『いのちの間|命の現場から考える時間』のカバーアート

いのちの間|命の現場から考える時間

いのちの間|命の現場から考える時間

著者: えんどう きょうこ
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10月19日まで。※適用条件あり
食べ物になる前の命の現場から、静かに考える時間。 「いのちの間」は、畜産農家であり獣医師でもある えんどう きょうこ が、牛とともに生きる日常の中で感じたことを語るポッドキャストです。 食べることは、命を引き受けることなのか。 生かせなかった命を、どう受け止めるのか。 「いただきます」という言葉は、何を意味しているのか。 命は、美しい物語としてだけ存在しているわけではありません。 経営、判断、責任、そして人間の都合。 そのすべての間(あいだ)に、私たちは生きています。 正解を伝える番組ではありません。 食卓の向こう側にある現実を、少しだけ立ち止まって考えるための場所です。 静かな時間の中で、あなた自身の問いが生まれますように。 —— 畜産、和牛、食育、動物と人の関係、食と命、いただきますの意味などに関心のある方へ。 農業・獣医療・食の現場から、静かに考えるPodcastです。 —— #いのちの間えんどう きょうこ 社会科学
エピソード
  • 活きるの間|人生81マス、埋めてみた。
    2026/10/04

    あなたは、

    「自分で選んで、今ここにいる」

    と言えますか。

    今回は、大谷翔平選手が高校時代に取り組んだことで知られる「81マスの目標達成シート」を、私も作ってみた話です。

    真ん中に、大きな目標を書く。

    そのために必要な8つの要素を考え、さらに「そのために何をする?」を8つずつ考えていく。

    じゃあ私も。

    ……と思ったのですが、

    真ん中に何を書く?

    で、いきなり止まりました。

    講演家になる?
    本を出す?
    TEDに出る?

    どれもやりたい。

    でも、どれも私の人生のゴールではない。

    考えた末、私が真ん中に書いたのは、目標ではなく、

    「この人生、どこまで使える?」

    という問いでした。

    そこから81マスを埋めていくと、

    家族とは何か。
    健康とは何か。
    お金は何のために欲しいのか。
    私は何に時間を使いたいのか。

    気づけば「目標達成シート」ではなく、

    私という人間の取扱説明書

    みたいなものが出来上がっていました。

    そして最後にたどり着いたのが、

    「自分の人生を、自分で選ぶ」

    ということ。

    人生には、家族、お金、仕事、年齢、環境……いろんな事情があります。

    それでも、

    「で、私はどうしたい?」

    を、自分からなくさない。

    しんどくても、その先に行きたいなら踏ん張る。

    でも、「しんどい」と「違う」は別物です。

    違ったら、選び直せばいい。

    正解は、あとからつくる。

    今回は、人生81マスを作ったら、目標ではなく**「自分はどう生きたいのか」**が見えてきた話です。

    あなたなら、81マスの真ん中に何を書きますか?

