• 母が大切にしていたもの
    2026/07/10
    母が大切にしていたもの 大阪府在住  山本 達則 ある日、50代後半の男性Aさんが、天理教の教会長をしている私に相談があるということで、訪ねて来られました。 Aさんは、父親が早くに亡くなり、母親と同居していました。そして、その母親もおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いたままになっているのです。 と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知りません。父親が天理の納骨堂に入っているので、夫婦同じ所に入れてあげたいという思いはありながら、天理教に知り合いがいないので、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて下さったのです。 私はさっそく手続きを進め、納骨の日を待ちましたが、Aさんの奥さんと一度もお会い出来ていなかったこともあり、納骨までに一度Aさんの自宅を訪ねることにしました。 母親の遺骨は、和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に筆書きで何かの言葉が記されていました。 それはよく見ると、 「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(M34.2.4) という神様のお言葉でした。 大恩とは親神様のご守護であり、産み育てて下さる親の慈愛で、日常を生きる根源となる恩。一方で小恩とは、人間同士の日常の暮らしの中での恩。 つまり、人間同士の義理も大切だが、優先すべきは親神様の大恩に報いていく姿勢であり、その心を持ちつつ、小恩にも感謝することが大切であると教えられているのです。 母親は、主人が亡くなってAさんと暮らすことになった時、このお言葉の書かれた紙を、自分の部屋の枕元に大切に掲げていたそうです。Aさんは、その意味は分からずとも、「きっと母が大切にしている言葉なんだな」と思っていたとのこと。私は、自分で理解している範囲で、Aさんにそのお言葉についてお話しさせて頂きました。 天理教では、自分自身の身体をはじめ、家族、日常接する人たち、仕事や学校、生活環境など、自分の心以外はすべてが親神様からの「かりもの」であると教えられます。 朝起きて、準備を済ませ、仕事や家事に動き出す。いつもと変わらず務めを終えて、当たり前のように帰宅し、食事、入浴、就寝。ある意味「何の変哲もない一日」であり、「当たり前の一日」のように思えます。 しかし、本当にそうでしょうか? 朝、必ず目が覚めるという確約は、誰が出来るでしょうか。 食事がとれる元気な身体で、一日をスタートさせる事が出来るのは、当たり前のことでしょうか。 仕事場や学校まで何事もなく行け、いつもと変わらずに家路につけることは、それほど大したことではないのでしょうか。 それらのことを、家族の一人ひとりがやり遂げ、一日を過ごし終えることは、「当たり前」のことなのでしょうか。 人はややもすると、人間同士の義理や人情に対しては恩を感じやすいのですが、「生かされていることの大恩」に対しては、あまりにも当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまう。 そのことに気がつくのは、当たり前が当たり前でなくなった時です。当たり前のように過ごす、そんな感謝につながらない生き方に対して、立ち止まって見つめ直す機会を下さるのが、「当たり前でなくなる」こと。それが、様々な形でお見せ頂く「病気」や「事情」なんです。 天理教では「大恩」、つまりは親神様から頂く大いなるご守護にしっかりと感謝をさせて頂き、その恩に報いる生き方を教えられています。それは自分自身の身体のことだけではなく、家族やその他の人間関係に至るまで、すべてが親神様から与えられているもので、そのことにも感謝を忘れてはいけないと教えられているのです。 私は届かないながら、そのようにお話をさせて頂きました。 Aさんと奥さんは、深くうなずきながら私の話を聞いて下さいました。そして、「今のお話を聞かせて頂いて、母の姿と重ねてすごく納得できました」と、Aさんは言いました。 「母は、いつも子供たちに対して『ありがとう』とお礼を言う人でした。そして、私たちきょうだいにも...
