『高千穂さんのご縁です。』のカバーアート

高千穂さんのご縁です。

高千穂さんのご縁です。

著者: RKKラジオ
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仏教にまつわる色々なお話を、分かりやすくお話していただく番組です。仏教由来の言葉、豆知識、歴史、迷信、風習、教義、作法などなど。 出演は、熊本市中央区京町にある仏嚴寺の高千穂光正さん。お相手は、丸井純子さん。

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★地上波ではRKKラジオ(熊本)FM91.4 AM1197で、毎週水曜日 午後6時10分から放送中。是非生放送でもお聴きください。

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スピリチュアリティ
エピソード
  • 【仏教と蓮】──泥中に咲く「妙好人」 み教えの光
    2026/06/10
    🔶泥中から清らかに咲き誇る悟りのシンボル暑い季節を迎えると、水面に美しく大輪の花を咲かせる「蓮(はす)」は、仏教において最も象徴的な植物です。お釈迦さまが誕生されたインドの国花でもあり、仏教では「悟り」や「清らかさ」の象徴とされてきました。蓮は濁った泥の中から茎を伸ばし、泥に染まることなく清浄な花を咲かせます。この姿が、迷いや苦しみに満ちた現実世界(泥)にありながら、それに決して染まらずに清らかな智慧と慈悲(花)を開かせる仏さまの悟りの姿に重ねられているのです。🔶『阿弥陀経』が説く「みんな違ってみんないい」の世界浄土真宗で大切にされる『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』には、お浄土の池に咲く蓮の様子が「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔(ちちゅうれんげ だいにょしゃりん しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃくこう びゃくしきびゃくこう みみょうこうけつ)」と描かれています。青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、それぞれがそのままで輝き、気高い香りを放っています。これは「十人十色」の言葉通り、私たちは誰一人として同じではなく、それぞれが「ありのままの姿」で阿弥陀さまの救いの目当てとなり、お浄土で輝かせていただけるという平等の教えを表しています。🔶衆生を救うために一歩を踏み出す前傾姿勢阿弥陀如来の立像(立ち姿)を拝すると、蓮の花の台座(蓮台)の上で、少し前方に傾いた「前傾姿勢」をとられていることに気づきます。これは、苦しみの中にある私たちを「必ず救い取る、一刻も猶予していられない」と、座って待つことすらできずに、今すぐこちらへ一歩を踏み出そうとされている慈悲の躍動的なお姿を表しています。どんな時でも私の方を向き、至り届いてくださる阿弥陀さまの強いお心が、その立ち姿に具現化されているのです。🔶金子みすゞの詩「蓮と鶏」に響く阿弥陀さまの働き浄土真宗の教えに出会い、お念仏を喜びながら人生を歩んだ人々を、仏教では白い蓮華に例えて「妙好人(みょうこうにん)」と称します。26歳という短い生涯を駆け抜けた詩人・金子みすゞさんもまた、真宗のご門徒の家庭に育ち、その豊かな感性で教えを表現した妙好人の一人といえます。彼女の詩「蓮と鶏(にわとり)」にこうあります。泥の中から蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。卵の中から鳥が出る。それをするのは鳥じゃない。それに私は気がついた。それも私のせいじゃない。蓮が咲くことも、雛が生まれることも、自分の力ではなく自然(じねん)の大いなる働きによるものです。そして「私が今、お念仏を称える身にさせられている」のも自分の力ではなく、前傾姿勢で私を包み込んでくださる阿弥陀さまの「お働き(本願力)」によるご縁だったのだという、深い感謝と喜びがこの詩の背景には息づいています。🔶「さびしいとき」の詩にみる摂取不捨の慈悲もう一つ、彼女の代表的な詩に「さびしいとき」があります。私がさびしいときに、よその人は知らないの。私がさびしいときに、お友だちは笑うの。私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。私がさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。