『今日から話せる埼玉自慢 by永谷あきひさ』のカバーアート

今日から話せる埼玉自慢 by永谷あきひさ

今日から話せる埼玉自慢 by永谷あきひさ

著者: 永谷あきひさ
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埼玉県外の人に「何もない県、埼玉県」と言われたら、言い返せるように「今日から話せる埼玉自慢」というテーマで埼玉県の自慢できるところを紹介しているアカウントです。(YouTubeやTikTokでショート動画も作っております) 埼玉県の子供達に、そして、その子供に教える先生たちに埼玉の良いところを伝えていきたいと思っています。 (今日から話せる埼玉自慢) YouTube:https://youtube.com/channel/UCE7wt2lXWjskZq7C0dC0iJg?si=f3J5Adc8w_vP6kKe TikTok:https://www.tiktok.com/@saitama_jiman?_r=1&_t=ZS-97MV9P8FtdH永谷あきひさ 世界
エピソード
  • 大相撲の土俵を支えている、初野建材工業(株)(埼玉県川越市)
    2026/07/17
    (文字起こし)今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。このチャンネルでは「何もない県、埼玉県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できる事について紹介していきたいと思います。もし、「ダ埼玉」と言われたら、この話を言い返してください。今日のテーマは、大相撲の土俵。あの土が、実はぜんぶ埼玉産だという話。川越市の「初野建材工業」と、ブランド土「本荒木田(ほんあらきだ)」についてです。大相撲の本場所。東京の両国国技館だけじゃなく、大阪、名古屋、福岡でも開催されますよね。じゃあ、あの土俵の土は、それぞれの土地の土だと思いますか?答えは、ノー。東京場所も、大阪場所も、名古屋場所も、九州場所も、全部、埼玉県川越市の一社が納めた、同じ土なんです。年6回、全国どこで開催されても、力士が踏みしめているのは「埼玉・川越の土」。テレビに毎日映っている、あの土俵。あれ、埼玉産です。この土を供給しているのが、川越市の「初野建材工業」。1960年、昭和35年に、トラック1台から始まった、土と砂の専門商社です。土俵に使われる土は「荒木田土(あらきだつち)」といいます。荒川沿いで採れる、粘土と砂が程よく混ざり合った土。かつて荒川が氾濫を繰り返す中で、上流から流されてきた土砂が混ざり合って生まれました。水を含ませて締め固めて、乾かすと、カチカチに硬くなる。でも、ただ硬いだけじゃなくて、適度な弾力がある。しかも、砂が混ざっているから滑りにくい。「硬い・弾む・滑らない」が全部そろった、格闘技の足元にこれ以上ない素材なんです。1日に約300人の力士が上がって、激しくぶつかり合っても、崩れない。初野建材工業でこの土を扱っているのが、「土のソムリエ」と呼ばれる内田英明(うちだ・ひであき)部長です。採ってきた土は、木の根などの不純物を取り除くために、約1年かけて自然乾燥させます。一度、サラサラのパウダー状にする。そして出荷のときに、もう一度水分を加えて、強度と粘り気を復活させるんです。このときの水分量が、勝負どころ。夏場の湿気、冬場の乾燥、さらには開催地までの輸送時間まで計算する。九州場所みたいに遠方なら、道中で乾くことを見越して、水分を多めにする。数%単位の微調整を、機械じゃなくて、職人の感覚でやっている。元横綱の白鵬関も「この土はいい」と絶賛したそうです。ところが、昔から全国統一だったわけじゃありません。かつての本場所では、大阪、名古屋、福岡と、それぞれの会場の近くで採れた、別々の地元の土が使われていました。転機は2017年の名古屋場所。力士たちから「土が軟らかい」「滑りやすい」という不満が続出して、土俵が壊れるトラブルまで起きたんです。これを重く見た日本相撲協会が決断したのが、「本場所の土の全国統一」。そこで白羽の矢が立ったのが、以前から地方巡業で納品実績があり、一流力士たちからの評価も高かった、初野建材工業の「本荒木田」でした。以来、2017年の秋場所から現在まで、全6本場所の土俵は、この一社の土だけで作られています。国技の足元を、埼玉の一企業が一手に引き受けている。ニュースには映らない、でも大相撲は、この土なしには始まらないんです。ちなみに、土俵そのものを作るのは、初野建材工業ではありません。日本相撲協会の「呼出(よびだし)」と呼ばれる方々、45名です。土俵は神様を迎える神聖な場所。だから、重機も機械も計器も、一切使いません。場所前の3日間、45名の呼出が総出で、完全手作業。「タコ」や「たたき」と呼ばれる昔ながらの道具、それから、なんと空のビール瓶まで使って、ピンポイントで土を叩いて、踏み固めていく。アスファルトみたいに硬すぎたら力士が怪我をする。だから、大勢での足踏みで、全身で土俵を感じながら、絶妙な硬さと弾力を見極めていく。川越の土と、呼出の職人技。この二つの手仕事が合わさって、初めて土俵になるんです。ただ、この話には、続きがあります。荒木田土は、将来的な枯渇が心配されているんです。もともと荒木田土の産地は、荒川の下流、東京の...
