• #32【大正時代の惨劇】三毛別羆事件 史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」380kgの巨大な人喰いヒグマは臨月の女性と子供ら7人を喰い●し、膝下の脚と頭髪をはがされた頭蓋の一部しか残されていない女性の無惨な遺体が発見された
    2025/11/18

    #32【大正時代の惨劇】三毛別羆事件 史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」380kgの巨大な人喰いヒグマは臨月の女性と子供ら7人を喰い●し、膝下の脚と頭髪をはがされた頭蓋の一部しか残されていない女性の無惨な遺体が発見された。◾️事件概要三毛別羆事件は、1915年(大正4年)12月9日から12月14日までにかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した熊害事件です。エゾヒグマが開拓民の集落を二度にわたって襲撃し、●者7人・負傷者3人を出した後、猟師の山本兵吉により射●されました。三毛別事件(さんけべつじけん)や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれ、日本史上最悪の熊害と評されることもあります。ーーーーーーーーーーーーーーー◆episode1事件概要◆episode2事件の経緯クマの出現

    ◆episode3事件発生第一の襲撃事件◆episode4第二の襲撃事件◆episode5駆除に至る経緯討伐隊の組織◆episode6事件終息◆episode7事件の記録◆episode8事件の分析原因◆episode9教訓

    火を恐れない◆episode10執着心が強い

    ◆episode11逃げるものを追う

    ◆episode12●んだふりは無意味◆episode13事件の記憶三毛別羆事件復元地


    ◆episode14

    苫前町立郷土資料館の内部


    ◆episode15

    2025年度の被害状況

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    25 分
  • #31【残虐事件】神戸高塚高校校門圧●事件 1990年(平成2年)7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の社会科教諭であった細井敏彦教諭(当時39歳)が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした石田僚子さん(当時15歳)が門扉に頭を挟まれて●亡した業務上過失致●事件です。
    2025/11/05

    【残虐事件】神戸高塚高校校門圧●事件は同校の教諭だった細井敏彦(当時39歳)が遅刻の取り締まりで校門閉鎖する際、門限間際に校門をくぐろうとした石田僚子さん(当時15歳)が門扉に頭を挟まれて●亡した事件


    ◾️事件概要

    神戸高塚高校校門圧●事件は、1990年(平成2年)7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の社会科教諭であった細井敏彦教諭(当時39歳)が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした石田僚子さん(当時15歳)が門扉に頭を挟まれて●亡した業務上過失致●事件です。

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    ◆episode1

    事件当日


    ◆episode2

    学校側の隠蔽体質と責任転嫁


    ◆episode3

    全体保護者会


    ◆episode4

    赴任前の細井敏彦


    ◆episode5

    細井への刑事処分


    ◆episode6

    細井敏彦の自己弁護する著書


    ◆episode7

    細井敏彦の人物像


    ◆episode8

    門扉の撤去


    ◆episode9

    細井敏彦の現在

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    27 分
  • #30【閲覧注意】猟奇●人『江東マンション神隠し●人事件』マンションで女性が忽然と消え「現代の神隠し」と呼ばれ、後に四肢切断(アポテムノフィリア)に異常執着した男が性奴隷に失敗しバラバラみじん切りにした事件
    2025/10/04

    #30【閲覧注意】猟奇●人『江東マンション神隠し●人事件』マンションで女性が忽然と消え「現代の神隠し」と呼ばれ、後に四肢切断(アポテムノフィリア)に異常執着した男が性奴隷に失敗しバラバラみじん切りにした事件。


    ◾️事件概要2008年(平成20年)4月18日夜、会社員の東城瑠理香さん(23歳)が東京都江東区潮見二丁目の自宅マンションから忽然と消え、姉から捜索願いが出されました。

    最上階の自室の玄関に少量の血痕が残った状態であったことに加え、マンションに設置された監視カメラの記録に、瑠理香さんがマンション建物から外出した形跡がないことから、「神隠し事件」として、マスメディア各社がトップニュースで報じました。

