『氷砂糖のおみやげ』のカバーアート

氷砂糖のおみやげ

著者: 夜学バー(東京・湯島)
  • サマリー

  • 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
    夜学バー(東京・湯島)
    続きを読む 一部表示
エピソード
  • #073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)
    2024/04/29

    【目次】

    ○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった

    ・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?

    ・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』

    ・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……

    ・今日のお茶は


    ○ドラマ『不適切にもほどがある』

    ・簡単なあらすじ

    ・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ

    ・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話

    ・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている


    ○ぷにょさんの考えたこと

    ・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ

    ・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める

    ・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)

    ・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった


    ○前回の話につながる

    ・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している

    ・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子

    ・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない

    ・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう

    ・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい

    ・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする

    ・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない

    ・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか

    ・1986年は男女雇用機会均等法が施行

    ・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)

    ・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう

    ・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)

    ・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく


    ○強者と弱者の逆転、循環

    ・強者たちはいずれ弱者に転落する

    ・いじめられている昭和の「おじさん」たち

    ・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる

    ・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか

    ・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!

    ・革命は弱者が起こす

    ・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ

    ・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)


    ○次回予告

    ・どこかへ飛んでいきましょう

    続きを読む 一部表示
    34 分
  • #072 世代・年齢・時間③ ピーター・パンにならないために/すべてを引き連れて年をとっていく
    2024/04/22
    【目次】 ○「ピーター・パン」とジャッキーさんの関わり ・ジャッキーさんの歴史 小4で「陰キャ」から覚醒し、小5でピーター・パンを演じる ・「このままでは地位が低いままなので、明るい人間になろう」 ・自認が9歳なのは、「覚醒前の状態」がベースだから ・「服」ができたのが17歳くらい ・覚醒後、1年で学芸会の主役、2年で小学校のスターに ・演じることによってピーターがインストールされてしまった(たぶん11歳になる誕生日の前後)←本編では10歳と言ってしまっております ・小説版の『ピーター・アンド・ウェンディ』が好き。おすすめは偕成社文庫の芹生一訳 ・卒論もこの作品で書きました ○ピーター・パンという概念について ・ウェンディは大人になるが、ピーターは大人にならない ・おばあちゃんの代からずっと「いる」存在 ・自分はそういうふうなのかな、と思うこともある みんなから「卒業」されていく存在かと思った時期もある ・でもジャッキーさんは成長する「人間」なので、そうではない ・「子供の時にだけあなたに訪れる」は好きじゃない ・『雪渡り』は好きなのだが ・「小さいころは神様がいて」も同じ? ・「大人になっても奇蹟は起こるよ」→じゃあいい歌だね ・「あの曲のこざかしいところは」「小さい時の気持ちを人質にとって」 ・夜学バーに来たらもっとひどいことがたくさん聞ける(かも) ・「大人になったら忘れてしまうよね」は嫌いなのだ ・大人になっ「ても」というところに引っかかってしまう ・今、素敵な気持ちを持ってくださいって僕は思うんです!