• 人生100年時代
    2025/09/12
    人生100年時代 千葉県在住  中臺 眞治 5年ほど前、世の中がコロナ禍となって間もない頃、地域の社会福祉協議会の職員さんから相談の電話がありました。「お一人暮らしの高齢者で困っている方がいるので、そうした方の支援を天理教さんでして下さいませんか?」とのことでした。コロナ禍で私自身は時間を持て余していましたし、困っている人がいるならばという思いで、その依頼を受けることにしました。 最初の依頼は70代の男性からで、ゴミだらけになってしまった自宅の清掃でした。お話をうかがうと、「人間関係が煩わしくなり、10年前に引っ越してきたんだけど、地域に親しい人がいない。この何日間も人と話をしていないんだ」と言います。 元々は釣りや家庭菜園に精を出すなど、活動的な方だったのですが、コロナ禍で外出が出来ず、孤立した状況が浮き彫りになる中、片付ける気力も湧いてこなくなってしまったのです。なので、手を動かすことよりもまずは口を動かしておしゃべりすることを意識しながら、何日もかけてゆっくりと作業を行いました。 こうした高齢者の困りごとの依頼は、社会福祉協議会以外にも地域包括支援センターやケアマネージャーさんから教会へ届くのですが、対応出来ないほどの数の相談があるため、お断りせざるを得ない事も多く、地域には一人暮らしの高齢者の方が大勢おられるのだなと感じています。 厚生労働省が発表した令和6年の国民生活基礎調査の概況によると、65歳以上の単身世帯の数は900万世帯以上あり、この数は平成13年、2001年と比べ2.8倍になったとのことでした。 高齢になり、身体が不自由になってくると自分では解決しづらい困りごとが増えていきます。家族が近所にいれば色々と頼ることも出来ると思いますが、それも難しいという場合に、ご近所さん同士でたすけ合っているという方は少なくないと思います。 例えば運転出来る人に病院まで送迎してもらい、お礼にランチをご馳走したり、安否確認のためにお互いに声をかけ合ったりしている方もおられます。とても素敵なことだと思います。 その一方で、先ほどの男性のようにご近所付き合いが苦手な方もおられます。その男性からある日、「身体の調子が悪い」と電話がありました。 急いで自宅に駆け付けると、「二日前から起き上がれなくて、ご飯も食べていない。しんどいけど、救急車を呼んでいいのかどうかが分からない」と言うので、すぐに救急車を呼び、入院となりました。入院すると、病院生活に必要なものが色々と出てきます。私は看護師さんに「用意してください」と言われたものを買って届けました。 困った時に「たすけて」と言える相手がいない。そういう方は少なくないのではないかと感じています。いま紹介した男性も決して世間離れした方ではなく、至って真面目に生きてきた方で、人柄も良く、優しくて穏やかな方です。ただ、一つ二つ、ちょっとした不運な状況が重なってしまい、孤立し、困った状況になってしまったのです。こうした状況には自分も含め、誰もがなり得るのだと思います。 この活動は、ちょっとした困りごとのお手伝いを通じて、地域に新たな人間関係を増やしていくことを目的にしています。そのため、近所に住む信者さんや、教会で一緒に暮らしている方にも協力して頂いているのですが、活動を通じて地域に親しい人が増えていくことが、お互いの安心につながっていることを感じます。 また、戦争の体験を聞かせて頂くなど、自分とは世代も違い、違う価値観を持ち、違う体験をしながら生きてきた方と接することは、自分自身の視野を広げることにもつながっていくのだなと感じています。 少し話は変わるのですが、出会った高齢の方々が暗い顔をしながら、「長く生き過ぎた」とか「人に迷惑をかけてしまっているようで辛い」などとこぼされる場面が度々あります。健康面やお金のことなど、日々様々な不安を抱え、孤立感を感じながら生きてらっしゃるのだなと思います。 また、テレビでも日本が高齢化社会となり、様々な課題を抱えているという報道がなされるなど、長寿が...
