『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • まいたる種は…
    2025/08/01
    まいたる種は… 福岡県在住  内山 真太朗   にち/\に心つくしたものだねを  神がたしかにうけとりている   しんぢつに神のうけとるものだねわ  いつになりてもくさるめわなし   たん/\とこのものだねがはへたなら  これまつだいのこふきなるそや 今日は、この三首のお歌に込められた神様の親心を悟った話。結婚14年目に突入し、現在教会長をつとめている私と妻との、ちょっと甘酸っぱい話をお聞き頂きたいと思います。 私と妻との出会いは今から20年前、お互いハタチの時です。私は天理大学の学生、妻は静岡県在住のOLで、当時はまだSNSもなかった時代、インターネット上の音楽系サイトで知り合い、未信仰だった彼女を初めておぢばに案内したことをきっかけに、交際が始まりました。 6年間にも及んだ遠距離恋愛の中で、何度もおぢばを案内し、お道の話をする機会も増え、別席も運んでくれました。私にとっては初めてお連れする別席者で、交際相手とあって丹精に熱が入っていました。 交際して6年の月日が流れ、「この人となら」と思い、お互い結婚を決意しました。しかし、私は福岡県の天理教の教会長後継者、妻は静岡県でお茶工場を営む社長の一人娘。あまりにも境遇がかけ離れていて、反対されるのを覚悟で妻のご両親へ挨拶に伺いました。 新調したスーツを着て、ご両親を前に、緊張しながら「どうか、娘さんと結婚させてください…」しばらく沈黙がありましたが、「二人で決めたことなら」と、ご両親とも快く結婚を承諾して下さいました。 すると妻のお母様から、「結婚の前に天理教の勉強をさせたい」との思いがけない申し出があり、妻は教えを学ぶため、結婚前に修養科を志願してくれました。さらに三か月間の修養科修了後には、教会生活を学ぶため、半年間大教会の住み込み女子青年としてつとめてくれました。 天理教のことを全く知らなかった妻は、結婚前に多くの教友と出会い、導いて頂き、お互い26歳の秋、大勢の方々に祝福されながら、大教会で結婚式と披露宴を挙げさせて頂きました。 世界中の人とつながれるインターネット上で、偶然出会った素敵な女性との結婚。私にとってこんなにありがたい事はありませんでした。 さて、話は結婚式の数日前に遡ります。教会の前会長夫婦である祖父母から「話がある」と、妻と二人で呼び出されました。80歳を超えて尚、誰よりも信仰に厳しい祖父母。よもや結婚を反対されるのでは? そんな不安をもって祖父母のもとへ行くと、祖父がこのような話を聞かせてくれました。 「今回の結婚、本当に嬉しく思う。実は、おじいちゃんは今から60年前、戦争が終わってハタチの時、確かな信仰をつかむために、当時出来たばかりの天理教校専修科に入学したんだ。二年間色んなことを経験して学んだが、この信仰を信じ切ることが出来ず、神様をつかみ切ることが出来なかった。これではいけない、どうしても神様をつかみたいと思って、専修科を卒業してすぐに福岡から横浜へ単独布教に出ようと決意したんだ。でも当時お金がなくて、片道切符で横浜まで行こうとしたけれど、お金が足りずに静岡駅で下車して、その周辺を布教に歩いていたんだよ」 妻の実家であるお茶工場は静岡駅から徒歩10分ほど。何と、60年前に祖父が布教に歩いた地域とは、妻の実家がある場所そのものだったのです。 祖父は続けて、「60年前に布教した時は大した成果は見せて頂けず、あの時の布教は無駄だったと思ったし、今までずっとそう思っていた。でも、静岡の地で伏せこんだ種を神様はちゃんとお受け取り下さって、60年後に今こうして、お前のお嫁さんという形で芽を吹いて帰ってきた。私たちにとって、これほどありがたく、嬉しいことはない。本当にありがとう」と涙ながらに話してくれました。 話を聞いて鳥肌が立ちました。妻はインターネットでたまたま私と出会い、お道を知り、修養科を修了し教会の住み込みをつとめ、結婚して教会へ来ることになった。それはすべて自分の成したことだと思っていました。しかしそれは大きな間違いで、その背景には60年前の祖父...
