『ひとりひとりの人生・オンリーワン』のカバーアート

ひとりひとりの人生・オンリーワン

ひとりひとりの人生・オンリーワン

著者: Talk Shift
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このコンテンツについて

特別な人でなくても、一人ひとりに価値 ① 1人1人素敵なものを持ち、1人1人違う人生を歩んでいる。でも、みんな気付いていない、、 だから、あなたのオンリーワン(失敗、成功、キャリア、価値観など)を発信します。 世の中には色々な人、考え方、価値観を知ることができます。 「自分は狭い世界で生きていたな~。こんな人生もあるんだ」と自分を変えるキッカケ、感動、刺激、楽しい人生になると最高です。 ② この番組は、有名人ではなくとも、身の回りの方々の物語を紡ぎ出す特別な番組です。 私たちの周りには、スポットライトを浴びることのない素晴らしい人生が無数に存在しています。 「オンリーワン」は、そんな"普通の英雄たち"の物語を、深い対話を通じて紡ぎ出していきます。ここでは、テレビでは決して語られることのない、人生の真実の物語が展開されます。 ③ 番組の特徴的なのは、単なるインタビューではなく、国際コーチICF資格を持ったプロのコーチとの深い対話を通じて、ゲスト自身も気づいていなかった自分の価値や人生の意味を掘り起こしていくところ。 ④ さらに、この番組はゲストの方の「人生の名刺」としても活用できます。自分の価値観や生き方を、音声という温かみのある形で残すことができるのです。 ⑤ テレビや雑誌では決して語られることのない、しかし確かにそこにある輝かしい人生の物語。それがオンリーワンです。Talk Shift 個人的成功 自己啓発
エピソード
  • #105 「等身大」を貫く勇気――「自由と納得」を大事にするエグゼクティブコーチ、八起さんの人生物語 ②
    2025/12/13
    1.「あ、私それになる」──その瞬間、すべてが動き出した就職へのモチベーションがなかった。専業主婦になるつもりだった。それなのに、慌てて就職活動をして、なんとか福岡の不動産会社に滑り込んだ八起さん。1日100件の営業電話をかける日々。バリバリの営業職。新人賞を獲得するほどの成績を残しながらも、社内のゴタゴタで退職。誰もが「普通の人生」を歩むと思っていた24歳の女性が、ある出会いで、22年続くコーチング人生への扉を開けることになります。その出会いとは、、、 2.変屈な私でも、納得できた「私、結構変屈だと思っていて」八起さんは自分をそう表現します。何かを学ぶとき、いつも心の中で「いや、そうは言っても」「ここが押し付けがましくないか」と疑問を抱いてしまう。素直じゃない、可愛くない。そんな自分に気づいていました。恋人との喧嘩が絶えない。喧嘩をしたくて付き合っているわけじゃないのに、どうしてもぶつかってしまう。どうしたもんか──。そんな悩みを抱えていたとき、朝日カルチャーセンターの新聞広告で「コーチング」という言葉を見つけました。カルチャースクールに通い始めた八起さん。そして、運命の2回目の講座で、講師がこう言いました。「コーチングを専門にして、1対1でコーチをする職業があるんだよ」その瞬間──「あ、私それになる」恋愛の悩みはどこかへ消えていました。 3.高校時代から繋がっていた、見えない糸説明会で提示された会社名は「コーチ21」。スクリーンに映し出された社長の名前を見て、八起さんは息を呑みました。「伊藤 守」高校時代、繰り返し繰り返し読んでいた本の著者。あの伊藤 守さんが作った会社。「絶対間違いない」働いて貯めたお金、約70万円を迷わず即申し込み。福岡から電話会議システムという当時の最新の技術を使って、スクールに通い始めました。 4.「自由」という言葉がポロッと出た瞬間八起さんの口から、何度も出てくる言葉があります。「自由」と「納得」小さい頃から、制約されることが苦しかった。納得しないと前に進めない。そんな変屈な自分でも、コーチングは受け入れてくれました。押し付けない。教えるというスタンスを貫かない。自分に考えさせる。自分に気づかせる。「自由に、自分のペースで成長ができる。そんな変屈な私でもやっていけるっていう確信しかなかった」2005年1月2日。開業届を提出。それから22年間、八起さんのコーチング人生が始まります。 5.売上は好調。なのに、心は地獄だった。「クライアントは目標を達成していく。でも、私には、それがハリボテにしか見えなかった」八起さんがそう語る時、その声には今でも当時の苦悩が滲んでいました。35歳で育児休暇から復帰した彼女が飛び込んだのは、いわゆる「稼げる系コーチングスクール」。売る方法は完璧に教えてくれる。実際、売上は順調に伸びていきました。でも、提供するコーチングの質は「ズタボロ」。目先の目標達成だけを追いかけ、クライアントの本当に大切な価値観、腹の底にある想いには触れることができない。自分が良いコーチングができていないことを、誰よりも自分自身が分かっていたのです。「良くないものを売り続ける苦痛が、きつすぎた」 6.「計画的育児休暇」の5年間実は八起さん、20代でコーチングの道に入り、順調にキャリアを積んでいました。個人クライアントへのコーチング、研修講師。副業もしながら、着実に実績を重ねていた彼女が選んだのは、30歳から35歳まで丸5年間、仕事を完全にストップして育児に専念すること。「保育園に預けるという発想を持っていなかった」と笑う彼女ですが、その5年間は単なる休息ではありませんでした。「毎日トライアスロンをやっているみたい」自分の限界を突破し続ける日々。3人の子どもを育てながら、彼女は"プロの専業主婦"として、自分と向き合い続けていたのです。 7.技術を取り戻す――そして、仲間を救う稼げる系スクールを離れた八起さんは、コーチングのスーパービジョン練習会に通い、徹底的に自分の技術を立て直しました。すると、...
