『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • 母が大切にしていたもの
    2026/07/10
    母が大切にしていたもの 大阪府在住  山本 達則 ある日、50代後半の男性Aさんが、天理教の教会長をしている私に相談があるということで、訪ねて来られました。 Aさんは、父親が早くに亡くなり、母親と同居していました。そして、その母親もおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いたままになっているのです。 と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知りません。父親が天理の納骨堂に入っているので、夫婦同じ所に入れてあげたいという思いはありながら、天理教に知り合いがいないので、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて下さったのです。 私はさっそく手続きを進め、納骨の日を待ちましたが、Aさんの奥さんと一度もお会い出来ていなかったこともあり、納骨までに一度Aさんの自宅を訪ねることにしました。 母親の遺骨は、和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に筆書きで何かの言葉が記されていました。 それはよく見ると、 「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(M34.2.4) という神様のお言葉でした。 大恩とは親神様のご守護であり、産み育てて下さる親の慈愛で、日常を生きる根源となる恩。一方で小恩とは、人間同士の日常の暮らしの中での恩。 つまり、人間同士の義理も大切だが、優先すべきは親神様の大恩に報いていく姿勢であり、その心を持ちつつ、小恩にも感謝することが大切であると教えられているのです。 母親は、主人が亡くなってAさんと暮らすことになった時、このお言葉の書かれた紙を、自分の部屋の枕元に大切に掲げていたそうです。Aさんは、その意味は分からずとも、「きっと母が大切にしている言葉なんだな」と思っていたとのこと。私は、自分で理解している範囲で、Aさんにそのお言葉についてお話しさせて頂きました。 天理教では、自分自身の身体をはじめ、家族、日常接する人たち、仕事や学校、生活環境など、自分の心以外はすべてが親神様からの「かりもの」であると教えられます。 朝起きて、準備を済ませ、仕事や家事に動き出す。いつもと変わらず務めを終えて、当たり前のように帰宅し、食事、入浴、就寝。ある意味「何の変哲もない一日」であり、「当たり前の一日」のように思えます。 しかし、本当にそうでしょうか? 朝、必ず目が覚めるという確約は、誰が出来るでしょうか。 食事がとれる元気な身体で、一日をスタートさせる事が出来るのは、当たり前のことでしょうか。 仕事場や学校まで何事もなく行け、いつもと変わらずに家路につけることは、それほど大したことではないのでしょうか。 それらのことを、家族の一人ひとりがやり遂げ、一日を過ごし終えることは、「当たり前」のことなのでしょうか。 人はややもすると、人間同士の義理や人情に対しては恩を感じやすいのですが、「生かされていることの大恩」に対しては、あまりにも当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまう。 そのことに気がつくのは、当たり前が当たり前でなくなった時です。当たり前のように過ごす、そんな感謝につながらない生き方に対して、立ち止まって見つめ直す機会を下さるのが、「当たり前でなくなる」こと。それが、様々な形でお見せ頂く「病気」や「事情」なんです。 天理教では「大恩」、つまりは親神様から頂く大いなるご守護にしっかりと感謝をさせて頂き、その恩に報いる生き方を教えられています。それは自分自身の身体のことだけではなく、家族やその他の人間関係に至るまで、すべてが親神様から与えられているもので、そのことにも感謝を忘れてはいけないと教えられているのです。 私は届かないながら、そのようにお話をさせて頂きました。 Aさんと奥さんは、深くうなずきながら私の話を聞いて下さいました。そして、「今のお話を聞かせて頂いて、母の姿と重ねてすごく納得できました」と、Aさんは言いました。 「母は、いつも子供たちに対して『ありがとう』とお礼を言う人でした。そして、私たちきょうだいにも...
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    1分未満
  • 神が引き受けて居る
    2026/07/17
    神が引き受けて居る 福岡県在住  内山 真太朗 毎年3月、おぢばで開催される、学生生徒修養会大学の部・高校卒業生コース、通称「学修」。私は長年、この学修のスタッフとして携わってきました。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、数年間中止となりましたが、2023年、数年ぶりに開催されることとなり、3月10日から12日にかけて開催される高校卒業生コースのスタッフとしてお声がけを頂きました。 しかし当時、私の妻は4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なり、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回は学修のスタッフを務めることは難しいだろうと考えていました。 お断りの連絡を入れようとした正にその日、学修を運営する本部学生担当委員会から連絡を頂き、今回の学修ではこのような係をおつとめ頂きたいとの打診がありました。断ろうと思っていた矢先の連絡に驚きましたが、これも神様からのお導きだと考えをあらため、妊娠中の妻と相談をしました。 そして、「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。 3月7日、学修に出発する日、臨月を迎えていた妻でしたが、まだ出産の兆しはなく、学修が終わる3月12日に入院するという予定を立て、おぢばへと向かいました。 そして迎えた久しぶりの学修。大勢の学生たちが集い、スタッフたちも一緒になって春のおぢばでかけがえのない時間を過ごし、私もその一端を担わせて頂くことが出来ました。 