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  • 神が引き受けて居る
    2026/07/17
    神が引き受けて居る 福岡県在住  内山 真太朗 毎年3月、おぢばで開催される、学生生徒修養会大学の部・高校卒業生コース、通称「学修」。私は長年、この学修のスタッフとして携わってきました。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、数年間中止となりましたが、2023年、数年ぶりに開催されることとなり、3月10日から12日にかけて開催される高校卒業生コースのスタッフとしてお声がけを頂きました。 しかし当時、私の妻は4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なり、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回は学修のスタッフを務めることは難しいだろうと考えていました。 お断りの連絡を入れようとした正にその日、学修を運営する本部学生担当委員会から連絡を頂き、今回の学修ではこのような係をおつとめ頂きたいとの打診がありました。断ろうと思っていた矢先の連絡に驚きましたが、これも神様からのお導きだと考えをあらため、妊娠中の妻と相談をしました。 そして、「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。 3月7日、学修に出発する日、臨月を迎えていた妻でしたが、まだ出産の兆しはなく、学修が終わる3月12日に入院するという予定を立て、おぢばへと向かいました。 そして迎えた久しぶりの学修。大勢の学生たちが集い、スタッフたちも一緒になって春のおぢばでかけがえのない時間を過ごし、私もその一端を担わせて頂くことが出来ました。 学修も無事終わり、教会への帰路の途中、妻が入院している産婦人科から連絡がありました。「エコーで胎内を見たところ、胎児の首にへその緒が巻きついています。このままだと胎児の命に危険が及ぶので、すぐに処置をして出産に入ります」。 あまりのことに驚き、不安でいっぱいになりました。私は夜遅くに教会へ着くと一目散に神殿へ向かい、お願いづとめをつとめ、病院へと向かいました。素早く処置をして頂いたおかげで、首に巻きついたへその緒は外れ、妻は無事に元気な男の子を出産しました。その後、主治医の先生からこのような説明を受けました。 「今日入院していて本当に良かった。エコーで確認しなければ、処置が遅れて取り返しのつかない事態になっていました」。 そもそも妻を入院させたのは、私が学修のために不在になることがきっかけでした。もし学修のスタッフを断って私が側についていたら、陣痛がくるまでそのままにしていたかも知れません。そこを思い切って学修スタッフを務めたおかげで、胎児の命をつなぐことが出来たのではないか。そう考えると、断ろうと思っていた矢先の一本の電話こそ、神様のお声だったのではないでしょうか。 出産を見届け、医師の説明を受けた後、深夜に病院を出ました。夜空を見上げ、一連の出来事を振り返ると、親神様の深いお導きを感じ、涙が止まりませんでした。 神様のお言葉に、 「先は神が引き受けて居る。案じる事要らん/\」とあります。(M33.12.22) 神様の御用、また神様のお喜び下さることを第一に通っていれば、神様が必ずおたすけくださる。私はあらためて、おぢばの尊さ、神様の御用を務める大切さ、有り難さを実感させて頂きました。 麻と絹と木綿の話 日本発祥のものの中で、便利な道具はたくさんありますが、その中でも風呂敷は最高傑作の一つではないでしょうか。 風呂敷はどんな形の物でも包むことができ、使わない時には小さく折り畳んで持ち歩けます。かけてもいいし、敷いてもいい。まさに自由自在の働きです。西洋式のカバンではこうはいきません。 風呂敷の持つこうした特質は何に由来するのか、それはその開かれた姿によると言えるでしょう。丸いものでも四角いものでも、細長いものでも平たいものでも、何でも内に包み込むその大きな包容力こそ、風呂敷の一番の長所です。 このような包容力は、私たちにとっても大切なものではないか。教祖はある時、着るものに例えてお諭し下...
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  • 空間に込められたメッセージ
    2026/08/14
