• #073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)

  • 2024/04/29
  • 再生時間: 34 分
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#073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)

  • サマリー

  • 【目次】

    ○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった

    ・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?

    ・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』

    ・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……

    ・今日のお茶は


    ○ドラマ『不適切にもほどがある』

    ・簡単なあらすじ

    ・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ

    ・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話

    ・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている


    ○ぷにょさんの考えたこと

    ・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ

    ・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める

    ・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)

    ・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった


    ○前回の話につながる

    ・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している

    ・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子

    ・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない

    ・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう

    ・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい

    ・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする

    ・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない

    ・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか

    ・1986年は男女雇用機会均等法が施行

    ・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)

    ・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう

    ・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)

    ・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく


    ○強者と弱者の逆転、循環

    ・強者たちはいずれ弱者に転落する

    ・いじめられている昭和の「おじさん」たち

    ・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる

    ・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか

    ・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!

    ・革命は弱者が起こす

    ・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ

    ・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)


    ○次回予告

    ・どこかへ飛んでいきましょう

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あらすじ・解説

【目次】

○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった

・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?

・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』

・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……

・今日のお茶は


○ドラマ『不適切にもほどがある』

・簡単なあらすじ

・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ

・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話

・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている


○ぷにょさんの考えたこと

・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ

・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める

・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)

・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった


○前回の話につながる

・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している

・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子

・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない

・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう

・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい

・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする

・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない

・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか

・1986年は男女雇用機会均等法が施行

・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)

・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう

・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)

・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく


○強者と弱者の逆転、循環

・強者たちはいずれ弱者に転落する

・いじめられている昭和の「おじさん」たち

・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる

・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか

・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!

・革命は弱者が起こす

・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ

・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)


○次回予告

・どこかへ飛んでいきましょう

#073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)に寄せられたリスナーの声

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