エピソード

  • 会話で大事なのは、何があったかじゃない
    2026/06/16
    「ちゃんと話を聞いたつもりなのに、なぜか相手とのあいだに距離ができてしまう」。

    会話で大事なのは、何があったかという事実ではなく、どう感じたかという体験のほうなのだと思います。そしてその体験は、頭ではなく身体に起きています。

    対人支援を仕事にしている方も、そうでない方も。あなたと、目の前の誰かとのあいだに毎日起きていることの話です。

    この夏の私塾募集にあわせた、コミュニケーションをめぐる三回シリーズの第一回。「ちゃんと聞かなきゃ」と力むと身体が固まって、かえって相手の体験を追体験できなくなる。受け止めたものを自分の中で閉じ込めず、自分の体験も返しながら、相手の体験を掘り下げて聞いていく。その身体的な土台についてお話ししました。

    ― チャプター ―
    00:00 対人支援は、つきつめればコミュニケーション
    03:33 コミュニケーションは、生きることそのもの
    06:09 「ちゃんと聞かなきゃ」と力むと、相手が遠くなる
    10:13 受け止めるのはいい。でも飲み込まれると共感疲労
    15:03 「悲しい」を「辛い」で塗り替えない
    18:50 事実だけ追うと、古い傷を開く ── トラウマの正体
    24:46 体験を、掘り下げて聞く
    31:35 足を持って揺らす ── これは、あなたの話

    ブログ版(書籍情報カード・因果フロー図付き)はこちら。
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    身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけ

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    〒981-0811
    宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503
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    40 分
  • 「変われない」と「知ったかぶり」|宮崎駿と知ったかぶりの身体
    2026/06/07
    本を読んでも、学んでも、なぜか変わらない。

    それは頭が悪いからではなく、画面を指でなぞるように「知った気」になっていて、身体がどこへも出かけていないからかもしれません。

    宮崎駿が十五年前にiPadへ放った一節を手がかりに、「わかる」と「知ったかぶり」の境目を、身体から考えてみます。

    スタジオジブリのフリーペーパー『熱風』2010年7月号「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」。そこで宮崎駿は、画面をさする手つきを「自慰行為のよう」と言い、「あなたには調べられません」と言い切りました。情報がいくらあっても、その対象へ出かけていける身体がなければ、調べたことにはならない――。

    ライブで初めて曲の良さが「わかる」瞬間、他人の汗の上澄みだけを掬う「受け売り」、「カメラを持っていくな、記憶で描け」という宮崎の調べ方、そして施術室で出会う「学んでも変わらないんですよね」という身体。道具の問題ではなく、手つきの問題なのだと思います。

    ――あなたの指は、今、何を撫でているでしょうか。

    〈チャプター〉
    00:00 電車で、画面を指でさすっている ── 宮崎駿の予言
    04:39 わかった気になるのは、気持ちいい
    10:08 「わかる」には二つある ── ライブで初めて分かる
    19:03 「あなたには調べられません」
    26:55 受け売り ── 他人の汗の上澄みを掬う
    35:33 カメラを持っていくな、記憶で描け
    39:06 「学んでも、変わらない」と言う身体
    46:03 あなたの指は、今、何を撫でているか