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  • タイでひろがるたすけ合いの輪
    2025/09/05
    タイでひろがるたすけ合いの輪                      タイ在住  野口 信也 私はタイへ赴任して14年目になります。教祖140年祭に向け、皆が心を一つにして、病気の方や困っている方の力になってもらいたいとの真柱様の思いを少しでも実現するため、教友の方々と様々な取り組みをしてきました。そうした中、身近な方々が重病を発症されたり、急にお亡くなりになるなど、心を倒しそうになることもありましたが、大きなたすかりを頂戴することも多くあり、教祖の年祭へ向けた活動の大切さを改めて感じる毎日です。 そうした活動の中でのことをお話したいと思います。友人の誘いで信仰を始め、母親の大けがを通して親神様の大きなご守護を体験したチューンさんという方がいます。私の住むタイ出張所の近くで小さな料理屋を経営し、そこに妹さんと住んでおられました。 チューンさんの妹さんは優しくてとても温厚な方でしたが、病弱で心臓病や重度の糖尿病など様々な病気を併発していて、私は病気の平癒を願い、何度かおさづけをさせて頂いていました。かいさ しかしその後少し遠方に引っ越され、コロナ禍もあり思うようにお会いできなくなってしまいました。 チューンさんは以前から、自分も人類のふるさとである天理で教えを学ぶべく修養科を志願し、おさづけの理を拝戴して、一日も早く妹におさづけを取り次ぎたい、と話していました。 そして、2020年5月から開始予定の修養科タイ語クラスに志願するため、料理屋を辞め、日本のビザを取得し、後は出発を待つのみでしたが、コロナ禍の影響で二年に一度開催されるはずのタイ語クラスが急遽中止となってしまいました。そして、あらためて開催されることになった2022年の修養科タイ語クラスへの志願を目前に、妹さんは残念ながらお亡くなりになりました。 私は、チューンさんは修養科を辞退されるのでは、と思いましたが、「神様との約束ですから」と初志貫徹。修養科にて三か月間学び、自身の悩みの種であったひざの痛みも完治のご守護を頂き、勇んでタイへ戻ってきました。 そして、知り合いや近所に病気の方やケガ人がいると、自身の学んできたことをお伝えし、妹さんに出来なかった思いも込めて、おさづけの取り次ぎを続けておられました。 「これまでおさづけを取り次がせて下さいとお願いして、一度も断られたことはありません」と、チューンさんは嬉しそうに話していました。 そんなある日、今年の一月のことです。チューンさんを信仰に導いたBさんから連絡があり、チューンさんから緊急のラインが入ったとのこと。現在、バンコクから約400キロ離れたブリラム県の病院で母親の看病をしているが、膀胱炎で血と膿が止まらず、心臓肥大に末期の腎不全など様々な症状を併発している。94歳という年齢も考え、延命治療は断っているが、検査のための採血などで腕は青あざだらけで、可哀そうで仕方がない。お母さんが安らかな最期を送れるようお願いして欲しい、とのことでした。 お母さんは家庭の事情から、チューンさんの兄嫁の実家へお兄さんと一緒に引っ越しておられたので、10年ほどお会いできていませんでした。私は何とかもう一度お会いしたいと思い、すぐに車を運転してBさんと現地へ向かいました。 到着後、病室へ入ると、お母さんはとても苦しそうで話が出来る状態ではなく、すぐにおさづけを取り次ぎました。すると、たちまちいびきをかいて気持ち良さそうに眠ってしまいました。 私が来るのを待って下さっていて、このままお亡くなりになるのでは、という不安が頭をよぎりました。その横でチューンさんとBさんは、「お母さんはこの辺りに知り合いがいないので、葬儀はバンコクでやりたい」など、今後のことについて相談をしていましたが、夜間の地方道路での運転は危険を伴うため、15分ほどの滞在ですぐにバンコクへとんぼ返りしなければなりませんでした。しかし帰りの運転中も、バンコクへ到着してからもお母さんの容態が気になって仕方がありませんでした。 翌日、Bさんからチューンさんのラインが転送...
