• #9 「麗しや、ネギ」 山本一力

  • 2023/03/27
  • 再生時間: 7 分
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『#9 「麗しや、ネギ」 山本一力』のカバーアート

#9 「麗しや、ネギ」 山本一力

  • サマリー

  • キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第9回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「麗しや、ネギ」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「麗しや、ネギ」 山本一力 トモのネギ嫌いは尋常ではなかった。 トモとは二十代からの仕事仲間、朝長一浩だ。かつて東京・晴海には、国際見本市会場のドーム館があった。そこで催される各種展示会のブース(小間) プラン売り込みが、我が仕事。 トモはブース設計のデザイナーだった。限られた人数で、限られた時間内に展示ブースを仕上げるため、徹夜仕事が続いた。現場で食べる昼夜の弁当が、一番の楽しみだ。当番はクルマで築地の弁当屋とラーメン屋から、日替わり弁当を買ってきていた。あるとき、出来たてのチャーハンが晩飯となった。チャーシュウと卵、刻みネギが絡まりあった、弁当を超えた美味さだった。プラスチックのスプーンは食べやすい。だれもが空腹で、たちまち一人前を平らげた。仕事の厳しさを多少でも和らげるため、弁当はひとり二人前が用意されていた。新たなふたを開いたとき、トモはまだ最初のチャーハンを半分しか食べてなかった。 180センチ超のやせ形だが、健啖家なのに。「どうした、チャーハンは嫌いか?」静かに首を振ったトモは、スプーンで刻みネギを一つずつ取り除いていた。「おまえって、そこまでネギが……」この一件以来、だれもトモのネギ嫌いを疑う者はいなくなった。                   *                   自己都合の転職で、会社に残ったトモとの行き来が途絶えた。20年ぶりに再会できたのは、1997年5月。オール讀物新人賞受賞を喜んでくれての昼飯で、だった。互いに懐かしい築地のあのラーメン屋さんで、ふたりともチャーハンを注文した。驚いたことに、トモは刻みネギも食べた。「なにがあったんだ、トモ?」思わず甲高い声で問い質した。レンゲを置いて、トモは話し始めた。高校時代から慕っていた同郷のエミちゃんの話は、何度も聞かされていた。その彼女と結婚し、すでに息子まで授かっていた。「食べた方がいいって言われたから…」はにかみ顔のトモは、刻みネギを食べていることに、満ち足りている様子だった。結婚後、ネギを食べ始めて20年が過ぎていた。あれほど苦手だった食材を、あっさり食べ始めたほどに、連れ合いを深く想っていた。トモが残った会社は、150人にまで成長していた。が、いまだ現場に出ていた。「弁当のネギが、甘くて美味かったとは」嫌っていた味を美味いと称える口調は、まるでのろけに聞こえた。トモは2017年2月、65歳で逝った。一途に慕い続けてきた愛妻に看取られて。25年間、ネギを苦手として生きていた。惚れ抜いた女性と所帯を構えたあとの40年、トモはネギをも伴侶としていたのだ。よく調理されたネギから滲み出る、甘味すら感じられる美味さ。トモは美味さのみならず愛情までも賞味できた、羨ましき男だった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 苦手だった食材が、食べられるようになること。「おいしさ」は、大切な人とのつながりによって感じる、喜びや楽しみによって紡がれるのかもしれません。懐かしいあの人との「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.
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あらすじ・解説

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第9回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「麗しや、ネギ」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「麗しや、ネギ」 山本一力 トモのネギ嫌いは尋常ではなかった。 トモとは二十代からの仕事仲間、朝長一浩だ。かつて東京・晴海には、国際見本市会場のドーム館があった。そこで催される各種展示会のブース(小間) プラン売り込みが、我が仕事。 トモはブース設計のデザイナーだった。限られた人数で、限られた時間内に展示ブースを仕上げるため、徹夜仕事が続いた。現場で食べる昼夜の弁当が、一番の楽しみだ。当番はクルマで築地の弁当屋とラーメン屋から、日替わり弁当を買ってきていた。あるとき、出来たてのチャーハンが晩飯となった。チャーシュウと卵、刻みネギが絡まりあった、弁当を超えた美味さだった。プラスチックのスプーンは食べやすい。だれもが空腹で、たちまち一人前を平らげた。仕事の厳しさを多少でも和らげるため、弁当はひとり二人前が用意されていた。新たなふたを開いたとき、トモはまだ最初のチャーハンを半分しか食べてなかった。 180センチ超のやせ形だが、健啖家なのに。「どうした、チャーハンは嫌いか?」静かに首を振ったトモは、スプーンで刻みネギを一つずつ取り除いていた。「おまえって、そこまでネギが……」この一件以来、だれもトモのネギ嫌いを疑う者はいなくなった。                   *                   自己都合の転職で、会社に残ったトモとの行き来が途絶えた。20年ぶりに再会できたのは、1997年5月。オール讀物新人賞受賞を喜んでくれての昼飯で、だった。互いに懐かしい築地のあのラーメン屋さんで、ふたりともチャーハンを注文した。驚いたことに、トモは刻みネギも食べた。「なにがあったんだ、トモ?」思わず甲高い声で問い質した。レンゲを置いて、トモは話し始めた。高校時代から慕っていた同郷のエミちゃんの話は、何度も聞かされていた。その彼女と結婚し、すでに息子まで授かっていた。「食べた方がいいって言われたから…」はにかみ顔のトモは、刻みネギを食べていることに、満ち足りている様子だった。結婚後、ネギを食べ始めて20年が過ぎていた。あれほど苦手だった食材を、あっさり食べ始めたほどに、連れ合いを深く想っていた。トモが残った会社は、150人にまで成長していた。が、いまだ現場に出ていた。「弁当のネギが、甘くて美味かったとは」嫌っていた味を美味いと称える口調は、まるでのろけに聞こえた。トモは2017年2月、65歳で逝った。一途に慕い続けてきた愛妻に看取られて。25年間、ネギを苦手として生きていた。惚れ抜いた女性と所帯を構えたあとの40年、トモはネギをも伴侶としていたのだ。よく調理されたネギから滲み出る、甘味すら感じられる美味さ。トモは美味さのみならず愛情までも賞味できた、羨ましき男だった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 苦手だった食材が、食べられるようになること。「おいしさ」は、大切な人とのつながりによって感じる、喜びや楽しみによって紡がれるのかもしれません。懐かしいあの人との「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.

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