立て直しの楔(ヨシュア記8章30節~35節)
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序)不正確な解釈のお詫び
・ヨシュア 8:30 で「築いた」という動詞は特別な形である。ここから「この礼拝が実際に行われたのはもっと後だった」という解釈を 3 年前に提示したが、これは言い過ぎだったことをお詫びし訂正したい。
・この間違いの原因は「礼拝さえすれば、神様の守りの中で勝利できる、というような安直な人間理解あるいは、呪術的な、オカルトに近い礼拝理解があったから」だと判明した。
1)「こっそり」と行われたヨシュアの過ちから見えるもの
・ヨシュアが 2 章冒頭で「こっそり」偵察を出すところから問題が始まったとすれば、エリコの戦いも当初のシナリオにはなかったことになる。
・神様のシナリオ(申命記 27:4~7)は、エリコもアイも気にせずにまっすぐエバル山に向かい祭壇を築いて礼拝をささげることだった。
・それができなかったのは、ヨシュアの常識的な判断と恐怖心のゆえ。エリコやアイを通過せずに北上するルートは「平和の道」だったが神様の守りを計算に入れなければ「平安の道」ではなく、敵に背を見せるとてつもなく危険なルートだった。
2)エバル山のふもとで行われた礼拝~その意義~
・「全焼のいけにえ」は献身の表現≒現代の礼拝式の献金の要素をもつ。
・「交わりのいけにえ」は、恵みの分かち合い+食事の交わり
・「みことばの朗読」(聖書朗読と宣教)は、いけにえに先行しただろう。
・このエバル山での礼拝は、ヨシュア記に 5 つあるピークポイント(転換点)の 2 つ目であり、独断で先制攻撃をした前半の物語が、主に伺いながら、勝利していく後半の物語へと転換するポイントになっている。
・しかし、過去の間違った選び(戦いの火ぶた)は消えていないので、礼拝は先住民に対して、脅威に映るし、ヨシュアの弱さも継続する。
・しかし、みことばに聞くことがなければ、立て直しに着手することすらできない。みことばは「立て直しの楔」となって私たちを支える。
3)「祝福」と「のろい」の二択から、「祝福」一択へ
・律法(古い契約)には、「祝福とのろい」の両者があった。しかし、イエス様が十字架において、すべての「のろい」を引き受けてくださったゆえに、私たちには「祝福」しかない。だから礼拝の最後は祝祷。
・間違った選びに対して「訓練」や「矯正(懲らしめ)」はあるが、のろいではないことを心に留めよう。
結)礼拝を選ぶ信仰、選べない時も消えない祝福
・世界と人生を立て直す旅において、みことば、礼拝、教会の交わりはそれを支えるための恵みの楔である。