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  • 共に栄える理
    2025/08/29
    共に栄える理 東京都在住  松村 登美和 今年の夏も、厳しい暑さが続いています。振り返ると、ちょうど一年前は、今頃の季節からスーパーマーケットの棚からお米がなくなり始めて、以来「令和の米騒動」と呼ばれる状況が続いています。 3月からは政府備蓄米の放出が始まり、我が家も安い米を入手しようと、スーパーマーケットやドラッグストアのチラシをこまめにチェックするようになりました。 6月に近所のスーパーで、一回目の放出分の米を5キロ3,500円で買ったのですが、その時妻と「今まで4,500円ぐらいしていたから、たすかるね」「でもよく考えたら、去年の今頃は5キロ2,000円ちょっとだったよなあ。やっぱり高くなったなあ」などと話をしていました。 その夜、テレビでお米の値段について話題になっていました。「消費者にとっては安い方がありがたいけれども、生産者の農家からすれば、今までの値段は安すぎた」との内容でした。 番組では、農業関係者の方が「生産者側にとっての適正価格は?」とインタビューされて、「5キロで最低3,000円は…」「3,000円から4,000円」「3,500円は欲しい」など、それぞれの相場観を語っていました。 私は「もうちょっと安い方がいいなあ」と思いながら見ていたのですが、妻は「そう言えば、結婚した頃は今よりだいぶ、お米の値段は高かったわよね。農家の方にしてみれば、値段が下がり過ぎるのも辛いわよね」と言いました。 その時にふと、天理教教祖・中山みき様「おやさま」のあるお言葉が、頭の中をよぎりました。それは「高う買うて安う売りなはれや」というお言葉です。 天理教には、教祖が時々にお教え下されたお言葉などをまとめた『天理教教祖伝逸話篇』という書物があります。その中の一遍に記されている内容を少し紹介します。 ある時、43歳になる男性が、教祖のもとへ詣りました。その時、教祖が「あんた、家業は何をなさる」と、お尋ねになりました。男性が、「はい、私は蒟蒻屋をしております」と、お答えすると、教祖は、「蒟蒻屋さんなら、商売人やな。商売人なら、高う買うて安う売りなはれや」と、仰せになりました。 ところが男性は、どう考えても、「高う買うて、安う売る」という意味が分かりません。そんな事をすれば、損をして、商売が出来ないように思われる。そこで、早くから信仰をしていた先輩に尋ねたところ、こう諭されたそうです。 「問屋から品物を仕入れる時には、問屋を倒さんよう、泣かさんよう、比較的高う買うてやるのや。それを、今度お客さんに売る時には、利を低うして、比較的安う売って上げるのや。そうすると、問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ。これは、決して戻りを喰うて損することのない、共に栄える理である」。 男性はそれを聞いて、初めて「成る程」と得心がいった、という逸話です。 私は米にせよ何にせよ、安い方がありがたいと思う訳ですが、確かに妻の言う通り、作る側にしてみれば、それが辛い状況につながることもあるのです。 天理教では、「自分さえ良ければ人はどうでもよい」という考え方は、「我が身可愛い」ほこりの心遣いである、と神様から戒められています。それを妻の一言で思い出しました。 ところで、今回改めてこの逸話を呼んで、一つ心に留まった一文があります。それは「問屋も立ち、お客も喜ぶ。その理で、自分の店も立つ」という部分です。「理で立つ」とは、どういった意味なのでしょうか。 問屋から高く買えば、問屋は喜びます。そうしたことで信頼関係を築き上げられれば、例えば商品が品薄になった時でも、多少なりと融通してもらえるかもしれません。また、お客に安い値段で売っていれば、客足は伸びていくでしょう。それが人情というものです。 しかし、男性に諭し話をした先輩は、そうした義理人情だけで「自分の店が立つ」と話したのではないように感じます。 自分の利益を優先する態度を「利己主義」と言います。その反対にあるのが「利他」の精神です。他人のために心を使ったり行動をしたりすることです。 親神様は、世界中の人間の「陽気ぐらし...