    そして今、

    あなたは、自分の時間を何に使いたいですか。

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    27 分
  • 活きるの間|高校生の時に見たかった。だから
    2026/09/20
    あなたは、「早く大人になりたい」と思ったことがありますか。私は、ありませんでした。これっぽっちも。高校生だった頃の私は、将来に大きな希望を持っていたわけでも、「大人って楽しそう」「早くそっち側に行きたい」と思っていたわけでもありません。むしろ、大人というものに、あまり魅力を感じていませんでした。そんな私が今度、高校3年生の前で講演をします。実はこれ、私にとって、ひとつの夢でした。高校3年生。もうすぐ「学校」という世界を出て、進学する人もいる。就職する人もいる。それぞれが、自分の人生を少しずつ自分で選び始める時期です。そんな彼らの前で、私は何を話したいんだろう。進路の話?仕事の話?夢を持て、という話?考えてみたけれど、どれもちょっと違いました。私が伝えたいのは、「大人って、案外おもしろいぞ」ということなのかもしれません。私は獣医師になりました。小動物臨床を辞めました。結婚して畜産の世界に入りました。牧場で獣医師としてキャリアを積むというよりは家に入ったという意味合いが強いです。家族から結構反対されました。周りからも。いま、牛を診て、牛を育て、牛を見送り、自分で育てた牛を食べています。狩猟にも行きました。絵本も書きました。学校で講演するようにもなりました。そして今は、50代でTEDに出たい、なんて言っています。高校生の私には、ひとつも想像できなかった人生です。だから私は、高校生に「夢を持ちなさい」と言いに行くつもりはありません。夢なんてない子もいる。やりたいことが分からない子もいる。18歳で、自分の人生の正解なんて分からなくてもいい。人生は、18歳で選んだ進路の答え合わせではないと思うからです。ただ、ガチャは引かなきゃ、何も出ない。やってみる。違った。失敗した。向いてなかった。それだって、自分を知るための大事な情報です。人を動かすものだって、キラキラした夢だけじゃありません。「あんな人になりたい」という憧れかもしれない。「負けたくない」という悔しさかもしれない。劣等感だって、人を前へ進ませる燃料になることがあります。立派な理由じゃなくてもいい。自分は何に心が動く人間なのか。まず、それを知ってほしい。ただし。ここで一つ、絶対に勘違いしてほしくないことがあります。私は今、人生は楽しいと思っています。でも、人生は楽しい。だからといって、人生はラクではありません。好きなことだけやって、嫌なことは全部やらなくていい。自分らしくさえいれば、人生は勝手に楽しくなる。私は、そんな話をするつもりはありません。人は一人で生きているわけではありません。協調性もいる。最低限の一般常識もいる。周りへの配慮や気配りもいる。やりたくないことをやらなければならない日もある。我慢することもある。ときには、自分の都合を引っ込めたり、誰かのために自分の時間や労力を差し出したりすることもある。勉強もする。自分を磨く。できなかったことを、できるようにする。何もしないまま、「人生楽しめまっせ切符」が配られるわけじゃない。私はむしろ、自由に生きたいなら、自由に生きられる自分をつくらなきゃいけないと思っています。ガチャを引く。外れる。考える。勉強する。人とちゃんと付き合う。我慢する。また引く。そうしているうちに、自分が引けるガチャそのものが増えていく。選べるものが増えていく。それもまた、自由なんじゃないかと思います。そして、高校生への講演を考えているうちに、もう一つ思いました。私たち大人は、子どもには簡単に言います。「夢を持ちなさい」「勉強しなさい」「将来のことをちゃんと考えなさい」じゃあ、大人に聞いたらどうでしょう。「あなたは、なんで働いているんですか?」「あなたの今の夢は何ですか?」私たちは、ちゃんと答えられるでしょうか。高校生だけが、これからの人生を考えなくちゃいけないわけじゃない。40歳でも、50歳でも、60歳でも、「これから、どう生きる?」と考えていい。だから私は、高校生に人生の正解を教えたいわけではありません。私の生き方を真似...
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    20 分
  • いのちの間|胎仔の首をはねる
    2026/09/06
    あなたは、「命を助けるためなら、どこまでやりますか。」今回は、死んだ胎仔の首をはねた話です。昨日の夕方、母牛につけていた分娩センサーが外れました。通知は来ていました。でも、破水もない。陣痛らしい行動もない。「外れただけだろう」そう判断しました。正直に言えば、疲れていました。センサーを入れ直しには行かず、夜中は2時間おきにアラームをかけ、カメラで牛の様子を確認しました。大丈夫そう。そう思って、また眠る。朝になり、センサーを入れ直そうと母牛の陰部に触れました。「まあ、ついでに中も触っておくか」そのくらいの気持ちで手を入れました。触れたのは、胎仔の背中でした。あ。これは、出られない。通常、子牛は前足と顔から産道へ入ってきます。背中の面から産道を通ることなんてできない。そして胎仔は、すでに死んでいました。昨日から産もうとしていたのかもしれない。私がカメラを見て「大丈夫」と判断していた、その間にも。でも、そのときは後悔している暇はありません。死んだ胎仔を出して、今度は母牛を助けなければならない。一人ではどうにもできず、私は士幌の診療課に電話をしました。自分も獣医師なのに、「難産です。診療をお願いします」と獣医師に助けを求めました。二人で格闘しても出ない。産道は狭く、胎仔の脚にすらまともに手が届かない。母牛を助けるためには、胎仔を物体として小さくするしかありませんでした。胎仔の首をはねることにしました。ワイヤーで膨れ上がった頭をねじり出す。カッターを入れる。メスを入れる。切ったそばから組織液が染み出してくる。そして、首が落ちました。頭が転がりました。口の片側から、舌をだらんと半分以上出したまま。気腫で膨れたそれは、普段私たちが「タン」と呼んで食べているものより、ずっと分厚くなっていました。数時間前まで、母牛のお腹の中にいた子の舌でした。それでも処置は終わりません。腐敗した胎仔の蹄は、触るとスリッパを脱ぐように、かぽっと角質が外れる。臭いは服にも、腕にも、身体にもまとわりつく。獣医師は三人になりました。最後は重機まで使って、ようやく胎仔を母牛の身体から出しました。その瞬間でした。疲労困憊で座り込んでいた母牛が、立ち上がりました。そして、子を探しました。首のない、もう死んでいる子を。母牛には、私たちが母体を助けるためにやった「治療」なんて分かりません。難産だったことも、胎仔が腐敗していたことも、首を切らなければ出せなかったことも知らない。ただ、産んだ。そして、子がいない。今、その母牛は立てません。産道には大きな裂創ができました。母牛まで助からないかもしれない。獣医師としての私は思います。出してやれてよかった。でも、生産者としての私は思います。何が残った?子は死んだ。治療費をかけた。三人の獣医師が動いた。時間を使った。体力を使った。そして、母牛まで失うかもしれない。結果だけを見れば、何もしなかった方が、経営上の痛手は小さかったのかもしれません。そんなことを言えば、「命を何だと思っているんだ」と言われるかもしれない。でも私は、命だけを扱っているわけではありません。牛を育て、牛を売り、そのお金で、また牛を育てています。いのちと金を、別々の世界の話にはできない。今回は、そんな答えの出ない「いのちの間」の話です。・夕方、分娩センサーが外れたのに入れ直さなかったこと・夜中2時間おきにカメラを確認して「大丈夫」と判断したこと・朝、何気なく内診して胎仔の背中に触れた瞬間・「昨日から産もうとしていたのかもしれない」という後悔・獣医師である自分が、別の獣医師に助けを求めたこと・母牛を助けるため、死んだ胎仔の首をはねたこと・腐敗した胎仔の臭い、蹄、転がった頭と舌・獣医師三人と重機で胎仔を取り出したこと・胎仔が抜けた瞬間、母牛が立ち上がって子を探したこと・母牛を助けるためにした治療と、母牛には関係のない「母」としての行動・獣医師としての「出してやれてよかった」・生産者としての「何が残った?」・命を扱うことと、...
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    22 分
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