    また、同マンションは当時3分の1近くが空室であり、瑠理香さん宅の両隣りは空室でした。警視庁は、マンション住民全員から事情聴取、任意での指紋採取、家宅捜索を行いました。

    事件発生から約1か月後の同年5月25日、瑠理香さん宅の二部屋隣に住む派遣社員の星島貴徳を住居侵入容疑で逮捕しました。

    逮捕後、星島からの供述により事件の全貌が明らかとなります。


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    ◆episode1

    事件全貌

    事件前日までの動き


    ◆episode2

    帰宅メール


    ◆episode3

    拉致・●害


    ◆episode4

    マンション捜索


    ◆episode5

    解体・隠蔽


    ◆episode6

    指紋照合


    ◆episode7

    DNAの一致


    ◆episode8

    性奴隷


    ◆episode9

    星島の性癖


    ◆episode10

    星島貴徳のプロフィール


    ◆episode11

    マスコミのインタビューに応える


    ◆episode12

    刑事裁判第一審


    ◆episode13

    控訴審

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    34 分
  • #29【昭和の猟奇●人】少年誘拐ホルマリン漬け事件 理想の少年を見つけた犯人は少年をバラバラにしてホルマリン漬けにし「ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。」と言っていた。
    2025/09/21

    #29【昭和の猟奇●人】少年誘拐ホルマリン漬け事件 理想の少年を見つけた犯人は少年をバラバラにしてホルマリン漬けにし「ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。」と言っていた。



    ◾️事件概要この事件の被害者は、元大相撲力士でプロレスラーだった清美川梅之の長男、巣山和利君(12歳)です。清美川梅之は1946年11月場所を最後に廃業し、1953年にプロレスの世界に入りました。

    力道山による日本プロレスの1954年2月の旗揚げシリーズに参加し1955年からは木村政彦の国際プロレス団に移籍しました。

    翌1956年5月15日には、木村とのコンビでラウル・ロメロ&ヤキ・ローチャを破り、中南米タッグ王座を獲得しています。

    団体消滅後は世界各地を転戦していましたが、その最中に事件が起きました。少年愛者による異常バラバラ●人事件です。被害者12歳、加害者26歳。

    理想の少年を見つけた加害者は少年をバラバラにして4つの水槽にホルマリン漬けにし、「ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。」とまで言っていました。

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    ◆episode1

    事件の概要


    ◆episode2

    林邦太郎の異常性


    ◆episode3

    溺愛の猫たち


    ◆episode4

    理想の少年


    ◆episode5

    犯人の日記


    ◆episode6

    カニバリズム


    ◆episode7

    事件後

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    16 分
  • #28【昭和の未解決事件】グリコ・森永事件「知能犯罪」「劇場型犯罪」日本犯罪史上最悪の脅迫事件。犯人は6人グループの親族か?4人目の子供の未公開テープとは?京都の少女とは?罪の声の子供たちは今どこに…
    2025/09/21

    #28【昭和の未解決事件】グリコ・森永事件「知能犯罪」「劇場型犯罪」日本犯罪史上最悪の脅迫事件。犯人は6人グループの親族か?4人目の子供の未公開テープとは?京都の少女とは?罪の声の子供たちは今どこに…