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  • 心を込めたサービス券
    2025/08/22
    心を込めたサービス券                 大阪府在住  山本 達則 日々の街角での布教活動では、沢山の方々との出会いがあります。その中のお一人とのお話です。 いつも布教活動をしている駅周辺で、自転車整理の仕事をされている70代のAさんが、いつ頃からか声をかけて下さるようになりました。「おはよう。今日も頑張ってるな」と、いつも気持ちの良い笑顔で声を掛けて下さいました。 そのAさんが、ある時から「はい、これご褒美」と言って、新聞の切り抜きの餃子のサービス券を私の手に握らせて下さるようになりました。それはいつの間にか、毎週月曜日のルーティンのようになって、私が駅前に行くとすぐに満面の笑顔で近寄って来られ、餃子のサービス券を下さいました。 ある日のこと、いつもは裸のサービス券が、その日は小さなポチ袋に入っていました。私が「わざわざ入れて下さったんですか?」と聞くと、「これでちょっとはいい事あるかな」と、少し照れながら手渡して下さいました。 私が「きっとあると思います」と言うと、びっくりしたような顔で「ほんまか?なんでや?」と言われるので、「僕が喜んでいるからです」と答えると、「そうか、そういうもんなんや」と嬉しそうに言われました。それからは、餃子のサービス券は、必ずポチ袋に入れて渡して下さいました。 ところが半年ほど経つと、ある日を境に、ぱったりとAさんと出会わなくなりました。心配になり、同僚の方に聞いてみると、身体を壊して休んでおられるということでした。 住所は個人情報なので教えられないという事でしたが、いつもの雑談の中で聞いていた辺りを何となく探していると、意外と簡単にお宅が見つかり訪ねてみました。 インターホンを押すと中からAさんが出てこられ、少し驚いた様子でしたが、心配になって訪ねた事を説明すると、快く迎えて下さいました。聞くと、持病の腰痛がひどくなり、一日中立ちっぱなしの仕事が難しくなったとの事でした。 それより私が驚いたのは、「腰がましになったら、持っていこうと思ってたんや」と言って、5枚のポチ袋に入ったサービス券を下さった事でした。 それから、しばらくお話を聞かせて頂くことが出来ました。Aさんには娘さんが一人おられ、数年前に結婚されました。 しかし、一年ほど前から夫婦仲がうまくいっておらず、実家に帰ってきては愚痴や不満をこぼすことが多くなってきました。最近では離婚についても言い始め、孫の事を思うと何とかならないものかと、夫婦で心配ばかりしているという事でした。 「でもな…」とAさんは続けて話して下さいました。 「あんた、前に自分が喜んでるから、自分を喜ばしてくれたから、餃子のサービス券でもいい事あるって言うてくれたな。だから、娘のことも自分ら親だけは喜んでやろうと思って、娘にも話してみたんやで。世の中には結婚したくても出来ない人もいるし、子供を欲しいと思っていても授からない人もいる。旦那さんに対しても、不満や愚痴をこぼしたくなるような事があるにせよ、それは旦那さんがいるからで、いなければそんな事も出来ないもんなって、そう話してみたんや。娘は黙って聞いておった。親である自分だけは、心配するだけでなくて、喜んでやろうと思ってんねん。これでええんやろ、天理さん」 Aさんは満面の笑顔で話して下さいました。 「そうなんですよ。私たちの日常の中では、自分にとって都合のいい事、悪い事、喜べる事、喜べない事、楽しい事、腹立たしい事、色んな事がありますが、それは私たちがそう判断しているだけなんです。それらすべては、私たちが陽気ぐらしをするために神様が与えて下さっている姿ですから、それをどう喜ぶか。そのための努力を、神様は私たちに期待されているんだと思います。 だから、あまり面白くない事が起きても、その中で喜びを見つける努力をする。そうすると、次に何が起きても、それまでよりも喜べる心になるというのが、天理教の教えの一つなんですよ」 私がそう言うと、Aさんは、「うん、うん、ほんまやな」とうなずきながら聞...