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    50 分
  • 【後編】子供の飛び方から、大人の飛び方へ|身体の教養とは何か
    2026/06/02
    自分を分析するツールはたくさん試した。MBTI、HSP、ストレングスファインダー、エニアグラム。自己理解はできているはずなのに、なぜか生きやすくなっていない──そんな停滞を感じたことはありませんか。それは「俯瞰で意識的に見つめる」つもりが、いつのまにか頭の中だけで完結する「思考の檻」になっているからなのかもしれません。今回は宮崎駿監督の「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替え、「身体の教養」とは何かを話していきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの後編です。後編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・宮崎駿「いくつになっても成長したいなら、自分を俯瞰で意識的に見つめる態度が必要」・デカルト「我思う、ゆえに我あり」が遺した、身体を置き去りにする思考の罠・「思考の檻」──記号と物語だけで自分を捉えようとする状態・体を観察するのではなく、体に同一化する/体に問いかける・メルロ=ポンティ後期の言葉「反省とは、自己との差異の欠如、沈黙せる同一化である」・第二次言語(HSP・愛着障害・人見知りといったラベル)と第一次言語(ふわーっと・ここが詰まる・なんて言っていいかわからないけど…)・中動態──涙が出る、眠くなる、心が動く、その仲間としての「身体に焦点を当てて待つ」・養老孟司の「手入れ」──庭師は庭を完全に管理できない、けれど手は離さない・キキの最後の飛行、トンボを助ける場面で身体に起きていたこと・身体合理性と理性の循環──野生を抑え込むのではなく、承認し、豊かに開いていく・子供のままの飛び方ではなく、大人の飛び方として3回のシリーズの締めくくりです。「学んでも変わらない」「分析するほど苦しくなる」と感じている方に、特に聴いてほしい一本です。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #中動態 #養老孟司 #メルロポンティ #身体知の書庫
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    26 分
  • 【中編】考えても答えが出ないとき|キキが飛べなくなった日
    2026/05/31
    考えても考えても答えが出ない。でも考えるのを止められない。いつもと同じはずなのに、急に自分が言うことを聞かなくなる──そういう夜、ありませんか。それは思考力の問題ではなくて、「身体図式」というあなたの中の無意識の当たり前が、状況の変化に追いつけなくなっているサインなのかもしれません。今回はキキが突然飛べなくなった日に身体で起きていたことを、メルロ=ポンティの「習慣の獲得は身体図式の組み換えである」という言葉を補助線に読み解いていきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの中編です。中編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・血で飛ぶの限界──新しい状況が身体に「組み直してくれ」と要求してくる・メルロ=ポンティ「習慣の獲得とは身体図式の組み替えであり更新である」・「自分を持てあます」──思春期だけの話ではない・飛べない時に身体に現れる3つの兆候(身体が変わる感じが訪れない/問題解決の言葉ばかりが先行する/感覚の具体性が消えていく)・思春期に限らない人生の節目──引っ越し、独立、出産、子離れ、転職、引退、更年期、退院後…・画家ウルスラがキキに伝えた言葉──「ジタバタするしかないよ/何もしない/そのうちに急に描きたくなるんだよ」・コントロールするのではなく、身体がぴったり合う瞬間を待つ・思考の檻から出て、世界と身体の手触りを取り戻していく後編では、宮崎駿監督の「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替え、「身体の教養」とは何かまでを話していきます。「変わりたいのに変われない」「自分を分析するほど、生きづらさが増している気がする」と感じている方に、聴いてほしい一本です。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #身体図式 #思考の檻 #身体知の書庫
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    14 分
  • 【前編】キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話
    2026/05/28
    何も考えずにできていたことが、ある日急にできなくなる。子供の頃は当たり前にできていたのに、今は同じことがどうしてもうまくいかない──そんな感覚を、誰しも一度はくぐっているのではないかと思います。その「できる/できない」を分けているものは、意志の強さでも頑張りの量でもなく、身体に組み込まれていた「ある条件の整い方」だった。今回は魔女の宅急便のキキを起点に、その「整い方」の正体を身体論の側から読み解いていきます。「キキはなぜ飛べたのか|宮崎駿『血で飛ぶ』と身体の話」シリーズの前編です。3回に分けてお話ししていきます。前編(今回)でお話ししているのはこんな内容です。・魔女の宅急便、キキが突然飛べなくなる場面の不思議・宮崎駿監督の「血っていったいなんですか?親からもらったものでしょう?」「無意識に成長することは不可能である」という二つの言葉・アフォーダンス──環境が私たちに「こうできるよ」と差し出してくる可能性(ジェームズ・J・ギブソン)・メルロ=ポンティの「I can/je peux」──「私はできると信じる」ではない、別の意味の「できる」・コップに手が伸びるとき、私たちは「取ろう」と決意してから動いているわけではない・「できる」を支える4つの条件──身体合理性/身体図式/物理的条件/環境・生まれたばかりの赤ん坊が走れない理由(身体合理性は高いのに)・キキの「血で飛ぶ」の正体──野生としての身体知中編・後編では、キキが飛べなくなった日に身体で何が起きていたのか、そして「俯瞰で意識的に見つめる」を身体の方から読み替えるとどうなるのか、までを話していきます。「子供の頃のあの感覚が懐かしい」と感じる方、「最近、急にできなくなったことがある」という方に、聴いてほしいシリーズです。------身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #魔女の宅急便 #ジブリ #アフォーダンス #宮崎駿 #身体知の書庫
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    13 分
  • 信頼は、結果と関係がない|裏切られても、傷つけられてもそれで良いと思える?
    2026/05/26

