『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 心の生活習慣
    2025/12/26
    心の生活習慣                     福岡県在住  内山 真太朗 近年、生活習慣病になる人が増えているようです。これは日々の食生活や生活リズムなど、何気ない小さな事の毎日の積み重ねが大きな要因の一つと言われていますが、人間関係で起こってくる事情も、これと同じ事なのかもしれません。 ある教会月次祭の日、おつとめも終わり、参拝者も帰られ、ひと息ついていた時、自転車に乗って教会に入ってくる人がいました。見れば、ついさっきまで一緒に月次祭を参拝していた信仰熱心な75歳の女性、タカコさん。 よく見ると、自転車に荷物をいっぱい積んでいるので、てっきりバザーに出す品を何か持ってきてくれたのかと思い、声をかけると「ちょっとしばらく教会に泊めてほしい」と言います。突然のことで驚きましたが、話を聞くと、夫婦げんかをしたとのこと。  タカコさんは、80歳になるご主人と夫婦で二人暮らし。ご主人は、若い頃は銀行マンとして支店長まで勤め上げ、社会的な信頼も非常に厚く、地域でも色んな役をつとめておられた方です。しかし、家庭では厳しく、ちょっと気に入らない事があると奥さんに当たり散らし、ひどい時には手が出てしまうこともあると言います。  教会月次祭のこの日、予定していた時間よりタカコさんの帰りが遅かった事にご主人は腹を立て、「だいたいお前は嫁としてのつとめが全く出来ていない!もう出ていけ!」と大激怒。そこまで言われると、売り言葉に買い言葉で、タカコさんは「出ていけと言われるなら出ていきます!」と言って、荷物をまとめて家を出て、行くところもないから教会に来た、ということでした。  まあ、せいぜい2、3日もすれば気持ちも落ち着いて帰るだろうと、最初は軽い気持ちで見守っていました。ところが、それから一週間経ち、二週間、三週間経っても一向に帰る気配はありません。 タカコさんは教会に来てからというもの、朝づとめ前から起きて、お掃除や洗濯、子供の世話まで、教会の用事は何でもやってくれるので助かりはしますが、ご主人の事が心配じゃないのかと尋ねると、「あの人は家事も自分でするし、一人で生きていけるから大丈夫」とキッパリ言います。 教会に来て一か月が経ち、ご主人から電話が掛かってきました。「もう帰ってきてくれ」と。私は内心、「あー良かった。これで治まる」と思い、タカコさんに電話を変わると、「あなたはこの前、私の事を全否定しましたね。私にあなたの嫁はもう務まりませんから、帰るつもりはありません」と平然と言ってのけ、電話を切ってしまいました。 これ以降も、何回もご主人から電話がありましたが、頑なに同じ返事を繰り返します。とうとう、事情を聞いたご主人の親族から連絡があり、「教会にご迷惑をおかけして申し訳ありません。ついては本人と一緒に教会に行って、タカコさんと話し合います」とのことで、早速来て頂きました。 あんなにお元気だったご主人がげっそり痩せて、歩くのもやっとの状態。奥さんに出て行かれてから一か月、まともな食事をしていなかったそうです。 教会で、一か月ぶりの夫婦再会。タカコさんと顔を合わせた瞬間、ご主人はボロボロ涙を流され、「私が悪かった。申し訳なかった。この一か月、お前のいない生活で、いかに自分が一人で生きていけないかが分かった。頼む、この通りだから帰ってきてほしい。もう一度、私にやり直すチャンスを下さい」。 大の男の魂のさんげ。それに対してタカコさんは、「私の事は先立ったと思って一人で生きて下さい。世の中には独り身の男性は大勢いますから。私はもうあなたの元には帰りません」とキッパリ言います。そこから一時間、話は平行線のままでその日は終わりました。 これはさすがに放っておく訳にはいかんと思い、とにかく私は第一にげっそり痩せたご主人が心配でしたので、それから毎日、タカコさんには内緒で、教会から食事を持って自宅にうかがい、ご主人と色々話をしながらご飯を食べることを続けました。 そして肝心なのは、タカコさんの心の向きを変えることだと...
