『ゲヘナではなく平和を(マルコの福音書9章42節~50節)』のカバーアート

ゲヘナではなく平和を(マルコの福音書9章42節~50節)

ゲヘナではなく平和を(マルコの福音書9章42節~50節)

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このコンテンツについて

序)言葉を理解する基本と例外

・言葉は文脈の中で理解する。諺(ことわざ)の類は少し例外であるが、社会の文脈の中で意味を成す。

1)マルコ 9 章後半の大きな文脈

・33 節で「誰が一番偉いか」という議論があり「誰でも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者に」と諭された。

・38 節でヨハネは要らない派閥意識を持ち出して叱られる。

・42節は「誰が一番偉いか(△)」にこだわり続ける態度の問題性が話題

・「誰が一番偉いか」という議論を放っておくと平和が壊される。

2)「小さい者たちをつまずかせる」の意味

・42 節は 41 節との対比である。「つまずかせる」とは「誰が一番偉いか」という△の生き方に人を巻き込むこと。

・「小さい者」と言われ「子ども」と言われていない。これは「偉い」の対義語。イエス様を信じて▽に生きようとしている者を指す。

・成長や競争自体が否定されているわけではない。強さは仕えるために。

・「大きな石臼を~」はギリシア語の文法の中で最も可能性の低い条件文であり、比較対象は「ゲヘナに投げ込まれる」より良いと言っている。

・石臼は、船の安定のために船底に置かれていた錘のこと。

3)「ゲヘナに投げ込まれる」の意味

・「手(3:5)」「足(2:11)」「目(8:25)」はマルコの福音書の中でイエス様が救われ、癒された部位である。それは肉体的癒しと共に、霊的意味をもっていた。このイエス様の救いの結果が、△レースを促進することになるなら捨ててしまえという強烈な皮肉になっている。

・「ゲヘナ」とは①エルサレム南西部にある谷「ヒノムの谷」のこと②そこでエルサレムのごみの焼却処理がされていた③ごみ処理場になる前は「子どもを火にくぐらせる」非人道的な宗教儀式の場であった(Ⅱ歴代33:6)④これがバビロン捕囚を招き、エルサレム陥落の際、戦死者がこの谷に投げ込まれた→「ゲヘナに投げ込まれる」とは、人の尊厳が奪われ、モノ同然に焼き捨てられる戦時下に起こる最悪の状態を指す。

結)ゲヘナではなく平和をもたらすことは可能である!

・「火によって塩気を」の「火」はゲヘナからの連想だが the に相当する定冠詞がないのでゲヘナの火ではない。諺のようなもので、具体的には「イエス様の言葉(熱い心から出る言葉)」の意味。塩気は、悔い改め(方向転換)によって▽に向かう奉仕の生き方。

・「ゲヘナ」を「地獄」と訳す翻訳がある。戦争犠牲者がごみ処理場に投げ込まれる世界はまさに地獄。死後の霊的な刑罰の場の意味ではない。

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