• 伝えたい思いがある
    2026/09/25
    伝えたい思いがある 埼玉県在住  関根 健一 私は5、6年ほど前から、友人が立ち上げた一般社団法人の理事を務めています。そして今年、重度訪問介護の資格を取得し、その法人で週に一度、障害のある方の支援に携わるようになりました。 長女に障害があることから、障害福祉の世界には長年関わってきましたが、実際に現場で介護の仕事をするのは今回が初めてです。多少の戸惑いはありましたが、利用者さんと過ごす時間は想像以上に充実していて、とてもやりがいのある仕事だと感じています。 私が担当しているKさんは、娘たちと同世代の青年です。視覚障害と知的障害の重複障害があり、発語もありません。夕方、Kさんが通所している福祉事業所へ迎えに行き、翌日のお昼まで二人きりで一緒に過ごしています。 担当が決まった時、一番の不安はコミュニケーションでした。「言葉が通じない利用者さんと、どう接したらいいのだろう」。そんな私に、長年Kさんを支えてきたスタッフの一人が、こんな話をしてくれました。 「私はKさんのことが、自分の息子みたいに可愛いんです」 その言葉がとても印象に残りました。言葉で会話が出来ない相手を、どうしてそこまで愛おしく思えるのだろう。その理由を知りたいという思いで、私は支援に臨みました。 実際に関わってみると、もちろん言葉が通じないことで不便を感じる場面はあります。しかし、Kさんはとても穏やかな性格で、自分のして欲しいことや嫌なことを、身振りや表情で一生懸命伝えてくれます。 Kさんは、うれしい時、不安な時、安心している時、それぞれ表情や体の動きが少しずつ違います。最初はその違いが分かりませんでしたが、一緒に過ごす時間を重ねるうちに、「今日は何か気になることがあるのかな」「今は安心しているんだな」などと感じられる場面が少しずつ増えてきました。言葉がなくても、人と人は時間をかけて通じ合えるものなのだなと実感しています。 これは決して私の力ではなく、長年関わってきた支援者の皆さんが、言葉以外のコミュニケーションを積み重ね、Kさんとの関係を築いて下さったからこそ、今の私もその延長戦上で関わることが出来ているのだと思います。 重度の知的障害のある方には、発語のない人が少なくありません。かつて、知的障害のある人を「白痴」と呼んでいた時代がありました。 今では差別用語として使われなくなりましたが、その言葉が示すように、「言葉が話せない人は何も考えていない」と思われていたのでした。 しかし、私はそうは思いません。 私の周りには、言葉では話せなくても、支援者がそっと手を添えることで鉛筆を動かし、自分の思いを文章にする人がいます。また、ゲーム機のメモ機能を使って、その日の出来事や感じたことを日記として書き続けている人もいます。その姿を見ていると、人は言葉として発することが出来なくても、必ず内なる思いを持っているのだと感じます。 私がこれまで多くの重度障害者の方と接してきて強く感じるのは、言葉でコミュニケーションが取れないこと自体が不幸なのではないということです。本当に悲しいのは、「この人は何も考えていない」と思い込んだ瞬間に、周囲がその人とコミュニケーションを取ろうとすること自体を諦めてしまうことではないでしょうか。 言葉として発せられなくても、その人の中には思いがあり、願いがあり、感情があります。まず、それを信じることからコミュニケーションは始まるのだと思います。 考えてみれば、私たちは普段から言葉だけで人を理解しているわけではありません。表情やしぐさ、声の調子、その人らしい普段の様子など、様々なものを感じ取りながら相手を理解しています。だからこそ、言葉が話せないという理由だけで、その人の心まで無いものと決めつけてしまうのは、とてももったいないことだと思うのです。 私自身、長女を育てる中で、多くの重度障害者の方々と出会ってきました。その経験から、自然とどんな障害のある人にも、「きっと何か伝えたい思いがある」と考えるようになりました。そうして相手の...
