『【紅葉から学ぶ】──『葉っぱのフレディ』と永観堂のみかえり阿弥陀』のカバーアート

【紅葉から学ぶ】──『葉っぱのフレディ』と永観堂のみかえり阿弥陀

【紅葉から学ぶ】──『葉っぱのフレディ』と永観堂のみかえり阿弥陀

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概要
🔶紅葉の季節と命の「無常」「縁起」11月を迎え、木々の紅葉が赤く色づく季節となりました。美しく彩られた紅葉がやがて散りゆく姿は、私たちに命の儚さである「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を教えてくれます。しかし、葉っぱはただ散って終わるわけではありません。地面に落ちて土に還り、それが養分となってまた次の新しい命が芽吹いていくという「縁起(えんぎ)」の教え、すなわち命の繋がりと循環のあり様を体現しています。浄土真宗の教えに照らせば、そうした儚くも尊い命を生きる私たちだからこそ、阿弥陀さまの慈悲の救いが常に届いているということを、紅葉の姿から深く学ぶことができます。🔶絵本『葉っぱのフレディ』が伝える死と変化アメリカの哲学者レオ・ブスカーリアが書いた絵本『葉っぱのフレディ――いのちの旅』は、まさにこの仏教のみ教えに通じる物語です。春に生まれた大きな木の葉っぱ・フレディは、物知りの親友ダニエルから「人間に木陰を作ることが葉っぱの役割であること」や「同じ場所で生まれても、一つひとつの葉っぱの条件や色は違うこと」を教わりながら成長します。やがて季節が移ろい、木枯らしと雪がやってくると、仲間たちは次々と落ちていきます。ダニエルはそれを「引っ越し」、つまり命の終わりだと教えました。「死ぬのが怖い」と怯えるフレディに対し、ダニエルは「死ぬことは怖いことじゃない。あらゆるものは常に変化している。死ぬことも変化することの一つだよ」と優しく諭します。🔶土に還り、命はまた繋がっていく初雪の日、最後まで残っていたフレディもついに枝から離れ、雪の上に落ちて命を終えていきました。しかし、フレディはただ死んで消えてしまったのではありません。生まれた場所の土へと還り、木の命の一部となって、再び春に芽吹く新しい命へと繋がっていったのです。紅葉の幻想的な美しさは、私たち自身の「命の終わり」という避けられない問題と密接に結びついています。葉っぱの命の移り変わりは、死を単なる終焉ではなく、大いなる命の繋がり(縁起)の中にある一つの変化として受け止める視座を与えてくれます。🔶紅葉の名所・永観堂の「みかえり阿弥陀」紅葉の名所といえば、熊本では秘境・五家荘(ごかのしょう)などが有名ですが、京都で特におすすめしたいのが「永観堂(えいかんどう・禅林寺)」です。永観堂の本堂には、非常に珍しい「みかえり阿弥陀(見返り阿弥陀如来)」がお祀りされています。一般的な阿弥陀さまは真正面を向いておられますが、この阿弥陀さまは首を左斜め後ろに振り返っておられます。これには伝承があり、熱心に念仏を唱えていた永観(ようかん)という僧侶に対し、阿弥陀さまが振り返って「永観、おそし(遅いよ)」とお声をかけられた姿だとされています。高千穂さんはこれを、「早くみ教えに出会いなさい」と私たちを促し、導きを待ってくださっているお慈悲(ご催促)の姿として味わっておられます。紅葉の美しさに心を打たれると同時に、み教えを伝えてくれる仏さまに出会う「紅葉狩り」は、大変尊いご縁となります。🔶今週のまとめ【1】赤く色づき散りゆく紅葉は、命の儚さ(諸行無常)とともに、土に還り新しい命へと繋がっていく命の循環(縁起)を教えてくれます。【2】絵本『葉っぱのフレディ』(作:レオ・ブスカーリア)は、葉っぱの一生を通じて、死を恐れるのではなく「変化の一つ」として受け止める命の旅を描いています。【3】フレディが土に還り次の命へ繋がっていく物語は、私たち自身の命の終わりと大いなる繋がりを見つめ直す仏教の死生観と深く通じています。【4】京都の紅葉の名所である永観堂には、斜め後ろを振り返る大変珍しい「みかえり阿弥陀」が安置されており、参拝者に深い印象を与えます。【5】みかえり阿弥陀の姿は、「早く教えに出会いなさい(永観、おそし)」と私たちを促すご催促(慈悲)の表れであり、美しい紅葉と仏法に同時に出会うご縁の大切さを教えてくれます。次回テーマは「仏教と福祉」です。どうぞお楽しみに。お話は...
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