• 「いつか落ち着いたら」の前に。今を生きるということ|諸行無常と曇鸞大師
    2026/10/21

    「仕事が落ち着いたら」
    「もう少し余裕ができたら」
    「いつか時間ができたら」

    私たちは、大切なことを未来へ先送りにしてしまうことがあります。

    けれど、その「いつか」を待っている今日も、かけがえのない私の人生です。

    仏教が説く「諸行無常」とは、すべてのものが移り変わり、同じままではいられないということ。

    今回は、浄土真宗の七高僧のお一人、曇鸞大師が長生の教えを求め、やがて阿弥陀さまの浄土の教えに出遇われたエピソードをご紹介します。

    健康になってからでなければ、大切なことに向き合えないのでしょうか。
    十分な時間や余裕がなければ、人生を大切に生きられないのでしょうか。

    病気のある今日も、思うようにいかない今日も、私のいのち。

    未来への準備をしている時間も、すでに私たちの人生の一部です。

    今の自分を置き去りにせず、限りあるいのちを生きるということ。

    そんなことを、仏教の教えとともに考えてみたいと思います。

    どうぞ、ひとときお付き合いください。

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  • 森の中で、ただ生きている 〜森林浴が教えてくれる心の休め方〜
    2026/10/28

    さんは、最近、自然の中でゆっくり過ごしたことがありますか?

