• 天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
  • サマリー

  • 心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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あらすじ・解説

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
エピソード
  • 本当のながいき
    2025/04/25
    本当のながいき                     兵庫県在住  旭 和世  私どもがお預かりさせて頂いている教会では、六年前に「こども食堂」を始めました。こども食堂を始めたきっかけは、そのスタートの少し前にさかのぼります。  当時、私は4人の子供の子育て真っ最中。三人の小学生に、末っ子は重度の心身障害児で在宅での医療的ケアをしていました。  末っ子の優子(ゆうこ)は「18トリソミー」という染色体に異常がある病気でした。病院の先生からは生涯寝たきり、一歳まで生きられる確率は一割と言われていましたが、ご守護をたくさんいただき、その頃優子は二歳を迎えようとしていました。  とはいっても自発呼吸ができないので、24時間呼吸器が手放せず、体重は新生児の赤ちゃん並みの4キロほど。発達はものすごくゆっくりで、首が据わることも、歩くことも、話すこともできず、小さなベビーベッドが彼女の居場所でした。  そんな24時間目が離せない彼女を育てながらも、教会でこども食堂ができないだろうかと考えていました。というのも、実は我が家には優子が産まれる前に、同じ18トリソミーの次男を子育てしていた経験があったので、医療的ケアにも、気持ちにも少し余裕があったのです。  次男の孝助の時は、想像を絶する医療的ケアの大変さに、ドキドキ、オロオロして気が休まることはなく、毎日が必死で余裕は全くありませんでした。私は外に出ることもなく、一日中孝助のベッドにへばりついて介護生活をしていました。  心はだんだん内向きになり、人に会うのもしんどくなり、訪問看護師さんに会う元気すらなくなっていく自分がいました。その頃はちょうど教祖130年祭の年祭活動一年目でした。「年祭の旬に一人でも多くの方にお道の素晴らしさを伝えて、おぢばに帰っていただこう!」という活気にあふれた周りの状況とは裏腹に、内向きな自分の心だけが取り残されているような気がしていました。 そんな中、教会につながる方が「孝助くんは教会の宝物だね」と言ってくださったり、近くの教会の奥さんが「和世ちゃん、孝ちゃんを連れてたとえ一軒でも二軒でもにをいがけに行くなら、私ついていくから!」と声を掛けてくださったり、「孝ちゃんに会うと元気もらえるわ!」と言って下さるかたなど、周りの皆さんの寄り添いのおかげで、私の心はだんだん外に向かうようになっていました。たとえ一軒でもにをいがけに行こう! 毎日を喜ぼう! と前を向けるようになり、大変だと思っていた日々に喜びが増えていきました。  その後、孝助は130年祭を迎える前に二歳で出直しました。突然のことに、辛い悲しい気持ちをたくさん感じながらも、それだけではない、これまでの感謝と信仰があったおかげで先を楽しみに通らせていただけることも実感していました。  その後のまさかの優子の出産! もう「喜ぶ!」しか答えはありません。忙しい中にも喜びばかりでした。  しかし、ふと「こんなにありがたい、嬉しい毎日を過ごせるようになったのも、信仰のおかげ、周りの皆さんの寄り添いのおかげ…。何か神様や地域の方々へご恩返ししなければ申し訳ないな」と思うようになり、教会に居てでもできる「にをいがけ」はないかなと考えるようになりました。 そこで、以前からやってみたいと思っていた「こども食堂」はどうだろう?と思いつきました。本当にできるのか不安もありましたが、会長である主人が心配しながらも協力してくれることになり、お料理好きな母も快く承諾してくれて、何とか活動を始めることができました。 こども食堂の日には、訪問看護師さんがその日に合わせて優子のケアに来てくださったり、優子の薬を配達していた薬剤師さんもボランティアに来てくださったりと、色々な方が教会に出入りしてくださるようになりました。コロナ禍でも活動は継続し、優子のベッドのそばでたくさんのお弁当を作ったり、子供たちの学習支援もできるようになり、教会に新鮮であたたかい空気が流れていくような気がしました。 そんな活動が軌道に乗ってきたのを見届...