    空間に込められたメッセージ 埼玉県在住  関根 健一 私は、障害者施設を中心とした建築設計やデザインの仕事をしています。障害者施設というのは、利用者の人数や提供するサービスに応じて、国から報酬が支給される仕組みになっています。そのため、安全性はもちろんですが、面積や設備など、さまざまな基準を満たす必要があります。 たとえば、作業スペースには「利用者一人あたりこれだけの広さが必要」と決められていたり、相談室には個人情報の観点から、音漏れを防ぐ構造が求められていたりと、細かい条件がたくさんあります。 そうした中で私は、運営者の思いを丁寧にくみ取りながら、利用者が安心してイキイキと過ごせる環境と制度上の要件、その両方を満たすために、自治体と何度も確認や調整を重ねています。 最近では「農福連携」といって、農業と福祉を組み合わせた取り組みが広がってきました。障害のある方が、農作業だけでなく、食品加工や販売、接客まで担うケースも増えています。その流れの中で、カフェを併設し一般客も訪れるような、開かれた作業所も増えてきました。 地域との接点が出来ることで、新たな交流が生まれたり、閉鎖的な環境による問題が減ったりする良い面がある一方で、外部の人の出入りが増えることで、新たな配慮も必要になります。さらに「お店として選ばれる」ための工夫も求められるので、結果として、制度上の条件以上のことが必要になる場面も少なくありません。 そんな中、打ち合わせの際に私がよくお伝えしているのが、「建物にはメッセージを込めることが出来る」ということです。 たとえば、ショッピングモールに授乳室があれば、子育て世代の方は安心すると思います。反対にもし無ければ、「ここは子連れ歓迎じゃないのかな」と感じるかもしれません。 また、飲食店に喫煙室があれば、喫煙者の方は入りやすくなりますが、タバコの煙が苦手な方にとっては、敬遠する理由にもなります。つまり、設備や空間のあり方そのものが、その場所からの〝メッセージ〟として伝わっているのです。 以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、設置義務はなかったのですが、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。 実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。 もちろん、面積やコストの制約がある中で、簡単に採用できるものではありません。ただ、この提案をきっかけに、「この建物は、誰に、どんなメッセージを届けるのか」という視点を持って頂くことが出来ました。そして結果的に、別の形での配慮や工夫へとつながっていきました。 建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。 話は変わり、今年の一月、教祖140年祭でおぢばに帰らせて頂いた時のことです。本部神殿の西礼拝場と祖霊殿を結ぶ回廊に、スロープ昇降口があるのですが、そこから家族で上がらせて頂きました。 このスロープは、車椅子の方がエレベーターを待たずに神殿に上がれるようにと、教祖130年祭に合わせて整備されたものですが、これまでスロープ昇降口が開放される月次祭前後のタイミングで長女を連れて帰参する機会がなかったので、今回が初めての利用でした。 実際に上がってみた時、設備を通して「ようこそおかえり」と迎えて頂いているような、そんな感覚が込み上げてきました。 長女には、脳性麻痺の障害があります。小さい頃は抱えて参拝することも出来ましたが、成長するにつれてそれも難しくなりました。また、長女は身体に合わせたクッション付きの車椅子でないと...
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  • おまもりゲット!
    2026/08/21
    おまもりゲット! 岡山県在住  山﨑 石根 今年の4月、まさに春爛漫の中、長女が天理の高校に入学し、同時に親元を離れての寮生活が始まりました。 我が家では、既に長男と次男が天理に巣立っているので、初めてでないとは言え、やはり子どもがいなくなるのはひと際寂しさが強いのと、でもどこか嬉しい気持ちも入り混じったような複雑な心境でした。 ちょうど入寮する日の前日が、親戚関係にあたる奈良県の教会の祭典日で、子どもたちと一緒に参拝をしました。その時、私の従叔母が、娘の入学のお祝いに添えて、手作りのお守りを下さいました。これから始まる長女の新生活に対して、私たち親と同じように心配して下さっていることを、とてもありがたく感じました。 その教会からの帰路の車中、これまでお守りをもらったことがなかった娘に、天理教教祖「おやさま」がお召しになった赤い着物を、小さく裁ったものをおさげ頂く「おまもり」について説明しました。 親戚の手作りのお守りとは別に、天理教には、教会本部に願い出て頂戴するお守りがあります。人類のふるさとである「ぢば」へ帰った証拠として渡されることから、「証拠守り」とも呼ばれます。 それは、神社仏閣を拝観した記念にもらったり、お土産として買い求めたりするようなものではなく、あるいは合格や安産を祈願したり、交通安全や商売繁盛を願ってかばんにぶら下げたりするようなお守りとは、全く意味が異なります。 一般的なお守りは、厄除けや色々な願いを込めて、神様・仏様のご加護を身につける縁起物であり、何らかのご利益を目的としますが、天理教のお守りは「心の守りが身の守り」と教えて頂きます。 つまり、何よりも教祖の教えをしっかりと心に治めることが肝心で、自由に使える「心」で教えを守って通るからこそ、神様が大きな困難も小さくして下さるのです。 