『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 砂を噛む日々(後編)
    2025/09/26
    砂を噛む日々(後編)                     助産師  目黒 和加子 商店街の「天理看護学院助産学科」のポスターの前で電気が走った如く、私がハッと気づいたこととは何でしょうか。リスナーの皆さんはもうお気づきかもしれません。 空ちゃんが産まれてから救急搬送まで処置をしていたのは、私一人でしたね。どうして手足にチアノーゼを認め、酸素飽和度が90%の時点で院長を呼ばなかったのでしょう。変だと思いませんか。 理由は、新生児の蘇生処置に自信があったからです。以前勤務していた病院で新生児蘇生を数え切れないほど経験し、新生児科のドクターに鍛え上げられ、新生児蘇生法専門コースの認定も持っています。分娩介助よりも、産後の母乳ケアよりも、新生児蘇生の方が得意なのです。 実は産科のドクターの中には、新生児蘇生が不得手な人がいます。うちの院長がそうでした。この程度なら院長を呼ばなくてもよいと判断したのです。 そうです。ポスターの前で気づいたのは、心の奥底にあった慢心でした。 「あの時、自分の経験と技術を過信して、慢心に陥ってたんや…」  新人の頃、先輩から「取り返しのつかない失敗をするのは、自分の得意分野やで。苦手なことは周りに確認しながら慎重にするやろ。だから苦手な分野では大きな失敗はせえへん。自信満々ほど怖いものはない。医療職者の慢心は人の命を危うくする。ベテランが陥る落とし穴。覚えときや」と言われたことが強烈によみがえり、電流となって脳天を貫いたのです。 ベテランと言われる立場になった今、人として助産師として成長しているのか。その逆なのか。空ちゃんの命を危うくした自分が醜く情けなく、神殿の畳に額を擦りつけてお詫びしました。 実は分娩促進剤の投与のことで度々院長とぶつかり、退職しようと思っていた矢先の出来事だったのです。教祖の御前で「後遺症の出る可能性がある三年間、空ちゃんが3才になるまでは辞めません。毎日、祈り続けます」と誓いました。 参拝の帰り、行きと同じ助産学科のポスターの前で立ち止まり、「この苦い経験を助産学科の学生さんの学びの材料にしてもらえたら。そんな機会があったらいいなあ」とつぶやいて帰路につきました。 京都駅から新幹線に乗り、車内販売でアイスクリームを買いました。口に入れるとジャリジャリしません。なんと治っていたのです。 「あ~よかった!」と思いきや、話はこれで終わりません。ここからが本番なんです。 その後の三年間、私は選ばれたように危険なお産に当たり続け、「難産係」と呼ばれる有様。ギリギリの所で踏ん張ること数知れず。教祖へのお誓いを投げ出す寸前の修行の日々を送っていました。 そしてついに、教祖の深い親心が分かるその時が来るのです。 空ちゃんの3才の誕生日直前、院長から産院を代表して日本助産師会の勉強会に参加するよう言われました。講師は県立病院新生児内科部長のA先生。講義後、別室にて個別相談を受けて下さるというので、A先生に空ちゃんのことを話しました。 「さらっとした出血だなと違和感をもったのに、スルーしたのです。そして、蘇生処置が苦手な院長に任せるよりも、自分でやった方が良いと判断してしまいました。慢心が赤ちゃんの命を危うくしたのです。もっと早く院長を呼ぶべきでした」  下を向く私に、A先生は、「あんた、認定受けてる助産師やのに、なんでマスク&バッグせえへんかったん?」  マスク&バッグとは、赤ちゃんの気道に空気や酸素を送り込む蘇生器具のことです。 「バッグで圧をかけると、血液を気道の奥に押し込んで固まってしまうので、酸素は吹き流しで与えました」 「もし院長さんを呼んでたら、マスク&バッグしたと思うか?」 「はい、100%したと思います」 「そうか。それをやってたら肺出血が一気に広がって、その場で亡くなってたで。通常、新生児蘇生は気道を確保したらマスク&バッグが基本やけど、肺出血の場合は例外! やったらあかんのや。 肺出血は満期で産まれた成熟児ではめったにないから、それを知らん産科医や助産師が多...
