オープニング:今回は本編に入る前に、ちょっとした企画会議からスタート。 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を一話ずつ読みながら、作中に登場するガジェットや風俗、「今も残っているもの/消えたもの」を記録して、昭和後半から現在までをたどるデータベースを作れないか、という話になります。
『美味しんぼ』とは別の、小さなサブプロジェクトとして進める予定……なのですが、問題は企画を思いつく人と、それを最後まで管理する人が同じとは限らないこと。そんな編集者体質の話から、なぜかテトリス、データの欠損、探検家の資質へ。今回も本編前から脇道がよく育っています。
コーナー:美味しんぼ完全完走コーナー 今日の士郎「うどんの腰」 山岡たちが訪れたうどん屋「力屋」は、近所に暴力団の事務所ができたことで客足が激減。一方、柔道家、プロレスラー、力士という三人のアスリートも、それぞれ競技生活の終わりを迎えようとしていました。
そこで山岡がやったのは、新しい能力を与えることではありません。すでに持っている力を、別の場所へ移すことでした。
柔道家とプロレスラーは身体の「腰」を壊し、力士は周囲との比較や挫折によって、いわば心の「腰」を失っている。そんな三人を、店を守る力が必要だった力屋へ結びつける。ここから山岡を「マッチングアプリ」ならぬ「山岡再生工場」として考えていきます。
能力とは本人だけに備わった固定的なものなのか。それとも、置かれた場所や評価基準によって「長所」にも「短所」にもなるのか。アスリートとして行き詰まった力が、うどん屋では店と共同体を守る力へ変わる。その配置転換こそ、この回の面白さではないかと考えます。
さらに落語「文七元結」などの人情噺とも比較。困っている人が別の困っている人を助け、その関係が次の救いにつながっていく構造にも注目します。
ただし最後には、「そもそも三人は本当にうどん屋になりたかったのか?」という少々厄介な問題も。本人の希望より、山岡や先輩たちへの信頼、切羽詰まった状況、既存の人間関係が進路を決めているのではないか。人を救うマッチングと、人の人生を勝手に配置することの境界についても話します。
エンディング 終盤では、この回を連想させる別の落語・講談の力士出世譚へ。相撲取りのステレオタイプや昭和の力士像の話まで寄り道しつつ、改めて今回は「人情噺っぽくて好きな回」という結論に落ち着きます。
うどんの「腰」から、身体の腰、心の腰、そして人生の腰の据えどころまで。
能力そのものを変えるより、能力が生きる場所を変えた方がいいこともある。そんなことを考えながら、今回も最後は落語の小ネタとともに終了します。