そういう意味では、先ずは教えが分かるようになることが大切で、何より一生に一度しか戴けないので、私たち夫婦は、子どもが自ら希望した時に、お守りの下附を願い出ようとかねてから考えていました。 「だから、子どもでも持っている友だちはたくさんいると思うけど、我が家はお兄ちゃんも2人とも、まだ持ってないんで~」と娘に伝えると、「とととお母ちゃんは持ってるの?」と、当然の質問が返ってきました。 すると、車に同乗していた妻が懐かしそうに言いました。 「そうや、お母ちゃんもこの時期にお父さんとご本部にもらいに行ったわぁ。お母ちゃんも天理で寮生活が始まる前やったから、お父さん、多分心配やったんやろうなぁ…」 妻のこのエピソードが彼女にも響いたのでしょう。それに、これから自分で身の周りのことをしなければならない寮生活に、不安がない訳はありません。「私は、今、欲しいなぁ」と希望してきたのです。 さあ、大変です。次の日は朝から荷物を搬入する入寮式です。多分、お守りを頂戴しに行くような時間の余裕はないでしょう。 さらに、寮生活が始まると、しばらくはなかなか一緒に行くのも難しいかも知れません。「今日しかない」となった私たちは、急いで関係する教会の先生方に連絡をとり、願書を作成し、大慌てで教会本部へ向かいました。 娘と共に神殿であらためて参拝。受付に願書を提出し、取次の部屋で、御本部の先生から諄々とお守りの意味合いについて説明して頂きました。そして、待望の教祖のお守りを頂戴しました。 お礼の参拝をする前に、「先生のお話分かった?」と尋ねると、「ととの話で予習して聞いたから、めっちゃ分かったわ」と得意気な長女。どうやら本人なりにきちんと理解出来たようで、思いがけないこの日の出来事の展開に胸が熱くなり、神様のお計らい、教祖の先回りを感じずにはおれませんでした。 私は念を押すように、「変な話かも知れんけど、お守りを持ってても、持ってなくても、神様はいつでも私たちを守って下さってる。でも、今日お守りを頂戴したということは、しっかりと教祖の教えを身につけて通りますって、神様と約束したみたいなもんなんやで。寮生活大変やけど、教祖...
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  • ぢばに伏せ込んで、よく育つ
    2026/08/28
    ぢばに伏せ込んで、よく育つ 東京都在住  松村 登美和 私は小学生の頃から園芸、植物栽培が好きでした。なかでも野菜作りに興味があります。小さい頃に住んでいた場所にナス畑があって、朝や夕方、大人の人たちがその日食べる分を収穫する時に、よく付いていった記憶があります。その経験がもとになっているのかもしれません。 小学校の時はクラスの園芸係、中学校の必修クラブは園芸部でした。こうして振り返ると、どんどん昔のことを思い出すもので、高校は天理の学校へ進学しましたが、中学生の模擬試験の折に記入した志望校は、農大附属高校でした。 そんなこんなで、私は今も春になると、何となくトマトやナスを植えてしまいます。最近は「YouTube」という便利なものがあるので、それを見て育て方が簡単に勉強できます。その動画で話している人も皆言うことですが、やはり野菜をうまく育てるうえで大切なことは、「土作り」とか「日々の世話取り」とか「旬」といった事柄がキーワードになります。 去年、おととしはまったくうまく育てられなかったので、今年は春先から気持ちを入れて土作りから始めようと、農業資材の店で堆肥や肥料を買い込みました。そして土に混ぜて準備したのですが、全ての作業が終わってから、堆肥と思って仕入れた袋が肥料であったことに気づきました。急いでいて、よく確認していませんでした。 堆肥とは、落ち葉や動物のふんなどを混ぜて発酵させたもので、肥料ではなく、土を改良するためのものです。結局のところ、種類が違う大量の肥料を土に混ぜてしまったのです。 肥料ばかりが多いと、おそらくうまく育ちません。「やってしまった」と頭を抱えながら、苦肉の策として、隣のスペースを掘り起こし、肥料ばかり混ぜた土をそこに混ぜ込んで、中和をしようと作業に励みました。 一週間後、苗を植えたのですが、少し思いついたことがありました。土の状態が違う場所にそれぞれ同じ苗を植えて、どれだけ育ちが違うか試してみようと思ったのです。苗と一緒にトマト用に調整して作ってある土を買って、それを植木鉢に入れて用意しました。 肥料ばかりの土、中和した土、調整した土を入れた植木鉢の3か所に苗を植えました。ひと月経ってみると、違いは歴然でした。植木鉢の苗は立派にすくすく育ち、幾つか実を着けていました。中和した土の苗は、その3分の2ぐらいの背丈で、花がいくつか着いています。 そして肥料だらけの場所の苗は、植えてから1、2週間まったく育たず、枯れてしまうかと思いましたが、随分経ってから少しずつ伸びてゆき、一か月で小さい背丈ながら花芽が着きました。土の状態で、これだけ育ちが違うのだと改めて分かりました。 ところで、天理教の教祖「おやさま」は、教えを人々にお伝え下さるにあたり、当時周囲に農作に携わる人が多かったことから、農作業を引き合いにして分かりやすくお話になりました。 