エピソード

  • ひのきとひなげし
    2025/07/27

    📖『ひのきとひなげし』朗読 – 風に舞う花たちと夕暮れの庭で繰り広げられる不思議な物語🌺🌲

    静謐な朗読の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『ひのきとひなげし』。

    風の強い夕暮れ時、まっ赤に燃え上がったひなげしの花たちが、風にぐらぐらと揺れながら息もつけないような様子で立っています。その背後では、同じく風に髪も体も揉まれながら、若いひのきが立っていました。ひのきは風に揺れるひなげしたちを見て「おまえたちはみんなまっ赤な帆船でね、いまが嵐のところなんだ」と声をかけます。しかしひなげしたちは「いやあだ、あたしら、そんな帆船やなんかじゃないわ。せだけ高くてばかあなひのき」と反発するのでした。

    やがて銅づくりの太陽が瑠璃色の山に沈み、風がいっそう激しくなります。風が少し静まった頃、いちばん小さいひなげしがひとりでつぶやきます。「ああつまらないつまらない、もう一生合唱手だわ。いちど女王にしてくれたら、あしたは死んでもいいんだけど」。ひなげしたちは皆、美しい「テクラ」という名の花を羨ましがり、自分たちも「スター」になりたいと憧れを抱いているのでした。

    そんな中、向こうの葵の花壇から悪魔が現れます。最初は美容術師として、次は医者として姿を変え、ひなげしたちに美しくなる薬を提供すると申し出るのです。その代償として求めるのは、ひなげしの頭にできる「亜片」でした。お金のないひなげしたちは皆、その取引に心を動かされることになります。

    この物語は、「スター」になりたいと願うひなげしたちの心の動きを、繊細な心理描写で描いています。ひなげしたちの会話は生き生きとしており、それぞれの個性や想いが丁寧に表現されています。「スター」への憧れは、現代にも通じる普遍的な願望でありながら、花という存在を通して語られることで、美しさの本質を静かに浮かび上がらせます。

    風の音、雲の流れ、夕暮れから夜への時間の移ろい——自然の営みと生命の営みが重なり合う中で、ひのきという存在は静かな知恵と愛情深い眼差しでひなげしたちを見守ります。悪魔の甘い誘惑と、それに対するひのきの警告は、欲望と理性、表面的な美しさと本当の価値について、聞き手にも静かな問いを投げかけます。

    作品全体に流れる詩的なリズムと、方言を交えた親しみやすい会話のバランスも絶妙です。色彩豊かな情景描写は、まるで一枚の絵画を見ているような美しさで、朗読を通してその世界に深く入り込むことができます。夕暮れの庭という限られた空間の中で展開される小さな宇宙が、聞く人の心に静かな余韻を残すことでしょう。朗読でゆっくりとその世界をお楽しみください。


    #毒 #衝動

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    19 分
  • よだかの星
    2025/07/20

    📖『よだかの星』朗読 – 醜い鳥が見つめた夜空の向こう側⭐🌙

    静かに語られる物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『よだかの星』。

    よだかは実に醜い鳥でした。顔はところどころ味噌をつけたようにまだらで、くちばしは平たく耳まで裂けています。足はよぼよぼで、一間とも歩けません。他の鳥たちは、よだかの顔を見ただけでもいやになってしまうほどでした。美しくないひばりでさえ、よだかと出会うと、いかにもいやそうに首をそっぽへ向けてしまいます。小さなおしゃべりの鳥たちは、いつでもよだかの真正面から悪口を言いました。「鳥の仲間の面汚しだよ」「あの口の大きいこと、きっとかえるの親類なんだよ」と。

    しかし、よだかは本当は鷹の兄弟でも親類でもありませんでした。かえって、あの美しいかわせみや蜂すずめの兄さんだったのです。蜂すずめは花の蜜を食べ、かわせみはお魚を食べ、よだかは羽虫を取って食べていました。よだかには鋭い爪も鋭いくちばしもなく、どんなに弱い鳥でも、よだかを怖がる理由はなかったのです。

    それなのに「たか」という名がついているのは、よだかの羽が無暗に強くて風を切って翔けるときは鷹のように見えること、そして鳴き声が鋭くてどこか鷹に似ているためでした。もちろん、本物の鷹はこれを非常に気にかけて嫌がっていました。よだかの顔を見ると肩をいからせて、「早く名前を改めろ」と言うのでした。