周囲の人がどれだけ寄り添ってくれても、孤独や悲しみを完全に分かち合うことは困難です。しかし、仏さまだけは、私の寂しさをそのままご自身の寂しさとして受け止め、絶対に孤独にはさせない。「摂取不捨(せっしゅふしゃ=おさめとって見捨てない)」という阿弥陀さまの慈悲のぬくもりを、みすゞさんは「ほとけさまはさびしいの」というあまりにも純粋な言葉で表現しました。頭での理解を超え、自らの言葉として阿弥陀さまの真実に出会っていった金子みすゞさんの詩は、今を生きる私たちの心にも、温かい一輪の蓮華を咲かせてくれます。🔶今週のまとめ仏教において蓮の花は、濁った泥の中から清らかな花を咲かせる「悟り」と「清浄」の象徴です。『阿弥陀経』の「青色青光…」の一節は、一人ひとりが個性を保ったありのままの姿で救われていく平等の世界を示...
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    9 分
  • 【雨と仏教】──一水四見の智慧と心の安居
    2026/06/03
    🔶唯識が説く一水四見の教え仏教の「唯識(ゆいしき)」という思想の中に、「一水四見(いっすいしけん)」という言葉があります。これは「一つの水であっても、見る者の立場や境遇によって四つの異なる見え方をする」という意味です。例えば、天上の世界に住む「天人(てんにん)」には美しく透き通った瑠璃(宝石)のように見え、私たち「人間」にはそのままの水に見えます。また、「魚」にとっては大切な住処(すみか)であり、飢えと渇きに苦しむ「餓鬼(がき)」にとっては、燃え盛る炎や恐ろしい膿(うみ)の川に見えるとされています。この教えは、私たちが生きる現代社会にも深く通じています。同じ「雨」であっても、仕事や立場、環境が変われば、その捉え方や意味合いは大きく異なります。私たちは誰もが自分自身の価値観や境遇というフィルターを通して世界を見ており、「私の見えている世界がすべてではなく、他者には全く違う世界が見えているかもしれない」と気づくことが、他者を尊重し共生していくための第一歩となります。🔶雨季の修行から生まれた「安居」の伝統仏教の母国であるインドには、激しい雨が降り続く長い雨季(うき)があります。お釈迦さまの時代、古代の仏教教団では、この雨季の期間は外での移動や修行を行いませんでした。雨季は多くの小さな生き物たちが地表に這い出してくる時期であり、外を歩き回ることで、それらの尊い命を誤って踏み潰してしまう恐れがあったからです。そこで、僧侶たちは一カ所に集まり、外出を控えて熱心に勉強会や修行を行いました。このサンスクリット語で「ヴァルシャ」と呼ばれる雨季の引きこもり修行を、漢字では「安らかに居る」と書いて「安居(あんご)」と言います。現在でも、浄土真宗本願寺派をはじめ日本の多くの仏教教団において、この伝統を受け継いだ安居が開催されており、仏教の歴史の中で学問や教理が深く発展していくための極めて重要な契機となりました。🔶スマホ社会と読書(晴耕雨読)の大切さ雨のために外へ出られない時期は、古くから「晴耕雨読(せいこううどく)」と言われるように、静かに本を開き、学問や読書に励むのに最適な時間です。現代はスマートフォンや電子書籍が非常に便利になり、いつでも手軽に情報を得られるようになりましたが、ともすれば自ら腰を据えて紙の本を読む時間が疎かになりがちです。画面をスクロールしてピンポイントの答えだけを拾い上げるネット検索とは異なり、紙の本をめくる読書には、予期せぬ言葉や思想との豊かな出会いがあります。例えば、紙の辞書を引くとき、目的の単語の周囲にある別の言葉がふと目に留まり、それが新たな知識として蓄積されていくような面白さがあります。雨の季節こそ、デジタルから少し距離を置き、自らの手でページをめくる時間を大切にしたいものです。🔶AI時代の情報収集と自ら考える力近年はAI(人工知能)の進化によって、私たちが検索すらする必要のない時代が到来しています。問いかければ一瞬でデータをまとめ、完璧な文章や原稿を作成してくれる非常に便利なツールです。実際に、日々の正確なデータ整理などにAIを活用することは有意義ですが、すべてを依存してしまうことには危うさも潜んでいます。人間は、どうしても楽な方へと流されてしまいがちな存在です。だからこそ、効率的に得られる答えだけに満足せず、立ち止まって「自分の頭でじっくりと考える」プロセスを失ってはなりません。雨で外に出られない静かな時間は、効率性を求める日常から離れ、自らの内面を見つめ直し、知識を深くインプットするための貴重な「安居」の時間となるのです。🔶多様な視点から仏教を学ぶ読書の歓び読書を通じて見識を広げることは、自分の狭い殻を打ち破るきっかけをくれます。例えば、日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)の代表作である『善の研究(ぜんのけんきゅう)』や、仏教学者であり哲学者でもある鈴木大拙(すずき だいせつ)の著作は、西洋哲学と東洋の仏教思想を対比させながら、深い知恵を私たちに...