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  • 令和元年台風15号
    2025/07/25
    令和元年台風15号 千葉県在住  中臺 眞治 今から6年前、令和元年9月の真夜中、強力な台風の到来により、私共の暮らす千葉県では多くの住居が被災しました。私共がお預かりしている教会も屋根が一部損傷し、雨漏りで壁が崩れる被害を受けました。轟音と共に建物は揺れ続け、停電し、私自身も恐怖を感じたのを覚えています。 夜が明け、台風が落ち着いたのを見計らって外へ出ると、道路には車が通れないほど屋根瓦やトタンなどが散乱し、電信柱が倒れている地域もありました。 被災から6日後、同じ市内に暮らす天理教の教会長さんから相談の電話がありました。「80代の信者さんが自分でブルーシートを張ろうとしているんだけど、困っているようなので行ってもらえませんか?」とのこと。「分かりました」と答えてすぐに向かいました。 聞いた住所地に到着すると、玄関前にそのご主人が立っておられたのですが、目を真っ赤に腫らして、身体は震えていました。話を伺うと、「何日も頑張ったけど、足が震えてこれ以上出来ません」とのこと。 早速2階の屋根に上がると、そこにはブルーシートと土嚢が置いてあり、ご主人が必至に作業をされた形跡がありました。 私は作業を終えた後、なぜ高齢のご主人がこんな危険なことを自分でしようと思ったのか不思議に思い、尋ねました。 「あちこちの業者に頼んだけれど、どこも百件以上待ちで、しかも築40年を超える家は受け付けできませんと断られてしまったんだよ。雨漏りで漏電しないか心配で夜も眠れなくて…」 ご主人の話を聞いて、今この街には同じ悩みを抱えて苦しんでいる方が大勢おられることを知りました。 その後、教会に戻り、妻とこれからのことについて相談しました。実はこの出来事の前日に、地域の社会福祉協議会の職員さんから「高齢者の方のお宅のブルーシートを張ってもらえませんか?」と相談の電話があったのです。 しかし、私たちには屋根に上がるための梯子もなければ、それを運ぶトラックもありません。さらにこの時、妻は次女を身ごもっており、すでに臨月を迎え、いつ生まれてくるか分からない状況でもありました。 そんな中で、私たち夫婦は神様から何を問われているのだろうか? 一通り話を終え、妻に「ブルーシート張り、させてもらいたいと思うけど、どう思う?」と尋ねると、快く賛成し、背中を押してくれました。 今、当時のことを振り返ると、自分でしたことは最初に「させてもらおう」と覚悟を決めたことぐらいで、あとはすべて神様の段取りの中で動かせて頂いたように感じています。作業の初日から、70代の高所作業車のオペレーターの方が「一緒にやろう」と仰って下さり、梯子を使わなくても作業ができました。 さらに一週間ほどしてからは、災害ボランティア団体の方々が装備の貸し出しや技術提供をして下さり、おかげで安全に活動をすることができました。また、SNSを使い、協力して下さる方を募ったところ、4か月間で延べ300人以上、天理教を信仰する方々が全国から駆けつけて下さり、沢山のブルーシートを張ることができました。 どれも神様が巡り合わせて下さった不思議な出会いだと感じ、心が勇む日々でした。また、被災した私共の教会はそのままにしていたのですが、上級の報徳分教会長を務める兄が、「せっかくだからカッコよくしよう。材料費はうちで出すから大丈夫だよ」と、経済的に厳しい状況の私たち家族を気遣うばかりでなく、とてもおしゃれで素敵な空間にしてくれました。本当にありがたかったです。 こうした被災地でのひのきしんを経験された方々からは、同じような話を度々耳にします。 「最初に被害の光景を目にした時には、こんな不条理なことがあるのかという思いが沸き起こった。でもこうした状況にも、神様の何かしらの親心が込められていると信じたくて動き始めた。そうしていざ動き始めてみると、神様の『段取り』や『先回りのご守護』と感じられる出来事がいくつもあり、神様の親心を感じた」といったお話です。 天理教の原典「おふでさき」では、   だん/\になにかの事もみへてくる...
