#2-5 健全なる魂
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富、地位、名声...それらよりも大切にすべきものとは?
今回の「道すがら、哲学を想う」では、ソクラテス哲学の中心にある「魂(プシュケー)」をテーマに、「私とは何か」「自分とは何か」という問いについて考えます。
『ソクラテスの弁明』では、富や名誉を求める前に「魂をできるだけ善くすること」を気遣うべきだと語るソクラテス。さらに『アルキビアデスⅠ』では、身体そのものではなく、身体を使うものこそが「自分」であり、それが「魂」なのだという議論が展開されます。
しかし、ここで一つの疑問が生まれます。
身体を使っているのが魂なら、その魂を使っているのは誰なのでしょうか。
魂の中にさらに操縦者がいるとすれば、その操縦者を動かしているものは何なのか。まるでマトリョーシカのように、「本当の自分」を探す問いはどこまでも続いていきます。
そしてソクラテスは、単に「魂がある」と考えただけではありません。『クリトン』では、不正を行ってまで生き延びることを拒み、身体や命よりも「魂を損なわないこと」を優先します。
では、魂が傷つくとはどういうことなのか。魂を善くするとは何なのか。そもそも、なぜ魂には「善い状態」と「悪い状態」があると言えるのでしょうか。
無知の知、徳、善く生きること、そして「自分とは何か」。
ソクラテスの思想と対話篇をたどりながら、2500年前から続く「魂」と「自己」の問題を考えていきます。
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