『いのちの間|胎仔の首をはねる』のカバーアート

いのちの間|胎仔の首をはねる

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あなたは、「命を助けるためなら、どこまでやりますか。」今回は、死んだ胎仔の首をはねた話です。昨日の夕方、母牛につけていた分娩センサーが外れました。通知は来ていました。でも、破水もない。陣痛らしい行動もない。「外れただけだろう」そう判断しました。正直に言えば、疲れていました。センサーを入れ直しには行かず、夜中は2時間おきにアラームをかけ、カメラで牛の様子を確認しました。大丈夫そう。そう思って、また眠る。朝になり、センサーを入れ直そうと母牛の陰部に触れました。「まあ、ついでに中も触っておくか」そのくらいの気持ちで手を入れました。触れたのは、胎仔の背中でした。あ。これは、出られない。通常、子牛は前足と顔から産道へ入ってきます。背中の面から産道を通ることなんてできない。そして胎仔は、すでに死んでいました。昨日から産もうとしていたのかもしれない。私がカメラを見て「大丈夫」と判断していた、その間にも。でも、そのときは後悔している暇はありません。死んだ胎仔を出して、今度は母牛を助けなければならない。一人ではどうにもできず、私は士幌の診療課に電話をしました。自分も獣医師なのに、「難産です。診療をお願いします」と獣医師に助けを求めました。二人で格闘しても出ない。産道は狭く、胎仔の脚にすらまともに手が届かない。母牛を助けるためには、胎仔を物体として小さくするしかありませんでした。胎仔の首をはねることにしました。ワイヤーで膨れ上がった頭をねじり出す。カッターを入れる。メスを入れる。切ったそばから組織液が染み出してくる。そして、首が落ちました。頭が転がりました。口の片側から、舌をだらんと半分以上出したまま。気腫で膨れたそれは、普段私たちが「タン」と呼んで食べているものより、ずっと分厚くなっていました。数時間前まで、母牛のお腹の中にいた子の舌でした。それでも処置は終わりません。腐敗した胎仔の蹄は、触るとスリッパを脱ぐように、かぽっと角質が外れる。臭いは服にも、腕にも、身体にもまとわりつく。獣医師は三人になりました。最後は重機まで使って、ようやく胎仔を母牛の身体から出しました。その瞬間でした。疲労困憊で座り込んでいた母牛が、立ち上がりました。そして、子を探しました。首のない、もう死んでいる子を。母牛には、私たちが母体を助けるためにやった「治療」なんて分かりません。難産だったことも、胎仔が腐敗していたことも、首を切らなければ出せなかったことも知らない。ただ、産んだ。そして、子がいない。今、その母牛は立てません。産道には大きな裂創ができました。母牛まで助からないかもしれない。獣医師としての私は思います。出してやれてよかった。でも、生産者としての私は思います。何が残った?子は死んだ。治療費をかけた。三人の獣医師が動いた。時間を使った。体力を使った。そして、母牛まで失うかもしれない。結果だけを見れば、何もしなかった方が、経営上の痛手は小さかったのかもしれません。そんなことを言えば、「命を何だと思っているんだ」と言われるかもしれない。でも私は、命だけを扱っているわけではありません。牛を育て、牛を売り、そのお金で、また牛を育てています。いのちと金を、別々の世界の話にはできない。今回は、そんな答えの出ない「いのちの間」の話です。・夕方、分娩センサーが外れたのに入れ直さなかったこと・夜中2時間おきにカメラを確認して「大丈夫」と判断したこと・朝、何気なく内診して胎仔の背中に触れた瞬間・「昨日から産もうとしていたのかもしれない」という後悔・獣医師である自分が、別の獣医師に助けを求めたこと・母牛を助けるため、死んだ胎仔の首をはねたこと・腐敗した胎仔の臭い、蹄、転がった頭と舌・獣医師三人と重機で胎仔を取り出したこと・胎仔が抜けた瞬間、母牛が立ち上がって子を探したこと・母牛を助けるためにした治療と、母牛には関係のない「母」としての行動・獣医師としての「出してやれてよかった」・生産者としての「何が残った?」・命を扱うことと、...
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