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  • 【お寺の掲示板】──門前から響く「現代のメディア」
    2026/05/27
    🔶お寺の掲示板の由来と伝道の役割お寺の門前に必ずといっていいほど設置されている掲示板は、単なる行事案内(広報)以上の大切な役割を担っています。これらは「伝道掲示板(でんどうけいじばん)」と呼ばれ、明治時代、浄土宗がキリスト教の熱心な伝道活動に影響を受け、仏教の教えを広く一般に伝えるために始めたのがきっかけといわれています。門信徒のみならず、お寺の前を通りがかる人々の目にも留まるよう、仏教の智慧や心のあり方を短く、鋭い言葉で貼り出したのが、現代の形へと受け継がれました。🔶「輝け!お寺の掲示板大賞」の広がり2018年より、公益財団法人「仏教伝道協会(BDK)」が主催している「輝け!お寺の掲示板大賞」が大きな話題を呼んでいます。SNSの普及により、全国各地のお寺に掲げられたユニークで深い言葉が「バズる」ようになり、ありがたさやインパクト、ユニークさを競うコンテストとして定着しました。これにより、お寺の掲示板は「現代のメディア」として、若い世代を含む幅広い層に仏教の視点を届ける窓口となっています。🔶心に刺さる掲示板の言葉たち昨年の大賞(2025年)に選ばれたのは、鹿児島県南さつま市の浄土真宗本願寺派・顯證寺(けんしょうじ)の言葉でした。「自分ファースト」という貧しさ「自分さえ良ければいい」という独りよがりな心を鋭く指摘し、他者への思いやりを問いかける作品です。また、第1回(2018年)の記念すべき大賞作品は、岐阜県郡上市の願蓮寺(がんれんじ)によるものでした。「おまえも死ぬぞ」釈尊衝撃的な一文ですが、これは初期仏典『相応部経典(サンユッタ・ニカーヤ)』にある「生まれたものが死なないということはあり得ない」というお釈迦さまの言葉を、直截的に表現したものです。限られたスペースで、いかに真理を伝えるかという知恵が凝縮されています。🔶仏嚴寺の掲示板に込める願い私自身、仏嚴寺の掲示板に言葉を書く際は、特に「車からでも読みやすいこと」を意識しています。道路沿いという立地を活かし、大きな文字で、時には漢字一文字でメッセージを届けます。例えば「願(がん)」という一文字を掲げた際は、浄土真宗の根本である「阿弥陀如来の四十八願」や、平和への願いなど、見る人の心に「考察」を促すことを意図しました。かつて祖父が書いた「いのち のびのび」といった、ひらがな主体の柔らかい表現もあり、掲示板にはそのお寺や住職の「カラー」が如実に表れます。🔶門前から始まる仏教との対話お寺の掲示板は、日常生活の中でふと立ち止まり、自分を見つめ直す「心の鏡」のような存在です。最近では切り絵やイラストを添えたり、謎解きのような深い言葉を掲げたりするお寺も増えており、掲示板を通じて住職との対話や交流が生まれることもあります。掲示板の言葉を見て「どういう意味だろう?」と興味を持たれたら、ぜひ気軽にお寺の門を叩いてみてください。その一言が、仏教という深い智慧の世界への入り口になるはずです。🔶今週のまとめお寺の掲示板は「伝道掲示板」と呼ばれ、明治時代にキリスト教の影響を受けて、教えを広めるメディアとして始まりました。「輝け!お寺の掲示板大賞」をきっかけに、ユニークで深い言葉がSNSで注目され、仏教の智慧が身近なものとなっています。顕正寺の「自分ファーストという貧しさ」や願蓮寺の「おまえも死ぬぞ」など、短い言葉の中に仏教の本質が込められています。掲示板は車から見やすい文字の大きさや、見る人が考察できる言葉選びなど、お寺ごとの個性や願いが反映されています。掲示板の言葉をきっかけにお寺に立ち寄るなど、門前を起点とした地域との交流も大切にされています。次回テーマは「雨と、仏教」です。どうぞお楽しみに。お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。
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    9 分
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