『ボイスドラマ「おおきなさくらのおひっこし」』のカバーアート

ボイスドラマ「おおきなさくらのおひっこし」

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概要
湖の底に沈んだふるさと。そして、生き続けた二本の桜。2024年、東京・渋谷。89歳の咲良のもとへ届いた一冊の絵本。『おおきなさくらのおひっこし』そこに描かれていたのは、70年以上前、ダム建設によって湖の底へ沈むことになった故郷・荘川村中野地区と、二本の大きな桜の物語でした・・・【ペルソナ】・さくら=荘川桜の精(年齢不詳/CV:岩波あこ)=ストーリーテラー・咲良=さくら(19-20歳/23歳/26歳/89歳/CV:岩波あこ)青年団所属で反対同盟の運動員・昭一=しょういち/通称ショウ(年齢同上/CV:岩波あこ)咲良の幼馴染【プロローグ/2024年4月/東京渋谷】▪️SE/玄関チャイム「お荷物です」2024年春。私の元に小さな小包が届いた。私の名前は、咲良。89歳。東京の渋谷に住んで、もう60年以上になる。▪️SE/荷物の中身を開ける音小包の中身は・・・絵本?題名は・・・『おおきなさくらのおひっこし』。私は本のページを捲る。『荘川町中野地区。そこには照蓮寺、光輪寺というお寺があり、お寺には人々が大切にしていた二本の桜の木がありました』え?荘川村?中野地区?桜の木?何十年ぶりかに耳にするその名前。荘川村の中野は、私が産まれたところだ。【シーン1/1952年10月〜1953年1月/荘川村中野】『ある日突然、この荘川にダムができるという話がきました。中野地区の人たちは、みんなダムづくりにはんたいでした。ダムは中野地区につくられるため、ふるさとが水の中にしずんでしまうのです』▪️SE/小鳥のさえずり1952年10月。ダム建設計画が公表された。私がその話を聞いたのは、光輪寺の境内。19歳の私は、幼馴染のショウ=昭一と一緒だった。光輪寺の境内は、小さい頃から私たちの遊び場。大人になってもそれは変わらない。遅い春には、桜吹雪の下でいつまでもショウと語り合った。”お寺も、桜も、なにもかも・・・私たちの村が水の底に沈む?”当時の荘川村は農作物も豊富で、恵まれた農村だった。土地を失うということは『職と未来を同時に失うこと』を意味する。年が明けると『御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会』を結成。日に日に反対運動は激しくなっていった。私とショウは、家々の玄関に『ダム絶対反対』と書いた木札を打ち付ける。バス停や道路沿いの家には巨大な横断幕を張って回った。その年、白川村と合同陳情団を結成。国会議事堂まで直訴に出かけた。反対運動は日を追うごとに、激しさを増していく。争いは何年にも渡り、終わりの見えない暗闇へと突き進んでいった。そこに現れたのが『賛成派』の村人たち。それは村を二分する深刻な対立へと発展した。死守会の若手頭、ショウの怒りは頂点に達していく。そんな時、私たちの目の前に、ひとりの老人が現れた。【シーン2/1959年夏/荘川村中野】『ある日、ダムづくりをすすめている、偉い人がやってきました。その人は、ダムづくりが日本のためになると説明しました。しかし、中野地区の人たちは、何回きてもらっても、ダムづくりには、反対だからね、と言いました』▪️SE/ヒグラシの声1959年。初めてその人を見たとき、少し驚いた。ダム開発の責任者。それは冷徹で心のない、怖い人私はそう想像していた。なのに、その人の目は全く違った。私たちを真っ直ぐに見て、深々と頭を下げる。時には、目を潤ませながら。ショウは、そんな姿を目にしてもまったく動じなかったけど。『日本のために、みなさんからふるさとをとりあげる。ほんとうにひどい話だと想っています』私にはその人が、うわべだけのでまかせを言っているようには見えなかった。ショウは相変わらず鋭い目つきで老人を睨みつける。その夜、家に帰ると、父と母が私を待っていた。仏壇の前に 正座して、私に告げたのは・・・『荘川を出る。新しい場所でやり直す』耳を疑う言葉。父の声は小さく、震えていた。母は仏壇に向かったまま、肩を落としてすすり泣いている。『もうここまでか・・・』私の心の中に、波紋が広がっていった。▪️SE/小鳥のさえずり次の日。私はショウを光輪寺の境内に呼びつけた。「さくら・・どうしたんだ?」「私、東京へ行...
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