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  • 吐く息引く息一つの加減で内々治まる
    2025/07/18
    吐く息引く息一つの加減で内々治まる 東京都在住  松村 登美和 先だって、仕事先の人間関係で悩む人から着信がありました。「一生懸命働いているのに、上司や同僚が認めてくれない」といった話でした。役目柄、そのような相談事によく出会います。 2、30分話を聞いて電話を切った後で、妻が「いつもご苦労様」と言ってくれました。そして続いて、「私の話も聞いてくれたら嬉しいなあ~」と、少し冗談交じりの一言を付け加えました。 その言葉を聞いて、私は背筋がピンと伸びる思いで、忘れかけていた昔の出来事を思い出しました。 それは妻が20代で、私が30代の頃の経験です。私たち夫婦には現在3人の子供がおり、また妻は流産を2回経験しています。そのうち初めの数回、妻は産後に40度近い高熱が数日間続いたことがありました。病院で診察してもらっても原因がわからず、ただ熱が下がるのを待つばかりでした。 私たち夫婦は、普段は東京に住みながら、月に数回奈良県天理市へと足を運び、神様の御用を勤めています。今の時代では「マタニティハラスメント」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、その当時、私は出産前後も家を留守にすることが多く、妻が東京に残ることが重なりました。 何度目かの出産の後、私が天理にいるときに、妻が再び高熱を出しました。その報せを聞いて、私は一緒に御用を勤めていた先輩に「妻に、そうした発熱が度々起こるんです。それも私が東京を留守にしている時が多いんです」と話をしました。するとその先輩が、アドバイスを下さいました。 「奥さんに電話してる? 天理で御用ができるのは、留守を預かる奥さんのお蔭だよ。すぐに帰れなくても、毎日一回はお礼の電話ぐらいしなくちゃ。俺はいつもしているよ」。 なるほど、それはそうだなと思い、それ以後、私も妻に一日一回は電話をかけて、感謝の言葉を伝えるようにしました。すると妻は、電話越しにも分かるほど喜んでくれて、熱はピタリと下がり、それからはひどい高熱が出ることはなくなりました。 天理教教祖・中山みき様が、ある男性にお諭しになったお言葉が残されています。 「内で良くて外で悪い人もあり、内で悪く外で良い人もあるが、腹を立てる、気儘癇癪は悪い。言葉一つが肝心。吐く息引く息一つの加減で内々治まる」 私たちは中山みき様のことを、親しみを込めて「おやさま」とお呼びしていますが、教祖は続けてその男性に、「あんたは、外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家にかえって、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように」と仰せられました。 私は元来、腹立ちの性分を持っていることを自覚しています。同時に、教祖が仰るように、外では人付き合いが良いのですが、家に帰ると安心感からなのか、ぶっきらぼうになったり、ガミガミ腹を立てたり、めんどくさそうに家族と接してしまう自分がいます。 妻が発熱した時も、振り返ってみれば、人の相談事には耳を傾けるのに、常に私に愛情を注いでくれている産後の妻を顧みず、電話の一本もかけていないのが実情でした。 妻の「私の話も聞いてくれたら嬉しいなあ~」との言葉を聞いて、「吐く息引く息一つの加減で内々治まる」との教祖のお言葉をあらためて思い出しました。妻の口から出た冗談交じりの言葉は、私の性分も抑え込んでくれる絶妙の加減で、本当に頭の下がる思いでした。教祖が140年以上も前にお話になったことなのに、まるで今の自分に向けてお諭し下されているように感じました。 口に出す言葉の加減で、家庭内や職場、近所付き合いが丸く治まっていく。それが「吐く息引く息一つの加減で内々治まる」ということなのだと思います。もし腹が立ってしまった時に、その感情をそのまま言葉に乗せて相手にぶつけてしまえばトラブルに発展します。そのような気持ちになったら、一旦言葉を飲み込んで引いてみなければなりません。 また、妻の体調が悪い時には、「大丈夫か」と声をかけ、感謝の気持ちを伝える。そうした言葉を...
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