『#98「部屋を整えたら、人生が動き出した」──片付けパパ・大村信夫の整う生き方物語1』のカバーアート

#98「部屋を整えたら、人生が動き出した」──片付けパパ・大村信夫の整う生き方物語1

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「マクドナルドに授業を抜け出して行ったのが、人生で一番の悪事かもしれません」そう笑って語るのは、整理収納アドバイザー1級とキャリアコンサルタントの資格を持つ「片付けパパ」こと大村信さん。 部屋を片づけると、人生まで整っていく。そんな話を聞いたことがありますか?ただの整理収納アドバイザーではありません。彼はこう語ります。「物の片付けから、人間関係、そして人生まで整える」 そう、部屋を整えることは、自分の生き方を整えること。そんな哲学を持つ“人生の整理人”です。 1.優しい少年が、静岡の田舎で育った日々父親がいない環境で、おばあちゃん、お母さん、8歳離れたお姉さんに囲まれて育った彼は、「手のかからない子」でした。子どものころの大村さんは、とてもおとなしくて素直。女の子と遊ぶほうが安心する、競争よりも「みんな仲良く」を願う、のび太君のような少年時代。ところが、その背景には深い物語があります。大村さんは幼い頃に父親が白血病で亡くなられ、お母さんとおばあちゃん、そしてお姉さんに囲まれて育ちました。「だから、男性には苦手意識があったんです」——この言葉には、彼の優しさと繊細さがにじんでいます。 2.浪人、挫折、そして母への申し訳なさ──高校時代。時はバブル崩壊直後。「銀座で働くビジネスパーソンの就職は厳しくなる」、「理系なら潰しが効く」という情報を信じ、高3直前に文系から理系へコース変更という無謀な挑戦。成績優秀だった彼は、東京の大学から指定校推薦のオファーまで受けていましたが、「聞いたことのない地味な大学だから」という理由で辞退。猛勉強の末、第一志望の大学を目指して1年間必死に勉強するも、結果は全落ち。浪人するも、皮肉にも、1年前に推薦を断った大学に入学することに、、「推薦で行けるって言われた大学に、1年浪人して結局入学することになった。この1年間の時間とお金は何だったんだ…」普通なら絶望する状況。使った時間とお金は何だったのか──そう母親に謝った大村さんに、母はこう答えました。 「それが運命だったんだよ。この1年間は無駄じゃない。一生懸命勉強して、努力することができたことは、きっと将来のためになる」 しかし当時19歳の大村さんには、その言葉を受け入れる余裕はありませんでした。母子家庭で一生懸命支えてくれた母への申し訳なさ。自分の選択への後悔。大学時代は不真面目に過ごしました。 3.大学での「不真面目」が生んだ、「サバイバルスキル」入学初日こそ出席したものの、1週間後にはほとんど大学に行かなくなった大村さん。バイトに明け暮れる日々。でも、留年はしたくない。そこで彼が身につけたのが──「過去問と資料を集める仲介屋」としてのスキルでした。「これを持ってきたんで、どうですか?」「ギブアンドテイク」「みんなでシェアすれば、みんなハッピーじゃん」競争ではなく、仲間。争いではなく、協力。この「サバイバルスキル」こそが、後に彼の人生を支える核となっていきます。 4.就職氷河期、10月の決断大学4年の10月。周りが内定を決めている中、大村さんはまだ進路を決めていませんでした。大学院に行こうか迷っていた彼に、親戚のおじさんが一喝。「お前の母親、どれだけ頑張ってると思ってるんだ」その言葉でハッと我に返り、就職活動を開始。でも時すでに遅し──1997年の10月、超氷河期です。しかし大村さんは、就職活動の掲示板から1社だけピックアップし、応募。書類選考、1次面接、2次面接、最終面接──すべてパス。SPIも受けず、1社目で内定。「本当に偶然でした」と本人は笑います。 5.「英語喋れます」と言って入社、3週間後に海外出張最初の会社で3年、システムエンジニアとして激務をこなした後、転職。2社目の面接でまた言ってしまいました。「英語、喋れますよ」入社3週間後、いきなり海外出張の辞令。「マジか」と思いながらも、英語メールが半分以上。必死で対応する日々。でも、そこでまた発揮されたのがサバイバルスキル。半年でTOEICが200点近くアップ。海外での仕事もこなせるようになりました...
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