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  • あるタイ人の若者と天理教の出会い
    2025/12/19
    あるタイ人の若者と天理教の出会い                     タイ在住  野口 信也  タイにはラームカムヘーン大学という、高校卒業資格を持つタイ人であれば誰でも入学できる大学があり、40万人を超える学生が学んでいます。ただ、入学が簡単で学生数が多いため、講義はモニター越しで行われることがほとんど。やる気のある者には広く門戸を開いて受け入れるが、真剣に学ばない者は卒業できないという、日本にはないタイプの大学です。  ある時、この大学に通っていたK君と知り合いになりました。彼は、私が再留学した時に住んでいたアパートの駐車場にある店舗で雑貨を販売していました。K君はとても気のいい人で、アパートの住人や警備員など、誰とでも気さくに話し、私もすぐに彼と仲良くなりました。 K君は人付き合いが良く、友達も多いのですが、勉強が少し苦手なようで、大学卒業は難しいかな、といった感じでした。 K君は私と仲良くなるにつれ、タイ出張所へ参拝に来たり、子供会などの行事に参加したり、時には友人を誘って参拝に来るなど、次第に天理教に関心を持ってくれるようになりました。そこでK君には、大学を卒業出来なくても、仕事を始める前に、少しでも天理教のことを学んでもらいたいと思うようになりました。 天理教には、人生で本当の幸せをつかむための心の使い方と身の行い方を、人類のふるさと「ぢば」で3カ月間学ぶ「修養科」という所があります。たすかりたいという心から、たすけたいという心、人のために尽くす心に生まれ変わる場所です。 1988年から、修養科にも隔年でタイ語クラスが開催されるようになり、K君にもぜひ修養科に入ってもらいたいと思っていました。しかし、修養科の費用や日本での滞在費、航空券代など、とても当時の彼にはそうした費用は捻出できません。また、私が費用を出してまで行ってもらう意味があるのかどうかと悩んでいました。 そうした時、ある先生から、「子供が成人するまで面倒を見るのが親の役目。費用は親の立場である導いた者が負担させてもらう。そうすることで、導かれた信者さん自身はおぢばで伏せ込んだ徳を頂き、費用を出し導いた者は半分徳を頂くことになります」とのお話を聞きました。それで決心がつき、K君に話をしてみると、大学のことも気にかかっていたようですが、日本へ3か月間行けるという楽しみが勝り、すぐに承諾してくれました。 そうしてK君は、翌年の5月から開催された修養科タイ語クラスに入学しました。一か月が経った頃、K君の関係者から、大学での試験にパスして卒業に必要な単位を取得できたとの連絡があり、K君は涙を流して喜びました。彼にとっては、本当に人生のいい分岐点になったのだなと感じました。 さて、修養科を終えタイへ戻ったK君、次は就職です。悩んだ末、高校時代から付き合っている彼女の勧めで公務員の試験を受けました。9年かかってようやく大学を卒業した彼はすでに29歳、何とかギリギリの点数で採用され、雑用係からのスタートとなりました。 その2年後、タイ出張所で行われた、修養科に志願する人たちの事前研修会でK君に修養科の感想を話してもらいました。彼は、授業はタイ語だったので問題はなかったけれど、生活する詰所ではタイ語が通じなかったことや、日本人の修養科生との共同生活での苦労などを語り、「でも、私の人生にとってはよい経験になりました」と話してくれました。 そして35歳の時、レクリエーション課長に就任した彼は、ようやく高校時代から付き合ってきた彼女と結婚しました。タイ出張所で天理教式の結婚式を挙げ、その後、タイ式結婚式、披露宴と続きました。 K君の田舎から、彼の母親と家族がバンコクへやって来ました。彼は「僕は9番目の子供で、一番の問題児だった。その僕がこんなに盛大な式を挙げられて本当に嬉しい」と話しました。また、K君の奥さんと家族からは、「天理教のおかげで彼は変わりました」と、お礼を言って頂きました。  それもそのはず、就職してからのK君は、何か思うことがあったのか、大学の土曜日、...
