岡田 憲治
著者

岡田 憲治

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著者の略歴 戦後17年、賢明にもジャックとニキータが核発射ボタンを押すことを思いとどまった年に、何も知らずに東京郊外のマンモス団地に生まれる。当時は庶民の垂涎の的だった近代的な2DKから一歩外へ出ると牧場に牛がいるというハイブリッドな原風景を擦り込まれる。大阪万博に行けなかった心の傷も癒えた小学3年生の冬、突然授業が中止となり、朝から下校時までひたすら「浅間山荘生中継」を教室の白黒テレビで観させられる。先生曰く「何のことかわからなくてもいいから観なさい」。「春闘の終焉」と言われた頃、リヴァプール出身の育ちの悪い四人組の歌に「やられて」しまい、その後転居先の湘南地方の公立高校入学に失敗する。700年前は日本の首都だった保守的な街のお寺の隣にある高校に入り、偶然『いとしのエリー』の作者の後輩となる。青春はひたすら暗く、かつそれをすべて人のせいにしていた。「優しい」若者が、"Boat House"(舟小屋)と胸にプリントされた一着36000円のスウェット・シャツを原宿で買い漁るという愚行が繰り返された、空しいあの80年代が始まった年に、池袋にある蔦の絡まる大学に入学する。優秀なスタッフに乗せられて政治学を学ぶが、自分はただの「美味しい所盗り」であることに気づき、ゴルバチョフが登場しプラザ合意のあった年に、高田馬場にある、学生数の多いことで有名な大学の大学院に入院し、長期治療を受け症状を悪化させる。実家にくだらない健康器具が増えだした80年代末から90年代初頭、全国有価証券大博打大会に興ずるお金などあるはずもなく、留学生寮の寮長をしながら、ひたすら横文字を縦に直し、洋書屋に借金をし、当時政治犯のいた国で開かれる五輪に異議を唱えながら安酒で憂さを晴らす。旧電電公社の株価が原価を割り込んだ頃、お情けで母校の助手にしてもらい中学7年生のオシメの取り換え助手を週に5コマもやらされ、へとへとになる。任期満了退職後、文部省の外郭団体の特別研究員となる。ただの学徒にもどった世紀末数年は、近所の子供に「どうしてあのひとは昼間家にいるのか」と訝(いぶか)られつつ、あちらこちらの大学で講義をしながら浮草(いき)る。浦和レッズがJ2に降格した年、ある学生に「先生は理屈っぽすぎる」と叱られ、とてつもないことがこの世の中に起こっていることを知る。20世紀最後の年に僥倖に遭遇し、専修大学法学部で仕事をすることを許される。現在、市井の人々・学生・同僚の皆さんとともに、とてつもないことが淡々と毎日起こっている21世紀をなんとか生きのびようと考えている。
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