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神の国を受け継ぐ旅(マルコの福音書10章17節~22節)

神の国を受け継ぐ旅(マルコの福音書10章17節~22節)

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このコンテンツについて

序)「天国止まりの福音」ではわからないこと

・「何をしたら」という問いかけは正しい問いなのか。

・「持っている物をすべて売り払って」というのは普遍的か。

1)この男性はなぜ一人で走って来たのか?

・「永遠のいのちを受け継ぐには?」=「神の国を受け継ぐには?」であり、「天国に行くにはどうしたらいいか」ではない。

・「受け継ぐ」という言葉は土地所有に関する堅い言葉。(マタイ 5:5 参照)

・当時の成人男性は走らないから、よほどの緊急事態である。一定の資産家なのに同行者なしで、一人で来るということにも違和感がある。

→彼が所有していた土地(畑)に何かトラブルが起こり、土地を手放さなくてはいけない危機的状況が迫っていたと考えると説明できる。

・約束の地を所有し守っていくことは、信仰的な重要性をもっており、神の国の到来に貢献することだと考えられた。

→この男性の求めは「御国の到来にどうしたら用いられるか」であり、目下抱えているピンチを乗り切る方法を求めてイエスのもとに来たのである。

2)耳を疑うイエス様のことば

・約束の地で「十のことば」を実行するなら、神の国は現実になると旧約聖書は語る。それゆえ男性の問いとイエスの答えは当たり前のやりとり。

・「守ってきました」との自負が問題視されることもあるが、イエス様は彼を「いつくしんで(アガペー)」見ている。

・彼が守ろうと必死になっているものを手放すようにイエス様は言われた。

・「天に宝を持つ」とは「御国の到来に貢献できる」という意味。

→イエス様は「土地を守ることなしに、神の国に貢献することはできない」という信念を手放しても、御国に貢献できることを教えておられる。

・土地を守ることで、貧しい人たちを長期的に養える。土地を売ったら短期的に養えても続かない。しかしもっと長期に考えれば神様は土地を返してくださるお方である。土地は神のものである。

・「わたしについて来なさい」とは弟子としての正式な招き。手放した後の生活をイエス様が責任をもつと語っている。

3)神の国を受け継ぐ旅

・17 節「道に出ていかれると」は「旅に出ようとされると」と訳せる。この動詞の主語はイエス様だけ。十字架において、すべてを父の手に委ねて、いのちを投げ出し、神の国を受け継ぐ旅へとイエス様は踏み出す。そこにこの男性も招かれた。必要なのは「良い神」への信頼のみ。

結)「こうでなければ」を手放せば

・信仰人生は「旅」である。危機をチャンスに、大胆に、柔軟に従おう。

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