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  • 9年目のランドセル
    2026/10/02
    9年目のランドセル 岡山県在住  山﨑 石根 5月末のある日、我が家と同じ天理教の教会の奥さんから、妻に相談がありました。 「私がお手伝いしている日本語教室に、ベトナムの生徒さんがいるんだけど、その男の子に使ってもらえるランドセルを探しているの」とのこと。 さっそく、「うちの息子のお古で良かったら喜んで」とお返事して、一度ランドセルを見に来てもらうことになりました。 我が家のランドセルには、それぞれに色々な思いが詰まっていました。 5人いる子どもたちの、長男、次男、長女までは、妻の両親が入学祝いとして新しいランドセルを買い与えてくれたのですが、妻は当初からそれを「6年間しか使わないなんて、もったいない」と口にしていました。選んだランドセルは決して高級なものではないのですが、かと言って安価なものでもありませんでした。 そんな訳で、4番目の三男が小学校に入学する時に、ちょうど長男が卒業したばかりでしたので、妻が両親に「もうランドセルは買わなくて大丈夫。今あるものを大切に使わせてもらうから」と、新しく購入することを断ったのでした。 三男は、長男が6年間使い切ったランドセルを引き継ぎました。長男も大切に使ってはいたのですが、それでも安物をしっかり使い込んだので、2年がいいところでした。三男が小1、小2と使い切って、いよいよくたびれた時に、今度は次男が小学校を卒業し、お兄ちゃんの2番目のランドセルが三男に下がってきたのです。 そして、それも同様に2年間使い切り、「もう結構傷んできたなあ」と心配していた時に、妻のママ友の前川さん(仮名)が「息子のランドセルを良かったら使って欲しい」と声をかけて下さったのでした。 さて、小5、小6と今度は前川君のランドセルを使わせてもらった三男ですが、前川君のランドセルは、それまでの我が家のものとは違って、立派なしっかりしたランドセルでしたので、耐久性もバッチリ、まだまだ綺麗な状態で三男もお気に入りでした。 ですので、この状態だったらベトナムの子にも十分使ってもらえるかも知れないと思い立ち、「前川君とうちの子で、8年間使ったランドセルですが、それでも良ければ…」とお返事したのです。 ちなみに5番目の末娘に関して言えば、彼女が入学した時には、まだ長女が小学生でしたので、信者さんのお知り合いから女の子のランドセルを下げてもらいました。末娘はそのお古のランドセルを小1から3年間使い、小4からは晴れてお姉ちゃんのランドセルを引き継ぎました。 そんな末娘も小6になり、図工の時間に自分のランドセルを模写する授業があったようです。先日、参観日に行くと、教室の壁にランドセルの絵がたくさん飾られていて、彼女も水色の可愛らしいランドセルをとても上手に描いていました。そして、その絵の下に「このランドセルは私とお姉ちゃんの宝物! 8年間ありがとう!」とメッセージが書いてあったのです。それを見て、妻と一緒に何とも言えないあったかい気持ちになりました。 数日後、相談してくれた教会の奥さんと、同じく日本語教室でボランティアをされている方が、二人で私たちの教会を訪ねてくれました。実際にランドセルを見てもらい、またそれ以外にも使ってもらえたらということで、妻が絵の具セットやクレヨン、クーピー、ピアニカなどのお下がりも準備し、選んで持ち帰って頂きました。 それからさらに数日経ったある日、嬉しそうにランドセルをしょっている小学1年生のベトナムの男の子の写真が、妻のスマホに送られてきました。 「前川君とうちの子が使わせてもらったランドセルが、また小学校に通わせてもらえるんやなぁ」と、妻は涙ぐみながら喜びました。そして、「前川君にも教えてあげたい」とその写真を転送すると、同じように前川君のお母さんもウルウルされたようでした。 天理教教祖「おやさま」は、「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで(教祖伝逸話篇138「物は大切に」)」と教えて下さいました。 教祖は、物を、単に捨てないとか、大事にとっておくのではなく、...