    ある夕方、とうとう鷹がよだかの家へやって来ました。鷹は「市蔵」という名前に変えて改名の披露をしろと迫り、「明後日の朝までにそうしなかったら、つかみ殺すぞ」と脅して帰っていきました。

    よだかは目をつぶって考えました。一体自分はなぜこうみんなに嫌われるのだろう。今まで何も悪いことをしたことがないのに──。

    あたりがうす暗くなると、よだかは巣から飛び出しました。雲とすれすれになって羽虫を捕らえていましたが、甲虫が喉でもがくとき、よだかは何だか背中がぞっとしたように感じました。そしてついに大声をあげて泣き出してしまいます。

    「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩よだかに殺される。そしてそのよだかが今度は鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。よだかはもう虫を食べないで飢えて死のう」

    山焼けの火が水のように流れて広がる夜、よだかは弟の川せみの所へ飛んで行き、「今度遠い所へ行く」と別れを告げます。そして夜明けになると、霧が晴れたお日様に向かって飛び、「どうぞ私をあなたの所へ連れて行って下さい。焼けて死んでも構いません」と願いました。しかしお日様は「お前は夜の鳥だから、今夜空を飛んで、星にそう頼んでごらん」と答えます。

    夜になると、よだかは美しいオリオンの星、南の大犬座、北の大熊星、天の川の向こう岸の鷲の星へと次々に飛んで行き、同じように頼みます。しかし、どの星も相手にしてくれません。よだかは力を落として地に落ちていきますが、地面に足がつく寸前、俄かにのろしのように空へ飛び上がりました。そして高く高く叫びます──その声はまるで鷹でした。

    この物語は、外見の醜さゆえに世界から疎外された一羽の鳥の孤独と苦悩を描いています。他者からの拒絶、生きることそのものへの罪悪感、そして最後に選択する道──よだかが辿る軌跡は、現実と幻想が入り混じる夜の世界で静かに展開されます。

    美醜による差別、名前をめぐる争い、食べることの罪──これらの要素が夜空の下で静かに語られていきます。夜空に輝く星々を見上げるとき、そこにはどのような光が宿っているのでしょうか。

    月光に包まれた夜の世界で繰り広げられる、一羽の鳥の切ない魂の軌跡。醜いと言われた存在が見つめた夜空の向こう側には、何が待っているのか。詩的で美しい言葉の調べに乗せて語られるこの不思議な物語を、静かな朗読でじっくりとお楽しみください。


    #動物が主人公 #衝動 #星座 #いじめ

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    23 分
  • やまなし
    2025/07/13

    📖『やまなし』朗読 – 水底に響く幻想的な蟹の兄弟の物語🌊🦀

    静寂に包まれた水中世界へと誘う朗読をお届けします。今回の作品は、宮沢賢治の『やまなし』。小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈として語られる、時の流れと生命の営みを描いた幻想譚です。

    物語は五月、青じろい水の底で始まります。二匹の蟹の子供たちが、水銀のように光る泡を吐きながら不思議な会話を交わしています。「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」——このクラムボンとは一体何なのでしょうか。兄弟蟹の愛らしいやりとりの中に、謎めいた存在の影がちらつきます。

    水の天井を流れる暗い泡、鋼のように見える青い空間、そして突然現れては消える銀色の魚。この静謐な水中世界に、ある日突然の出来事が起こります。白い泡が立ち、青びかりのぎらぎらする鉄砲弾のようなものが飛び込んできたのです。その青いもののさきはコンパスのように黒く尖り、魚の白い腹がぎらっと光って——。父さん蟹は「それは鳥だよ、かわせみと云うんだ」と子供たちを安心させ、「おれたちはかまわないんだから」と優しく声をかけます。

    やがて季節は移ろい、十二月。蟹の子供たちはよほど大きくなり、底の景色もすっかり変わっています。白い柔らかな円石、小さな錐の形の水晶の粒、金雲母のかけら——新しい世界の装いの中で、ラムネの瓶の月光が冷たい水の底まで透き通っています。天井では波が青じろい火を燃したり消したりし、あたりはしんとして、遠くから波の音だけがひびいてきます。