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  • 親より深い愛情
    2025/04/18
    親より深い愛情                   岐阜県在住  伊藤 教江 親より深い愛情はない。しかし、親より深い愛情もある……親は子供を深い愛情で育て、子供はその愛情を受けて育って行くものだと信じています。しかし、そんな私の認識が揺らぐような出来事がありました。 当時、ある夫婦は二人の子供に恵まれ、新しく家も建て、家族4人で幸せに暮らしていました。しかし、いつ頃からかだんだんと、母親の喜怒哀楽の感情の起伏が激しくなり、家事も一切しなくなり、暴言・暴力が増えていきました。 そのため父親は、仕事はおろか慣れない家事もままならず、母親の暴力から子供たちを守るのに必死で、遂には疲れ果てて精神を病んでしまいました。そして家族4人は、教会長である主人に付き添われて、教会の門をくぐったのでした。 まだまだ親の愛情の必要な13歳の姉と9歳の弟の生活は、ゴミがあふれ足の踏み場もない家の中で、掃除・洗濯などはもちろん、どこでどう寝ていたのか、一体今日まで何を食べてきたのか、いつの残り湯かわからない泥水のようなお風呂にどう入っていたのか…。想像をするだけで涙がこぼれました。 子供たちは学校でも「気持ち悪い、臭い」といじめにあい、水をかけられたこともありました。それを知ってか知らずか、母親の暴言・暴力はますます酷くなっていき、姉のA子ちゃんは母親の罵声を浴びながら何度も馬乗りになられ、首を絞められたのでした。さらには心を病み、生きる気力を失った父親からも、「一緒に命を絶とう」と、二度にわたり無理やり海へ連れて行かれたこともありました。 A子ちゃんは、そんな自分自身も辛く苦しい中、小さくて病弱な弟を必死で守ってきました。この子供たちは、主人と出会う前には泣くに泣けない、誰にもたすけを求められない、まさに地獄のどん底にいたのでした。 教会ではまず、この家族に温かいご飯をたくさん食べてもらい、私はA子ちゃんと一緒にお風呂に入りました。するとA子ちゃんは自ら「背中を流します!」と言って、私の背中を洗いながら懸命に気を使ってくるのです。 私は驚きました。「まだ13歳なのに…もっと甘えてもいいのに…」A子ちゃんから出る言葉や態度からは、「家には帰りたくない。たすけて欲しい」との思いが痛いほど伝わってきました。 家族4人は、その日から慣れない教会生活が始まりました。2人の子供は学校も転入することになりましたが、A子ちゃんは特に学校生活に辛い経験があり、登校することにとても不安を抱えていました。 幸いにも、A子ちゃんはうちの娘と同じ歳でしたので、娘と同じクラスにしてもらい、娘には「登校から下校までずっと、一緒にそばについて心寄り添って欲しい…」と頼みました。 一方、母親には主人が付き添い、幾つもの病院を回りながら検査を重ねた結果、脳が委縮していく「ピック病」と診断され、入院することになりました。父親は、妻の病名も分かり入院してくれたのでホッとしたのか、「もう教会にはいたくない。家へ帰りたい」と言うようになりました。 父親が家に帰ると言い出したその時、A子ちゃんは弟を連れて、私の前で突然、きちんと正座をして、手をついて頭を畳にこすりつけるようにしてこう言いました。「お願いです。私たちはこの教会に置いて下さい。お父さんと家には帰りたくないです。どうかお願いします…お願いします!」 その子供たちの姿を目の前にした時、私の中にあった「親と子」という認識が大きく揺らいだのです。私は「親」というのは、子供可愛い一条で、自分は寝なくても食べなくても子供のために尽くすのが親である。そして「子供」から「親」を見た時に、わけがあって愛情を持って育ててもらえなくても、子供は親のそばにいたいものであり、親のそばにいることが一番幸せなことであると信じていました。 しかし、この2人の子供の姿は、そうではなかったのです。子供は親以上に自分を大切に育ててくれる人のそばにいることを望んでいるのだと痛感しました。 その後、父親は2人の子供をおいて家へ帰っていきました。子供...
