『天を忘れて生きるにあらず(ピリピ人への手紙3章20節~21節)』のカバーアート

天を忘れて生きるにあらず(ピリピ人への手紙3章20節~21節)

天を忘れて生きるにあらず(ピリピ人への手紙3章20節~21節)

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概要

序)「心を高く上げる」

・キリスト教葬儀の最後の飾花についての説明「元は一粒の種でしかなかったものが、美しい花となって開くのを見て、私たちは、この地上での命が、永遠のいのちへの種であることを覚え、心を高く上げるのです」

・「心が下がる(落ち込む)」ことは誰にでも起こる。下を向くばかりでは生きていくことが難しい。

1)「心を上げる」ためのスペース(時間)

・サッカーでも、ボールを受け取ったプレイヤーの「顔が上がる」かどうかが勝敗を決すると言われる。プレッシャーがかかると足元ばかりに目が行き、視野が狭くなる。上手な選手(あるいはチーム)は、スペースのある所でボールを受けるので、顔が上がる。

・私たちの人生において「心を上げる」ためのスペースは、礼拝である。

・礼拝において、人生の大局(全体像)を思い起こすと「心が上がる」。

2)「召天者」―その意味

・「キリスト・イエスによって神が上(松竹梅の「松」のようなイメージ)に召してくださるという、その賞をいただく(ピリピ3:14)」という聖書の言葉に由来する。「松のからだ」=「からだのよみがえり」

・「召天者」とは表彰式を待つばかりになっている人々のこと。未来のその日まで、先に亡くなった方々は眠っている。

・したがって、お墓というのは表彰式に立つための「待ち合わせ場所」である。生き焦ることをせず、「自分の試合」をやり切ることが大切。

・私たち人間は、始まりこそ有限だが、永遠へと招かれている。

・心を上げて生きることは、誰かを幸せにするためのゆとりをもつこと。

3)「私たちの国籍は天にある」ことを思い起こす

・「国籍」という言葉は古代と現代で意味がまるで変わってしまった。今日の「国籍」は戻るべきところだが、古代の「国籍」は「出資元(バックアップスポンサー)」という意味をもっている。

・「国籍が天にある」とは、天からの代表として、今、この地上を生きるということを意味している。

・「からだのよみがえり」もこの天の力によって起こる。「卑しいからだ」とは「低級の(梅)のからだ」のことで、老いや病、そして死が避けられない。

・「天」は、境目がなく、ひとつであり、誰でもアクセスできる。天におられる神様が、すべての人の父として目を留めていてくださる。

結)「天を忘れて生きるにあらず」

・自分の国籍を忘れて余裕を失う私たちは、何度でも心を上げられる。

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