    ◾️グリコ・森永事件グリコ・森永事件とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、大阪府や兵庫県を舞台に食品会社を標的とした前代未聞の企業脅迫事件です。略して「グリ森事件」とも呼ばれ、犯人が「かい人21面相」を名乗ったことから「かい人21面相事件」とも言われます。2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の●人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立してこの事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となりました。◾️事件概要1984年3月、江崎グリコ社長の誘拐を皮切りに、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋などが次々と脅迫されました。さらに青酸入り菓子がばらまかれ、日本全国に恐怖と混乱が広がりました。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えましたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかったのです。2000年2月13日、最後の公訴時効が成立し、事件は完全犯罪として幕を閉じました。警察庁の広域重要指定事件では初めて未解決のまま終わった事案です。ーーーーーーーーーーーーーーー◆episode1事件概要◆episode2江崎グリコ社長誘拐事件◆episode3犯行手口の進化◆episode4江崎グリコ脅迫事件◆episode5江崎グリコ本社放火事件◆episode6兵庫青酸菓子ばら撒き事件◆episode7寝屋川アベック襲撃事件◆episode8丸大食品脅迫事件◆episode9森永製菓脅迫事件◆episode10青酸入り菓子ばら撒き事件◆episode11ハウス食品脅迫事件◆episode12不二家脅迫事件◆episode13東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件◆episode14駿河屋脅迫事件◆episode15大阪府警察が公開した犯人の声◆episode16事件の終息◆episode17事件の特徴◆episode18劇場型犯罪と犯人像江崎社長の監禁と心理操作◆episode19犯人像の推測◆episode20元グリコ関係者説◆episode2153年テープ◆episode22株価操作説◆episode23被差別部落説◆episode24宮崎学説◆episode25北朝鮮工作員グループ説◆episode26元暴力団組長グループ説◆episode275億円強奪事件犯説◆episode28警察の見立て◆episode29岩瀬達哉氏の見立て◆episode30京都の少女◆episode31迷宮入りの要因◆episode32まとめーーーーーーーーーーーーーーー


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    38 分
  • #27【残虐事件】兄弟福祉院事件♦︎青いジャージを着せられ人間扱いしない。まるで〝イカゲーム〟の世界。「韓国版アウシュビッツ」とも呼ばれ、約3万8000人を強制収容。強制労働・暴行により657人もの●亡者。
    2025/09/21

    #27【残虐事件】兄弟福祉院事件♦︎青いジャージを着せられ人間扱いしない。まるで〝イカゲーム〟の世界。「韓国版アウシュビッツ」とも呼ばれ、約3万8000人を強制収容。強制労働・暴行により657人もの●亡者。


    【残虐事件】兄弟福祉院事件兄弟福祉院事件は、大韓民国釜山直轄市にあった兄弟福祉院が、釜山市と「浮浪人収容保護委託契約」を締結した1975年から1987年にかけて浮浪者、障害者、孤児ら約3万8000人を強制収容し、強制労働や暴行により657人もの大量の●亡者を出した事件です。「韓国版アウシュビッツ」とも呼ばれました 。◾️事件概要この強制収容は、1975年12月に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領のもとで制定された内務部(現在の安全行政部)訓令410号を根拠として行われたものでした。「訓令410号」とは「路上生活者の申告、取り締まり、収容、保護と帰郷および事後管理に関する事務処理指針」これが規定され、同施設への強制収容が可能となったということでした。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下では1986年の第10回アジア競技大会や1988年のソウルオリンピックの成功的開催を名分に浮浪者・障害者・孤児などを闇雲に収容施設に送りました。外国人の目から路上生活者やスラム街を隠蔽するための「浄化作戦」の一環として実施されたのです。特に兄弟福祉院では1975~87年に約3万8000人を監禁・暴行したり強制労働に動員して、施設自身の集計によれば●亡者は513人でしたが、新たに確認した統計などに基づき、兄弟福祉院で●亡した人は657人だったとしたました。これまで判明していた552人よりもさらに105人も増えているのです。一部の●者について、殴打などによる●亡が「病●」と虚偽記載された可能性が高いと指摘されています。ーーーーーーーーーーーーーーー◆episode1事件概要◆episode2国家が産んだ〝生き地獄〟◆episode3養子縁組と人身売買◆episode4獣のような暮らし被害者 A氏(当時14歳)◆episode5警察官にペ●スを燃やされる被害者 チェ・スンウ(当時14歳)◆episode6性的虐待◆episode7自分の手で●す◆episode8男児も女児もレ●プ◆episode9障害の子供をコンクリートの床に投げつける被害者 ホ・ジョンオ(当時6歳)◆episode10金属バットで撲●被害者 イ・ヘユル◆episode11前歯を全部折られる被害者 キム・ギョンウ◆episode12女子でも丸刈り、青いジャージ被害者 ヤン・ヒョンソン◆episode13セッ●スの報酬被害者 パク・スニ(当時16歳)◆episode14なぜ兄は兄弟福祉院に被害者の家族 オム・ナミョン◆episode15警察の評点と賄賂◆episode161987年2月3日東亜日報の報道◆episode17刑務所より強い規律◆episode18毎日の暴行被害者 イ・ヒャンジク(当時13歳)◆episode19妙な遺体◆episode20妙な光景◆episode21足首に緊縛◆episode22捜査◆episode23パク・イングン院長逮捕◆episode24兄弟福祉院閉鎖◆episode25パク・イングン刑期後、オーストラリア移住◆episode26パク・イングン介護施設で●亡◆episode27兄弟福祉院から生き残った子供◆episode28真相究明のための特別法など必要◆episode29被害者救済を目的とする特別法案◆episode30調査結果◆episode31真実を話すーーーーーーーーーーーーーーー