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  • 心コロコロ
    2025/08/15
    心コロコロ 岡山県在住  山﨑 石根 一般的に、「社寺などに金銭・物品を寄付すること」を「寄進」と言いますが、天理教では身をもってする神恩報謝の行いをも寄進として神様がお受け取り下さるとして、それを「ひのきしん」と教えられます。 私たちのように教会で生活する者や、天理教を信仰している家庭では、この「ひのきしん」という言葉は、幼少期から身近にある言葉でした。 3月末に岡山市にある大教会で、子どもたちが100人以上集まる大きな行事がありました。 そこで、天理教の代表者である真柱様から子どもたちへ「告辞」というお言葉を戴いたのですが、その中で「親神様への感謝の気持ちを行動に表すことを『ひのきしん』といいます」と説明をされていました。 また、私も子どもたちに神様のお話をする立場にありましたので、その時に同じように「ひのきしん」の意味について触れ、「親神様への感謝の心があるか、ないかが重要なんですよ」とお伝えしました。 つまり、「どんなにたくさんお手伝いをしたとしても、嫌々したり、文句を言いながらしてしまうと、ひのきしんにはならないし、反対に、たとえ落ち葉一枚だけを拾ったとしても、そこに神様への感謝の心があれば、それは立派なひのきしんになるんですよ」と、「行いよりも心が大切」というお話をしたのです。 おつとめと、このお話などを聞く式典が終わると、いよいよお楽しみ行事です。たくさんの模擬店や楽しいイベントがあり、最後のビンゴ大会では、みんな何かしら景品が当たって大喜びでした。とりわけ、この春中学生になる三男は、なんと1000円分のクオカードをゲットし、「やっぱり僕はひのきしんいっぱいしとるけぇなぁ」と、得意気に報告に来ました。 さて、月が変わり4月1日の夜のことです。妻がその日の午後の神殿掃除を、三男がいつになく真剣に手伝ってくれたと、教えてくれました。 私は感心して本人にお礼を言うと、「いや、有り難いと思ってするって知らんかったから」と言うのです。 「え、どういうこと?」と尋ねると、「この前のととの話で、元気な身体を使わせてもらって有り難うと思ってするって初めて分かったんよ。ひのきしんは心なんじゃろう? 僕は心入れ替えたんじゃ」と言うではありませんか。 こういうことを恥ずかしげもなく言えるところが、天然キャラである三男の魅力なのですが、何とも話し手冥利に尽きる反応です。 そして、三男は次のように続けたのです。 「そうやって神殿掃除を頑張ったら、そのあと、お姉ちゃんにUNOで二回もボロ勝ちしたんで。やっぱり運が上がってきたわ!」 子どもの素直さに本当に嬉しい思いがしたのと同時に、神様のお話を伝えた大人の私自身も、もっともっと心がけなければならないなぁと襟を正したのでした。 すると、続けて妻がその日のお昼にあった出来事も教えてくれました。 妻の誕生日を三日後に控えていたのですが、三男が早くも誕生日プレゼントをくれたとのこと。しかも、先日のビンゴ大会で当てたクオカード1000円分を全部くれたと言うのです。 「私は『ええよぉ、自分で使いねぇ』と言うたんやけど、『ええから、お母ちゃんの欲しいもんが分からんけぇ、これで欲しいものを買いねぇ』と言うばかりで、挙句の果てには『僕は欲しいものないけぇ』と言うんよ」 と、妻は照れながら、そして嬉しそうに伝えてくれました。 なんとまあ、心を入れ替えた人は素晴らしいなぁと、私は自然と笑みがこぼれました。 嬉しい出来事はまだまだ続きます。 我が家では、小学五年生から毎月500円のお小遣いを与えるようにしています。この春、五年生になる末娘にとっては、ずっとずっと我慢して、待ちに待ったお小遣い。この4月1日に念願の500円をやっとゲットしました。すると、そのお小遣いの中から、さっそく妻が大好きなチョコビスケットを買って、プレゼントしてくれたのです。 さらに中3のお姉ちゃん。中3になっても我が家では同じく500円のお小遣いです。それなのに、妻の好きなルマンドとプリンをプレゼントに買ってくれて、ほぼお小遣いを使い切っている始末...