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    1分未満
  • 子育ては自分育て
    2025/04/11
    子育ては自分育て 静岡県在住  末吉 喜恵 子育ては自分育てと言われています。子供の成長と同様に自分も成長するのだなと実感しています。 私は5人の子供を育てていますが、子供たちもそれぞれ違う性格で、私の性格とも全然違います。赤ちゃんの時からその性格を尊重してあげることはとても大切ですが、難しい時もあります。 長女は私とはまるで正反対の性格です。私は楽天家で「なんとかなるさー」と、考えるより先に行動してしまうタイプですが、長女は慎重派で「なんとかならなかったらどうしよう?」と考え、石橋を叩いて渡るタイプです。 小学生の時も、「忘れ物したらどうしよう」「お友達とケンカしたらどうしよう」「怪我したらどうしよう」などと、何をするにも不安が先に来るのです。「大丈夫、大丈夫」と言っても納得がいくまでランドセルの中身を確認したり、自分の気持ちを整えるまでとても時間のかかる子でした。 「早く、早く」という言葉をできるだけ使わないように、私もできるだけ心を落ち着かせて付き合っていました。 こんなこともありました。次女と三女の双子が生後3ヶ月で、長女が2歳の時の話です。双子用ベビーカーを押し、長女を歩かせて近所をお散歩していました。押しボタン信号があり、信号が青に変わったので横断歩道を渡りました。 私は長女が付いて来ているものと思い、後ろを振り返ると、まだ横断歩道を渡らずに反対側の電柱の周りをくるくる回っていました。信号はすぐ赤になり、車道側が青色になってしまいました。 私はドキドキしながら「そこで待ってて!」と長女に言いましたが、もし車道に飛び出したらどうしようと、気が気でありませんでした。しかし、ドライバーの方が「いいですよ。迎えに行ってください」というジェスチャーをして待ってくれていました。 そのおかげでベビーカーをその場に置き、横断歩道を渡って長女を迎えに行き、抱きかかえながら戻ってくることができました。親切なドライバーの方にお礼を申し上げ、たすかったと心から感謝しました。 また、長男は無鉄砲なところがあり、公園につくと遊具にまっしぐらに向かい、レジャーシートを敷いているうちに見失ってしまうこともありました。 長男が3歳の時のことです。とても大きな海の見える公園に行くと、子供たち4人がそれぞれ違う方向へ遊びに行きました。探しに行くと、3人の娘たちはすぐ見つかりましたが、長男が見つかりません。連休中で、しかも新しくできた海賊船があるとても有名な公園なので、大勢の人で賑わっていました。 いろんな遊具や砂場、水遊びができるところなどを探しましたが、見つかりません。3人の娘たちに聞いても「知らない」と素知らぬ顔で遊んでいます。夫と二人で探し回りましたが、やはり見つからず次第に焦ってきました。 すると放送が流れ、「迷子のお知らせです」と、長男の名前がアナウンスされました。大人に囲まれて大泣きしていたようです。たすけてくださった方には、本当に感謝しました。 子育てをしていると本当に色々なことが起きてくるものです。これ以外にも小さな親切は色々なところにあります。その小さな親切を見逃すことなく、感謝の気持ちを言葉で伝えていくことが大切だなと思いました。 子供は、親自身が成長するために神様から預からせて頂いている、大きな宝物です。子供を通じて学び、鍛えられ、心を成長させることが出来ているように思います。 小さい頃は自分で出来ることが少なく、親が色々と世話取りをしてあげなければならないし、将来のことを心配してとやかく言ってしまうこともあります。子供の生きる力をいかに信じるかが試されているようです。 ややもすると、子供を自分の分身のように思ってしまうこともありますが、子供一人ひとりに持って生まれた徳分があり、その子供の個性を尊重してあげることが大切だと思います。 自分の思いと子供の思いが違う時でも心に折り合いをつけ、できるだけ子供の気持ちに寄り添い、その思いを分かってあげたいです。 私は子育て支援活動をしていますが、講座などでお...
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