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    30 分
  • #26【残虐事件】栃木リンチ●人事件 後編 1999年12月4日に栃木県で発覚した少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件。被害者は19歳。2ヶ月半の恐怖支配、恐喝、身体的虐待、心理的拷問…。
    2025/09/21

    #26【残虐事件】栃木リンチ●人事件 後編 1999年12月4日に栃木県で発覚した少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件。被害者は19歳。2ヶ月半の恐怖支配、恐喝、身体的虐待、心理的拷問…。


    【栃木リンチ●人事件 後編】栃木リンチ●人事件とは、1999年12月4日に栃木県で発覚した複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件です。無抵抗な被害者を加害者少年らが連れまわして暴行を加え多額の金銭を奪い、被害者家族が警察に相談していることを知ると被害者を●害に及んだという凶悪・凄惨な少年犯罪です。また被害者の両親から9回もの捜査依頼を受けながらそれを拒絶し続けた栃木県警察の不手際も世論に衝撃を与え、桶川ストーカー●人事件とともに一部国民の警察不信の一因となった事件です。事件発覚後、栃木県警は世論および裁判所から厳しく批判されました。◾️事件の概要栃木県芳賀郡市貝町にある山林で1999年12月5日、男性の惨●●体が発見されました。●体は栃木県黒羽町で理髪店を営む須藤光男さんと洋子さんの長男で、日産自動車栃木工場に勤める正和さんでした。正和さんは当時19歳。●害の容疑者として逮捕されたのは4人の少年でした。うち3人は、いずれも被害者と同じ19歳の少年で、一人は16歳の高校生でした。正和さんは、●害されるまでの約2ヶ月間、犯人たちに監禁され、金を脅し取られ続けました。手口は、正和さんにサラ金や友人に金を借りさせるという卑劣なものでした。金額は728万3000円。すべては犯人グループの「飲み食いと遊ぶ金」に消えました。監禁生活は筆舌にしがたい、凄惨なリンチの連続でした。少年らは、●害した正和さんを山林に埋め、さまざまな証拠隠滅をしたあげく、「15年逃げきれば時効になる」とビールで乾杯までしています。 しかし、最後にグループに加わった16歳の少年が警視庁に自首したため「15年逃げきる」という彼らの思惑は打ち砕かれ、遺体発見の日に犯人グループ全員が逮捕されました。自首した高校生は少年院送致の保護処分となりましたが、残りの3人は刑事処分となりました。2000年3月14日に宇都宮地方裁判所で、●人・●体遺棄事件として公判が始まり、6月1日には主犯格には無期懲役、7月18日には残りの2人にそれぞれ無期懲役、5年から10年の不定期刑が、いずれも求刑どおりに言い渡されました。ーーーーーーーーーーーーーーー◆episode1事件発覚後◆episode2県警が謝罪訪問◆episode3県警幹部再訪◆episode4栃木県警の処分◆episode5被告少年、犯行の2週間前に「出頭」◆episode6「犯罪者と してでも捜して」親の願い不受理◆episode7被告は声色使い被害者の生存を偽装◆episode8主犯格除く2被告◆episode9主犯格 萩原克彦の父、県警辞職◆episode10裁判の過程と結末刑事裁判◆episode11民事裁判◆episode12日産自動車への批判◆episode13事件のその後訴訟中、須藤さんの母親が急●◆episode14梅沢昭博のその後◆episode15下野新聞ーーーーーーーーーーーーーーー

