• 第14篇 水槽の底に、最後の青を灯す
    2025/12/19

    あの日、僕が放ったハイビームの閃光は、一人の女性から「視力」を、僕から「色彩」を奪い去った。

    事故から一年。罪を隠し、取り壊し寸前の夜の水族館で警備員として働く僕の前に、あの日失明したはずの彼女が現れる。「最後にもう一度だけ、ここで青が見たいの」彼女が願ったのは、水槽の「傷」が光を反射して生まれる奇跡の青。僕はかつて凶器となったストロボを手に、彼女の瞳に一度きりの光を焼き付ける賭けに出る。

    これは、過ちを犯した男と、すべてを飲み込んだ女が、真っ暗な水底で「青」を再発見する、美しくも痛切な贖罪の物語。

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    3 分
  • 第13篇 消える文字
    2025/08/18

     冬の潮風が吹く丘の上の図書館で、司書の千晶は、かつて片想いしていた同級生・拓真と再会する。声をかけられぬまま、彼の借りた本の貸出カード裏に、鉛筆で綴られた短い詩を見つける。それは週ごとに書き換わり、やがて二人しか知らない海辺の地名を含むようになる。春が近づく中、図書館の貸出カードは廃止されることが決まり、詩も終わりを迎えていく。最後に残ったのは、淡く揺れる「さよなら」の二文字。消えかけた鉛筆の跡と海風の匂いの中で、千晶はかつての記憶と向き合い、心の奥に静かに残るものを見つめる。

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    4 分
  • 第12篇 夜のエレベーター
    2025/08/14

    深夜のオフィスビル、帰宅途中の青年・拓海は、偶然居合わせた見知らぬ中年男性とその飼い犬と共に、突如停止したエレベーターに閉じ込められる。圏外のスマートフォン、沈黙の密室、不安と孤独。だが、犬のぬくもりや男の言葉を通じ、拓海は過去の喪失や自身の迷いと静かに向き合っていく。やがてエレベーターは再び動き出し、男と犬は拓海の前から姿を消す。朝焼けの光の中、エレベーターの隅に残された犬の毛を手にした拓海は、新しい一歩を踏み出す。密室の一夜が、彼の心に小さな再生の光を灯していた。

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    4 分
  • 第11篇 駅のベンチが見た百年
    2025/08/11

     田舎駅のホームに置かれた、ひとつの古い木製ベンチ。大正の終わりから現代まで、百年の時を見つめ続けてきたそのベンチは、人々の出会いと別れ、季節の移ろい、戦争や平和の日々、母と娘の静かな朝を、何度も何度もその木肌に刻み込んできた。
     ある春、母の姿がホームから消え、娘はひとりベンチに座り、母のハンカチと紙切れを隙間に託す。やがて少女も成長し、駅は変わっていく。
     けれどベンチは、移りゆく時代のなかで消えゆく記憶と確かに向き合いながら、今日も静かに新しい朝と人々を迎える。ベンチの木目に刻まれた百年の物語は、今を生きる誰かのそばにも、そっと続いていく。

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    4 分
  • 第10篇 霧の列車
    2025/08/07

    濃霧に包まれた山間の列車内。亡き妻の声が録音されたICレコーダーを胸に、定年を迎えた和久は静かに揺れる車窓を見つめていた。隣席に現れた少女は、霧の中で撮られた一枚の古い白黒写真を取り出す。それは、和久の妻・澄江がかつてこの列車で、少女の祖母に向けて微笑む姿だった。

    ふたりの記憶は霧の中で交差し、亡き人の優しさが時を越えて呼応していく――。

    ひとときの出会いが紡ぎ出す、言葉を持たない贈り物。忘れられた記憶の断片が、やがて新たな誰かの灯火となる、静かで美しい再会の物語。

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    4 分
  • 第9篇 記憶売りのアネモネ
    2025/08/04

     記憶を売り買いして生きる都市「記憶市」。そこで働く鑑定士イリアは、他人の過去に触れることでしか自分を保てない青年だ。幼い頃の“最も大切な記憶”だけが思い出せず、心にぽっかりと空白を抱えている。ある日、彼のもとに春の丘と赤いアネモネの記憶カプセルが届く。鮮烈な香りと懐かしさに胸を突かれたイリアは、記憶の持ち主である病弱な女性・アナと出会う。治療費のため記憶を売り尽くし、もはや自分の名前さえ忘れかけたアナ。彼女が最後の「自分自身」すら手放そうとする時、イリアは己の幸せな記憶をアナに託す決意をする。記憶を譲り渡すことで、二人の過去と現在が静かに重なり合う。記憶を失いながらも、想いだけは心の奥に残るのか。赤いアネモネが咲く丘で、静かな再生と希望を描く、喪失と赦しの物語。

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    4 分
  • 第8篇 リモート告別式
    2025/07/31

     六十一歳の会社員・岸本周一は、かつて激しく叱責された“伝説の鬼上司”森田のリモート告別式に、会社の指示で参加する。PC操作に戸惑いながら喪服に身を包み、画面越しに久しぶりの同僚たちと再会するも、形式化したオンラインの弔いに違和感と寂しさを覚える。だが、ミュートし損ねた岸本の独り言と、誤って森田の遺影を自分のバーチャル背景にしてしまう失態が、やがて参加者の共感と笑いを呼び、本音や愚痴、感謝が次々とあふれ出す。
     滑稽で温かなやりとりのなか、岸本は自分自身と過去の確執に向き合い、初めて素直な思いを口にする。喪失のなかで赦しと再生が生まれる瞬間、彼は小さな一歩を踏み出す。現代の孤独と不器用さ、そしてユーモアを通じて人と人がつながる希望を描く、心に余韻が残る物語。

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    5 分
  • 第7篇 五秒だけ空を見ていた
    2025/07/28

    全盲の咲良は、母の死後に残された一本のカセットテープを抱えて、海辺の町へと一人旅に出る。それは、生前の母が自らの声で綴った“音の日記”だった。波の音、風の呼吸、鳥の気配。かつて母と訪れた町で、咲良は記憶の輪郭を音だけでなぞっていく。「あの日、あなたは五秒だけ空を見ていたのよ」――母の声がそう告げるとき、咲良の中に問いが立ち上がる。見えなかったはずの空を、私は本当に“見た”のだろうか。町で出会った青年は、沈黙の妹に音を贈り続けるという。彼の導きで辿り着いた灯台の丘、咲良はカセットを止め、静けさに身をゆだねる。目を閉じたまま、五秒間、空を感じる。それは視覚ではなく、心の奥に広がる空。触れられぬ風景が、彼女に母の愛の形をそっと教えてくれる。音の記憶を辿りながら、咲良は見えないものと共に生きていく決意を静かに固める。喪失と継承、感覚と沈黙が織りなす、静謐な再生の物語。

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    4 分