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  • 国会を支える漆の手仕事、ぬしさ産業と竹俣圭清さん(埼玉県吉川市)
    2026/07/13
    (文字起こし)「今日から話せる埼玉自慢」、永谷あきひさです。このチャンネルでは、「何もない県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダ埼玉」と言われたら、この話を言い返してください。今日のテーマは、国会中継でテレビに映るあの黒い「指名標」を作っている、吉川市の「ぬしさ産業」さんと、代表の竹俣圭清(たけまた けいせい)さんについてです。国会の本会議場、議員さんの席に立っている、名前が金色で書かれた黒い札。あれ、どこで作られていると思いますか?答えは、埼玉県吉川市です。しかも、あの札のベースになっているヒノキの木は、国会議事堂が完成した昭和11(1936)年頃から約90年間、一度も新調されずに同じものが使われ続けているんです。削って、漆を塗り直して、また名前を書く。テレビに毎日映っているあの札は、吉川市産なんです。この仕事を担っているのが、ぬしさ産業(ぬしさ製作所)です。もともとは東京・上野で江戸漆器を手がけていた老舗の工房。そば道具の製造や修理も手がけ、職人の手仕事を守り続けてきました。漆というのは、木の樹液から取れる自然の塗料です。高い耐久性と機能性: 気温と湿度だけで自然に固まり、一度固まると非常に頑丈になります。抗菌効果や防臭効果まであります。接着剤にもなる: 欠けた器を直して長く使えるため、「塗る」「守る」「治す」が全部できる、日本のものづくりの土台のような素材です。ぬしさ産業が国会の仕事を請け負い始めたのは、昭和22(1947)年、竹俣さんのおじいさんの代からです。以来、70年以上にわたり、衆議院・参議院の指名標と、記名投票に使う賛成・反対の「木札」の製作と書き換えを一貫して担い続けています。選挙で議員さんが変わるたびに、前の議員さんの名前を削り落として黒い漆を塗り直す。そこに書家さんたちが毛筆で新しい名前を書き込む。これを「筆耕(ひっこう)」と言います。1本仕上げるのに約30分。竹俣さんは、何度も削って塗り直してきた札だからこそ、「歴代の大物政治家の名前が書かれていたかもしれない」と、国会の歴史の重みを感じながら作業をしているそうです。ところが、この仕事はのんびりやっていられません。総選挙の投開票日の翌日から、特別国会の招集日まで、準備に使える時間はわずか5日ほどしかないんです。例えば2021年の衆議院選の後には、新人議員さん101名分の依頼が来ました。指名標や賛成・反対の木札を合わせて、延べ3,805回(枚)もの名前を書いたそうです。納期は招集日の前日まで。仕上がったものから順番に車に積み込み、国会へ向かう移動時間まで使って、車の中で乾かしながら運ぶ。国会が開くその裏側で、吉川の工房がフル回転している。ニュースには映らなくても、国会はこの手仕事なしには始まらないんです。そして令和の今、代表の竹又圭成さんはデザイナーであり、工芸家でもあります。自身のルーツである家具製作の経験も活かしながら、吉川市で新たな挑戦を始めています。「遠く離れてしまった漆と人との距離を近づけたい」その思いから、「NUSHISA」というブランドで新商品の開発やショップ展開を行い、さらに吉川市内で「ぬしさの台所」という食堂も経営しています。ここでは実際に、漆塗りのお椀や器で食事ができます。食洗機の普及で家に漆器がない世代でも、漆の口当たりの軽さを日常のご飯で体験できる場所なんです。竹俣さんが語る漆器の魅力は、大きく分けて次の3つです。1. 口当たりの良さ 木の器に口をつけたときの滑らかさ、ぬくもり、そして持ったときの軽さ。2. 直して長く使える 漆は接着剤でもあるため、欠けても割れても「金継ぎ」のように修繕して使い続けられる。3. 安全で高機能 自然の樹液だから安心。固まれば頑丈で、抗菌・防臭の効果もある。さらに、使い込むほどにツヤが増して透明感が深まり、年数を重ねるほど良くなる。老舗の家業と全く同じですよね。整理します。江戸漆器の伝統を受け継ぐ工房として始まり、昭和22年からは国会の指名標という「国の裏方」...