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  • 砂を嚙む日々(前編)
    2025/09/19
    砂を噛む日々(前編) 助産師  目黒 和加子 ずいぶん前の夏のことです。私が分娩介助をした赤ちゃんが突然、命に係わる事態となりました。新生児集中治療室・NICUに救急搬送された直後から、私の身体に変化が起きます。口の中がジャリジャリして、砂を噛んでいるような感覚に陥ったのです。そのジャリジャリ感は夏が終わるまで続きました。 今回は神様に、助産師として最も厳しく鍛えられたお話です。 担当したのは予定日を10日過ぎた上野由美さん。超音波検査で羊水が急に減少し、胎児の推定体重まで減っていることが判りました。これは胎盤の働きが衰え、子宮内環境が悪化している証拠です。急遽、促進剤を使って分娩誘発することになりました。 薬で陣痛がついてくると順調に進行し、分娩室に入りました。産まれてくる赤ちゃんは女の子で、空(そら)ちゃんと名前がついています。 胎児心拍は時々低下しますが、回復は速やかで午後2時、出産。軽いチアノーゼがありますが、空ちゃんは活発に泣き、元気に手足を動かしています。全身を観察すると、口の中に血液を認めました。産道を通過する際、分娩に伴って出血したお母さんの血液を飲んだようです。これは時々あることで問題にはなりません。 しかし、口の中の血液をチューブで吸引した時、「サラサラした血やなぁ」と一瞬、違和感を持ちました。母体から出た血液は粘り気があり、トロっとしているのが特徴です。この違和感が後になって命に係わることになるのですが、この時、私はまだ気づいていません。 空ちゃんの肌は、ほぼピンク色になり問題があるようには見えません。ただ手先、足先のチアノーゼが残るので、酸素飽和度をモニタリングすると90%。保育器に入れ、酸素を与えると94%まで上昇しました。 「よかった、上がってきた。すぐに正常値の95%になるわ」と安心した途端、急に呼吸が速く浅くなり、一気にチアノーゼが全身に拡大。酸素の投与量を増やしても酸素飽和度は上昇するどころか下降し始め、院長を呼んだ時にはなんと、64%まで低下したのです。 「64%!ありえない!」と叫ぶ院長。空ちゃんの容態は急変、保育器ごと救急車に乗せ、NICUへ緊急搬送となりました。 しばらくして、疲れた顔の院長が戻ってきました。 「新生児内科のドクター総出で救命処置をして下さっているんだが…。部長先生からは『肺出血による肺高血圧症候群と思われます。満期で産まれた赤ちゃんに起こるのは稀です。今後、24時間がヤマです。全力を尽くしますが、かなり厳しい。覚悟してください』と言われた…」がっくり肩を落としています。 出生直後、口腔内にあった血液は産道の母体血を飲んだのではなく、空ちゃんの肺から出血したものだったのです。 「吸引をした時、『サラサラした血やなぁ』と一瞬思ったのに。あの時に気づいていれば、これほどの重症になる前に搬送できたのに…」 空ちゃんに申し訳なくて、自分を責めました。午後5時、長かった日勤が終わりました。 「こうなったら神さんしかない!」 家に帰るやいなや、二日前に出た手つかずの給与を所属教会に送りました。教会ではお願いづとめにかかってくださり、大阪の実家では母が空ちゃんのたすかりを祈ってくれました。 24時間が過ぎ、空ちゃんの命はつながっていましたが、担当医からは「気が抜けない状態は変わらず、72時間を目処としてヤマが続きます」とのこと。 「やっぱり神さんしかない!」 家中のお金をかき集め、再びお供えの用意をしていると、主人が「僕の給与もお供えさせてもらおうね」と言ってくれました。 その当時、主人は天理教のことをほとんど知らなかったのですが、私の様子を見るに見かねて、なんとか力になってあげたいと思ったようです。見よう見まねで一緒におつとめをし、夫婦で空ちゃんのたすかりを祈りました。 72時間が過ぎると、空ちゃんの容態が安定してきました。担当医から「命の心配はしなくてもいい状態になりました。しかし、重症の低酸素状態が長かったので、脳のダメージは大きいでしょう。後日、MRIで確認します」と連絡が入りました。 ...