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    26 分
  • #104 「専業主婦のプロ」を目指した女性が、「裏方のプロ」になるまでの八起さんの人生物語 ①
    2025/12/09
    なぜ、彼女は中学時代に「鎧」を着ていたのか?「芸能人に詳しくないと…深夜番組を知らないと…1日3本映画を見に行けないと…」私立女子中学で感じた息苦しさ。周りに合わせるために着ていた見えない鎧。でも、公立高校に転校したその日、彼女は初めて気づいたのです。「あ、自分のままでいいんだ」と。その瞬間、彼女の人生が動き出しました。今回のゲストは、コーチング歴22年のプロのエグゼクティブコーチ、八起(やおき)さん。福岡を拠点にオンラインで全国のクライアントをサポートし、コーチ育成にも携わる業界屈指のベテランです。1.“鎧”を着て生きた中学時代八起さんの原点は意外にも、「大人数が苦手」「女子より男子と遊ぶ方が楽」「自由でいたい」という、少し風変わりな小学生時代にありました。八起さんが語る中学時代の「鎧」事件は、多くの人の心に刺さる物語です。私立女子校で感じた居場所の悪さ。友達と遊びに行けば、休日に3本も映画を見るような派手な遊び方。芸能人や深夜番組の話題についていかなければ、、、「どんだけお金使って遊ぶんだろう」「そんなに何本も映画なんて見たら疲れるよ」と心の中で思いながらも、無意識に合わせていた自分。2.鎧を脱いだ少女の再生物語家族の引っ越しをきっかけに公立高校に転校したとき、世界が一変しました。「裸で運動場を駆け回るみたいな素朴な学校」で、彼女は初めて鎧を脱ぐことができたのです。私立時代には「知らない方」だった自分が、公立では「いろんなことを知ってる人」になった。友達から「そんなに知らなくても全然いいんだって」と言われたとき、彼女は悟りました。「私、努力しなくていいんだ。ついていこうとしなくていいんだ」と。この経験こそが、八起さんの今のコーチング哲学を形作っています。3.人は変わらない。でも“環境”が人を活かす「人は根本では変わらない。でも、それとどう付き合うか」。気を使う性格も、自由を求める心も、大人数が苦手なところも、小さい頃から変わらない。でも、環境によって、その個性が苦痛にもなれば、強みにもなる。両方の学校を経験したからこそ、彼女は「自分にとっての心地よさ」を知ることができました。4.高校時代に見つけた「自分の役割」執行部という部活動。40km遠足の企画運営。文化祭の副運営委員長。表舞台に立つのではなく、裏でゴソゴソと準備をする。当日、みんながスムーズに動いていく様子を見守る。「私がトップの役をやることは違うな」派手な運動会の盛り上げ役には関わらない。でも、行事の裏方では誰よりも輝いていた。彼女は気づいたのです。自分の好きなの裏方。**「人がうまくいくサポートをすること」**だと。5.あなたは、自分の「役割」を知っていますか?大学生の頃、多くの同級生が就職活動に奔走する中、一人の女性は違う夢を描いていました。「私は、有能な専業主婦になりたい」周りからは珍しがられたその夢。でも彼女の中では、すでに明確な人生哲学が確立されていました。6.専業主婦も、コーチも、本質は同じ「専業主婦は家族がうまくいくことをサポートする影の存在」「コーチはクライアントがうまくいくのをサポートする影の存在」主役はあちら。私は裏方。そう語る八起さんの目は、驚くほど澄んでいました。学生時代から一貫して持ち続けてきたこの価値観。それは今も、彼女の人生を貫く一本の軸となっています。7.「やってみる」ことで見えてくる道多くの人が気づかない自分の適性を、なぜ八起さんは早くから理解できたのか?答えはシンプルでした。「やりたいことをやってみる人だったから」合うこと、合わないこと。好きなこと、苦痛なこと。ひとつひとつ試して、確認して、自然と「自分」が見えてきた。父親が会社経営者だったこともあり、就職というレールを意識せずに育った彼女。だからこそ、自分の心に正直に生きられたのかもしれません。8.付け焼き刃の就職活動、そして...「卒業と同時に結婚」の予定が、相手がいないという現実に直面。慌てて始めた就職活動は、企業にことごとく見破られ、内定は一社...