    人を信頼するって、本当はどういうことなんだろう。

    信頼は、たぶん、結果と関係がない。信頼するから、関わり続ける。

    質問回答エピソード後編です。前編からの続きですが、後編単独でも聴けます。


    「やっぱりクズだった」と判定して離れる動きは、もう信頼の話ではないのかもしれない。それは、結果の答え合わせ。

    信頼そのものは、結果に関わりなく、その手前で動いている。


    そんな整理を、現象学のエポケー(判定の保留)、イエス・キリストの「右の頬を打たれたら左の頬を」が示す身体合理性の極限、関わりがカジュアル化した時代論などを補助線にしながら話しました。


    最後には、「解いていけば、解けていく」── これが大沼竜也なりの幸せの形です。


    参考にした古今東西の信頼論(ブログ版で明示):

    - ニクラス・ルーマン『信頼』(Trust vs Confidence)

    - アネット・バイヤー "Trust and Antitrust" (Trust vs Reliance)

    - 山岸俊男『信頼の構造』(信頼 vs 安心)

    - キェルケゴール『おそれとおののき』(信仰の飛躍)

    - キリスト教 / 仏教


    ブログ記事「信頼するから、関わり続ける」と合わせてどうぞ。


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    17 分
  • 人間不信になりそう|人を見抜くことは「不可能」なの?
    2026/05/24

    いろんなことが重なって、人間不信になってしまいそう。「やっぱりクズだった」を繰り返してしまう人、人を見抜こうとして疲れている。

    そもそも、人を見抜くということが原理的に難しいのではないか、という話をしました。

    癖と野生のあいだで、身体に何が起きているのか。質問回答エピソード前編です。


    ソマティックスタジオサポーターからいただいたDM質問への回答です。


    最初の印象では良くない感じがした人。

    話してみたら心地よかった。

    でも、会話の中の言葉から「この人はクズみたいな人だ」という感じが立ち上がる。

    それでも信じて関係を進めてみたら、やっぱりクズだった。

    そういうことが、最近続いている。

    ラベルは必要なのか。感覚だけではダメなのか。


    そんな悩みを起点に、「見抜くこと自体が原理的に難しい」という入口から、野生・理性・癖の三層整理、そして「身体の反応は、ただ起きている事実」というところまで話しました。


    「あの人がクズかどうかは、本当のところはわからない」──この一言が、たぶん前編の核心です。


    続きの後編では、「信頼は結果と関係がない」「現象学のエポケー」「キリストと身体合理性の極限」まで踏み込みます。


    ブログ記事「信頼するから、関わり続ける」と合わせてどうぞ。


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    17 分
  • 【後編】コリと疲労と鬱な気分|脳疲労が原因だった?
    2026/05/22

    「取れない疲れは『脳疲労』が原因かも?」シリーズの後編です。前編・中編で脳疲労のメカニズムと、身体動態瞑想の入口までお話ししてきました。今回はもう一段深く、宮本武蔵が示した「ゆるみ」の深さと、それを日常に織り込んでいくところまで、お話ししています。


    後編(今回)でお話ししているのは、こんな内容です。

    ・宮本武蔵『五輪書』にある一節──「心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし」
    ・武蔵が要求しているのは、深層筋・肋間筋・大腰筋・横隔膜まで届くゆるみ。お風呂で気持ちいいレベルでは、まだ表層にすぎない
    ・「ゆるむ」と「たるむ」は違う──だらーっとたるむ状態と、ギュッと締まる状態、その両方を最大限に自由に行き来できる状態こそが、身体合理性が高い状態。自由度の問題である
    ・生理学的にも、筋肉が「ゆるんでいる」状態は何もしていない状態ではない。ATPというエネルギー物質を使い続けている。死後硬直──ATPの供給が止まった瞬間に身体が固まる現象──を思い起こせば分かりやすい
    ・努力の方向を「気持ちよさを引き出すこと」に置き換える──座るときも、移動も、食事も、お風呂も、ベッドに入るときも、心地よさを最大限に味わうように生きる
    ・落とし穴:今の自分の身体の小余りを前提とした気持ちよさしか感じられない。背中が丸ければ、その状態の中での気持ちよさしか拾えない
    ・だから理性があり、他者がいる。身体動態瞑想は、解剖学的な構造の側からその落とし穴に補助線を引く実践。胸をさすると、肋骨を通じて背中の丸さに届く

    身体に蓋をして頑張り続けてきた人にこそ、聴いてほしいシリーズの締めくくりです。日常の所作のひとつひとつに、気持ちよさを引き出す姿勢を織り込んでいくきっかけになれば嬉しいです。

    ソマティックスタジオでは身体動態瞑想を詳しく解説する場や、一緒に実践する場を用意しています。興味のある方はぜひ覗いてみてください。

    【参考文献】(後編で言及)

    ・宮本武蔵『五輪書』


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    15 分