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  • 待ちに待ったカラオケ
    2025/08/08
    待ちに待ったカラオケ                埼玉県在住  関根 健一 小学生のあこがれの職業に「YouTuber」がランクインした時、ニュースがこぞって取り上げて話題になったことは記憶に新しいですが、今ではランキングに並んでいても、特に話題にならなくなってきました。さらに時代は先に進んで、動画配信サービスやAIなどが日常にあふれて、人々の娯楽というものは多岐にわたっています。 私が小学生の頃はというと、専らテレビが娯楽の中心でした。その頃、同級生の間では戦隊ヒーローやアニメが流行っていましたが、印象的な子供向けのドラマもたくさんあったと記憶しています。 中でも「あばれはっちゃく」というドラマが、私にとっては毎週の楽しみの一つでした。やんちゃで情にもろい昔ながらのガキ大将の主人公を同世代の男の子が演じ、5代目まで続いた人気シリーズで、児童向け小説が原作でした。 各回の細かい内容は覚えていませんが、学校から自宅へ帰った主人公がランドセルを放り投げて一目散に遊びに出かけていくシーンや、主人公の破天荒ぶりに「父ちゃん、情けなくて涙が出てくらあ!」と父親が叱りつけるシーンなどが大好きで、放送された次の日に学校で友達とモノマネをしたことを今でもしっかり覚えています。 その頃の私は、あばれはっちゃくの主人公の性格とは真逆で、外で活発に遊ぶよりも家の中で遊ぶのが好きで、木登りや虫取りなど、当時の男の子達が夢中になっていた遊びがどちらかというと苦手でした。 自分が出来ないからこそドラマの主人公に憧れを抱き、毎週楽しみにしていたのかもしれません。そんな子供の頃の思い出もあってか、「元気に遊ぶ子供」のイメージは、いつもランドセルを放り投げて遊びに行くあばれはっちゃくの主人公の姿です。 やがて生まれてきた我が家の子供たちは、二人とも女の子だったので、あばれはっちゃくとはちょっと違いましたが、長女が特別支援学校に通うことになり、障害のある子供たちの「遊び」の環境には別の問題も多いことを教えてもらいました。 遊びは、子供たちに多くの学びを与えてくれます。小学生になると、ほとんどの子が、親がいなくても子供同士で約束して公園で待ち合わせをしたり、お互いの家を行き来したりするようになりますが、障害のある子供たちはそのようなことが出来ません。 そんな自分たちで遊ぶことが難しい子供たちのために、平成24年度から「放課後等デイサービス」という制度ができました。 一般の学童保育は保護者が働いていて不在の時間、子供を預かることが目的ですが、放課後等デイサービスは、障害があって支援が必要な子供に対して、様々な体験を提供し、健全な育成を保障していくことが目的です。 我が家の長女も、制度が始まった当初からこのサービスを利用してきました。放課後の時間、必要な支援を受けながら、本を読んだりゲームをしたり、同級生だけでなく、小学生から高校生までの幅広い年代の子供たちとの交流を通じて、色々な体験をさせてもらいました。この場で培われた感受性は、彼女の現在にまでとても大きな影響を与えています。 高校を卒業すると放課後等デイサービスの制度は使えなくなり、今度は成人向けの福祉サービスの中で暮らすことになります。長女は現在、生活介護サービスという制度を利用して、日中を事業所で過ごしています。 働くというよりも、日中を穏やかに過ごすことが目的ですが、ここでは最高65歳までの方がサービスの対象となるため、放課後等デイサービスの頃よりも、さらに幅広い年代の利用者さんと関わることになります。 人と関わることが好きな長女は、行き始めてすぐに施設の雰囲気に馴染みました。それと同時に、先輩たちが長年の経験から様々なサービスを使って充実した生活を送っていることを見聞きして、大いに刺激を受けました。 そのうち、自分から「お出かけに行きたい」などと言い出しました。施設の職員さんに聞いてみると、「この前、〇〇さんがお出かけした話を聞いたから、自分も行きたいと思ったのかもしれません」と教...