「みかぐらうた」の七下り目では、 八ツ やしきハかみのでんぢやで   まいたるたねハみなはへる 九ツ こゝハこのよのでんぢなら   わしもしつかりたねをまこ 十ド このたびいちれつに    ようこそたねをまきにきた   たねをまいたるそのかたハ   こえをおかずにつくりとり と教えられています。 「やしきハかみのでんぢやで」 天理教の聖地、親里ぢばは、親神様のご守護が籠る「田地」つまり田畑である。その親里で、親神様の思召しに適う真実心の種をまけば、見えない徳となって生えて、身に付いてくる。ぢばで真実の種をまいた人は、ゆくゆくは肥料を置かなくても収穫が得られるような不思議なご守護を頂ける、という意味のおうたであろうかと思います。 おぢばは、人が育っていく場所なのだと思います。 先日、ある若い女性が訪ねてきてくれました。パートナーの男性ができて、いずれ結婚をしたいと考えているとのことでした。彼女は小さい頃から学校へ行きづらかった人なのですが、数年間、おぢばで生活する期間がありました。その後も紆余曲折がありましたが、それを乗り越えて、いま幸せそうに暮...
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  • がむしゃらに、ひとすぢに
    2026/09/04
    がむしゃらに、ひとすぢに 福岡県在住  内山 真太朗 以前おぢばの学校に在学していた時、同級生10名とともに大阪の教会で合宿し、約一カ月間にわたって、にをいがけに歩かせて頂きました。大阪に出発する前、仲間たちと話し合い、この一か月のにをいがけで帰参者をお与え頂き、日を決めてマイクロバスでおぢばがえりを実施しようと目標を掲げ、全員で勇んで布教に歩くことを申し合わせました。 朝の通勤ラッシュの時間帯での神名流し・路傍講演に始まり、そこからそれぞれ各家庭を一軒々々戸別訪問。「こんにちはー!天理教の布教師の者ですが!」「陽気ぐらしの天理教です!」「何かお困りのことはありませんか?」と元気に声を掛けますが、いくら勢いよく言っても先方の反応は冷ややか。 「うちは結構ですから、もう来ないで下さい」「ほかの宗教を信仰してますから」「なに!天理教?いらん!帰れ!!」と、ほとんどの訪問先で断られ、怒られ、なかなかうまくいきませんでした。 勇めない日々が続きましたが、その中にも、数十軒に一軒は少しでもお話を聞いて下さったり、また病気の方にはおさづけを取り次いだりと、コツコツ歩く中に勇みの種を頂くこともあり、何とか心を倒さず通らせて頂いていました。 しかし、日が経つにつれて徐々に焦りも出始めてきました。目標である、帰参者をご守護頂くというプレッシャーからくるものです。もう少し、勢いよく。もう少し、断られても一軒々々粘って…。自分自身の気持ちを奮い立たせて戸別訪問を繰り返しましたが、うまくいきません。 他の仲間たちはポツポツと帰参者をお与え頂いたという報告もあり、余計に焦りとイライラが襲ってきました。もちろん、帰参者をお与え頂くという結果が全てではないのは分かっていましたが、だからといって諦めたら、この布教が何の意味もなくなるような気がしました。だから、「何が何でも、どうでもこうでも帰参者をお与え頂いて、一緒におぢばへ帰らせて頂きたい!」こういう思いで、とにかく真剣に、とにかくがむしゃらに一日々々最後まで諦めず必死で戸別訪問に歩きました。 毎日同じ地域を集中的に訪問し、おぢばがえりの三日前からは、現地まで行き帰り片道40分の道のりを一人で神名流しをしながら歩き、途中で休憩していた時間を割き、空き地でみかぐらうた十二下りを踊り、休憩なしで一日中戸別訪問に回らせて頂きました。しかし、なかなか結果は出ません。 そして、いよいよおぢばがえり前日。今日しかない、結果は神様のお与えだから、とにかく終わってから後悔しないように最後までやり抜こうと思い、約30棟からなる団地を全て回らせて頂こうと心を定め、臨みました。 この日はいつになく多くの訪問先が、「天理教」と名乗っただけで門前払いでしたが、それでもなお延々と続けました。でも、こちらがどんなに「お道の教えを知ってもらいたい」と思っても、「幸せになって頂きたい、たすかって頂きたい」という気持ちを伝えようとしても、取り合ってもらえず…。それはあまりに辛くてしんどくて、途中からは泣きながら回っていました。 そんな時、ふと我を振り返りました。考えてみれば、今までの人生でも、たくさんの人たちがくれた色んな厚意を、無情にも踏みにじってしまったことが何度あったか。それによって、どれだけの人を傷つけてしまったことか。 私の通ってきたそのような道があったのだから、今このような思いをするのは当然だ。親神様は、私のそんな癖性分に気付かせるために、この試練を与えられたに違いない。そう思うと断られるのは自然の成り行き。不足していた自分を申し訳なく思い、すぐに近くの空き地でお詫びのおつとめをさせて頂きました。 「親神様、やっと気付きました。これからは、どんな応対をされても親神様のなされることと思って勇ませて頂きます」 時刻は午後4時。本来なら帰る時間だったのですが、とにかく最後と思い戸別訪問を再開しました。午後5時前、心身共にボロボロになりつつ、もうそろそろかと思い、これを最後の訪問にしようとインターホンを押...
