『かの地に、コパンと共に発つ(主の祈り⑧)(マタイの福音書6章13節)』のカバーアート

かの地に、コパンと共に発つ(主の祈り⑧)(マタイの福音書6章13節)

かの地に、コパンと共に発つ(主の祈り⑧)(マタイの福音書6章13節)

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序)「試み」「試練」「誘惑」??

・「人間、試練を通って成長するものなのに、どうして主の祈りで『試みにあわせないで』と祈るのですか?」―ある老紳士の問い

・「試み」とは強すぎる試練であり、それに遭うと成長ではなく潰れてしまう?

1)解決の糸口は「あわせないで」にあった

・聖書の多くの箇所で「試練にあわせる」「試みる」は「ペイラゾ―」という動詞で表現される。

・主の祈りは「エイスフェロー(動詞)」+「ペイラスモス(試み:名詞)」

・「エイスフェロー」は「運び込む」という意味だが、この動詞は単なる運搬ではなく、宥めの血を至聖所に「持って行く」時に使われる専門用語であり、「最終目的地に持ち込む」という意味がある。

・主の祈りの文脈は直前で「ヨベルの年」と関連させているので、宥めの日の「エイスフェロー」は専門用語の響きをもつことは支持される。

2)「試みの中で埋没した」イスラエルの歴史

・至聖所は、神の臨在が宿る場であり、神の国の完成の縮図、父の御国の象徴である。この祈りは「試練」ではなく「父の御国」へと運び込むことを求めている。「試練」は通過点であって、最終目的地ではない。

・この祈りの先頭にも「カイ(and)」が隠れている。

・この祈りの背景には、出エジプトの民が、荒野の試練の中で埋没してしまい、約束の地に入りそこなった出来事が背景にある。申命記 8:16

・神様は民を試みて、成長させるが、民は神を試みてはならない。なぜなら神を成長させる必要はないから。神を試すことは、不信である。それにもかかわらず民は十度も試したと言われる。(民数記 14:22)

・神の御心は私たちを試みによって強くすることだが、私たちが神様を頑なに信頼しないなら、試みの中に埋没するようにされる可能性もある。

3)目を上げて、ゴールを目指して出発する

・私たちには招かれている世界(神の国の完成)がある。

・健康の試み、経済の試み、人間関係の試み、どんな試みも、すべてを成長のための糧に変えることが可能になるのが「真に人を生かすパン」を食べる者たちである。

・「試みにあわせないでください」という祈りは聞かれないが、「私たちを試みの中に埋没させないでください」という祈りは 100%聞かれる。

結)教会共同体というコパンの中で

・私たちの旅は孤独ではない。教会共同体に属することで経験する試みもあるが、逃げずに成長していこう。

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