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  • まいたる種は…
    2025/08/01
    まいたる種は… 福岡県在住  内山 真太朗   にち/\に心つくしたものだねを  神がたしかにうけとりている   しんぢつに神のうけとるものだねわ  いつになりてもくさるめわなし   たん/\とこのものだねがはへたなら  これまつだいのこふきなるそや 今日は、この三首のお歌に込められた神様の親心を悟った話。結婚14年目に突入し、現在教会長をつとめている私と妻との、ちょっと甘酸っぱい話をお聞き頂きたいと思います。 私と妻との出会いは今から20年前、お互いハタチの時です。私は天理大学の学生、妻は静岡県在住のOLで、当時はまだSNSもなかった時代、インターネット上の音楽系サイトで知り合い、未信仰だった彼女を初めておぢばに案内したことをきっかけに、交際が始まりました。 6年間にも及んだ遠距離恋愛の中で、何度もおぢばを案内し、お道の話をする機会も増え、別席も運んでくれました。私にとっては初めてお連れする別席者で、交際相手とあって丹精に熱が入っていました。 交際して6年の月日が流れ、「この人となら」と思い、お互い結婚を決意しました。しかし、私は福岡県の天理教の教会長後継者、妻は静岡県でお茶工場を営む社長の一人娘。あまりにも境遇がかけ離れていて、反対されるのを覚悟で妻のご両親へ挨拶に伺いました。 新調したスーツを着て、ご両親を前に、緊張しながら「どうか、娘さんと結婚させてください…」しばらく沈黙がありましたが、「二人で決めたことなら」と、ご両親とも快く結婚を承諾して下さいました。 すると妻のお母様から、「結婚の前に天理教の勉強をさせたい」との思いがけない申し出があり、妻は教えを学ぶため、結婚前に修養科を志願してくれました。さらに三か月間の修養科修了後には、教会生活を学ぶため、半年間大教会の住み込み女子青年としてつとめてくれました。 天理教のことを全く知らなかった妻は、結婚前に多くの教友と出会い、導いて頂き、お互い26歳の秋、大勢の方々に祝福されながら、大教会で結婚式と披露宴を挙げさせて頂きました。 世界中の人とつながれるインターネット上で、偶然出会った素敵な女性との結婚。私にとってこんなにありがたい事はありませんでした。 さて、話は結婚式の数日前に遡ります。教会の前会長夫婦である祖父母から「話がある」と、妻と二人で呼び出されました。80歳を超えて尚、誰よりも信仰に厳しい祖父母。よもや結婚を反対されるのでは? そんな不安をもって祖父母のもとへ行くと、祖父がこのような話を聞かせてくれました。 「今回の結婚、本当に嬉しく思う。実は、おじいちゃんは今から60年前、戦争が終わってハタチの時、確かな信仰をつかむために、当時出来たばかりの天理教校専修科に入学したんだ。二年間色んなことを経験して学んだが、この信仰を信じ切ることが出来ず、神様をつかみ切ることが出来なかった。これではいけない、どうしても神様をつかみたいと思って、専修科を卒業してすぐに福岡から横浜へ単独布教に出ようと決意したんだ。でも当時お金がなくて、片道切符で横浜まで行こうとしたけれど、お金が足りずに静岡駅で下車して、その周辺を布教に歩いていたんだよ」 妻の実家であるお茶工場は静岡駅から徒歩10分ほど。何と、60年前に祖父が布教に歩いた地域とは、妻の実家がある場所そのものだったのです。 祖父は続けて、「60年前に布教した時は大した成果は見せて頂けず、あの時の布教は無駄だったと思ったし、今までずっとそう思っていた。でも、静岡の地で伏せこんだ種を神様はちゃんとお受け取り下さって、60年後に今こうして、お前のお嫁さんという形で芽を吹いて帰ってきた。私たちにとって、これほどありがたく、嬉しいことはない。本当にありがとう」と涙ながらに話してくれました。 話を聞いて鳥肌が立ちました。妻はインターネットでたまたま私と出会い、お道を知り、修養科を修了し教会の住み込みをつとめ、結婚して教会へ来ることになった。それはすべて自分の成したことだと思っていました。しかしそれは大きな間違いで、その背景には60年前の祖父...