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    27 分
  • #25【残虐事件】栃木リンチ●人事件 中編 1999年12月4日に栃木県で発覚した少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件。被害者は19歳。2ヶ月半の恐怖支配、恐喝、身体的虐待、心理的拷問…。
    2025/09/21

    #25【残虐事件】栃木リンチ●人事件 中編 1999年12月4日に栃木県で発覚した少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件。被害者は19歳。2ヶ月半の恐怖支配、恐喝、身体的虐待、心理的拷問…。


    栃木リンチ●人事件とは、1999年12月4日に栃木県で発覚した複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・●人・●体遺棄事件です。無抵抗な被害者を加害者少年らが連れまわして暴行を加え多額の金銭を奪い、被害者家族が警察に相談していることを知ると被害者を●害に及んだという凶悪・凄惨な少年犯罪です。また被害者の両親から9回もの捜査依頼を受けながらそれを拒絶し続けた栃木県警察の不手際も世論に衝撃を与え、桶川ストーカー●人事件とともに一部国民の警察不信の一因となった事件です。事件発覚後、栃木県警は世論および裁判所から厳しく批判されました。◾️事件の概要栃木県芳賀郡市貝町にある山林で1999年12月5日、男性の惨●●体が発見されました。●体は栃木県黒羽町で理髪店を営む須藤光男さんと洋子さんの長男で、日産自動車栃木工場に勤める正和さんでした。正和さんは当時19歳。●害の容疑者として逮捕されたのは4人の少年でした。うち3人は、いずれも被害者と同じ19歳の少年で、一人は16歳の高校生でした。正和さんは、●害されるまでの約2ヶ月間、犯人たちに監禁され、金を脅し取られ続けました。手口は、正和さんにサラ金や友人に金を借りさせるという卑劣なものでした。金額は728万3000円。すべては犯人グループの「飲み食いと遊ぶ金」に消えました。監禁生活は筆舌にしがたい、凄惨なリンチの連続でした。少年らは、●害した正和さんを山林に埋め、さまざまな証拠隠滅をしたあげく、「15年逃げきれば時効になる」とビールで乾杯までしています。 しかし、最後にグループに加わった16歳の少年が警視庁に自首したため「15年逃げきる」という彼らの思惑は打ち砕かれ、遺体発見の日に犯人グループ全員が逮捕されました。自首した高校生は少年院送致の保護処分となりましたが、残りの3人は刑事処分となりました。2000年3月14日に宇都宮地方裁判所で、●人・●体遺棄事件として公判が始まり、6月1日には主犯格には無期懲役、7月18日には残りの2人にそれぞれ無期懲役、5年から10年の不定期刑が、いずれも求刑どおりに言い渡されました。ーーーーーーーーーーーーーーー◆episode11999年12月3日●害当日の詳細◆episode2最後の給料までも◆episode31999年12月3日偽装工作◆episode41999年12月4日自首◆episode51999年12月5日逮捕◆episode61999年12月5日警視庁三田警察署にて◆episode71999年12月7日桐ヶ谷斎場◆episode82000年3月14日初公判◆episode9検察官と梅沢昭博のやりとり◆episode10萩原の『チャッチャとやってこい』発言◆episode11動かない警察と日産自動車◆episode12虐●された被害者とその遺族◆episode13事件後の新聞報道◆episode14家族を守るためーーーーーーーーーーーーーーー

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    22 分