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  • 転んで見えたもの
    2026/10/09
    転んで見えたもの 福岡県在住  花田 浩美 現在、私は天理教の教会の会長婦人として、教会のご用をさせていただいています。 先日、教会から駅まで、およそ二十分の道のりを、会長である主人と妹、そして私の三人で、神名流しとごみ拾いをして歩いていました。すると、妹が突然転んでしまいました。 「痛いー!!」と大声で叫んだため、道路の向こう側にいた方が、とっさに駆け寄って「大丈夫ですか?」と声を掛けて下さるほどでした。 幸い、妹は主人と手を繋いで歩いていたため、頭や顔をぶつけることはありませんでしたが、病院で診てもらうと、左腕の剥離骨折でした。三角巾で腕をつるし、動かないように固定され、不自由な生活を送ることになりました。 妹は38歳になります。産まれた時に声を出すことができず、泣くと呼吸が止まってしまうという病気を持っていました。命の危険があったので、泣かないように、ミルクに精神安定剤のような薬を入れて、飲ませては眠らせ、お腹が空く頃に起こし、泣かないようにまたミルクを飲ませ、眠らせるという治療を一ヶ月繰り返しました。 また、精神と運動の発達に遅れが見られる、精神運動発達遅滞という状態で生まれてきました。これは、全体的に発達の仕方がゆっくりであるという状態で、適切な訓練次第で、その子が本来持っている可能性を最大限に広げていくことが出来るということなのだそうです。 妹が通っていた保育園では、とにかく歩くことを勧められたので、母は毎日、妹の両手を引いて保育園まで連れて行きました。そしてその道中、草花を見つけたり、空を見上げ、飛び立つ鳥を見つけては、「きれいだね」「かわいいね」と語りかけ、さまざまなことに興味が持てるよう、一生懸命語りかけていました。そのおかげか、妹の描く絵は彩り豊かで、とても温かみがあります。 妹は言葉も動作もゆっくりですが、その分一つ一つのことに対して丁寧に取り組む姿があります。神様にお供えしてあるもののお下げや、食事の準備や後片付けなど、決まったことを黙々としてくれます。字も丁寧に上手に書きます。できることは、まだまだいっぱいあります。何より、妹が笑うと周りの空気が和みます。 ですが、その一方で、途中で別のことに気を取られると、遊び心が先に来てしまい、終わるまでに時間がかかることがあります。 なぜか丸いものが好きで、コマのように回しては、台から落ちるのが楽しいようで、回しては落とすことを繰り返します。特に台所には丸いものが沢山あるので、誰かが注意をしないとやめられません。また、「ものを出したら片付ける」といったことがなかなか身につかなかったり、言葉を声に出すことも少し苦手です。 骨折したことをきっかけに、それまで妹がしてくれていたことを家族みんなで分担するようになると、「こんなにもたくさんのことを、毎日黙ってしてくれていたんだ」と、あらためて感謝の思いが湧いてきました。 骨折して以来、髪を洗ったり背中を流したりするために、母と交代で、妹と一緒にお風呂へ入るようになりました。その時間を使って、妹が前向きに自分の気持ちを言葉にするための練習として、「よかった探し」をするようにしました。 「手をつないでいたから、この程度で済んでよかったね」「利き手の右手じゃなく、左手でよかったね」 「足じゃなかったから歩けるね。ありがたいね」「親神様の『かしもの・かりもの』の教えを、身をもって実感できたね」 また、難病を抱え、不自由な生活を送っている身近な方のことを思い浮かべながら、「ほんの少しかもしれないけれど、その方の気持ちに寄り添わせていただく機会になったね」と、そんな話もするようになりました。 妹の言葉の練習になればと思って始めたことでしたが、不思議なことに、「大変だったね」「かわいそうだったね」と言うよりも、「よかったね」「ありがたいね」と言うほうが、自分自身の心まで明るくなっていくことに気づきました。 起こってきた出来事は変えられません。しかし、使う言葉や心の向きを変えることで、見える景色は大きく変...
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  • 母が大切にしていたもの
    2026/07/10
    母が大切にしていたもの 大阪府在住  山本 達則 ある日、50代後半の男性Aさんが、天理教の教会長をしている私に相談があるということで、訪ねて来られました。 Aさんは、父親が早くに亡くなり、母親と同居していました。そして、その母親もおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いたままになっているのです。 と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知りません。父親が天理の納骨堂に入っているので、夫婦同じ所に入れてあげたいという思いはありながら、天理教に知り合いがいないので、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて下さったのです。 私はさっそく手続きを進め、納骨の日を待ちましたが、Aさんの奥さんと一度もお会い出来ていなかったこともあり、納骨までに一度Aさんの自宅を訪ねることにしました。 母親の遺骨は、和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に筆書きで何かの言葉が記されていました。 