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  • 令和元年台風15号
    2025/07/25
    令和元年台風15号 千葉県在住  中臺 眞治 今から6年前、令和元年9月の真夜中、強力な台風の到来により、私共の暮らす千葉県では多くの住居が被災しました。私共がお預かりしている教会も屋根が一部損傷し、雨漏りで壁が崩れる被害を受けました。轟音と共に建物は揺れ続け、停電し、私自身も恐怖を感じたのを覚えています。 夜が明け、台風が落ち着いたのを見計らって外へ出ると、道路には車が通れないほど屋根瓦やトタンなどが散乱し、電信柱が倒れている地域もありました。 被災から6日後、同じ市内に暮らす天理教の教会長さんから相談の電話がありました。「80代の信者さんが自分でブルーシートを張ろうとしているんだけど、困っているようなので行ってもらえませんか?」とのこと。「分かりました」と答えてすぐに向かいました。 聞いた住所地に到着すると、玄関前にそのご主人が立っておられたのですが、目を真っ赤に腫らして、身体は震えていました。話を伺うと、「何日も頑張ったけど、足が震えてこれ以上出来ません」とのこと。 早速2階の屋根に上がると、そこにはブルーシートと土嚢が置いてあり、ご主人が必至に作業をされた形跡がありました。 私は作業を終えた後、なぜ高齢のご主人がこんな危険なことを自分でしようと思ったのか不思議に思い、尋ねました。 「あちこちの業者に頼んだけれど、どこも百件以上待ちで、しかも築40年を超える家は受け付けできませんと断られてしまったんだよ。雨漏りで漏電しないか心配で夜も眠れなくて…」 ご主人の話を聞いて、今この街には同じ悩みを抱えて苦しんでいる方が大勢おられることを知りました。 その後、教会に戻り、妻とこれからのことについて相談しました。実はこの出来事の前日に、地域の社会福祉協議会の職員さんから「高齢者の方のお宅のブルーシートを張ってもらえませんか?」と相談の電話があったのです。 しかし、私たちには屋根に上がるための梯子もなければ、それを運ぶトラックもありません。さらにこの時、妻は次女を身ごもっており、すでに臨月を迎え、いつ生まれてくるか分からない状況でもありました。 そんな中で、私たち夫婦は神様から何を問われているのだろうか? 一通り話を終え、妻に「ブルーシート張り、させてもらいたいと思うけど、どう思う?」と尋ねると、快く賛成し、背中を押してくれました。 今、当時のことを振り返ると、自分でしたことは最初に「させてもらおう」と覚悟を決めたことぐらいで、あとはすべて神様の段取りの中で動かせて頂いたように感じています。作業の初日から、70代の高所作業車のオペレーターの方が「一緒にやろう」と仰って下さり、梯子を使わなくても作業ができました。 さらに一週間ほどしてからは、災害ボランティア団体の方々が装備の貸し出しや技術提供をして下さり、おかげで安全に活動をすることができました。また、SNSを使い、協力して下さる方を募ったところ、4か月間で延べ300人以上、天理教を信仰する方々が全国から駆けつけて下さり、沢山のブルーシートを張ることができました。 どれも神様が巡り合わせて下さった不思議な出会いだと感じ、心が勇む日々でした。また、被災した私共の教会はそのままにしていたのですが、上級の報徳分教会長を務める兄が、「せっかくだからカッコよくしよう。材料費はうちで出すから大丈夫だよ」と、経済的に厳しい状況の私たち家族を気遣うばかりでなく、とてもおしゃれで素敵な空間にしてくれました。本当にありがたかったです。 こうした被災地でのひのきしんを経験された方々からは、同じような話を度々耳にします。 「最初に被害の光景を目にした時には、こんな不条理なことがあるのかという思いが沸き起こった。でもこうした状況にも、神様の何かしらの親心が込められていると信じたくて動き始めた。そうしていざ動き始めてみると、神様の『段取り』や『先回りのご守護』と感じられる出来事がいくつもあり、神様の親心を感じた」といったお話です。 天理教の原典「おふでさき」では、   だん/\になにかの事もみへてくる...
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