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    18 分
  • #103 50歳で廃業、そして再起。「仕事がある喜び」に気づいた北村さんの人生物語4
    2025/11/21
    うれしーーーーい!なんと北村さんが2度目の登場です! まさか2度も出演して下さるとは思っていなかったので、びっくり。 今回は、新生北村!新しく生まれ変わった北村さんの人生物語です。 成功を恐れる経営者の、誰にも言えなかった本音がここにあります。 あなたは今、何と戦っていますか?その答えが、この配信の中にあるかもしれません。 1.「俺の方がすげえ」あなたは今、何と戦っていますか? 「俺の方がすげえ」 かつて北村さんの心を支配していた、この言葉。 大企業で出世競争に明け暮れ、ベンチャー企業の「C◯◯O」という肩書きを名刺に刻むことが人生のゴールだった男。成功している人を見ては比較し、自分の価値を測り続けていた。 でも今、彼は全く違う戦いをしています。「他人」ではなく「自分」と戦う日々へ。 2.「このままでいいのか?」現在、50社の顧客を抱え、契約率は驚異の30%(業界平均3%)。一件一件の仕事に真剣に向き合い、目の前の人を大切にする。そのサイクルが「あったかい」と北村さんは言います。順風満帆に見えるビジネス。なのに、なぜ彼は不安なのか?「大きな成功を手にした時、また昔の自分に戻ってしまうんじゃないか?」この番組で語られるのは、成功者の華やかな物語ではありません。むしろ、成功を恐れる経営者の正直な葛藤です。 3.「友達不要論」から「大切な人を大事にする」へかつて効率を追求し、人間関係さえもコスパで測っていた北村さん。それが今では「誰かのために何かをする楽しさ」を知り、「酒がうまい」と感じる瞬間を人生の指標にしています。でも、彼はこう言うのです。「油断すると、また変わってしまう気がする」この価値観の転換は、どうやって起きたのか?そして、なぜ彼は「満心」を警戒し続けるのか? 4.一度は全てを失った経営者が、たどり着いた"本当に大切なもの"とは?大きな仕事を取れば取るほど、心は不安になる。成功すればするほど、失うことが怖くなる。「このままでいいのだろうか…」50歳を過ぎ、一度は廃業を経験した北村さん。 再び起業した今も、心の奥底に迷いを抱えていました。 5.成功の裏に隠された"ビビり"の正体個人事業主として、3年半。順調に見える日々の中で、北村さんは大きな矛盾を抱えていました。「大きな仕事は取りたい。でも、取った時にビビってしまう」なぜなのか?それは、太いご縁が切れる恐怖。安定を手に入れた瞬間に、それを失う不安が襲ってくる。そして何より、自分の"器"への自信のなさ。50歳を過ぎて一度失敗した自分に、本当にそれだけの価値があるのか— 6.対話の中で見えてきた"本質"しかし、対話を重ねる中で、北村さんの表情が変わり始めます。「仕事がある喜び」創業時につけた会社名「Work Be」に込めた想い。それを語る時、北村さんの目は自信に満ち、声にはエネルギーが溢れていました。仕事は単なる収入源ではない。人を成長させ、自己実現のツールであり、そこで作られる関係性に人生がある。営業で何度も断られ、「向いていない」と思った日々。それを乗り越えた先にあった、絶大なる成長とやりがい。 7.たどり着いた答えは、驚くほどシンプルだった「それだけでいい」大きい仕事も小さい仕事も、法人化も個人事業も— 実は、それらは本質ではなかったのです。北村さんが本当に大切にしたいもの。 それは「仕事がある喜び」を伝え続けること。成功する前の絆奏が大切。結果が出ないからと辞めてしまう人たちに、働く喜びを伝えたい。対話の最後、北村さんの顔は驚くほどすっきりしていました。 8.50年かけて気づいた"本当の価値"「もっと早く気づけば良かった」そう笑う北村さんですが、50年かけて気づいたからこそ、 その価値観の変化は本物でした。一度は全てを失った経験。それがあったからこそ、仲間のありがたさ、支えてくれた人たちへの感謝、 そして「仕事がある喜び」の尊さに気づけたのです。 9.聞いてください:本音の経営論北村さんの言葉から「結局、正直に自分を見つめた時、良かったかどうか。仕事も人生の一部。分...
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    18 分
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