    月が明るく水がきれいなこの夜、眠らずに外に出た蟹の兄弟は、どちらの泡が大きいかで言い争いをしています。そんな微笑ましい兄弟げんかの最中、またしても天井から大きな黒い円いものが落ちてきました。今度はキラキラと黄金のぶちが光っています。「かわせみだ」と身をすくめる子供たちでしたが、お父さんの蟹は遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして確かめてから言いました。「そうじゃない、あれはやまなしだ」——。

    水の中に漂ういい匂い、月光の虹がもかもか集まる幻想的な光景、そして家族三匹で追いかけるやまなしの行方。横歩きする蟹たちと底の黒い三つの影法師が合わせて六つ踊るようにして進む光景が描かれています。五月の緊張から十二月の平穏へ、恐怖から安らぎへと移りゆく時の流れの中で、小さな生命たちの日常が温かく描かれています。

    この作品は、水という透明な世界を舞台に、そこに住む小さな生き物たちの目線から語られます。クラムボンという謎めいた存在、突然の闖入者たち、季節の移ろいとともに変化する水底の風景——現実と幻想が溶け合う中で、生命の営みと自然の循環が静かに歌われています。蟹の兄弟の無邪気な会話、父さん蟹の優しい導き、そして水面を通して感じられる上の世界の気配が、独特の詩的な世界を織りなしています。

    青い幻燈のように美しく、透明な水のように清らかな物語の世界。時にユーモラスで、時に神秘的な水底の一日と一夜を、朗読でゆっくりとご堪能ください。


    #動物が主人公

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    13 分
  • 雪渡り
    2025/07/06

    ❄️『雪渡り』朗読 – 凍った雪原に響く、人と狐の交流譚🦊✨

    純白の雪が大理石よりも堅く凍り、空も青い石の板のように滑らかに澄んだ、そんな特別な冬の日の物語へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『雪渡り』。

    「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」

    四郎とかん子の兄妹は、小さな雪沓をはいてキックキックキックと野原に出かけます。雪がすっかり凍って、いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、好きな方へどこまでも行ける素晴らしい日。平らな雪面は一枚の板のようで、それが沢山の小さな鏡のようにキラキラと光っています。

    森の近くまで来た二人は、大きな柏の木が立派な透き通った氷柱を下げて重そうに身体を曲げているのを見つけます。そして森に向かって高く叫びました。「狐の子ぁ、嫁ほしい、ほしい。」

    すると森の中から「凍み雪しんしん、堅雪かんかん。」と言いながら、キシリキシリ雪を踏んで白い狐の子が現れます。それは紺三郎という名の、銀の針のようなおひげをピンと一つひねる小さな狐でした。最初は警戒していた四郎でしたが、狐の紺三郎が思いがけず礼儀正しく、しかも「私らは全体いままで人をだますなんてあんまりむじつの罪をきせられていたのです」と訴えます。

    紺三郎は自分で畑を作って播いて草をとって刈って叩いて粉にして練って蒸してお砂糖をかけた黍の団子を二人に差し出し、さらに「この次の雪の凍った月夜の晩」に行われる幻燈会への招待状を手渡します。ただし、その幻燈会は「十一歳以下」という条件付きでした。

    月日が過ぎ、青白い大きな十五夜のお月様が静かに氷の上山から登った夜、四郎とかん子は約束通り狐の幻燈会へと向かいます。林の中の空き地には狐の学校生徒たちが集まり、栗の皮をぶっつけ合ったり、相撲をとったり、小さな鼠位の狐の子が大きな子狐の肩車に乗ってお星様を取ろうとしたりしています。

    燕尾服を着て水仙の花を胸につけた紺三郎の司会で始まる幻燈会。上映されるのは「お酒をのむべからず」「わなに注意せよ」「火を軽べつすべからず」という三つの教訓的な出し物です。太右衛門や清作が酔っ払って野原の怪しいまんじゅうやおそばを食べてしまった写真、わなにかかった狐のこん兵衛の絵、焼いた魚を取ろうとして尻尾を焼いた狐のこん助の絵が、足踏みと歌声に合わせて映し出されます。

    「ひるはカンカン日のひかり、よるはツンツン月あかり、たとえからだを、さかれても、狐の生徒はうそ云うな。」狐の学校生徒たちが歌う校歌のような歌声が、月明かりの下で響きます。

    二つの章から構成されるこの物語は、堅く凍った雪の上を自由に歩き回れる特別な日を舞台に、人間の子どもたちと狐たちの出会いと交流を描いています。四郎とかん子の純真さ、紺三郎をはじめとする狐たちの礼儀正しさと真摯さ、そして互いに対する偏見を乗り越えていく過程が、冬の美しい情景とともに綴られています。

