
人間の魂が最高度に成長しうる道としての主の祈り【主の祈り4】
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このコンテンツについて
キリスト教的な意味での祈りについて語るとき、まず第一に、祈りの形は、神に対する黙想、献身、つまり委ねること以外の何ものでもないことに気づかなければならないのです。 精神的な観想によってこの献身を達成しようとする偉大な宗教では、それは瞑想と呼ばれ、そしてこの献身が頭よりも心から、つまり、より人格的な部分から発せられる宗教では、この献身は祈りと呼ばれています。 キリスト教では、この献身は個人的な性格を帯びています。そして古い宗教では、それはもっと無意識的で非個人的なものであったのです。あらゆる宗教やあらゆるところに、瞑想の公式、魔術の公式があります。そしてこれらの魔術の公式は、瞑想と同じように、あるいは瞑想的な意味さえ持っているのです。 つまり私たち人間は、瞑想的に神に身を捧げようとし、また魔術を実践することによっても神に身を捧げようとしてきたのです。しかし、キリスト・イエスはこう戒めています。「世間で起こっていることについて祈るのではなく、祈るときは自分の内側の深くに、その奥深くに入りなさい」 神の本質の何かが人間の中に生きていて、神の本質の一滴が人間の中に生きています。人間は神と同じ素材でできています。海の全体と、その雫である一滴が同じ物質であることにおいて、そうなのです。そしていま、私たちは、最初の秘教学派の慣習に従って、宇宙と人間を見いきたいと思います。