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  • 陽気ぐらしの扉は自分で…
    2025/12/12
    陽気ぐらしの扉は自分で… 大阪府在住  山本 達則 家族の存在は当たり前で、それ自体に幸せを感じることを、忘れがちになってしまうことが多いように思います。それどころか、時には煩わしい存在になったりする事も少なくないと思います。 家族だからこそ言えること、言ってもらえることがある。それは本当は、自分自身にとってとても大切な存在のはずですが、かけがえのないものなのだと気づく時は、それを失った時だということもあるのではないでしょうか。 でも、それは「当たり前だ」という思いがもたらすのです。全ての人が、当たり前に与えられるわけではありません。 ある家族の話です。 会社員のAさんは、奥さんとの間に高校生の男の子と中学生の女の子、二人の子がいるごく普通の家庭を築いています。Aさんのお母さんは91歳で亡くなりましたが、そのお母さんが晩年に、とても趣深いお話しを聞かせて下さいました。 お母さんは、戦後の混乱期に、実に数奇な人生を歩まれた方でした。彼女は長崎で生まれ、幼い頃に被爆し、その影響で視覚に障害がありました。戦後、一人の男性と出会い、子供を授かります。しかし、男性の家族から厳しい反対にあい、結婚どころか、子供の認知もしてもらえませんでした。彼女はそれでも子供を産み、育てて行くことを決意しました。 今以上に私生児に対する風当たりの強かった当時、その厳しい視線にさらされ、視覚のハンデを背負いながらも、必死にAさんを育てました。 そんな時、お母さんは天理教の教えに出会い、教会に足を運ぶようになりました。そして、会長さんに諭された言葉によって、大きな勇気を得ました。 「あなたもあなたの子供さんも、決して不幸ではなく、ましてや神様から罰を与えられている訳でもありません。『お父さんがいない』というご守護を頂けたんですよ。 父親がいて母親がいて子供がいる、というご守護ももちろんあって、それが当たり前だと思ってしまいがちだけど、決してそうではない。世の中には結婚どころか、出会いすらないという方もいるし、いくら子供が欲しいと思っても、授からない人もたくさんいます。目が普通に見えるのは、当たり前ではない。見えない方もたくさんおられる中で、あなたは見えにくいというご守護を頂いたんです。その上であなたは子供を与えて頂いた。素晴らしいご守護ですよね。 でもね、そのような現実を喜ぶのは言葉で言うほど簡単ではありません。けれど、それを喜べるように心を切り替えて、生活していくのが天理教の教えなんです。今の状況を心の底から喜べるようになったら、きっと神様が次の喜びを下さいますよ」 そして会長さんは、「だから、二人で教会においで」と優しく言って下さったそうです。 それから、二人は教会に住み込みました。お母さんは教会で教えを学び、ひのきしんに励みながら、昼間は外で働いて必死にAさんを育てました。教会には8年間住み込み、その後、お母さんを応援して下さる方が現れ、教会を出て親子二人での生活が始まりました。 親子は本当に仲良く、いつもお互いを労わり合い、教会にもしっかりとつながりながら、日々を過ごしました。 お母さんは、「私は周囲の人から『大変ね』とか『頑張ってね』と励まされることが多い人生でしたけど、実は私自身は大変だと思ったことはないんですよ」と笑顔で話して下さいました。 そしてAさんは、高校卒業後、公務員として務めることになりました。Aさんは真面目に働き、親子でコツコツ貯めたお金で念願のマイホームを手に入れ、その数年後、Aさんは一人の女性と出会い、結婚することになりました。 ほどなく子供も授かり、親子3代仲睦まじい家族の形ができました。お母さんの喜びようは、例えようのないものだったと思います。 そしてお母さんは、息子さん家族の幸せな姿を見ながら、91歳の長寿を全うし、出直しました。自分自身が心から望んだ「家族」に見守られながら、安らかな最期を迎えることが出来たのです。 お母さんは生前、Aさん家族の姿を見ながら、いつも「凄いね、凄いね」と口癖のように言...
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