それはよく見ると、 「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(M34.2.4) という神様のお言葉でした。 大恩とは親神様のご守護であり、産み育てて下さる親の慈愛で、日常を生きる根源となる恩。一方で小恩とは、人間同士の日常の暮らしの中での恩。 つまり、人間同士の義理も大切だが、優先すべきは親神様の大恩に報いていく姿勢であり、その心を持ちつつ、小恩にも感謝することが大切であると教えられているのです。 母親は、主人が亡くなってAさんと暮らすことになった時、このお言葉の書かれた紙を、自分の部屋の枕元に大切に掲げていたそうです。Aさんは、その意味は分からずとも、「きっと母が大切にしている言葉なんだな」と思っていたとのこと。私は、自分で理解している範囲で、Aさんにそのお言葉についてお話しさせて頂きました。 天理教では、自分自身の身体をはじめ、家族、日常接する人たち、仕事や学校、生活環境など、自分の心以外はすべてが親神様からの「かりもの」であると教えられます。 朝起きて、準備を済ませ、仕事や家事に動き出す。いつもと変わらず務めを終えて、当たり前のように帰宅し、食事、入浴、就寝。ある意味「何の変哲もない一日」であり、「当たり前の一日」のように思えます。 しかし、本当にそうでしょうか? 朝、必ず目が覚めるという確約は、誰が出来るでしょうか。 食事がとれる元気な身体で、一日をスタートさせる事が出来るのは、当たり前のことでしょうか。 仕事場や学校まで何事もなく行け、いつもと変わらずに家路につけることは、それほど大したことではないのでしょうか。 それらのことを、家族の一人ひとりがやり遂げ、一日を過ごし終えることは、「当たり前」のことなのでしょうか。 人はややもすると、人間同士の義理や人情に対しては恩を感じやすいのですが、「生かされていることの大恩」に対しては、あまりにも当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまう。 そのことに気がつくのは、当たり前が当たり前でなくなった時です。当たり前のように過ごす、そんな感謝につながらない生き方に対して、立ち止まって見つめ直す機会を下さるのが、「当たり前でなくなる」こと。それが、様々な形でお見せ頂く「病気」や「事情」なんです。 天理教では「大恩」、つまりは親神様から頂く大いなるご守護にしっかりと感謝をさせて頂き、その恩に報いる生き方を教えられています。それは自分自身の身体のことだけではなく、家族やその他の人間関係に至るまで、すべてが親神様から与えられているもので、そのことにも感謝を忘れてはいけないと教えられているのです。 私は届かないながら、そのようにお話をさせて頂きました。 Aさんと奥さんは、深くうなずきながら私の話を聞いて下さいました。そして、「今のお話を聞かせて頂いて、母の姿と重ねてすごく納得できました」と、Aさんは言いました。 「母は、いつも子供たちに対して『ありがとう』とお礼を言う人でした。そして、私たちきょうだいにも...
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  • 神が引き受けて居る
    2026/07/17
    神が引き受けて居る 福岡県在住  内山 真太朗 毎年3月、おぢばで開催される、学生生徒修養会大学の部・高校卒業生コース、通称「学修」。私は長年、この学修のスタッフとして携わってきました。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、数年間中止となりましたが、2023年、数年ぶりに開催されることとなり、3月10日から12日にかけて開催される高校卒業生コースのスタッフとしてお声がけを頂きました。 しかし当時、私の妻は4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なり、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回は学修のスタッフを務めることは難しいだろうと考えていました。 お断りの連絡を入れようとした正にその日、学修を運営する本部学生担当委員会から連絡を頂き、今回の学修ではこのような係をおつとめ頂きたいとの打診がありました。断ろうと思っていた矢先の連絡に驚きましたが、これも神様からのお導きだと考えをあらため、妊娠中の妻と相談をしました。 そして、「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。 3月7日、学修に出発する日、臨月を迎えていた妻でしたが、まだ出産の兆しはなく、学修が終わる3月12日に入院するという予定を立て、おぢばへと向かいました。 そして迎えた久しぶりの学修。大勢の学生たちが集い、スタッフたちも一緒になって春のおぢばでかけがえのない時間を過ごし、私もその一端を担わせて頂くことが出来ました。 学修も無事終わり、教会への帰路の途中、妻が入院している産婦人科から連絡がありました。「エコーで胎内を見たところ、胎児の首にへその緒が巻きついています。このままだと胎児の命に危険が及ぶので、すぐに処置をして出産に入ります」。 あまりのことに驚き、不安でいっぱいになりました。私は夜遅くに教会へ着くと一目散に神殿へ向かい、お願いづとめをつとめ、病院へと向かいました。素早く処置をして頂いたおかげで、首に巻きついたへその緒は外れ、妻は無事に元気な男の子を出産しました。その後、主治医の先生からこのような説明を受けました。 「今日入院していて本当に良かった。