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  • 2026年FIFAワールドカップ日本代表のディフェンダー渡辺剛(わたなべ つよし)選手(埼玉県越谷市)
    2026/07/03
    【文字起こし】今日から話せる埼玉自慢、永谷あきひさです。このチャンネルでは、「何もない県」と言われてきた埼玉県の人たちに、埼玉県の自慢できることについて紹介していきたいと思います。もし「ダ埼玉」と言われたら、ぜひこの話を言い返してください!今日のテーマは、2026年FIFAワールドカップ日本代表、埼玉県越谷市出身のディフェンダー・渡辺剛(わたなべ つよし)選手についてです。今、オランダの強豪フェイエノールトで「鉄人」と呼ばれている渡辺剛選手ですが、中学3年生の時、彼の身長は160センチほどしかありませんでした。しかもその年、ユースへの昇格に失敗。屈辱的なことに、1年生の後輩たちの練習に混ざっていたのです。そこから世界の舞台に立つまで、今日はその「苦難の乗り越え方」に注目します。1. 中学時代の挫折:「そりゃそうだよね」と現実を受け止める力渡辺剛選手は越谷市出身。小学校3年生から4年生の時、「電車1本で通えるから」というご両親の判断で、FC東京のサッカースクールに通い始めました。埼玉の地元から、夢のエリート街道を歩み出したわけです。才能を認められ、ジュニアユースのU-15深川へ進み、一見すると順風満帆に見えました。ところが、中学3年生の時点で身長は160センチ程度と小柄なまま。ポジションもフォワードからボランチ、サイドバックへと下がり、試合にほとんど絡めなくなりました。周りの選手が体格やスピードでどんどん成長していく中、自分だけが取り残されるという恐怖を感じていたそうです。そして最大の屈辱が訪れます。ユース昇格を逃した中学3年生の自分が、1年生の練習に混じって活動することになったのです。エリート集団の中で「実力不足」という現実を正面から突きつけられました。ここで多くの人は腐ってしまうかもしれません。でも、渡辺選手は違いました。怒りや被害者意識ではなく、「そりゃそうだよね」と冷静に現実を受け止めたのです。「ユースだけがすべてじゃない。山梨学院という強豪校で活躍できれば、次にチャンスが来るはず」そう前向きに気持ちを切り替えて、一度もサッカーを辞めたいとは思うわなかったそうです。この「自分の状況を受け止めて次を見る」という思考が、後の成長の大きな土台になりました。2. 高校時代の転機:環境の変化を自信に変える力埼玉を離れ、山梨学院高校の寮へ。初めて親元を離れ、全国から集まる猛者たちと実力至上主義の環境に飛び込みました。朝練からハードなフィジカルメニューが続く、Jクラブのアカデミーとはまったく違うタフな毎日です。最初はきついと感じることもありましたが、仲間と助け合いながら「ワンチーム」の感覚を初めて味わったことが、大きな支えになったと言います。周囲の存在があったからこそ、どんなにきつくても辞めたいとは思わなかった。そして高校1年生の夏、大きな転機が訪れます。それまで160センチ台だった身長が一気に20センチ以上も伸び、180センチを超えたのです。これを受けて、監督からセンターバックへの転向を打診されます。最初は手探りでしたが、自主練習でヘディングを磨き、体格の変化を自分の自信へと変えていきました。3. 大学時代の気づき:先輩の言葉から得た「傾聴力」中央大学に進学すると、今度は大学レベルのパワーとスピードに圧倒され、ミスを重ねて試合に負ける日々が続きます。「このままではプロになれないかもしれない」と、自信を失いかけた時期もあったそうです。そんな時、選手寮で同部屋だった先輩が毎日励ましてくれました。「お前は絶対プロになれるから、自信を持ってやり続ければいい。その方が周りから見ていても気持ちがいいし、お前らしいよ」この言葉をきっかけに、渡辺選手は自分の言動を振り返り、他人の意見を素直に聞く「傾聴力」を身につけていきます。「個人プレーではなく、チームのためにみんなで強くなろう」という姿勢へ。居残り練習も「周りと差をつけるため」ではなく、「みんなと一緒に上手くなろう」という気持ちに変わっていきました。そして大学最後の年、チームの目標達成とともに、念願...
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