    雪がキラキラと光る野原、月光に照らされた青白い森、そして「キックキックトントン」という楽しいリズムに乗せて歌われる数々の歌。物語は読者を、雪の結晶のように繊細で美しい幻想的な世界へと誘います。登場人物たちの心の動きが丁寧に描かれ、疑念から信頼へ、警戒から友情へと変化していく様子が、冬の夜の静寂の中で静かに、しかし確実に進んでいきます。

    凍った雪の上を渡りながら紡がれる、心温まる交流の物語。月夜に開かれる幻燈会で、四郎とかん子、そして狐の学校生徒たちがどのような体験を共にするのか、ぜひ朗読でお楽しみください。


    #狐 #人と動物 #少年 #月

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    30 分
  • セロ弾きのゴーシュ
    2025/06/29

    📻『セロ弾きのゴーシュ』朗読 – 夜の水車小屋で繰り広げられる音楽と動物たちの不思議な物語🎼🐱

    静寂な夜に響くセロの音色に導かれる、不思議で美しい物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』。

    町の活動写真館でセロを弾く係のゴーシュは、仲間の楽手の中でいちばん下手で、いつも楽長にいじめられています。「セロがおくれた」「糸が合わない」「表情ということがまるでできてない」──練習のたびに厳しく叱られ、ついには「きみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だ」とまで言われてしまいます。町はずれの壊れた水車小屋で一人暮らしをするゴーシュは、悔しさと情けなさで涙をこぼしながらも、夜中まで必死にセロの練習を続けるのでした。

    そんなある夜、練習に疲れ果てたゴーシュのもとに、思いがけない来訪者が現れます。最初に扉を叩いたのは、半分熟したトマトを重そうに運んできた大きな三毛猫でした。「シューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから」と生意気に注文をつける猫に、ゴーシュはむしゃくしゃした気持ちをぶつけるように、まるで嵐のような勢いで「印度の虎狩」を演奏します。すると猫は慌てふためき、パチパチと火花を散らしながら風車のようにぐるぐると回り始めました。

    翌夜には天井の穴からかっこうが降りてきて、「音楽を教わりたい」と真面目な顔で頼みます。「ドレミファを正確にやりたい」「外国へ行く前にぜひ一度いる」と説明するかっこうとの奇妙な音楽レッスンが始まります。「かっこう、かっこう」と一生懸命に叫ぶかっこうとの奇妙な音楽レッスンが続いていきます。

    その次の晩に訪れたのは、背中から棒切れを二本取り出した狸の子でした。「小太鼓の係り」だと名乗る狸の子は、「愉快な馬車屋」という譜面を持参し、ゴーシュのセロに合わせてセロの駒の下をぽんぽんと叩き始めます。なかなか上手な狸の小太鼓に、ゴーシュは思わず「面白い」と感じるのですが、狸の子からは意外な指摘を受けることになります。

    最後に現れたのは、病気の子供を連れた野ねずみの親子でした。「この児があんばいがわるくて死にそうでございます」と必死に頼む野ねずみのお母さん。ゴーシュが医者ではないと断ると、野ねずみは驚くべきことを告白します。実は近所の動物たちは病気になると、ゴーシュの演奏を聞きに床下にやってきて、その音で病気を治していたというのです。兎のおばあさんも、狸のお父さんも、意地悪なみみずくまでも──みんなゴーシュの音楽によって癒されていたのでした。

    毎夜繰り広げられる動物たちとの不思議な交流。猫の生意気な注文、かっこうの真面目な音楽談議、狸の子の楽しげな小太鼓、そして野ねずみによって明かされる音楽の持つ不思議な力。一見ばらばらに見える出来事が、夜の水車小屋で静かに積み重なっていきます。

    町の公会堂で開かれる演奏会まで、もうあと十日──。第六交響曲の練習に苦戦し続けるゴーシュと動物たちとの心の交流は、思いもよらない展開を見せていきます。音楽を愛する全ての人の心に響く、成長と友情の美しい調べが奏でられる夜の物語です。

    音楽の持つ不思議な力と、努力を続けることの意味が、動物たちとの心温まる交流を通して静かに浮かび上がってきます。下手だと言われ続けたゴーシュが、夜な夜な訪れる動物たちとの出会いの中で発見していく音楽の真髄。それぞれ個性豊かな動物たちとの予想もつかないやりとりが次々と展開されていきます。