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  • 街中の小さなふれあい
    2026/06/26
    街中の小さなふれあい フランス在住  長谷川 善久 天理教の教えによると、この世界の始まりは「人間が互いにたすけ合い、陽気に暮らす姿を見て共に楽しみたい」という親神様の願いにあるとされています。 残念ながら、これまでの人類の歴史では、戦争、紛争、憎しみ合いが無くなったことはありません。一方で、個人生活のレベルで見れば、神様の願いに叶うような経験、一度きりの偶然の出会いで心を通わせたり、ほんわかした優しさを感じたり、小さな幸せを味わうような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。 人に接する際に大切なこととしてまず浮かぶのは、心のこもった挨拶やお礼の言葉です。「おはよう」「こんにちは」「ありがとうございます」といった明るい声は魔法の言葉で、この言葉一つでその場の空気は変わります。 この教えでは、挨拶のみならず、人に掛けるすべての言葉「声」は、畑にまく肥料に語呂を合わせ、人生を肥やす「肥」になり得ると教えて頂きます。 学生の頃、天理教に批判的だった未信者の友人から、思いがけずこんなことを言われました。 「先日夜遅くK君に誘われて、あまり気は進まなかったけど本部の神殿に一緒に行ったんだよ。正直退屈だったけど、気持ち良かったことが一つあったわ。神殿に上がる時に、靴べらを持った見知らぬ人に声を掛けてもらってさ、『こんばんは、ご苦労様です』って。俺みたいな奴にも声を掛けてくれて、なんだか嬉しかったよ」 私が住むフランスでは、日常生活の中での、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」などの挨拶が何よりも大事です。例えば日本でコンビニに入った時に、カウンターにいるアルバイトの店員に挨拶をする人はほとんどいないでしょう。しかし、フランスではお店に入る時には必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。 これは単なる個人間の礼節に由来するものではなく、フランスでは文化的要因を含む常識となっています。 フランスでは、個々の存在を大変重要視しますが、それを起因として「こんにちは」には三つの意味づけが見られるそうです。 まず、そこにいるのはお店の人だという承認。次に、その人は職業従事者である前に一人の人間であるという配慮。そして、この配慮の上に、お互いの立ち場の違いを超えた平等性を構築することが出来るのです。 もし、あなたが黙ってお店に入ってしまえば、店員はあなたから「人として存在しない者」、あるいは単なる「道具」モノであると見なされたと思い、侮辱されたと感じてしまうのです。 実際、私も来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。 あるレストランでは、注文してから料理が出てくるのがあまりに遅いので、日本にいる調子で少し強めの声で店員さんを呼ぶと、「分かってるから、いちいち呼ぶな!」と、かえってより大きな声で怒鳴られたこともありました。 また、高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。おかげで今では、街中で道を尋ねる時でも、いきなり要件から入らずに、相手の目を見て「こんにちは」とひと言挨拶をする所から会話に入れるようになりました。 このような、日常生活のどんな場面であっても、人を決して道具のように扱わないフランスの生活ぶりが私は気に入っています。 お客さんに対する店員の対応で、こんなこともありました。私たちが食事をとっている隣のテーブルに、落ち着いた感じの中年のフランス人の男女カップルがいました。男性のほうは、席に座るやずっと一人で携帯を見ています。30代ぐらいの女性店員さんが注文を取り終えた後も、ずっと携帯を見たままでした。向かいに座るフランス人女性は、黙ってつまらなさそうな様子です。 そこに料理を運んできた先ほどの店員さんが、男性に向かっておもむろにこう言いました。 「あなた、何...