エコーで確認しなければ、処置が遅れて取り返しのつかない事態になっていました」。 そもそも妻を入院させたのは、私が学修のために不在になることがきっかけでした。もし学修のスタッフを断って私が側についていたら、陣痛がくるまでそのままにしていたかも知れません。そこを思い切って学修スタッフを務めたおかげで、胎児の命をつなぐことが出来たのではないか。そう考えると、断ろうと思っていた矢先の一本の電話こそ、神様のお声だったのではないでしょうか。 出産を見届け、医師の説明を受けた後、深夜に病院を出ました。夜空を見上げ、一連の出来事を振り返ると、親神様の深いお導きを感じ、涙が止まりませんでした。 神様のお言葉に、 「先は神が引き受けて居る。案じる事要らん/\」とあります。(M33.12.22) 神様の御用、また神様のお喜び下さることを第一に通っていれば、神様が必ずおたすけくださる。私はあらためて、おぢばの尊さ、神様の御用を務める大切さ、有り難さを実感させて頂きました。 麻と絹と木綿の話 日本発祥のものの中で、便利な道具はたくさんありますが、その中でも風呂敷は最高傑作の一つではないでしょうか。 風呂敷はどんな形の物でも包むことができ、使わない時には小さく折り畳んで持ち歩けます。かけてもいいし、敷いてもいい。まさに自由自在の働きです。西洋式のカバンではこうはいきません。 風呂敷の持つこうした特質は何に由来するのか、それはその開かれた姿によると言えるでしょう。丸いものでも四角いものでも、細長いものでも平たいものでも、何でも内に包み込むその大きな包容力こそ、風呂敷の一番の長所です。 このような包容力は、私たちにとっても大切なものではないか。教祖はある時、着るものに例えてお諭し下...
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  • 空間に込められたメッセージ
    2026/08/14
    空間に込められたメッセージ 埼玉県在住  関根 健一 私は、障害者施設を中心とした建築設計やデザインの仕事をしています。障害者施設というのは、利用者の人数や提供するサービスに応じて、国から報酬が支給される仕組みになっています。そのため、安全性はもちろんですが、面積や設備など、さまざまな基準を満たす必要があります。 たとえば、作業スペースには「利用者一人あたりこれだけの広さが必要」と決められていたり、相談室には個人情報の観点から、音漏れを防ぐ構造が求められていたりと、細かい条件がたくさんあります。 そうした中で私は、運営者の思いを丁寧にくみ取りながら、利用者が安心してイキイキと過ごせる環境と制度上の要件、その両方を満たすために、自治体と何度も確認や調整を重ねています。 最近では「農福連携」といって、農業と福祉を組み合わせた取り組みが広がってきました。障害のある方が、農作業だけでなく、食品加工や販売、接客まで担うケースも増えています。その流れの中で、カフェを併設し一般客も訪れるような、開かれた作業所も増えてきました。 地域との接点が出来ることで、新たな交流が生まれたり、閉鎖的な環境による問題が減ったりする良い面がある一方で、外部の人の出入りが増えることで、新たな配慮も必要になります。さらに「お店として選ばれる」ための工夫も求められるので、結果として、制度上の条件以上のことが必要になる場面も少なくありません。 そんな中、打ち合わせの際に私がよくお伝えしているのが、「建物にはメッセージを込めることが出来る」ということです。 たとえば、ショッピングモールに授乳室があれば、子育て世代の方は安心すると思います。反対にもし無ければ、「ここは子連れ歓迎じゃないのかな」と感じるかもしれません。 また、飲食店に喫煙室があれば、喫煙者の方は入りやすくなりますが、タバコの煙が苦手な方にとっては、敬遠する理由にもなります。つまり、設備や空間のあり方そのものが、その場所からの〝メッセージ〟として伝わっているのです。 以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、設置義務はなかったのですが、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。 実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。 もちろん、面積やコストの制約がある中で、簡単に採用できるものではありません。ただ、この提案をきっかけに、「この建物は、誰に、どんなメッセージを届けるのか」という視点を持って頂くことが出来ました。そして結果的に、別の形での配慮や工夫へとつながっていきました。 建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。 話は変わり、今年の一月、教祖140年祭でおぢばに帰らせて頂いた時のことです。本部神殿の西礼拝場と祖霊殿を結ぶ回廊に、スロープ昇降口があるのですが、そこから家族で上がらせて頂きました。 このスロープは、車椅子の方がエレベーターを待たずに神殿に上がれるようにと、教祖130年祭に合わせて整備されたものですが、これまでスロープ昇降口が開放される月次祭前後のタイミングで長女を連れて帰参する機会がなかったので、今回が初めての利用でした。 実際に上がってみた時、設備を通して「ようこそおかえり」と迎えて頂いているような、そんな感覚が込み上げてきました。 長女には、脳性麻痺の障害があります。小さい頃は抱えて参拝することも出来ましたが、成長するにつれてそれも難しくなりました。また、長女は身体に合わせたクッション付きの車椅子でないと...