    夜の水車小屋に響くセロの音色と、次々と現れる動物たちとの予想もつかない出会いの物語を、朗読でゆっくりとお楽しみください。


    #猫 #人と動物 #芸術 #月

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    47 分
  • 鹿踊りのはじまり
    2025/06/22

    📖『鹿踊りのはじまり』朗読 – 夕陽に踊る鹿たちとの神秘的な出会い🦌✨

    静かに語られる物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』。

    西のちぢれた雲間から赤く注ぐ夕陽、白い火のように燃えるすすきの穂——そんな苔の野原で、疲れて眠った語り手の耳に聞こえてきたのは、風が語る鹿踊りの本当の精神でした。

    物語の舞台は、まだ丈高い草や黒い林に覆われていた頃の北上の地。膝を痛めた嘉十が、山の湯治場へ向かう道すがら、銀色の穂を出したすすきの野原をゆっくりと歩いていきます。青いはんの木の木立の下で小休止をとった嘉十は、鹿のために栃の団子を残し、「こいづば鹿さ呉でやべか」と独り言を言いながらその場を離れました。ところが手拭いを忘れたことに気づいて引き返すと、そこには思いがけない光景が待っていたのです。

    六匹の鹿たちが、嘉十の白い手拭いの周りを環になって回っているではありませんか。鹿たちにとって、その正体不明の白い物体は大いなる謎でした。「生ぎものだがも知れないじゃい」「青じろ番兵だ」と囁き合いながら、代わる代わる恐る恐る近づいては、びっくりして逃げ戻ることを繰り返します。一匹が勇気を出して鼻先で嗅いでみれば「柳の葉みだいな匂だな」、別の一匹が舌で舐めてみては「味無いがたな」と報告し合う様子は、ユーモラスでありながらも愛らしく描かれています。

    太陽がはんの木の梢にかかる夕暮れ時、鹿たちの行動は次第に不思議な展開を見せていきます。ぎらぎらと光るすすきの海、輝く木々、そして野原に響く鹿たちの声——それは現実と幻想の境界を曖昧にしていく、まさに魔法のような時間の始まりでした。

    この物語は、人間と野生動物との間の見えない境界線を繊細に描きながら、自然の神秘的な営みに対する深い畏敬の念を込めて語られています。隠れて観察していた嘉十と鹿たちとの間に、いったいどのような出来事が起こるのか。夕暮れの野原で繰り広げられる不思議な時間は、思いもよらない方向へと展開していきます。

    宮沢賢治の詩的な言葉遣いが紡ぎ出す幻想的な物語。鹿たちの愛らしい会話と、黄金に輝く夕陽の中で織りなされる自然と人間との交流を、朗読でじっくりとお楽しみください。風が語る透明な物語の世界に、心静かに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。


    #人と動物 #衝動 #方言

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    25 分
  • 月夜のでんしんばしら
    2025/06/15

    📖『月夜のでんしんばしら』朗読 – 電信柱たちの不思議な夜間行軍🌙⚡

    静かに語られる物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』。

    ある晩、恭一は草履を履いて鉄道線路の横をすたすたと歩いていました。本来なら罰金ものの危険な行為でしたが、その夜は線路見回りの工夫も来ず、窓から棒の出た汽車にも遭いませんでした。九日の月がうろこ雲に照らされ、冷たい星がぴっかりぴっかりと顔を出す美しい夜、停車場の明かりが見える頃、突然とんでもないことが起こります。

    線路沿いに立ち並んでいた電信柱の列が「ぐゎあん、ぐゎあん」と唸りながら、大威張りで一斉に歩き出したのです。みんな瀬戸もののエボレット(絶縁具)を飾り、てっぺんには針金の槍をつけた亜鉛の帽子をかぶって、片脚でひょいひょいと行進していきます。そして恭一をばかにしたように、じろじろ横目で見ながら通り過ぎていくのでした。

    電信柱たちの唸り声はやがて立派な軍歌に変わります。「ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらのぐんたいは はやさせかいにたぐいなし」と歌いながら、工兵隊や竜騎兵として堂々と行進していきます。中には疲れ果てた古い柱もいれば、元気に号令をかける柱もいて、それぞれに個性豊かな電信柱たちの大軍団が織りなす光景は圧巻です。