学修も無事終わり、教会への帰路の途中、妻が入院している産婦人科から連絡がありました。「エコーで胎内を見たところ、胎児の首にへその緒が巻きついています。このままだと胎児の命に危険が及ぶので、すぐに処置をして出産に入ります」。 あまりのことに驚き、不安でいっぱいになりました。私は夜遅くに教会へ着くと一目散に神殿へ向かい、お願いづとめをつとめ、病院へと向かいました。素早く処置をして頂いたおかげで、首に巻きついたへその緒は外れ、妻は無事に元気な男の子を出産しました。その後、主治医の先生からこのような説明を受けました。 「今日入院していて本当に良かった。エコーで確認しなければ、処置が遅れて取り返しのつかない事態になっていました」。 そもそも妻を入院させたのは、私が学修のために不在になることがきっかけでした。もし学修のスタッフを断って私が側についていたら、陣痛がくるまでそのままにしていたかも知れません。そこを思い切って学修スタッフを務めたおかげで、胎児の命をつなぐことが出来たのではないか。そう考えると、断ろうと思っていた矢先の一本の電話こそ、神様のお声だったのではないでしょうか。 出産を見届け、医師の説明を受けた後、深夜に病院を出ました。夜空を見上げ、一連の出来事を振り返ると、親神様の深いお導きを感じ、涙が止まりませんでした。 神様のお言葉に、 「先は神が引き受けて居る。案じる事要らん/\」とあります。(M33.12.22) 神様の御用、また神様のお喜び下さることを第一に通っていれば、神様が必ずおたすけくださる。私はあらためて、おぢばの尊さ、神様の御用を務める大切さ、有り難さを実感させて頂きました。 麻と絹と木綿の話 日本発祥のものの中で、便利な道具はたくさんありますが、その中でも風呂敷は最高傑作の一つではないでしょうか。 風呂敷はどんな形の物でも包むことができ、使わない時には小さく折り畳んで持ち歩けます。かけてもいいし、敷いてもいい。まさに自由自在の働きです。西洋式のカバンではこうはいきません。 風呂敷の持つこうした特質は何に由来するのか、それはその開かれた姿によると言えるでしょう。丸いものでも四角いものでも、細長いものでも平たいものでも、何でも内に包み込むその大きな包容力こそ、風呂敷の一番の長所です。 このような包容力は、私たちにとっても大切なものではないか。教祖はある時、着るものに例えてお諭し下...
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  • 空間に込められたメッセージ
    2026/08/14
    空間に込められたメッセージ 埼玉県在住  関根 健一 私は、障害者施設を中心とした建築設計やデザインの仕事をしています。障害者施設というのは、利用者の人数や提供するサービスに応じて、国から報酬が支給される仕組みになっています。そのため、安全性はもちろんですが、面積や設備など、さまざまな基準を満たす必要があります。 たとえば、作業スペースには「利用者一人あたりこれだけの広さが必要」と決められていたり、相談室には個人情報の観点から、音漏れを防ぐ構造が求められていたりと、細かい条件がたくさんあります。 そうした中で私は、運営者の思いを丁寧にくみ取りながら、利用者が安心してイキイキと過ごせる環境と制度上の要件、その両方を満たすために、自治体と何度も確認や調整を重ねています。 最近では「農福連携」といって、農業と福祉を組み合わせた取り組みが広がってきました。障害のある方が、農作業だけでなく、食品加工や販売、接客まで担うケースも増えています。その流れの中で、カフェを併設し一般客も訪れるような、開かれた作業所も増えてきました。 地域との接点が出来ることで、新たな交流が生まれたり、閉鎖的な環境による問題が減ったりする良い面がある一方で、外部の人の出入りが増えることで、新たな配慮も必要になります。さらに「お店として選ばれる」ための工夫も求められるので、結果として、制度上の条件以上のことが必要になる場面も少なくありません。 そんな中、打ち合わせの際に私がよくお伝えしているのが、「建物にはメッセージを込めることが出来る」ということです。 たとえば、ショッピングモールに授乳室があれば、子育て世代の方は安心すると思います。反対にもし無ければ、「ここは子連れ歓迎じゃないのかな」と感じるかもしれません。 また、飲食店に喫煙室があれば、喫煙者の方は入りやすくなりますが、タバコの煙が苦手な方にとっては、敬遠する理由にもなります。つまり、設備や空間のあり方そのものが、その場所からの〝メッセージ〟として伝わっているのです。 以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、設置義務はなかったのですが、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。 実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。 もちろん、面積やコストの制約がある中で、簡単に採用できるものではありません。ただ、この提案をきっかけに、「この建物は、誰に、どんなメッセージを届けるのか」という視点を持って頂くことが出来ました。そして結果的に、別の形での配慮や工夫へとつながっていきました。 建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。 話は変わり、今年の一月、教祖140年祭でおぢばに帰らせて頂いた時のことです。本部神殿の西礼拝場と祖霊殿を結ぶ回廊に、スロープ昇降口があるのですが、そこから家族で上がらせて頂きました。 このスロープは、車椅子の方がエレベーターを待たずに神殿に上がれるようにと、教祖130年祭に合わせて整備されたものですが、これまでスロープ昇降口が開放される月次祭前後のタイミングで長女を連れて帰参する機会がなかったので、今回が初めての利用でした。 実際に上がってみた時、設備を通して「ようこそおかえり」と迎えて頂いているような、そんな感覚が込み上げてきました。 長女には、脳性麻痺の障害があります。小さい頃は抱えて参拝することも出来ましたが、成長するにつれてそれも難しくなりました。また、長女は身体に合わせたクッション付きの車椅子でないと...
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