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  • おまもりゲット!
    2026/08/21
    おまもりゲット! 岡山県在住  山﨑 石根 今年の4月、まさに春爛漫の中、長女が天理の高校に入学し、同時に親元を離れての寮生活が始まりました。 我が家では、既に長男と次男が天理に巣立っているので、初めてでないとは言え、やはり子どもがいなくなるのはひと際寂しさが強いのと、でもどこか嬉しい気持ちも入り混じったような複雑な心境でした。 ちょうど入寮する日の前日が、親戚関係にあたる奈良県の教会の祭典日で、子どもたちと一緒に参拝をしました。その時、私の従叔母が、娘の入学のお祝いに添えて、手作りのお守りを下さいました。これから始まる長女の新生活に対して、私たち親と同じように心配して下さっていることを、とてもありがたく感じました。 その教会からの帰路の車中、これまでお守りをもらったことがなかった娘に、天理教教祖「おやさま」がお召しになった赤い着物を、小さく裁ったものをおさげ頂く「おまもり」について説明しました。 親戚の手作りのお守りとは別に、天理教には、教会本部に願い出て頂戴するお守りがあります。人類のふるさとである「ぢば」へ帰った証拠として渡されることから、「証拠守り」とも呼ばれます。 それは、神社仏閣を拝観した記念にもらったり、お土産として買い求めたりするようなものではなく、あるいは合格や安産を祈願したり、交通安全や商売繁盛を願ってかばんにぶら下げたりするようなお守りとは、全く意味が異なります。 一般的なお守りは、厄除けや色々な願いを込めて、神様・仏様のご加護を身につける縁起物であり、何らかのご利益を目的としますが、天理教のお守りは「心の守りが身の守り」と教えて頂きます。 つまり、何よりも教祖の教えをしっかりと心に治めることが肝心で、自由に使える「心」で教えを守って通るからこそ、神様が大きな困難も小さくして下さるのです。 そういう意味では、先ずは教えが分かるようになることが大切で、何より一生に一度しか戴けないので、私たち夫婦は、子どもが自ら希望した時に、お守りの下附を願い出ようとかねてから考えていました。 「だから、子どもでも持っている友だちはたくさんいると思うけど、我が家はお兄ちゃんも2人とも、まだ持ってないんで~」と娘に伝えると、「とととお母ちゃんは持ってるの?」と、当然の質問が返ってきました。 すると、車に同乗していた妻が懐かしそうに言いました。 「そうや、お母ちゃんもこの時期にお父さんとご本部にもらいに行ったわぁ。お母ちゃんも天理で寮生活が始まる前やったから、お父さん、多分心配やったんやろうなぁ…」 妻のこのエピソードが彼女にも響いたのでしょう。それに、これから自分で身の周りのことをしなければならない寮生活に、不安がない訳はありません。「私は、今、欲しいなぁ」と希望してきたのです。 さあ、大変です。次の日は朝から荷物を搬入する入寮式です。多分、お守りを頂戴しに行くような時間の余裕はないでしょう。 さらに、寮生活が始まると、しばらくはなかなか一緒に行くのも難しいかも知れません。「今日しかない」となった私たちは、急いで関係する教会の先生方に連絡をとり、願書を作成し、大慌てで教会本部へ向かいました。 娘と共に神殿であらためて参拝。受付に願書を提出し、取次の部屋で、御本部の先生から諄々とお守りの意味合いについて説明して頂きました。そして、待望の教祖のお守りを頂戴しました。 お礼の参拝をする前に、「先生のお話分かった?」と尋ねると、「ととの話で予習して聞いたから、めっちゃ分かったわ」と得意気な長女。どうやら本人なりにきちんと理解出来たようで、思いがけないこの日の出来事の展開に胸が熱くなり、神様のお計らい、教祖の先回りを感じずにはおれませんでした。 私は念を押すように、「変な話かも知れんけど、お守りを持ってても、持ってなくても、神様はいつでも私たちを守って下さってる。でも、今日お守りを頂戴したということは、しっかりと教祖の教えを身につけて通りますって、神様と約束したみたいなもんなんやで。寮生活大変やけど、教祖...