    そんな中、恭一の前に現れたのは背の低い顔の黄色な老人でした。ぼろぼろの鼠色の外套を着て「お一二、お一二」と号令をかけながらやって来るこの不思議な人物は、自分を「電気総長」と名乗り、握手をした途端に青い火花を散らせて恭一を驚かせます。電気総長は得意気に電気にまつわる昔話を語り、自分の軍隊の規律正しさを自慢します。月夜に繰り広げられるこの幻想的な光景の中で、恭一は一体何を体験することになるのでしょうか。

    この物語は、宮沢賢治独特の科学的な想像力と詩的な表現が見事に融合した作品です。電信柱という無機物に生命を与え、電気という当時まだ新しい技術への驚きと親しみを、ユーモラスで幻想的な物語に仕立て上げています。軍隊に見立てた電信柱たちの行進は、規律正しくも滑稽で、電気総長の豊富な体験談からは当時の人々の電気に対する素朴な驚きが伝わってきます。

    九日の月とうろこ雲が織りなす美しい夜景の中で繰り広げられる、電信柱たちの壮大な行軍劇。現代の私たちには当たり前の電気も、この物語の中では魔法のような不思議な力として生き生きと息づいています。科学と幻想、現実と夢の境界を軽やかに超えた魅力的な世界を、朗読でじっくりとお楽しみください。


    #月 #柱 #歌曲

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    19 分
  • かしわばやしの夜
    2025/06/08

    📖『かしわばやしの夜』朗読 – 月光に踊る木々たちとの不思議な一夜🌙🌳

    静かに語られる物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『かしわばやしの夜』。

    夕暮れ時の野原で、ひえの根もとに土をかけていた清作の耳に、かしわばやしから響く奇妙な声——「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン」。

    銅づくりのお日様が南の山裾に落ち、野原がへんにさびしくなった頃、その声に導かれるように林へ向かった清作が出会ったのは、赤いトルコ帽をかぶり、鼠色のだぶだぶした服を着た背の高い画かきでした。最初は険悪な雰囲気でしたが、清作が「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と叫び返すと、画かきは急に機嫌を直し、二人は一緒に林の奥へと向かいます。

    林の中は浅黄色に染まり、肉桂のような甘い香りに満ちています。そこで出会う柏の木たちは不思議な生き物たちでした。片脚を上げて踊りの真似をしていた若い柏の木は、二人を見てひどく恥ずかしがり、清作をちょっとあざ笑います。清作をつまずかせようとするごつごつした古木、風に乗って「せらせらせら清作」と囃し立てる木々——しかし清作は負けずに「へらへらへら清作、ばばあ」と言い返し、木々を驚かせてしまいます。

    やがて二人がたどり着いたのは、十九本の手と一本の太い脚を持つ柏の木大王の元でした。大王は清作を「前科九十八犯」と呼び、山の木を切った罪を問い詰めます。清作は山主の藤助に酒を買ってちゃんと許可を得ていると反論しますが、「なぜ俺には酒を買わないのか」という大王との問答は平行線をたどります。

    そんな中、東の山脈に桃色の月が昇り、あたりの空気が一変します。若い柏の木たちは両手を月に向かって伸ばし、「おつきさん、おつきさん、おっつきさん」と歌い始めます。柏の木大王もまた、月の装いの変化と夏のおどりの第三夜を歌い上げ、画かきの提案で不思議な夜の祭典が幕を開けます。やがて「のろづきおほん、おほん、おほん」と奇妙な囃子言葉とともに現れるふくろうの一団も加わり、月光の下で繰り広げられる幻想的な音楽会は思いがけない展開を見せていきます——。

    この物語は、宮沢賢治独特の豊かな想像力と詩的な言葉遣いに満ちています。現実と幻想の境界があいまいになる夕暮れ時から夜にかけて、木々が人間のように振る舞う不思議な世界が展開されます。気の荒い清作と気まぐれな画かき、意固地な柏の木大王と清作をからかいたがる若木たち、そして夜の森に住むふくろうたちが織りなす交響楽は、月光の下でどのような展開を見せるのでしょうか。

    宮沢賢治の筆が描く、月光に包まれた幻想の森の一夜。ユーモアと詩情、そして人間と自然の微妙な関係を描いたこの不思議な物語を、朗読でじっくりとお楽しみください。


    #芸術 #傲慢 #月

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    32 分