『人智学エソテリックチャンネル Mystic Labo』のカバーアート

人智学エソテリックチャンネル Mystic Labo

人智学エソテリックチャンネル Mystic Labo

著者: ammon
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このコンテンツについて

ルドルフ・シュタイナーの秘儀的講義内容を以下の目的でリメイクし発信しています。 ・人々の真理の基盤と霊的知識を強化するため。 ・古い霊視能力から脱却するため。 ・人間の霊性の進化のための正しい選択を可能にするため。ammon スピリチュアリティ
エピソード
  • 主の祈り・人間の魂が最高度に成長しうる道
    2024/07/30

    東洋の宗教では瞑想が好まれています。瞑想とは、霊的な内容に没頭することであり、瞑想者が没頭するその霊的な内容を通して、その中で世界の霊的で神聖な源との合一を見出すことです。 したがって、このことを正しく理解して頂きたいのです。 瞑想の公式、たとえばある祈りのような公式をその弟子に与える宗教があります。それは、そのような公式の中に身を浸し、その中に没入すことで、神聖な霊的生命の流れがどのように魂を通過し、それが通過する瞬間に、どのように人間がそれを感じるのかを導く特定の祈りのような公式です。そのような瞑想の瞬間は、霊的で神聖な基盤であるものと融合するのです。 しかし、これらの公式はより思考的な内容なのです。キリスト教の祈りも、基本的にはそれ以外のものではありません。ただキリスト教の祈りはその内容がより繊細で感情的なものであるというだけのことなのです。 キリスト教者は世界を流れる神聖な存在に対して、感情や感覚を通してより深く自分自身をその神聖な存在へと浸透させていくのです。 しかし、キリスト教の祈りが常にそのような意味で理解されてきた、あるいはその祈りが、今日一般的に理解されているような形で理解し切れるものであると信じてはいけないのです。 キリスト教の祈りには、キリスト・イエスご自身が、祈りにおいて、どのような気分が必要であるのかを可能な限り明確に指摘された原初の祈りがあります。この第一の祈りは、次のような短いものです。 「父よ、できることであれば、この杯を私から取り去ってください」 「しかし、私の意志ではなく、あなたの意志が行われますように」 この最後の言葉を考えてみましょう。まず第一に、私たちは、「苦しみの杯を取り去ってほしい」という現実的な要求に直面します。しかし同時に、「私の意志ではなく、あなたの意志が行われますように」という、神の 神聖な意志に完全に吸収されることに向かい合うのです。 祈りの間、神の霊的な意志が私たちを通して働くことを許し、その意志に没頭し、自分のために何かを望むのではなく、神聖が私たちの内に望むことを許す、というこの気分は、この時のキリストの教えであるものと重なるために、私たちの祈りの底流として、その基調として、私たちの祈りに浸透していかなければならないものなのです。

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    1 時間 54 分
  • 人間の魂が最高度に成長しうる道としての主の祈り【主の祈り4】
    2024/07/26

    キリスト教的な意味での祈りについて語るとき、まず第一に、祈りの形は、神に対する黙想、献身、つまり委ねること以外の何ものでもないことに気づかなければならないのです。 精神的な観想によってこの献身を達成しようとする偉大な宗教では、それは瞑想と呼ばれ、そしてこの献身が頭よりも心から、つまり、より人格的な部分から発せられる宗教では、この献身は祈りと呼ばれています。 キリスト教では、この献身は個人的な性格を帯びています。そして古い宗教では、それはもっと無意識的で非個人的なものであったのです。あらゆる宗教やあらゆるところに、瞑想の公式、魔術の公式があります。そしてこれらの魔術の公式は、瞑想と同じように、あるいは瞑想的な意味さえ持っているのです。 つまり私たち人間は、瞑想的に神に身を捧げようとし、また魔術を実践することによっても神に身を捧げようとしてきたのです。しかし、キリスト・イエスはこう戒めています。「世間で起こっていることについて祈るのではなく、祈るときは自分の内側の深くに、その奥深くに入りなさい」 神の本質の何かが人間の中に生きていて、神の本質の一滴が人間の中に生きています。人間は神と同じ素材でできています。海の全体と、その雫である一滴が同じ物質であることにおいて、そうなのです。そしていま、私たちは、最初の秘教学派の慣習に従って、宇宙と人間を見いきたいと思います。

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    35 分
  • 魔法の力としての主の祈りの構造【主の祈り3】
    2024/07/19

    私たち人間の肉体は、外部にある物質と同じ、物理的性質とその力を持つものであり、そしてその同じ物質と力を継続的に変換させるものでもあるのです。これらの物質と力は人間の肉体を出入りし、そしてこれらが継続的に出入りするからこそ、肉体はその存続が可能になっているのです。つまり肉体は、外側の物理的な物質を通して絶えず自分自身を更新し、変化させることによってのみ存在することができるのです。 つまり私たち人間の肉体を、そのままの形で地球から切り離すという、その物理的な断絶は不可能なことなのです。私た人間の肉体は地球の要素との関係においてのみ存在することができるのです。物理的な物質やその力は、人間の肉体の内側と外側を出入りし、それによってのみ人間は自らの本質を保つことができるのです。これが人間の低次の部分の第一の構成要素である肉体の特徴なのです。 生命への力である、このエーテル体は、成長と生殖、生命現象全般の担い手であると同時に、それとはまったく異なるもの、すなわち、一過性の本能や欲望や情熱よりも永続的な性質を持つ、人間のあらゆる資質の担い手でもあるのです。高次の意味での正しい霊学の研究者になる人にとって、そこで行われる訓練は外的な学びに基づくものではなく、すべての霊学的訓練はエーテル体で行われるのです。 したがって、外的な知識をたくさん身につけるよりも、既に染み付いた性格的特徴を、たとえ一つだけでも変えることに成功するほうが、実際の霊的訓練においては、より多くのことを成し遂げたことになるのです。つまり、エーテル体がどのように経験を蓄積していくのかは外的特性として区別されるものであり、そしてエーテル体が何を必要としているのかは霊的に区別されるのです。 また、エーテル体は記憶そのものではなく、性質としての記憶の担い手でもあるのです。例えば、記憶する力がより鋭くなるとしたら、それはエーテル体の変化を意味するのです。・・・

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    29 分
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