『ボイスドラマ「最後の弁当、最初の産着〜特別養護老人ホームで働く母がアレルギーの息子にしたこと」』のカバーアート

ボイスドラマ「最後の弁当、最初の産着〜特別養護老人ホームで働く母がアレルギーの息子にしたこと」

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このコンテンツについて

愛知県高浜市。海と風に恵まれたこの町には、どこか懐かしさとぬくもりが残っています。『最後の弁当、最初の産着』は、そんな高浜を舞台にした、ある母子の物語です。体の弱かった息子と、たったひとりで彼を育ててきた母。毎日手づくりされた弁当には、食べ物以上の「想い」が込められていました。編み物で包んだ愛情と、ことばでは言えなかった「ごめんね」「ありがとう」の気持ち。それらはすべて、小さなお弁当箱のなかに詰まっていたのかもしれません。時代が変わっても、どんなに忙しくても、人の心を動かすのは、ささやかな日常と、積み重ねられた想いです。Podcastでは音で、「小説家になろう」では文字で、この物語を、ぜひあなたの心で感じてみてください。■設定(ペルソナ)とプロット・息子(18歳)CV:桑木栄美里=幼い頃から体が弱くアレルギー体質。小学校入学時からずうっと毎日作ってくれる母の弁当に育てられたといっても過言ではない・母(39歳)CV:山崎るい=シングルマザーで働きながら息子を育てた。アレルギー体質になっている息子に対して責任を感じ、どんなに忙しいときも毎日弁当を作ってきた<序章/1998年3月>■SE〜赤ちゃんの産声初めて息子の産声を聞いたとき、私は感動で胸が震えた。”この子のためなら、私はどんなことでもしよう”強く心に誓う。そんな喜びも束の間。母乳を飲む息子に異変を感じた。最初は皮膚に現れた湿疹。それは乳児特有の症状だと思っていた。ところが、気がつくと母乳を飲みながら、苦しそうに息をしている。そう。これは・・・アレルギー反応。母乳に含まれる特定のタンパク質に反応して起こっているらしい。原因は、私が普段食べているもの。私はシングルマザーだ。父も母も日本にいない。働いているのは、高浜の特別養護老人ホーム。介護士として入所者のいろんなサポートをしている。当然、仕事は不規則。食事も朝昼晩、決まった時間になんてとれない。ランチなんて食べる日の方が少ないくらい。夜遅く家に帰ってきて食べるのは、決まってカップラーメン。こんな食生活が、子供をアレルギーにしてしまったのかもしれない。”この子のためにできること”私は、所長に相談して、介護職から生活相談員に変えてもらった。今までのような夜勤や宿直もやめて、日勤だけに。夜勤手当がなくなる分、生活は苦しくなるけど、仕方ない。食生活だってもちろん変えた。食事はすべて自炊。食材もなるべく添加物の含まれていないものを選ぶ。ポイントは、原材料欄のなるべく少ないもの。そうすれば、意外と高いお金を払わなくてもいけるんだ。”この子のために”生活を切り詰めても、この子に貧しい思いをさせるのはいや。そうだ。私、子供の頃から手先が器用で編み物が得意だったんだ。着るものはもちろん、マフラー、手袋、靴下、ポシェットやブランケットまで。なんでも、手編みでつくった。『子供がアレルギーになるのは、母親の愛情が足りないから』無神経なことを言う人も周りにはいたけれど、関係ない。だって、愛情なら負けないもん。使うのは安価なアクリル毛糸。そうそう、百均の毛糸や編み針って、安いけど結構品質がいいんだよね。<シーン1/2002年3月>3年後。息子の3歳の誕生日。私は息子に、名前入りのキラキラしたセーターをプレゼントした。「やったぁ!ママ大好き!」ウールの毛糸はちょっと高かったけど、息子の喜ぶ顔を見たら、そんな思いは吹っ飛んだ。4月になって、保育園に行くようになると、息子の身の回りはメイド・イン・ワタシのニットで溢れかえっていた。先生からもらってくる連絡ノートにも、『おかあさんの愛情あふれるニットに包まれて、息子さんは幸せですね』なんて書かれていた。よかった。編み物をして。私は日勤の仕事になったけど、それでも仕事を終えて帰宅するのは夜7時。それまでは延長保育で園に預かってもらう。延長保育は有料だけど、働きながら子育てしてる私には助かる。私、基本的に残業はしないけど、ときどき息子が一番最後だった。それでも息子は笑顔で私のもとに駆けてくる。なんか、私...

ボイスドラマ「最後の弁当、最初の産着〜特別養護老人ホームで働く母がアレルギーの息子にしたこと」に寄せられたリスナーの声

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