家庭や職場で、良かれと思ってしたことが誤解される自分の不満が、誰かへの攻撃になり、結局自分にも返ってくる私たちの中にも、“ウバカルダ”のような怒りや嫉妬の心が生まれることがあります。丸井:「他人を責めたつもりが、自分自身をも傷つけていた――思い当たるふしがあります」🔶 まとめ:一つの命をどう生きるか今週は「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」をテーマにお届けしました。高千穂さん:「共命鳥の物語は、他者と命をともにするという在り方を、優しく、そして厳しく伝えてくれています。自己中心的な怒りや執着が、やがて自分自身をも苦しめるということ。仏教が説く“縁起”や“慈悲”の心を、物語を通じて学ぶことができます」人との関係に悩んだとき、心の中の“ウバカルダ”と向き合うヒントになるかもしれません。🔶 次回予告:「仏教と蓮の花」次回は「仏教と蓮の花」をテーマにお届けします。泥の中から美しく咲く蓮の花は、なぜ仏教で大切にされているのか――その象徴的な意味に迫ります。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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  • 【親鸞聖人の誕生日・降誕会】のお話。 親鸞聖人は結婚もし魚も食べ90歳まで生きた。
    2025/05/21
    🔶 今日は親鸞聖人のお誕生日高千穂さん:「本日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日“降誕会(ごうたんえ)”です。旧暦でいうと4月1日、この日に親鸞聖人がお生まれになりました」親鸞聖人は1173年、平安時代の末期に京都でお生まれになりました。当時の日本は源平の争い、天災や疫病、大火や飢饉などが相次ぐ混乱の時代でした。🔶 9歳で出家、比叡山での修行の日々親鸞聖人は9歳で天台宗の僧・慈円(じえん)のもとで出家され、比叡山延暦寺に入山。その後20年にわたり、厳しい修行と学問に励まれます。高千穂さん:「比叡山は寒く、自然環境も厳しい場所です。そんな中で“今生きているまま仏となる”道を求め続けたのです」しかし、どれだけ修行しても煩悩を断ち切ることができない――そのことに悩まされ続けたといいます。🔶 六角堂の籠もりと夢のお告げ29歳のとき、修行に限界を感じた親鸞聖人は比叡山を下り、京都・六角堂で100日間の籠もりに入ります。その95日目の夜、夢に救世観音(くぜかんのん)が現れ、法然上人のもとへ行くようにと告げたと伝えられています。高千穂さん:「夢のお告げに導かれ、親鸞聖人は法然上人のもとへ通い、門弟となられました」この出会いこそが、のちの親鸞聖人の教えの出発点となったのです。🔶 流罪と“非僧非俗”の道しかし、その後ある事件が起こります。後鳥羽上皇の女官が無断で出家したことで、法然門下の念仏集団が弾圧されます。親鸞聖人は越後(現在の新潟)へ流罪となり、僧籍も剥奪されます。高千穂さん:「そのときから親鸞聖人は自らを“非僧非俗(ひそうひぞく)”と称されます。僧でも俗人でもない、ただ念仏を称える者として生きられたのです」流罪の地・越後では、結婚され、魚などを食べる「肉食妻帯」の生活もされながら、民衆と共に念仏の教えを広めていきました。🔶 関東へ、そして晩年の京都へ越後から関東へ、そして再び京都へ戻られた親鸞聖人。90年という当時では考えられないほど長い生涯を、念仏を伝え続けることに捧げられました。🔶 ロマンあふれる“発見”と親鸞聖人の実在意外なことに、大正時代までは親鸞聖人は架空の人物だと思われていたそうです。それが一変したのが、大正10年に西本願寺で発見された“真偽消息(しんにしょうそく)”という手紙でした。この手紙は、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)から娘へ宛てたもので、親鸞聖人の実像が詳細に記されていました。この発見により、親鸞聖人が実在した人物であることが初めて広く知られるようになったのです。🔶 まとめ:親鸞聖人が私たちに残したもの今週は「親鸞聖人のご誕生と生涯」についてお話を伺いました。高千穂さん:「親鸞聖人は90年の生涯を通じて、念仏の教えを実践し広め続けられました。流罪や弾圧という苦難の中でも、“すべては阿弥陀仏のおはたらき”と受け止め、生き抜かれた姿があります。私たちが今、念仏に出会い、救いを感じられるのも、親鸞聖人のご生涯があったからこそなんです」🔶 次回予告:「愚禿鈔(ぐとくしょう)」とは?来週は、親鸞聖人が遺されたお言葉の中から「愚禿鈔(ぐとくしょう)」をテーマにお届けします。“愚かなる禿(かぶろ)”と自らを名乗った親鸞聖人の真意に迫ります。お楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう
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