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  • 生きていることがキセキ
    2026/06/19
    生きていることがキセキ 岡山県在住  山﨑 石根 昨年の9月末頃のことです。当時、中学一年生だった三男が、妻に深刻そうに相談してきました。 「僕、乳がんかも知れん。多分、ステージ1…」 突然の告白に、妻は心配よりも驚きのほうが大きかったようでしたが、聞くと一か月前ぐらいからずっと左胸にしこりがあるとのことでした。それは、妻が触れても分かるぐらいのしこりでしたが、本人は自分でインターネットで検索し、症状と照らし合わせながら、そう思ったようでした。 何でも気軽に調べることが出来る世の中になったとは言え、子どもが自分で病気を調べ、その小さな胸でそれを何日も抱えていたことを思った時、私たち夫婦は胸が締め付けられる思いがしました。 とは言え、これまで大小問わず親に相談することが不得意だった彼が、こうしてSOSを届けてくれたことに、どこかホッとした一面も私たちにはありました。 近くの病院の小児科を調べると、ちょうど大きな病院から専門医が来られる曜日があったので、すぐに受診しました。お医者さんからは、「おそらく第二次性徴の関係でしょうが、まれに悪い病気があるので、きちんと血液検査をしましょう」と提案されました。 また、母子手帳に加え、小・中学校での身長と体重のデータを提出するよう指示を受けたので、学校で用意してもらうと、保健室の先生が「本人、打ち明けるまでは本当に辛かったでしょうね」と、とても心配して下さいました。 4日後の10月1日、いよいよ検査の日です。実は、この日まで三男には、病気と同じぐらい心配なことがありました。それは、大の苦手である注射です。待合室でソワソワする彼は、「なあ、鼻血で検査したらダメなん?」と妻に尋ね、「鼻血ってどうやったら出るんやろう」と必死に考えていたようです。 さあ、処置室に入ってからも大変でした。「いや、ちょっと待って」と言いながら、なかなか看護師さんに採血をさせないのです。注射をしようと二人がかりで押さえても動いてしまい、もう一人来てもダメ。4、5人で押さえても、中学生の強い力で抵抗してしまうので、危険だと判断されました。 そこで、「ベッドで落ち着くまで待とう」となり、妻のスマホで思い出の家族動画などを見ながらリラックスしようとしますが、入れ替わり立ち替わり看護師さんが様子を見に来るので、どうしても心の準備が出来ません。 最終的には、本人には寝ながら動画に集中してもらい、妻が押さえながら何とか採血することが出来たようですが、翌週、妻が検査結果を聞くために通院すると、「なんか大変だったみたいですね」と主治医に言われるほど、病院内で噂になっていて、彼は有名人になっていました。 肝心の結果は、ひとまず大丈夫とのこと。しこりが大きくなっていないか、痛みが出ていないかを三か月後に経過観察をしたいと言われ、幾つかの症状をあげながら、それらが窺われたら診察に来るよう指示があったので、手放しでは喜べませんが、親としてようやくホッと出来たのです。 年が明け、今年の一月に再度受診をしました。その日、彼は朝からソワソワのドキドキでした。今回もまた、あの注射があると思ったからです。ところが、今回は問診と触診だけで、彼も「やれやれ」と胸をなでおろし、しかも問題の症状もなかったので、そのまま元気に登校することが出来ました。 こうして結果的に何もなかったからこそ、採血の時のドタバタ劇を笑い話に出来るのですが、渦中にいる時は生きた心地がしませんでした。というのも、子どもに大きな病気を見せられる度に、私は今は亡き祖父のことを思い出すからです。 教会の三代会長である祖父は、16歳の娘を突然の心不全で失っています。この時の心情を、祖父は天理教の月刊誌に執筆しており、「肉親の情として、十六才の若さで花のつぼみを散らせたいとしさ、かわいさがたまらなく、共に過ごした日々の思い出に、押さえきれぬ悲しみがあふれて、何のかんばせあって私の信仰が語れようと、まったく地に沈む思いに苦しみました」と語っています。 しかし、祖父はその出来事...
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