    私が暮らす広島市の「後山」は、その名の通り、山に囲まれた自然豊かな場所です。秋になると木々が色づき、季節の移ろいを感じることができます。

    近年、森林浴にはストレスを和らげ、心身の健康を支えるさまざまな効果があることが研究されています。

    けれども、森の中で過ごす時間には、健康への効果だけではない、大切なものがあるように思います。

    私たちは普段、何かを成し遂げることや、役に立つことを求めながら生きています。

    でも、木々は何も求めず、ただそこに立っています。

    何かをしなければならない時間から、ただ生きていることを味わう時間へ。

    今回は、森林浴の科学的な効果をご紹介しながら、仏教の「縁起」や「諸行無常」の教えを通して、自然の中で気づかされるいのちの豊かさについてお話しします。

    どうぞ、ほっとひと息つきながらお聴きください。

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  • 仏教の話が自分の話になる時
    2026/10/14
    こんにちは。「ほっとする仏教のおはなし、法話の樹」です。仏教の話を聞いていて、「なるほど、いい話だな」と思うことがあります。けれど、話が終わったら、それまでどおりの生活に戻る。今日の自分とどうつながるのかは、よく分からない。そんなことはありませんか。遠い昔に生きていた人の話。お寺の中だけの話。何かを深く信じている人たちの話。仏教を、そんなふうに少し離れたところへ置いて聞くこともあると思います。今日は、仏教の話を「今ここにいる私の話」として聞く、ということを考えてみます。そのきっかけになったのは、イスラム教徒の方々との出会いでした。私は、営業の仕事を辞め、僧侶として仏教の勉強を始めた頃、ある言葉に心を引かれました。「いま、ここ、わたし」。短い言葉ですが、私には、とても大事な言葉に思えました。どこかの誰かのことを説明しているだけではなく、今ここにいる、この私に関わる教えなのだ。それが仏教なのだ、と受け取ったのです。ところが、勉強をしていると、また分かったつもりになることがあります。言葉の意味を覚えたり、本の説明を読んだりすると、少し安心するんですね。でも、その言葉を口にできることと、自分の暮らしの中で聞くことは、同じではないのだと思います。そんな私が、改めて考えさせられた出会いがありました。二〇一八年の七月です。広島では豪雨があり、その後、猛暑が続いた夏でした。その頃、タイから来られた三人と、東京にお住まいのバングラデシュの方二人を、ボランティアにお連れしたり、平和公園をご一緒したり、空港までお送りしたりする機会がありました。ご一緒する中で、私は、皆さんのお祈りの時間に接しました。あるとき、広島市内にある、マンションの一室のお祈りの場所へ伺いました。そこには、人が次々に集まってきます。一人ずつ、水で足や手首、顔を洗い、口をすすぐ。それまで着ていた、汗でぬれたTシャツから、きれいなシャツへ着替えて、お祈りをされました。私に印象的だったのは、その時間を、皆さんが楽しみにしているように見えたことです。決まりだから、仕方なくやっている。そんなふうには、私には見えませんでした。神さまに会える、神さまと通じ合える。その時間を喜んでおられるように感じたのです。その中で、こんな言葉を聞かせてもらいました。「神さまと私は、一対一です。直接通じています」。ワン・オン・ワン、という言葉で話してくださいました。一人と一人で、向き合うということですね。[少し間を置く]私は、はっとしました。皆さんにとって、そのお祈りは、宗教について何かを知る時間である前に、自分が神さまと向き合う時間なのだ。この方々の喜びは、そこにあるのかもしれない。私は、そのように感じました。これは、イスラム教全体を説明するお話ではありません。私が出会った方々の言葉と姿から、私自身が教えられたことです。そして私は、自分の方へ問いを戻してみました。私は、お念仏を申すとき、どんなふうに向き合っているだろう。お経を読むとき、何をしているつもりだろう。言葉を間違えずに読めるか、うまく声が出るか。そちらばかり気にしていることもあります。もちろん、丁寧に読むことは大切です。でも、読めた、読めなかったということだけで、お勤めの時間が終わってしまうのは、もったいないのかもしれません。阿弥陀さまの願いは、今ここにいる私に届いている。そのことを聞く時間でもあるのですね。私は、「お真向きさま」という言葉を教えていただいたことがあります。如来さまが、この私に真向かいにいてくださる、という味わいの言葉です。遠くから、まとめて人間を眺めているのではなく、この私を目当てとしていてくださる。「すべての人を救う」という大きな願いの中に、この私も含まれている。私は、そう聞かせていただきます。ここでいう一対一は、私だけを特別扱いしてもらうという意味ではありません。私にも、隣にいる人にも、それぞれの人に、願いが向けられているということです。大勢でお経を読むこともあれば、...
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  • 父と子、9年ぶりの再会―お釈迦様の息子ラーフラ
    2026/10/07

    お釈迦様には、ラーフラという一人息子がいました。

    ラーフラが生まれて間もなく、悟りを求めて故郷を離れたシッダールタ太子。そして長い年月を経て、仏となった父と、その息子が再会します。

    母ヤショーダラーに「父から財産を譲ってもらいなさい」と言われたラーフラ。しかし、お釈迦様が息子に譲ろうとしたのは、金銀財宝ではありませんでした。

    ラーフラの出家、そしてそのことを知った祖父シュッドーダナ王の悲しみから生まれた、教団の一つの決まり。

    今回は、お釈迦様とその家族をめぐる物語をご紹介します。

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  • 妻とともに出家した仏弟子 -摩訶迦葉尊者-
    2026/09/30

    裕福な家に生まれながら、欲望に満ちた生活を離れたいと願った青年ピッパリは、同じ思いを持つ女性バッダーと結婚します。しかし二人は夫婦となってからも清らかな生活を守り続け、やがてともに家を捨て、出家の道を歩み始めました。

    お釈迦さまと出遇った摩訶迦葉尊者は、ぼろきれを衣として身にまとい、衣食住への執着を離れる「頭陀行」を生涯貫いたことから、「頭陀第一」と称えられます。

    なぜ彼は、そこまで厳しい生き方を選んだのでしょうか。

    妻バッダーとの物語、そしてお釈迦さまとの深い信頼関係を通して、摩訶迦葉尊者の生涯をたどります。

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  • お釈迦さまを認めることができなかった男 -人と比べる心-
    2026/09/23

    お釈迦さまに匹敵するほどの才能を持っていたともいわれる、提婆達多。

    しかし彼は、やがてお釈迦さまに代わって自分が教団を率いようとし、それを拒まれたことから、反逆の道へと進んでいきます。

    なぜ、優れた力を持つ人が、これほどまでにお釈迦さまを憎むようになったのでしょうか。

    「認められたい」「自分のほうが優れている」「あの人さえいなければ」

    提婆達多の物語を通して、誰の心にも潜んでいる「比べる心」について考えます。

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