『#75-2 【番外編】アメリカ史から読み解く共同体論(松崎さんによる報告会①)』のカバーアート

#75-2 【番外編】アメリカ史から読み解く共同体論(松崎さんによる報告会①)

#75-2 【番外編】アメリカ史から読み解く共同体論(松崎さんによる報告会①)

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概要

本エピソードは#75で取り上げた友人の松崎さんによる報告会の音声データです。奥会津・三島町という過疎地域から、アメリカ史を共同体論として読み解く試みの第一回です。以下は、NotebookLMで文字起こししたテキストを元にしたChatGPTによる要約■ 何の報告会か(テーマ)発表者は「アメリカ史を“共同体”の視点で読み直す」ことを軸に、奥会津(各町村)の現実(人口減・雪・行政区分・共同作業の難しさ)と重ねながら議論します。ゴールはアメリカ史そのものの講義ではなく、“アメリカをどう見てしまっているか”を点検し、共同体論を考える入口にすることです。■ 1) アメリカ建国=「中央集権が嫌い」から始まる共同体の矛盾アメリカは独立の経緯から、中央集権(国王や貴族が上にいる共同体モデル)を嫌います。その結果、各州が「自分の州のことだけ考える」方向に強く傾き、“国としてまとまる”ことが最初から難題となります。独立当初は13州のみで、周囲にはフランス植民地・ネイティブの地域・英国再侵攻の不安もあり、州がバラバラで国を維持できるのかが重大問題でした。■ 2) 「奥会津の町村」との接続(例:除雪などの広域連携)各町村はそれぞれ事情があり、個別最適でやる限界があります。共同受注・広域連携(例:除雪の体制、地域づくり組合のような枠組み)を作っても、責任の押し付け合いでまとまらない現実がある。それはアメリカでも同じで、建国期の中心人物も「州が好き勝手やっている状態で“合衆国”は維持できるのか」に悩んだ、という比喩が提示されます。■ 3) 連邦政府が弱すぎた問題 → 奴隷制 → 南北戦争 → “アメリカ国民”意識へ初期の連邦政府は権限が弱く、税の徴収も進まず、軍の編成もうまくいかない。「いざ攻められたらどうする?」が解けない状況でした。さらに奴隷制が州の立場を分断し、工業化で強くなる北部 vs 奴隷労働に依存する南部の対立が深まり、内戦(南北戦争)へ。発表者の整理では、「州ではなく“アメリカ合衆国”としての意識」が広がるのは南北戦争後。ただし奴隷問題は宣言で終わらず、公民権運動まで続く長期課題として残ります。■ 4) 「アメリカを学ぶ意味」:日本側の“見方”を疑うここから話題は、アメリカ史そのものより「日本がアメリカをどう理解してきたか」へ。「近いがゆえにアメリカを正面から見られない」「日本はすぐ『日本はアメリカと違って…』と鏡にしてしまい、アメリカそのものを見失う」という問題意識が語られます。また、日本のアメリカ史研究史(戦前〜戦後〜2000年代以降)をたどり、かつては反帝国主義など強い問いがあった一方で、近年は「なぜ学ぶかは人それぞれ」と問いがぼやけた、という指摘も紹介されます(背景には“巨大すぎ/近すぎて対象化しにくい”アメリカの性質がある)。さらに、町史・村史はあっても「集落史」は限られるという例から、歴史学が国民国家や行政区分の枠に縛られやすい点を確認し、「歴史学を語る部品としてアメリカを使う」発想も提示されます。■ 5) 日本はなぜ“無意識にアメリカが好き”なのか(世論データ+文化の浸透)内閣府の世論調査データ(1978→2024の推移)を例に、日本の対米親近感が高水準で安定していることを取り上げます。肝は「理由があって好きというより、歴史的に形成された“政治的無意識”として好きになっている」という見方。アメリカ的生活(家電・テレビ文化・ホームドラマ等)が戦後の家庭に入り込み、“アメリカ的なもの”が日常化→日本的なものとしても認識される逆転が起きた、という説明がされます。例として、憲法25条(健康で文化的な生活)と、ナショナル(松下電器)の“アメリカ的家庭像”広告を挙げ、日本の「文化的生活」の中身がアメリカ生活像で語られてしまう奇妙さを示します。■ 結論(発表者が言いたい骨子)アメリカ合衆国は建国以来、巨大な多様性と分断の中で共同体をどう維持するかが課題でした。日本側は近代化・戦後生活の中でアメリカを深く内面化し、「好き/嫌い」すら無意識に組み込まれた結果、アメリカを対象...
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