(誰に言ってんだろうね) ・傲慢で不親切なジャッキーさん ・年をとるピーターでいたい ・小沢健二さんも「僕は年をとるので」と言っていた(邪悪は年をとらない) 「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はベイビーたちが続けていくよ」(小沢健二『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに』) ・邪悪は若い女の人の肉体に宿る ・少年と少女という概念はベイビーたちが引き継いでいく ・「出番を終えた若い詩人たちがリハーサルを終えて出てくる」 ・ピーター・パンという概念は続いていく ・年をとりながらも、その概念の片棒は担ぎたい ・年をとりたくない、とかアンチエイジングに命かけるということではなく、ともあれニコニコしていたい ・自分がピーター・パンでしかないならば、「再会」ができない ○『ピーター・パンとウェンディ』について ・ピーターが大人にならないから好き、というわけでは全くない ・ともかく面白い、とりわけ序盤の語り口がすさまじい ・ぷにょさんも言葉づかいや言い回しに感動した ・「こんな言葉浴びたことない」 ・なんとなくショタコンになった気はするけど ・ピーターパンという存在に憧れたわけではない ・大人になりたくないと思ったこともたぶんない ・一度出会った友達と二度と会えないのはイヤだ ・ピーターは、概念としての子供たちと遊んでいるだけで、同じ子供と遊ぶことはない(あったとしても忘れている) ・ピーター・パンになるのは寂しい さよならだけの人生 ・再会できる人間になりたい ・ウェンディと遊べないのは耐えられない ・ジャッキーさんの元同僚たちの話…… ・新鮮さを求めているようで、同じものを享受しているだけ ○ピーター・パンにならないために ・「再会」を前提に人と付き合っていたい ・そのためにはピーター・パンになってはいけない ・ピーター型だと誤解されがちな人間 ジャッキーさんも、小沢健二さんも? ・「過ぎたことにしない」という姿勢 ・うしろを振り返らないで、前ばかりを見ていると ・見える角度が広がっていく ・おばあさんにも見えるし、少女にも見えるような人 ・すべてを引き連れて年をとっていく ・きれいにたたんでたんすにしまう ・同時に取り出せる ・ジャッキーさんの好きな老婆 ・金沢の「純喫茶ローレンス」 ・わたしは年老いた森の小りす ・「年老いた」と「小りす」は同時にありうる! ・都会だけど森の小りす、というのもとてもいい ・その極致は楳図かずお先生 存在自体が...
    続きを読む 一部表示
    44 分
  • #071 世代・年齢・時間② 誰かがだれかを「卒業する」ということ/出逢い、別れ、再会すること
    2024/04/15
    【目次】 ○卒業という概念 ・人間と人間の間にも「入学」と「卒業」がある ・憧れて、好きになって、近づこうとする(入学)。でもどこかのタイミングで離れてしまうことがある(卒業) ・卒業したら関係ない、という考え方がジャッキーさんはきらい ・「若い頃には必要だったけど」という切り離し方 ・そんなこと当たり前でありますから ・入学されがちな人間 ・先生だし、下の世代に目を向けがちな人間(J) ・憧れの存在と「一致(一体化)をめざす」のは自然だが、同じになれるわけがない ・自分は自分の人生をつくっていかなければならない ・いくら小沢健二さんに憧れていても ・新しいスターとして……! ・「空自認が星なんで」 ・入学することは当たり前、卒業するのも当たり前 ・「ジャッキー違ったわ」と姿を消すか、「こういうふうに違うんだ、じゃあこういう関係でいたほうがいいな」となるか ・憧れが解消されれば、上下がなくなる(不均衡がなくなり、対等になれる) ・ある意味「はやく卒業してほしい」 ・ジャッキーさんだけに入学するわけではない(重要) ・過去とは違う付き合い方をすればいいだけ ・最初の気持ちが大きすぎると、それが冷めてしまったことに気まずさを覚えたりもする ・むしろ冷めてしまったことを喜ぶのがジャッキーさん、かもしれない ・いろんな意味の卒業生が来てくれる(夜学バーは職員室、というか国語科準備室、いや尾崎準備室?) ○古い友人たちの話 ・比喩的には「卒業生」なのだが、そう書くと「上下関係」が香り立ちすぎてしまう。あくまで比喩でしかないということをご理解ください 何よりも先に友人、友達なのです ・Aくんの話 いろいろ書くべきことはあるのだが詳しくは本編で ・「1年前と比べたら赤ん坊と兵隊だ」 ・男子3日会わざれば……会わないことが実は重要! ・目の前に大きすぎるものがあると、学ぶことは多いがそればかり見ているのは必ずしも良いことばかりではない ・逆に、「目の前にいるすごい人」が邪魔なこともある ・会わないことによってオリジナリティが伸びていく ○総集編のような4日間(再会の記録) ・木曜日にAくんが来て、金曜日にも……(ここから先は似たような話の繰り返しです ・高校時代の同級生(Bとしよう)の話 ・エネルギーの大きいやつ同士が近づいてしまった問題 ・18年くらい?会わなかった ・なぜ僕の近況を知っていたのか? ホームページはすごい ・お店もサイトも、再会のため ・生き方や考え方が違う人間がたまたま出会った、もちろん重なる部分もあった ・ちょっとずつ笑い話になっていく ・時間ってすごく必要 それ以上に「離れること」の重要性 ・離れたからには、再会がなくてはならない 面白いから ・日記を書いているからこそ「変わってない」ことと「成長・成熟している」ことがわかる Podcastも今の「声」を伝えるためでもある ・SNS社会は「再会」がしやすい ・同じ日、高校時代の一個上の先輩(大親友)も来ていた(Cとしましょう) ・高校時代のジャッキーさん「ついに自分よりすごいやつが現れた!」(不遜) ・かっこよさ、スター性、言葉のきらめき ・自分とは正反対の道を歩んでいった彼 ・友達の変化は歌手の「音楽性の変化」に近いのかもしれない ・もうしばらく「友達の話」にお付き合いください ・変わらない部分は変わらないのである ・そして金曜日のこと その高校時代の二大巨頭(B、C)がたまたま夜学バーに来て、肩を並べて飲んでいた(自分だけが面白い感動的光景) ・3人の目に見えない戦い(?)、みな衰えがない ・その能力(技術)はきっと仕事でも生きている ○話は逸れて、岡田淳さんのこと ・舞台『ふしぎな木の実の料理法』アフタートークでのお話 ・岡田淳さんも演劇をやりたかったが、事情により教員になった ・ジャッキーさんも、もし親の借金とかいった事情があれば地元の公立中高の教員に落ち着いていたかもしれない その中で自分にできることを探っていたかもしれない ・教員、作家、演劇を結局はすべて全うした岡田淳さんのすさまじさ ○最後にもう一人 ・...
    続きを読む 一部表示
    40 分

あらすじ・解説

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
夜学バー(東京・湯島)

氷砂糖のおみやげに寄せられたリスナーの声

カスタマーレビュー:以下のタブを選択することで、他のサイトのレビューをご覧になれます。