『いのちのパンをこの街と共に(主の祈り⑨)(マタイの福音書6章13節)』のカバーアート

いのちのパンをこの街と共に(主の祈り⑨)(マタイの福音書6章13節)

いのちのパンをこの街と共に(主の祈り⑨)(マタイの福音書6章13節)

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序)主の祈りの終結部

・「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです」と言う部分は、オリジナルの聖書原典にはない言葉で、礼拝で祈る際に、付け加えられた「教会のことば」=信仰告白のようなもの。

1)「お救いください」にこめられた意味とイメージ

・「試みの中に埋没させないで」むしろ(アッラ)「父の御国に運び入れてください」となる部分が「悪からお救い下さい」と言い換えられている。

・「お救いください」で使われる動詞は、レアな単語「リュオマイ」。一般的な「救う」とい言葉(ソゾー:回復させる)ではない。

・主の祈りはすでに救われた者(神との関係が回復された者)が祈るから「ソゾー」は不適。一方の「リュオマイ」は中動態という特別な形。「救う(能動態)」「救われる(受動態)」の中間にあって「救う者」と「救われる者」が一つになることで救いが達成されるニュアンス。

・「悪からお救いください」は、自分がイエス様とひとつであることを忘れさせないでください、思い起こさせてくださいという意味になる。

2)「悪」の正体~堕落がもたらしたもの~

・「悪」を意味するギリシア語「カコス」(反対語は善「アガソス」)はここで使われていない。ここで救い出されるのは倫理的な悪ではない。

・主の祈りで使われる「悪」は「ポネーロス(労苦・消耗を語源にした悪)」で、機能不全のニュアンス。「荒み」と訳すと理解しやすい。

・これは聖書が示す悪の起源を適切に物語る単語である。神から人間が離れたこと(堕落)が悪の起源であるが、アダムとエバは突然悪魔的存在になったのではなく、いのちの源から切り離され荒んでしまった。その荒みが放置されるとき、倫理的・道徳的悪へと転落していく。

・エルサレムの都が兵糧攻めにあったとき、飢えを満たそうと食べてはならないものを食べてしまう地獄が生まれた。

3)「荒みから救い出してください」

・「悪からお救いください」は悪魔や悪い人、災いからの守りを求める「お守り」のように祈られてきたかもしれない。

・「荒み」は「倫理的な悪」よりも近いところにある。「リュオマイ」は予防的な意味では使えない。生活のすぐ近くにある荒みの現実を無視してはならない。

・「荒む」ことが問題ではなく、ケアされないのが問題を生む。

結)「荒み」が問題ならば「真に人を生かすパン」が解決である。

・本当の荒みが解消され始めるとき、私たちはただ食べるものから、分かち合って食べる者へと変えられる。(第二列王記 7 章 9 節参照)

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