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    1分未満
  • 人生100年時代
    2025/09/12
    人生100年時代 千葉県在住  中臺 眞治 5年ほど前、世の中がコロナ禍となって間もない頃、地域の社会福祉協議会の職員さんから相談の電話がありました。「お一人暮らしの高齢者で困っている方がいるので、そうした方の支援を天理教さんでして下さいませんか?」とのことでした。コロナ禍で私自身は時間を持て余していましたし、困っている人がいるならばという思いで、その依頼を受けることにしました。 最初の依頼は70代の男性からで、ゴミだらけになってしまった自宅の清掃でした。お話をうかがうと、「人間関係が煩わしくなり、10年前に引っ越してきたんだけど、地域に親しい人がいない。この何日間も人と話をしていないんだ」と言います。 元々は釣りや家庭菜園に精を出すなど、活動的な方だったのですが、コロナ禍で外出が出来ず、孤立した状況が浮き彫りになる中、片付ける気力も湧いてこなくなってしまったのです。なので、手を動かすことよりもまずは口を動かしておしゃべりすることを意識しながら、何日もかけてゆっくりと作業を行いました。 こうした高齢者の困りごとの依頼は、社会福祉協議会以外にも地域包括支援センターやケアマネージャーさんから教会へ届くのですが、対応出来ないほどの数の相談があるため、お断りせざるを得ない事も多く、地域には一人暮らしの高齢者の方が大勢おられるのだなと感じています。 厚生労働省が発表した令和6年の国民生活基礎調査の概況によると、65歳以上の単身世帯の数は900万世帯以上あり、この数は平成13年、2001年と比べ2.8倍になったとのことでした。 高齢になり、身体が不自由になってくると自分では解決しづらい困りごとが増えていきます。家族が近所にいれば色々と頼ることも出来ると思いますが、それも難しいという場合に、ご近所さん同士でたすけ合っているという方は少なくないと思います。 例えば運転出来る人に病院まで送迎してもらい、お礼にランチをご馳走したり、安否確認のためにお互いに声をかけ合ったりしている方もおられます。とても素敵なことだと思います。 その一方で、先ほどの男性のようにご近所付き合いが苦手な方もおられます。その男性からある日、「身体の調子が悪い」と電話がありました。 急いで自宅に駆け付けると、「二日前から起き上がれなくて、ご飯も食べていない。しんどいけど、救急車を呼んでいいのかどうかが分からない」と言うので、すぐに救急車を呼び、入院となりました。入院すると、病院生活に必要なものが色々と出てきます。私は看護師さんに「用意してください」と言われたものを買って届けました。 困った時に「たすけて」と言える相手がいない。そういう方は少なくないのではないかと感じています。いま紹介した男性も決して世間離れした方ではなく、至って真面目に生きてきた方で、人柄も良く、優しくて穏やかな方です。ただ、一つ二つ、ちょっとした不運な状況が重なってしまい、孤立し、困った状況になってしまったのです。こうした状況には自分も含め、誰もがなり得るのだと思います。 この活動は、ちょっとした困りごとのお手伝いを通じて、地域に新たな人間関係を増やしていくことを目的にしています。そのため、近所に住む信者さんや、教会で一緒に暮らしている方にも協力して頂いているのですが、活動を通じて地域に親しい人が増えていくことが、お互いの安心につながっていることを感じます。 また、戦争の体験を聞かせて頂くなど、自分とは世代も違い、違う価値観を持ち、違う体験をしながら生きてきた方と接することは、自分自身の視野を広げることにもつながっていくのだなと感じています。 少し話は変わるのですが、出会った高齢の方々が暗い顔をしながら、「長く生き過ぎた」とか「人に迷惑をかけてしまっているようで辛い」などとこぼされる場面が度々あります。健康面やお金のことなど、日々様々な不安を抱え、孤立感を感じながら生きてらっしゃるのだなと思います。 また、テレビでも日本が高齢化社会となり、様々な課題を抱えているという報道がなされるなど、長寿が...
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