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  • ぢばに伏せ込んで、よく育つ
    2026/08/28
    ぢばに伏せ込んで、よく育つ 東京都在住  松村 登美和 私は小学生の頃から園芸、植物栽培が好きでした。なかでも野菜作りに興味があります。小さい頃に住んでいた場所にナス畑があって、朝や夕方、大人の人たちがその日食べる分を収穫する時に、よく付いていった記憶があります。その経験がもとになっているのかもしれません。 小学校の時はクラスの園芸係、中学校の必修クラブは園芸部でした。こうして振り返ると、どんどん昔のことを思い出すもので、高校は天理の学校へ進学しましたが、中学生の模擬試験の折に記入した志望校は、農大附属高校でした。 そんなこんなで、私は今も春になると、何となくトマトやナスを植えてしまいます。最近は「YouTube」という便利なものがあるので、それを見て育て方が簡単に勉強できます。その動画で話している人も皆言うことですが、やはり野菜をうまく育てるうえで大切なことは、「土作り」とか「日々の世話取り」とか「旬」といった事柄がキーワードになります。 去年、おととしはまったくうまく育てられなかったので、今年は春先から気持ちを入れて土作りから始めようと、農業資材の店で堆肥や肥料を買い込みました。そして土に混ぜて準備したのですが、全ての作業が終わってから、堆肥と思って仕入れた袋が肥料であったことに気づきました。急いでいて、よく確認していませんでした。 堆肥とは、落ち葉や動物のふんなどを混ぜて発酵させたもので、肥料ではなく、土を改良するためのものです。結局のところ、種類が違う大量の肥料を土に混ぜてしまったのです。 肥料ばかりが多いと、おそらくうまく育ちません。「やってしまった」と頭を抱えながら、苦肉の策として、隣のスペースを掘り起こし、肥料ばかり混ぜた土をそこに混ぜ込んで、中和をしようと作業に励みました。 一週間後、苗を植えたのですが、少し思いついたことがありました。土の状態が違う場所にそれぞれ同じ苗を植えて、どれだけ育ちが違うか試してみようと思ったのです。苗と一緒にトマト用に調整して作ってある土を買って、それを植木鉢に入れて用意しました。 肥料ばかりの土、中和した土、調整した土を入れた植木鉢の3か所に苗を植えました。ひと月経ってみると、違いは歴然でした。植木鉢の苗は立派にすくすく育ち、幾つか実を着けていました。中和した土の苗は、その3分の2ぐらいの背丈で、花がいくつか着いています。 そして肥料だらけの場所の苗は、植えてから1、2週間まったく育たず、枯れてしまうかと思いましたが、随分経ってから少しずつ伸びてゆき、一か月で小さい背丈ながら花芽が着きました。土の状態で、これだけ育ちが違うのだと改めて分かりました。 ところで、天理教の教祖「おやさま」は、教えを人々にお伝え下さるにあたり、当時周囲に農作に携わる人が多かったことから、農作業を引き合いにして分かりやすくお話になりました。 「みかぐらうた」の七下り目では、 八ツ やしきハかみのでんぢやで   まいたるたねハみなはへる 九ツ こゝハこのよのでんぢなら   わしもしつかりたねをまこ 十ド このたびいちれつに    ようこそたねをまきにきた   たねをまいたるそのかたハ   こえをおかずにつくりとり と教えられています。 「やしきハかみのでんぢやで」 天理教の聖地、親里ぢばは、親神様のご守護が籠る「田地」つまり田畑である。その親里で、親神様の思召しに適う真実心の種をまけば、見えない徳となって生えて、身に付いてくる。ぢばで真実の種をまいた人は、ゆくゆくは肥料を置かなくても収穫が得られるような不思議なご守護を頂ける、という意味のおうたであろうかと思います。 おぢばは、人が育っていく場所なのだと思います。 先日、ある若い女性が訪ねてきてくれました。パートナーの男性ができて、いずれ結婚をしたいと考えているとのことでした。彼女は小さい頃から学校へ行きづらかった人なのですが、数年間、おぢばで生活する期間がありました。その後も紆余曲折がありましたが、それを乗り越えて、いま幸せそうに暮...
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